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左腕

薪の燃える音がまだ耳に残る。

ジョンは薄く目を開け、ゆっくりと上体を起こした。体の痛みは変わらない。けれど頭はもう冷えていた。


――今後のことを考えなければならない。


ここがどこなのか。この世界がどういう理屈で回っているのか。

そして、自分に残された装備は何か。


ジョンは毛布を探り、腰のショルダーポーチに手を伸ばす。

血で汚れたタクティカルナイフ。

コムデバイス、バイオファージは健在。

だが、バイオファージーー造薬生成機の中に入っているナノリスのカートリッジは一本。

リジェネインジェクター(リジェネ液)も一本。

全部生きてるが前と比べれば心もとない。


「……ナイフは無事。コムデバイスも生きてる。だが薬は残り一本ずつ、か」


「……圏外、ってレベルじゃねぇな。電波が存在しない」

コムデバイスーー通信機はノイズしか吐かない。画面に走る砂嵐のような乱れを見て、眉をひそめた。


「何をいじってるんだ」

焚き火を整えていたロアが目を細める。


「オモチャだよ。……繋がらないけどね」

「魔道具か?」

「魔道具?」


ポーチに視線を落とす。

バイオファージはまだ機能する。これさえあれば、ナノリスとリジェネ液を生成できる。だが、補給源は限られている。

この世界の仕組みと、自分の技術をどう噛み合わせるか――それを見極めなきゃならない。


ロアは肩を竦め、小さく息を吐いた。

「魔術くらい、知らないわけないよな」


ジョンは首を傾げる。

「俺の世界じゃ聞いたことがない。説明してくれ」


「…魔術は体内の魔力で火をつけたり水を出したりする技術」


「魔法ではないのか?」


こいつほんとになにも知らないのか?とロアは驚いた顔をし、説明し始める。


「魔法は奇跡だよ。神が天を裂いたとか、大地を割ったとか……子供でも知ってるおとぎ話さ。現実にあるのは魔術だけさ」


ジョンは短く沈黙し、やがて微かに笑みを浮かべた。

「なるほどな。お前らの“魔術”は、俺の世界で言う科学に近いのかもしれない」


ジョンは会話を切るように、ポーチから銀色の小型カートリッジを取り出した。中間が透明な筒になっており中で、淡く緑がかった液体が揺れる。

リジェネインジェクター ――通称リジェネ液。


「……一本だけか」


ジョンはインジェクターを首に押し当てた。

プシュッ、と細い音と共に薬液が体内に流れ込む。直後、焼けるような熱が血管を駆け抜け、細胞ひとつひとつがざわめくような痒みが全身を走った。骨の奥で何かが再配列されるような奇妙な違和感が走る。


ロアは腕の血管が赤く浮き出るのを見て一瞬息を止めた。


「なっ……! 毒か!? 自分に刺すなんて、正気じゃない!」


「毒じゃない。回復薬さ」


ジョンはあっさりと答える。


ーー効いている。

肩の奥で鈍く疼いていた痛みが薄れ、体の芯に温かさが戻ってくる。

だが彼は知っていた。これは癒やしではなく、寿命を削る毒だということを。


「は? 回復薬は飲むものだろ。小瓶に入ったポーション……まさかそれも知らないのか」


ジョンは逆に眉をひそめる。


「飲む? そんな効率の悪いやり方があるのか」


「効率……?」ロアは言葉を失う。


「普通は飲んで、魔力に馴染ませて回復するんだ。身体に刺すなんて……」


「俺の世界じゃ常識だ。直接血管に流し込む方が早い」


ロアは焚き火越しにじっと見つめる。

その瞳は恐怖よりも好奇心の色が強い。

「……信じられない。でも……確かに効いてる」


「……魔術の薬か?」


ロアは怪訝そうに問いかける。


「さあな。お前らの言葉で言えば、違うだろう」


次に手に入るのは、バイオファージが再び生成してくれる明日ーーそれまでは、何があっても凌ぐしかない。


ロアが目を細めて問う。

「便利そうだね。その“魔道具”、戦場で拾ったのか?」


「いや、俺の必需品さ」


軽く受け流しながらも、ジョンの脳裏では計算が走っていた。

通信は遮断、未知の環境、そして魔術。

状況を整理する必要がある――だが、まずはこの女をどう転がすか、だ。


淡々と返すジョンの声に、ロアはさらに眉を寄せる。怪しい。


(……昨夜もそうだ。惚れた、なんて冗談を言ったくせに)

思い出した瞬間、ロアは視線を逸らす。


科学か、魔術か。彼にとってはどちらでもよかった。ただ生き残るために使えるかどうか、それだけが問題だ。


訝しむように視線を向け直すロア。見たことのない器具を平然と扱い、説明を求めても曖昧に笑うだけ――得体の知れない相手。

それでも、なぜか目が離せなかった。


その反応に、ジョンは胸の奥で小さく笑った。

――この世界の常識が彼女の口から出るたびに、こちらの出方を窺う目になる。興味と警戒の混じった視線。それが可笑しくて仕方なかった。


ジョンは空になったインジェクターをくるくると弄び、焚き火に反射するロアの視線を受け止める。


「……違う世界の常識ってやつさ。どっちにしろ、効けばいい」


心の奥で笑いを噛み殺す。

――やっぱり面白い。この女は。


ふと、昨夜の焚き火の光景が頭をよぎった。

ロアは一人きりで、火を見つめながら小さく呟いていた。


「……惚れたかい? いや、そんな……僕が? ありえない……」


顔を赤くして、必死に否定していた。


もちろん、その時ジョンは眠ったふりをしていただけだ。

耳にはっきり届いていた。

真剣に弓を構えていた女が、今度は言葉ひとつであんなに揺れるとは思わなかった。


「――チョロいな。俺の好みだ」


声には出さず、唇の内側で呟く。

ロアの冷静さの裏に潜む動揺。


――押せば、きっと崩れる。


「惚れたなんて言ったのは冗談だが――落とすのは本気だ」


ジョンの目は、焚き火の向こうにいる女の背中を射抜いていた。


ポーチを閉じ、ジョンは深く息を吐く。

ロアが差し出した水の入ったコップを、ジョンは無意識に左手で受け取ろうとした。


ふと違和感に気づく。


「……ん?」


その瞬間、二人の視線が重なる。


包帯の隙間から覗いた皮膚――失われたはずの"左腕"が、確かにそこにあった。

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