第3話:集いし者たち
市民会館に電気が灯ってから、丸一日が過ぎた。
たった一つの変化。だが、それは俺たちの生活と意識を根底から変えた。夜でもホールは昼間のように明るく、闇への恐怖は薄らいだ。サクラはどこからか見つけてきた古いCDラジカセを修理し、かすかな音楽を流している。誰かの忘れ物だろうか。クラシック音楽が、この終末世界には不釣り合いなほど優雅に響いていた。
ゴトウさんは地下の倉庫を再調査し、備蓄品の完璧なリストを作り上げた。それによると、俺たち三人が消費を抑えれば、一ヶ月は十分に持つ計算だった。これは大きな安心材料だ。
俺はというと、今後の運営方針をスマホのメモにまとめていた。仲間集め、食料調達、防衛計画。考えることは無限にある。リーダーなんて柄じゃない。でも、ゴトウさんとサクラが俺をリーダーと呼ぶからには、その役割を全うするしかなかった。
「ユウキさん、ちょっといい?」
サクラが声をかけてきた。彼女の手には、配線がごちゃごちゃと繋がった機械がある。
「これ、なんとか短波無線を受信できるかも。外部の情報が入るかもしれない」
「本当か!?すごいじゃないか、サクラ!」
「まだわからないけどね。でも、やってみる価値はあると思う」
希望がまた一つ増えた。このギルドは、確実に前進している。
そんな確信を抱いた、まさにその時だった。
「おい、誰か来るぞ」
見張りに立っていたゴトウさんの鋭い声が響く。
俺とサクラは息を飲み、バリケードを築いた一階のエントランスへ向かった。ゴトウさんが、消防斧を手に扉の脇に立つ。俺も鉄パイプを握りしめた。
ガラスの割れた扉の向こうに、複数の人影が見える。五人…いや、六人だ。ゆっくりと、だが迷いのない足取りで、こちらに近づいてくる。
「止まれ!それ以上近づいたら容赦しねえぞ!」
ゴトウさんが威嚇の声を張り上げる。人影はぴたりと足を止めた。その中の一人が、一歩前に進み出る。
「我々に敵意はない。ただ、話をさせてほしい」
落ち着いた男の声だった。昨日の連中のような、荒々しさはない。
「その手に持ってる物騒なモンを捨てろ。話はそれからだ」
「それはできない。自己防衛のためだ。そちらこそ、武器を収めてもらえないか?」
平行線だ。緊張が走る。
俺はゴトウさんの隣に立ち、扉の向こうの男に呼びかけた。
「あんたたちの目的は何だ?なぜここがわかった?」
男は、夜空に煌々と光を放つ市民会館の上層階を指差した。
「あの光を見た。この死んだ街で、あれだけの光を灯せる人間がいるのなら、話を聞く価値があると思ったまでだ」
やはり、この光は狼煙になったのだ。良くも悪くも。
「俺たちは生存者の集まりだ。略奪者じゃない。だが、あんたたちを無条件に信じるわけにもいかない。代表者一人だけで中に入れ。そうすれば話を聞こう」
俺の提案に、男は少しの間黙って仲間と何かを話していた。やがて、こちらに向き直る。
「わかった。私一人で行こう」
男は仲間たちに何かを指示すると、手に持っていたライフル銃の銃口を下に向け、ゆっくりとこちらに歩いてきた。その覚悟に、俺たちは少しだけ警戒を解き、バリケードの一部を開けて男を中へ招き入れた。
ホールに入ってきた男は、四十代半ばくらいだろうか。短く刈った髪、鋭い目つき。だが、その佇まいには不思議な誠実さが滲んでいた。ゴトウさんとはまた違うタイプの、鍛えられた体つきをしている。
「俺はユウキ。ここのリーダーだ」
「タケダという。元、府警の警察官だ」
タケダと名乗る男の言葉に、俺とゴトウさんは顔を見合わせた。警察官。組織が崩壊した今、その肩書にどれほどの意味があるかはわからない。だが、彼が身につけた知識や技術は、間違いなく価値があるはずだ。
「外にいるのは、あんたの仲間か?」
「ああ。私を含めて男が二人、女が四人だ。皆、ただの民間人。一人は看護師で、医療の心得がある」
看護師。その言葉に、俺の心臓がどきりと跳ねた。電気の次に、いや、それ以上に欲しかった人材だ。
「なぜここへ?あんたほどの男なら、少人数のグループを率いて生き延びることもできただろう」
俺の問いに、タケダさんは自嘲気味に息を吐いた。
「警察官といっても、組織がなければただの人だ。制服を脱げば、俺も無力なモブの一人にすぎん。一人、また一人と仲間を失い、食料も尽きかけていた。そんな時に、あの光を見たんだ。あれは…希望に見えた」
彼の目は真剣だった。嘘をついているようには見えない。
「俺たちも仲間を探している。食料も、医薬品も、安全な寝床も、ここにはある。だが、俺たちのルールに従ってもらう。それが条件だ」
「ルール?」
「ああ。第一に、ギルドの決定には従うこと。第二に、仲間を裏切らないこと。第三に、労働を拒否しないこと。ここでは全員が、生きるために働く。それが『アルカディア』のルールだ」
俺がそう言うと、タケダさんは少し驚いたように目を見開いた。そして、ふっと表情を緩めた。
「ギルド…アルカディア、か。面白い。まるでゲームの世界だな。だが、悪くない。そのルール、飲もう」
交渉成立だ。俺はタケダさんに、外の仲間を呼ぶように促した。
すぐに、残りの五人がホールに入ってくる。皆、疲労と警戒の色を顔に浮かべていたが、明るいホールの様子と、俺たちが敵意を見せないことに少しずつ安堵していくのがわかった。
その中に、一人の女性がいた。年の頃は二十代後半。長い髪を後ろで一つに束ね、静かな、それでいて強い意志を感じさせる瞳でじっと俺たちのことを見ている。彼女が、看護師だろうか。
「私はミサキ。看護師をしていました」
女性の方から自己紹介をしてくれた。声も、その佇まいと同じように冷静だ。
「ユウキだ。リーダーをやってる。ミサキさん、あなたのような人が必要だったんだ」
「…医療品がなければ、私にできることは限られています」
「救急セットなら、地下の倉庫に大量にある。簡単な外科処置ならできるはずだ」
俺の言葉に、ミサキさんの目がわずかに輝いたように見えた。
こうして、俺たちのギルド『アルカディア』のメンバーは、一気に九人になった。目標の十人に、あと一人だ。
タケダさんという戦闘と防衛のプロ。ミサキさんという医療のプロ。そして、それぞれの生存スキルを持った仲間たち。ギルドは一夜にして、大きな戦力を手に入れた。
その夜、俺は全員をホールに集めて、初めての全体ミーティングを開いた。
「ようこそ、アルカディアへ。今日から君たちも、このギルドの一員だ」
俺は皆の顔を見回しながら言った。旧メンバーのゴトウさんとサクラ。新メンバーのタケダさん、ミサキさん、そして他の四人。不安と期待が入り混じった視線が俺に突き刺さる。
「ここはただの避難所じゃない。俺たちは、ここで生き延びる。三十日後の、世界の終わりまで。いや、その先もだ。そのためには、組織として機能する必要がある」
俺はスマホのメモを見ながら、考えていた組織図を発表した。
「まず、ギルドマスター、つまり全体のリーダーは、引き続き俺がやる。異論は?」
誰も何も言わない。俺は続ける。
「次に、部隊をいくつかに分ける。まず、ゴトウさんとタケダさん」
俺は二人を見た。
「あんたたちには、実行部隊のリーダーをお願いしたい。主な任務は、食料や物資の調達、そしてギルドの防衛だ。二人なら、この役割を任せられる」
ゴトウさんはニヤリと笑い、タケダさんは黙って頷いた。最強のコンビが誕生した瞬間だった。
「次に、サクラ」
サクラはびくりと肩を震わせた。
「君は技術班のチーフだ。電気、通信、その他インフラの維持管理を頼む。ここは君がいなければ、ただの暗い箱だ」
「は、はい!が、頑張ります!」
サクラは顔を真っ赤にしながら、力強く頷いた。
「そして、ミサキさん」
俺はミサキさんに向き直る。
「あなたには、医療・衛生班のチーフをお願いしたい。メンバーの健康管理、怪我人の治療、そしてこの集団生活での衛生環境の維持。極めて重要な役割だ」
「…わかりました。私の知識で、皆さんの力になれるなら」
ミサキさんは静かに、だがはっきりと答えた。
「残りのメンバーは、この四つの班のいずれかに所属してもらう。自分の得意なこと、やりたいことを考えて、明日までに自己申告してくれ。もちろん、状況に応じて班を移動することもある」
俺が話し終えると、ホールは一瞬の沈黙に包まれた。そして、タケダさんが口を開いた。
「いいだろう。合理的で、わかりやすい。これなら機能する」
その言葉を皮切りに、他のメンバーからも同意の声が上がり始めた。寄せ集めの生存者たちが、一つの「組織」として動き出す、その第一歩だった。
だが、問題はすぐにやってきた。
ミーティングの後、ミサキさんが俺のところにやってきた。
「リーダー、少しよろしいですか」
「ああ、なんだ?」
「食料のことです。地下の備蓄は、九人となると計算が狂います。消費を抑えても、三週間持つかどうか…」
鋭い指摘だった。俺は三人が一ヶ月持つという計算に、どこか安心してしまっていた。
「わかってる。だからこそ、実行部隊を作ったんだ。明日から、計画的な食料調達を開始する」
「調達だけでは、いずれ限界が来ます。略奪のリスクも高まる。考えるべきは…生産です」
「生産…?農業でもやれって言うのか?」
「その通りです。幸い、この建物の屋上は広い。屋上庭園として設計されていたはずです。土を運び、種を見つけられれば、可能性はあります」
ミサキさんの目は、三十日後ではなく、もっと先を見据えていた。この女、ただの看護師じゃない。俺は彼女の提案に、衝撃を受けると同時に、深く感心した。
「わかった。その件も、明日の議題に加えよう。ありがとう、ミサキさん」
彼女は小さく頷くと、自分の持ち場へと戻っていった。
次から次へと問題が湧き出てくる。だが、今はそれが苦痛ではなかった。問題があるということは、解決すべき目標があるということだ。そして、俺にはそれを解決してくれる仲間がいる。
世界滅亡まで、あと二十七日。
ギルドは大きくなった。希望も大きくなった。だが、同時に、背負うべき責任と、解決すべき問題も、同じだけ大きくなっていた。
俺はカレンダーを一枚破り、新しい一日が始まったことを確認する。
『アルカディア』の本当の挑戦は、ここから始まるのだ。