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第8話:影を追う者たち

世界滅亡まで、あと二十三日。

偵察部隊の創設。その決定は、アルカディアの空気を再び変えた。それは、未知への恐怖と、未来を切り開くことへの渇望が入り混じった、張り詰めた、それでいてどこか前向きな緊張感だった。誰もが、ただ籠城しているだけでは未来がないことを理解していた。この一歩が、どれほど危険なものであっても、踏み出さなければならない一歩であることを。


会議の翌日、俺はタケダさんと共に、偵察部隊のもう一人のメンバーを選考するために、ギルドのメンバーリストを眺めていた。候補は、実行部隊の中でも特に身軽で、冷静な判断力を持つリョウかケンジ。俺はそう考えていた。だが、タケダさんの口から出た名前は、完全に予想外のものだった。


「キョウスケを推薦したい」

「キョウスケ…?」


思わず聞き返してしまった。キョウスケ。タケダさんたちと一緒にギルドに加わったメンバーの一人で、年は二十代前半。だが、彼はいつもホールの隅で静かに本を読んでいるか、一人で黙々と体を動かしているかで、ほとんど誰とも話さない。戦闘訓練にも参加はしているが、積極的に前に出るタイプではない。正直に言って、印象の薄い青年だった。


「本気ですか、タケダさん?彼は戦闘経験も浅い。危険な任務には…」

「リーダー。我々が創設するのは『戦闘部隊』ではない。『偵察部隊』だ」


タケダさんは、俺の目をまっすぐに見て言った。


「この任務で最も重要なのは、戦闘力ではない。敵に見つからずに情報を持ち帰る能力…つまり『隠密性』と『生存能力』だ。その点において、彼はこのギルドで最高の才能を持っている」

「最高の、才能…?」


俺が訝しんでいると、タケダさんは窓の外を指差した。そこは、市民会館の壁面だ。地上三階ほどの高さ。


「彼は昨日の夜中、あそこを登っていた。何の装備もなしにだ。まるで重力がないかのように、静かに、音もなく」

「まさか…!」

「それだけじゃない。彼は、誰にも気づかれずに人の背後に立つことができる。ゴトウさんも、私も、何度かやられた。彼の存在感は、意識していないと、まるで霞のように消えてしまうんだ」


タケダさんの言葉に、俺は息を飲んだ。確かに、言われてみれば、キョウスケという青年は、いつの間にかそこにいて、いつの間にかいなくなっているような、不思議な存在感があった。


俺たちはキョウスкеを呼び出した。彼は、俺たちの前に立っても、相変わらず感情の読めない静かな目をしている。


「キョウスケ。君に、偵察部隊に参加してほしい。タケダさんと二人で、危険な任務にあたってもらうことになる」


俺がそう告げると、彼は少しだけ目を見開いたが、すぐにいつもの無表情に戻った。


「なぜ、俺なんですか?」

「君の能力が必要だからだ。君の、その身軽さと、気配を消す才能が」


タケダさんが答える。

ゴトウさんを始め、他のメンバーも、この人選にはまだ半信半疑のようだった。ゴトウさんが、試すような目でキョウスケに言った。


「おい、小僧。タケダさんが言うほどの実力があるってんなら、ちっとは見せてみろ。例えば…あそこの屋上のヘリポートまで、外壁を登って行けるか?」


ゴトウさんが指差したのは、このホールの吹き抜けの遥か上、五階の屋上に繋がるヘリポートの手すりだ。直線距離でも二十メートルはあろうかという高さ。冗談のつもりだったのかもしれない。だが、キョウスケは黙ってその壁を見上げると、こくりと頷いた。


そして、次の瞬間。俺たちは信じられない光景を目撃した。


キョウスケは、助走もつけずに、壁に向かって駆け上がった。数歩で壁を蹴り、窓枠の僅かな突起に指をかける。そこを足場に、まるで重力に逆らうかのように、しなやかな動きで次の手掛かりへと体を運んでいく。筋肉の動き、体重移動、その全てが計算され尽くした、一つの芸術のようだった。音もなく、滑るように。彼は、壁を登っているのではない。壁と一体化し、舞っているように見えた。


あっという間に五階の手すりに到達した彼は、ひらりと身を翻して、俺たちを見下ろした。ホールにいる全員が、呆然と口を開けて、その光景を見上げていた。


「…元、パルクールの選手だった」


手すりから飛び降り、猫のように静かに着地したキョウスケが、ぽつりと呟いた。


「化け物だな…」


ゴトウさんが、感嘆とも呆れともつかない声で漏らした。もう、誰も彼の参加に異論を唱える者はいなかった。

最強の矛であり盾であるタケダさんと、最高の隠密能力を持つキョウスケ。偵察部隊『シャドウ』が、正式に誕生した瞬間だった。


彼らの最初の任務は、武装集団が目撃された駅前の商業地区の再調査。俺はサクラに頼んで、小型の無線機と、ボタン型の超小型カメラを用意してもらった。サクラは「スパイ映画みたい!」と目を輝かせながら、一晩でそれらを準備してくれた。


出発前、俺はカナにも声をかけた。

「カナ、無理はしなくていい。でももし、タケ-ダさんたちのことで、何か嫌な感じがしたら、どんな些細なことでも教えてほしい」

「…はい。やって、みます」


カナは、緊張した面持ちで、だが確かに頷いてくれた。彼女は自分の能力を、コントロールしようと意識し始めている。それだけでも、大きな進歩だった。


その夜、タケダさんとキョウスケは、闇に溶け込むようにギルドハウスを後にした。

俺は、サクラと共に制御室のモニターと無線機の前で、固唾を飲んで彼らの帰りを待つ。


『こちらシャドウ。これより、目標エリアに侵入する』


タケダさんの、ノイズ混じりの冷静な声が無線から聞こえてくる。

キョウスケの先導で、彼らは大通りを避け、ビルの屋上から屋上へと飛び移りながら進んでいた。小型カメラが時折映し出す、人間離れしたキョウスケの動きと、眼下に広がる死んだ街の夜景は、ひどく非現実的だった。


『…ゴールの見える景色は、久しぶりだな』

カメラの向こうで、タケダさんがぽつりと呟いたのが聞こえた。その言葉に、キョウスケが少しだけ反応したようだった。彼らの間にも、少しずつ信頼関係が芽生え始めているのかもしれない。


数十分後、彼らは目的地の商業地区に到達した。

『目標を発見。前回と同じ、黒いベストの連中だ。五人一組で、巡回している』


タケダさんの報告に、緊張が走る。

『連中は、ある一点に向かっているようだ。…駅前の、廃墟になった雑居ビルだ。あそこが、奴らのアジトの一つである可能性が高い』


雑居ビル。その入り口には、見張りが二人立っている。正面からの侵入は不可能だ。

『どうする、タケダさん?一度引くか?』

『いや、もう少し探る。キョウスケ、何かルートはあるか?』


無線が少し途切れ、やがてキョウスケの静かな声が聞こえた。

『…ビルの裏手。ゴミ収集用のダクトと、非常階段の跡。そこからなら、三階の窓まで行けます』


無茶だ。俺はそう思った。だが、タケダさんは「よし、行こう」と即答した。彼は、キョウスケの能力を完全に信頼している。


カメラの映像が激しく揺れ、壁面を垂直に登っていく様子が映し出される。やがて、彼らは三階の窓から、音もなくビル内部への侵入に成功した。


ビルの中は薄暗く、埃っぽい。だが、奥の部屋から、人の話し声と、明かりが漏れていた。

二人は壁に張り付くようにして、その部屋の様子をうかがう。ボタン型カメラが、部屋の中の光景を捉えた。


そこにいたのは、武装した男たちだけではなかった。

部屋の隅にある檻の中に、数人の人々が閉じ込められていたのだ。皆、虚ろな目をして、ぐったりとしている。

そして、武装した男たちの会話が、無線機を通して、断片的に聞こえてきた。


「…『博士』はまだ見つからんのか?」

「ああ。情報がない。だが、『被検体』は順調に集まっている。この分なら、目標数には届くだろう」

「肝心の『コア』がなけりゃ、被検体が何人いようと意味がねえだろうが…」


『博士』。『被検体』。『コア』。

謎のキーワード。敵の目的は、やはりただの異能者狩りではない。何か、とてつもなく大きな計画の一部なのだ。


『…十分だ。撤退する』


タケダさんが、撤退の判断を下した。その時だった。

部屋から出てきた一人の男が、タケダさんたちが隠れている通路の方へ、何気なく視線を向けた。まずい、見つかる!俺は心臓が止まるかと思った。


だが、カメラの映像の端で、キョウスケがタケダさんの腕を掴み、すっと物陰に引きずり込むのが見えた。それは、あまりにも自然で、流れるような動きだった。


敵の男は、通路を訝しげに数秒間見ていたが、やがて首を傾げると、別の方向へと歩き去っていった。

ほんの数メートルの距離。絶対に見つかってもおかしくない状況だった。それなのに、敵は気づかなかった。まるで、そこにタケダさんたちが存在していないかのように。


俺は、これがキョウスケの「異能」なのだと確信した。彼は、ただ身が軽いだけじゃない。自分の存在そのものを、希薄にする力を持っている。


危機を脱した二人は、再び来た道を戻り、無事にギルドハウスへと帰還した。

持ち帰られた情報は、あまりにも衝撃的だった。敵のアジトの一つ、捕らえられた異能者たち、そして謎のキーワード。


会議室で報告を受けた幹部たちは、言葉を失った。


「博士…コア…一体、何のことだ…」

「奴らは、異能者を集めて、何か恐ろしい実験でもするつもりなのか…?」


不安と憶測が飛び交う。

だが、同時に、確かな手応えも感じていた。俺たちは、敵の尻尾を掴んだのだ。


キョウスケという、新たな戦力。そして、カナという予知能力者。

俺たちのギルド『アルカディア』は、この終末世界で、ただの生存者グループではない、何か特別な存在になりつつある。


俺は、敵が言っていた「コア」という言葉が、頭から離れなかった。

もし、それが特定の能力を持つ、たった一人の人間のことだとしたら?そして、もし、その人間が、このアルカディアの中にいるのだとしたら…?

俺は、ホールの隅で、心配そうにこちらを見ているカナの姿に、目を向けずにはいられなかった。


戦いは、新たな局面を迎えた。俺たちはもう、後戻りはできない。

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