第28話:最後の旅路と川辺の誓い
世界滅亡まで、あと五日。
俺たちの、最後の旅が始まった。それは、もはや単なる移動や避難ではなかった。六十近い命が、一つの意志となって、決戦の地、そして約束の地である熊野を目指す、壮大な行軍だった。
奈良の険しい山道を進む、アルカディア連合の大キャラバン。その光景は、終末世界に現れた、奇妙な遊牧民の群れのようだった。
先頭を行くのは、タケダさんとキョウスケが駆る、二台の偵察バイク。彼らは、俺たちの眼となり、前方の危険をいち早く察知する。
中央に位置するのは、俺と博士、カナ、そしてサクラたちが乗る、キョウスケが奪取した軍用トラック。ここが、このキャラバンの頭脳であり、心臓部だ。
そして、その後方には、カサイさんたちが乗りこなす数台の改造バギーと、生活物資を積んだ補給車両が続く。
そして、俺たちの頭上。そこには、数機のハンググライダーが、まるで守護鳥のように、雄大な円を描きながら舞っていた。彼らは、空からの眼として、ヘルメスの奇襲を警戒する。
ヘルメスの姿は、どこにもなかった。
生駒峠での激戦の後、彼らは完全に沈黙を守っている。その不気味なほどの静けさが、逆に俺たちの神経を、じりじりとすり減らしていった。奴らは、間違いなく、熊野で待ち構えている。俺たちが、自ら死地へと足を踏み入れるのを、今か今かと、手ぐすねを引いて。
旅の途中、俺たちは、いくつもの、人の営みが消え去った村や町を通り過ぎた。
家の軒先には、干されたまま、色褪せた洗濯物が、風に揺れている。公園のブランコは、錆びついて、虚しくキーキーと音を立てていた。道端には、持ち主を失った子供の、小さな靴が、片方だけ転がっている。
その度に、車内の会話は途切れ、誰もが、失われた世界のことを、そして、これから自分たちが作ろうとしている世界のことを、思い巡らせていた。
そして、熊野への到着を翌日に控えた、最後の夜。
俺たちは、清らかな水が流れる川沿いの、開けたキャンプ場で、最後の野営を張ることにした。焚き火がいくつも焚かれ、そのオレンジ色の光が、仲間たちの顔を優しく照らし出す。
最後の準備。そして、最後の休息。
研究解析チームのテントでは、博士とサクラ、そしてハルトが、鬼気迫る表情で、最後の切り札の開発を急いでいた。
「黒田君の『エーテル・リアクター』は、コアであるカナ君の生体エネルギーを、強制的に吸い上げて増幅させる、いわば『悪魔の心臓』だ」博士は、複雑な設計図を広げながら説明した。「それに対抗するには、そのエネルギーの奔流を、無害なものへと中和・拡散させるしかない。この『エーテル・ディフューザー』が、我々の唯一の対抗策となる」
それは、持ち出した機材のパーツを組み合わせた、即席の装置だった。だが、その成否が、明日の戦いの、そして世界の運命を左右する。
俺は、一人、川のせせらぎを聞いていたカナの元へ、歩み寄った。彼女の命が、敵の計画の、残酷な生贄として狙われている。その事実を、彼女はもう、知っている。
「…怖いか、カナ」
「…怖くないって言ったら、嘘になります」彼女は、川面に映る自分の顔を見つめながら、静かに言った。「でも、それよりも、今は、わかるんです。私が、何をすべきなのかが」
彼女は、俺の方を向いた。その瞳には、もう、かつてのような怯えはない。「コア」としての宿命を受け入れた、巫女のような、静かな覚悟があった。
「黒田さんの周りに、黒くて、大きな渦が見えます。たくさんの人の、苦しい声が、そこから聞こえる。あれを、止めなきゃいけない。私が、みんなを、守るんです」
その言葉は、あまりにも力強く、俺は、ただ頷くことしかできなかった。
夜が、更けていく。
俺が、一人で焚き火を見つめていると、背後から、カサイさんが声をかけてきた。その手には、ウイスキーのボトルと、二つのカップ。
「…眠れんかね、リーダー。まあ、無理もないか」
彼は、俺の隣に腰を下ろし、なみなみとウイスキーを注いでくれた。
「カサイさん、明日の戦い、どう動くつもりですか?」
「ああ、そのことだ」彼は、一口、酒を呷った。「ユウキ君、明日の作戦だが…我々、旧モール部隊が、陽動を引き受ける」
「…!」
俺は、言葉を失った。
「ヘルメスの本隊と正面からぶつかるのは、君たちアルカディアの主力部隊だ。その隙に、博士とカナ君が、例の『ディフューザー』を、儀式の中心地であろう場所に設置する。黒田の計画を、根元から叩くんだ。我々は、そのための、時間を稼ぐ」
それは、あまりにも危険な、自己犠牲を前提とした作戦だった。特に、空を飛ぶハンググライダー部隊は、格好の的になるだろう。
「ダメだ!そんなことをすれば、あなたたちが…!」
「ユウキ君」カサイさんは、俺の言葉を、静かに遮った。「これは、モールで死んでいった、俺の仲間たちのための、弔い合戦でもあるんだ。それに…」
彼は、ふっと、経営者だった頃の顔に戻った。
「ビジネスとして言わせてもらえば、これが最も効率的で、成功確率の高い、リソースの配分だ。君たちは、未来を創れ。我々は、そのための時間を、稼ぐ。それで、役割分担は完璧じゃないか」
彼の意志は、鋼のように固かった。俺は、もう、何も言えなかった。
夜が明ける。
最後の朝だ。
俺たちは、全ての準備を終え、キャラバンを再編成した。そして、再び、南へと走り出す。
やがて、前方の視界が、開けた。
そして、俺たちは、それを見た。
巨大な、二つの岩が、まるで門のようにそそり立ち、その向こう側に、深く、静かな、原始の森が広がっている。プロジェクト・アークが示した、『安全地帯』への、入り口だ。
だが、その聖域への門は、地獄の軍勢によって、固く閉ざされていた。
門の前には、黒田率いる、ヘルメスの全軍が、漆黒の壁のように、陣取っていた。その数、百を超えるだろうか。戦車のように改造された車両、ずらりと並んだ重火器。
彼らは、俺たちの到着を、完璧に予測していたのだ。
最後の決戦の舞台、熊野。
その入り口で、俺たちアルカディア連合と、ヘルメスは、ついに、直接、対峙した。
拡声器を通した、黒田の、嘲笑に満ちた声が、山々に響き渡る。
「ようこそ、諸君。我が神殿へ。歓迎しよう。貴様らの、その絶望に満ちた命を、私が神となるための、最後の贄として、捧げてやろう!」
俺も、トラックに備え付けられたマイクを、強く握りしめた。
「黒田!お前の歪んだ神話ごっこは、俺たちが、ここで終わらせる!新しい世界を始めるのは、お前のような復讐者じゃない!未来を信じる、俺たちだ!」
俺の言葉を合図にしたかのように、アルカディア連合の六十人の仲間たちが、地を揺るがすような、最後の鬨の声を、上げた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」
それに応えるかのように、ヘルメスの軍勢からも、狂信的な雄叫びが上がる。
世界の終わりまで、あと四日。
人類の、未来を賭けた、最後の戦いの火蓋が、今、切られようとしていた。




