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第2話:希望という名の灯り

朝が来た。

終末世界の朝は静かすぎる。鳥の声も、車の音もない。ただ灰色がかった光が、ゆっくりと世界を覆うだけだ。俺はホールの硬い床で目を覚ます。体中が軋む。昨日の喧嘩のせいだ。


隣ではゴトウさんがもう起きていた。腕立て伏せをしている。その回数が尋常じゃない。五十回を超えてもペースが落ちない。化け物か、この人は!?


「おはよう、神木。よく眠れたか」

「おかげさまで。ゴトウさんこそ」

「俺はどこでも眠れる。さて二日目だ。やることは山ほどある」


ゴトウさんは汗を拭いもせず立ち上がった。その目はすでに未来を見ている。俺も寝ぼけた頭を叩き起こした。


今日のタスク。それは拠点のインフラ整備だ。

昨夜見つけた備蓄倉庫は奇跡だった。食と水。当面の生存は保証された。だが、それだけじゃ足りない。文明的な生活には、ほど遠い。


何より問題は電気だ。

夜の闇は人の心を蝕む。昨夜は懐中電灯のわずかな光だけが頼りだった。あれが尽きれば、俺たちは本当の暗闇に放り込まれる。獣と同じだ。それに情報。スマホのバッテリーはもう尽きかけだ。充電ができなければ、この小さな情報端末もただの文鎮になる。


「地下に自家発電装置があったはずだ」と、ゴトウさんがフロアマップを広げながら言う。

「だが動かすには燃料がいる。おそらく軽油だ。こいつを探しに行かなきゃならん」

「燃料ですか。ガソリンスタンドとかに、残ってますかね?」

「もう空だろうな。だが諦めるのは早い。役所の車とか工事車両とか、狙い目はある」


ミッションは燃料確保に決まった。

俺とゴトウさんは乾パンをかじりながら、簡単な作戦会議を開く。市民会館の周辺地図を広げ、目ぼしい場所をチェックしていく。市役所、消防署、近くの工事現場。


準備を整える。武器は、昨日俺が使った傘立て改め鉄パイプ。ゴトウさんは消防斧をどこからか見つけてきた。あれは完全に武器だ。頼もしすぎる。食料と水を少しだけリュックに詰めて、俺たちはギルドハウスから外に出た。


街は昨日よりも、さらに静けさを増しているように感じた。死んだ街。だが、よく見ると物陰からこちらをうかがう視線を感じる。俺たちだけじゃない。まだ大勢の生存者が息を潜めているのだ。彼らは敵か、味方か?今はまだわからない。


最初の目的地は市役所。ここから一番近い。だが期待はずれだった。駐車場に停まっている公用車は、すべてタンクが空っぽ。ご丁寧にキャップまで開けっ放しになっている。誰かが先に抜き取っていった後だ。


「考えることは皆同じか」と、ゴトウさんが吐き捨てるように言った。

次に消防署へ向かう。ゴトウさんの古巣だ。何か特別なルートがあるかと期待したが、結果は同じ。消防車や救急車の燃料も、すべて抜き取られていた。


「くそっ、後輩どもの仕業だな。まあ当然か」


ゴトウさんの顔に落胆の色が浮かぶ。

残るは工事現場。だが、そこは少し距離がある。日が傾き始めていた。一度拠点に戻るか。そう思った時だった。


「あの…」


か細い声だった。

振り返ると、そこに一人の女が立っていた。年の頃は俺と同じくらいか、少し下か。ショートカットの髪に、よれよれのパーカーを着ている。だが、その目は死んでいなかった。強い意志の光が宿っている。


俺とゴトウさんは警戒して武器を握り直した。女はそれを見て、慌てて両手を上げた。


「待って、敵じゃない!話がしたいだけ!」


女はゆっくりと俺たちに近づいてくる。


「あなたたち、昨日ここで暴れてた人でしょ」

「人聞きが悪いな。こっちは正当防衛だ」


ゴトウさんがぶっきらぼうに返す。だが女は怯まなかった。


「知ってる。見てたから。あの親子を助けてた。それで、ここを拠点にしてる。仲間を集めてるって本当?」


情報が漏れている。いや、違う。見られていたのか。俺たちの行動は、誰かにとっての希望か、あるいは獲物リストか?


「だったらどうする」と、俺は慎重に言葉を選んだ。

「私も、仲間に入れてほしい」


女はまっすぐに俺たちの目を見て言った。


「あなたに何ができる?」


ゴトウさんが尋ねる。仲間は欲しい。だが、誰でもいいわけじゃない。足手まといを抱える余裕は、今の俺たちにはない。


女は少し俯いてから、顔を上げた。


「電気。私なら、ここの電気を復活させられるかもしれない」

「何!?」


俺とゴトウさんは顔を見合わせた。


「私は大学で電力システムの研究をしてた。就職先も電力会社に決まってたんだ。世界が終わっちゃったけど」


女は自嘲気味に笑った。名前はサクラというらしい。

彼女は自分の身の上を、ぽつりぽつりと話し始めた。あの日からずっと一人でアパートに隠れていたこと。食料が尽きて外に出たこと。そして昨日、偶然俺たちの姿を見ていたこと。


「一晩中考えた。一人じゃもう無理だって。でも、誰かを信じるのも怖かった。そんな時、あなたたちが親子を助けてるのを見た。馬鹿だと思った。でも、羨ましかった」


サクラの目に涙が滲む。


「だから賭けてみようと思った。この人たちならって」


ゴトウさんは腕を組んで黙り込んでいる。試しているんだ。彼女の覚悟を。俺は口を開いた。


「ようこそギルドへ。俺はリーダーのユウキ。こっちはゴトウさん」

「えっ」


サクラは驚いた顔で俺を見た。隣でゴトウさんが呆れたようにため息をつく。


「おい神木。リーダーなんていつ決めたんだ?」

「今です。俺たちのギルド『アルカディア』へようこそ、サクラさん」


俺は手を差し出した。サクラは一瞬戸惑った後、おずおずとその手を握り返した。小さくて冷たい手だった。震えている。


こうして俺たちのギルドに、三人目の仲間が加わった。

専門知識を持つ技術者。これ以上ない補強だ。


市民会館に戻り、俺たちはサクラを連れて地下の発電室へ向かった。彼女はまるで宝物庫にでも入るかのように、目を輝かせながら発電機を調べている。


「すごい!かなり旧式だけど頑丈な作り。これならまだ動く。燃料さえあれば!」


やはり問題は燃料だ。俺たちが今日の捜索結果を伝えると、サクラは少し考えてから口を開いた。


「ガソリンスタンドや公用車は、もう空かもしれない。でも、忘れられてる場所があるはず」

「どこだ?」

「大型商業施設の配送センターとか。あそこには荷物を運ぶためのトラックがある。長距離を走るからタンクも大きいし、自家用の給油設備を持ってる可能性もある」


その視点はなかった。灯台下暗しだ。


「よし、明日朝一でそこへ向かう!」と、ゴトウさんが決断した。

新たな仲間と新たな目標。ギルドが少しずつ形になっていく実感があった。


その夜、俺たちは三人で夕食をとった。メニューは相変わらずの乾パンと保存水。だが、昨日より少しだけ美味しく感じた。サクラが加わったからだろう。会話があるだけで、食事はこんなにも豊かになる。


夜の見張りは三人で交代することにした。俺が最初の番だった。

ホールの入り口で鉄パイプを抱えながら、闇を見つめる。時折吹く風の音だけが聞こえる。本当に世界は終わってしまったんだろうか?そんな感傷的な気分になった。


ふと、隣に気配を感じた。サクラだった。


「眠れない?」

「うん。少し」


彼女は俺の隣に座り込んだ。


「ねえ、ユウキさん。どうしてギルドなんて作ろうと思ったの?」

「さあな。自分でもよくわかってない。ただ黙って死ぬのが嫌だっただけかも」

「そっか」


しばらく沈黙が続いた。


「私ね、ずっと怖かった。外に出るのも、人と会うのも。でもここに来てよかった。ゴトウさんはちょっと怖いけど、ユウキさんは話しやすい」

「それはどうも」

「だから頑張る!絶対に電気をつけてみせる。それが、私がここにいる意味だから!」


彼女はそう言うと、自分の寝床に戻っていった。

小さな背中を見送りながら思う。彼女もまた、馬鹿の一人だ。俺と同じ。ゴトウさんと同じ。自分の役割を見つけ、最後まで足掻こうとしている。


翌朝、俺たち三人はサクラが言っていた大型商業施設を目指した。市民会館から歩いて三十分ほどの距離。道中は昨日よりもさらに慎重に進む。ゴトウさんが先頭で周囲を警戒し、俺とサクラが続く。


商業施設は不気味なほど静まり返っていた。巨大な廃墟だ。俺たちは従業員用の通用口を探し、そこから中へ侵入した。目指すは地下にある配送センター。


施設の内部は荒らされていた。高級そうな店のショーウィンドウは割られ、商品は略奪された後だ。ここでも、生存のための醜い争いがあったことがわかる。


地下へ続く階段を下りる。配送センターの大きなシャッターが見えてきた。閉まっている。だが、脇にある通用口の鍵が壊れていた。


「誰かいるかもしれん。気をつけろ」


ゴトウさんが斧を構え、俺も鉄パイプを握りしめる。サクラを背後に庇いながら、ゆっくりと中へ入った。


広い。倉庫と駐車場が一体になったような空間だ。そして、そこには俺たちの希望があった。大型トラックが五台、整然と駐車されている。


「やった!」


思わず声が出た。

だが喜びも束の間、奥の暗がりから複数の人影が現れた。


「てめえらも燃料泥棒か?」


聞き覚えのある声。昨日、俺たちが叩きのめした連中だった。リーダー格の男が顔を腫らしながら、こちらを睨んでいる。人数は増えていた。七人、いや八人いる。


「昨日の借りを返しに来たぜ、ヒーローさん」


完全に包囲されていた。まずい。数が違いすぎる。ゴトウさんと俺は背中合わせになり、サクラを中央に守る。


「逃げられると思うなよ。その女も置いていけ。いいもんだな、終末の慰み物には」


下劣な笑い声が響く。頭に血が上るのがわかった。だが、ここでキレたら終わりだ。冷静になれ。


「ゴトウさん、どうします?」

「やるしかねえだろ!サクラは下がってろ!」


絶体絶命。そう思った瞬間だった。


サクラが俺たちの前に出た。


「待って!」


彼女は震えながらも、男たちの前に進み出る。


「何をする気だ、サクラ!」

「燃料が欲しいんでしょ?だったら、取引しない?」


彼女の言葉に、男たちの動きが止まる。


「取引だと?俺たちが、てめえらと?」

「そう。あなたたちは燃料が欲しい。私たちは電気が欲しい。目的は違うけど、必要なものは同じ」


サクラは続ける。


「ここのトラックの燃料は全部あげる。その代わり、発電機を動かす分だけ私たちに分けてほしい。そしてもう一つ。私たちに手を出さないと約束して」


リーダーの男は、面白そうにサクラを見ている。


「俺たちが飲むと思うか?お前らを皆殺しにして、全部奪うこともできるんだぜ」

「できるでしょうね。でも考えてみて。燃料を全部抜き取ってどうするの?車を動かしてどこかへ逃げる?もう逃げる場所なんてない。でも、もしこの街に電気がついたらどうなる?」


サクラの言葉に、空気が変わった。


「電気がつけば、夜も安全に過ごせる。情報を集めることもできる。温かい食事が食べられるかもしれない。この死んだ街にたった一つだけ、文明的な場所が生まれる。その方が、あなたたちにとっても得じゃない?」


交渉。これが彼女の武器だったのか。技術だけじゃない。この極限状況で相手と対話し、利害を一致させようとする力。


男はしばらく黙って考えていた。仲間と何かを話している。そして再び、こちらに向き直った。


「いいだろう。その取引、乗ってやる。だがな、もし電気なんかつかなかったらどうなるか、わかってるだろうな?」

「約束する。必ずつけてみせる」


サクラはきっぱりと言い切った。


こうして俺たちは、奇妙な共同作業を始めることになった。男たちがトラックから燃料を抜き取り、俺たちはそれをポリタンクに分けてもらう。気まずい空気が流れるが、誰も何も言わない。ただ黙々と作業をこなすだけだ。


必要な量の軽油を確保し、俺たちは市民会館へ戻った。男たちもぞろぞろとついてくる。約束が守られるか、見張るためだ。


地下の発電室。ポリタンクから発電機の燃料タンクへ、軽油が注がれていく。すべての準備が整った。あとはこの機械が動くかどうか。全員が固唾を飲んで、サクラを見守っている。


サクラは深呼吸を一つすると、制御盤のスイッチを入れた。


数秒の沈黙。


ゴウン、という重い音と共に発電機が唸りを上げた。振動が床を伝わってくる。そして。


パッと頭上の蛍光灯が明滅し、安定した光を放った。


ついた!電気がついた!


「おおっ!」


誰からともなく歓声が上がる。それは、俺たちを監視していた男たちからだった。彼らの顔にも、驚きと喜びが浮かんでいる。


ホールに戻ると、そこは煌々と明かりに照らされていた。暗闇に慣れた目には眩しいほどだ。この光はただの光じゃない。希望そのものだ。


リーダーの男が俺たちの前に来た。


「約束通りだ。これで文句はねえ。ただし、俺たちにも電気を使わせてもらうぜ」

「ああ、構わない。ただし、ルールは守ってもらう」と、ゴトウさんが答える。

「へっ、まあいいだろう。お前ら、なかなか面白い。またな」


男たちはそう言うと、仲間を引き連れて去っていった。敵だったはずの連中と、奇妙な共存関係が生まれた瞬間だった。


俺たちは三人、明るいホールにたたずんでいた。


「やったな、サクラ!」

「うん。やったね!」


彼女は泣きながら笑っていた。俺もゴトウさんも、自然と笑顔になっていた。


世界滅亡まで、あと二十八日。

俺たちのギルド『アルカディア』に、希望という名の灯りが灯った。この光はきっと、他の生存者たちにも届くはずだ。「ここに来れば何かがある」そう思わせるための狼煙になる。


俺は壁のカレンダーをまた一枚破った。

カウントダウンは続く。だが、もう怖くはない。仲間がいる。光がある。明日やるべきことがある。それだけで、人はこんなにも強くなれるのだ。

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これはおもろい 文明を再建するみたいな どんどん読んじゃう がんばってください
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