第13話:傷と帰還と賢者の誓い
世界滅亡まで、あと十八日。
タンクローリーの爆発がもたらした炎の壁は、ヘルメスの追撃を完全に断ち切った。あの後、俺たちは一度も追手の姿を見ることはなかった。だが、勝利の代償は大きかった。俺たちの乗るトラックは、満身創痍。いつ止まってもおかしくないほどのダメージを負い、俺自身も、爆風で受けた打撲と火傷で、意識を保つのがやっとの状態だった。
静かな帰路。ゴトウさんは、高速道路を降り、人里離れた田舎道を選んで、ゆっくりと、だが着実に大阪を目指していた。車内には、重い沈黙が流れていた。誰もが、あの死闘の余韻と疲労の中にいた。
「…ユウキ、しっかりしろ。今、気絶したら承知しねえぞ」
助手席で、サクラが俺の腕の火傷に、震える手でガーゼを当てながら言った。彼女の目には涙が浮かんでいる。俺は、彼女を安心させるために、無理やり口角を上げてみせた。
「平気だよ。これくらい、かすり傷だ」
「どこがかすり傷なのよ、この馬鹿!本当に、死ぬかと思った…!」
彼女の怒声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。
後部座席では、ヤマダさんが、能力を使い果たしてぐったりと眠るカナの頭を、優しく撫でている。その向かいで、望月博士は、ただ黙って、窓の外を流れる終末の景色を見つめていた。砕けたアスファルトの隙間から、逞しく芽吹く雑草。乗り捨てられた車の錆びついたボディ。その瞳には、先ほどまでの憔悴はなく、深い思索の色が浮かんでいる。彼は、俺たちの戦いを見て、何を思ったのだろうか。科学者として、この世界の終わりと、その中で必死に生きる俺たちという存在を、どう捉え直しているのだろうか。
やがて、トラックは、見慣れた大阪の街並みへと入った。ボロボロになった市民会館のシルエットが見えた時、俺の張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れたのを感じた。
「…帰ってきた…」
誰かが、そう呟いた。
それは、俺たちの故郷への、紛れもない帰還だった。
場面は、アルカディア。
俺たち捜索チームが出発してから、丸一日以上が経過していた。残されたメンバーは、タケダさんの指揮のもと、静かな、しかし張り詰めた時間を過ごしていた。俺たちの安否も、作戦の成否もわからない。無線は、京都に入ってから断続的にしか繋がらなくなっていた。
「リーダーたちは、大丈夫なのでしょうか…」
ミサキさんは、医務室のベッドを整えながら、不安を隠しきれない様子で呟いた。救急キット、輸血用の血液パック(これは、メンバーの血液型を全員分調べ、互いに提供できるよう準備したものだ)、抗生物質。彼女は、いつでも最悪の事態に対応できるよう、完璧な準備を整えていた。彼女の冷静さは、こういう極限状況で、ギルドの精神的な支柱となっていた。
屋上の縁。そこには、キョウスケが、まるで石像のように座っていた。彼は、夜通し、ほとんど動くことなく、俺たちが去っていった東の空を、じっと見つめ続けていた。言葉にはしない。だが、彼の全身が、仲間の帰りを待ちわびていることを、物語っていた。
そして、彼の足元にある小さな畑では、安田さんが、慈しむような手つきで、土に水をやっていた。
「見ろ。二十日大根の芽が、また少し大きくなっとる。こいつらは、世界の終わりなんぞ、知ったこっちゃないんじゃな。ただ、天に向かって伸びようとしとる」
その緑の双葉は、この絶望的な世界における、ささやかで、しかし何よりも確かな希望の象徴だった。
その時だった。
監視モニターを見ていたメンバーの一人が、叫び声を上げた。
「トラックだ!ユウキさんたちのトラックが帰ってきた!」
その声に、ギルド全体が、堰を切ったように動き出した。
タケダさんを先頭に、メンバーたちが、市民会館の入り口へと駆けつける。開かれたバリケードの向こうから、煙を吹き、片輪を引きずるようにして走る、ボロボロのトラックが、ゆっくりと姿を現した。
その無残な姿に、誰もが息をのむ。
やがてトラックが停まり、ドアが開かれた。最初に降りてきたゴトウさんの顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。続いて、サクラと、見知らぬ二人の老人。そして最後に、ゴトウさんとヤマダさんに肩を抱えられるようにして、傷だらけの俺が姿を現した。
「ユウキ!」
「リーダー!」
駆け寄ってくる仲間たちの顔、顔、顔。
俺は、血と泥に汚れた顔で、かろうじて笑顔を作った。
「…ただいま。約束通り、最高の仲間を、連れて帰ったぞ」
その言葉を合図に、わっ、という歓声が上がった。それは、俺たちの生還と、作戦の成功を祝う、心からの喜びの声だった。俺は、その声を聞きながら、仲間の腕の中で、安堵と共に意識を失いかけた。
医務室のベッドで、俺が次に目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。
ミサキさんによる、丁寧な手当てが施されていた。幸い、骨に異常はなく、火傷も見た目よりは浅いという。だが、彼女からは「一週間は絶対安静です」と、厳しい命令が下された。
俺が眠っている間に、望月博士とヤマダさんは、温かい食事と休息を与えられ、アルカディアの幹部たちと対面していた。場所は、ギルドの会議室。タケダさん、ゴトウさん、ミサキさん、安田さん、そして、いつの間にかそこにいたキョウスケ。アルカディアの中核を担うメンバーが、博士たちを迎えた。
望月博士は、アルカディアの成り立ちと、それぞれのメンバーが持つ能力や役割について、タケダさんから説明を受けた。彼は、ただ黙って、一人一人の顔を、何かを確かめるように、じっと見つめていた。
そして、全員の説明が終わると、彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、その場にいる全員に向かって、深々と頭を下げた。
「私の研究が…私の生み出してしまった怪物が、諸君らを、これほどの危険に晒してしまった。科学者として、一人の人間として、心から、謝罪したい。本当に、申し訳ない」
そのあまりにも真摯な謝罪に、誰も言葉を発することができなかった。
そして、博士は顔を上げ、ベッドで半身を起こした俺の方を、まっすぐに見つめた。その目には、もう迷いも憔悴もない。あるのは、科学者としての矜持と、未来への覚悟だった。
「ユウキ君。そして、アルカディアの諸君。私は、君たちの戦う姿を見て、決めた」
博士は、そこで一度、言葉を切った。
「私の残りの人生と、私の持つ全ての知識を、君たちのギルド『アルカディア』のために捧げよう。黒田の野望を、私自身の手で阻止する。そして…」
彼は、窓の外に広がる、夕焼けに染まる終末の空を見上げた。
「この世界の終わりにも、科学者として、最後まで抗ってみせる。隕石の衝突は、もう避けられないかもしれない。だが、人類の知恵と、君たちのような異能の力が合わされば、その先の世界を生き抜くための道が、必ず見つかるはずだ。私は、その可能性に、この身を賭ける」
それは、一人の天才科学者が、己の罪と向き合い、未来のために戦うことを誓った、魂の誓いだった。
彼の加入は、アルカディアに『知力』という、これまでのどんな武器よりも強力な力を与えたことを意味していた。
世界滅亡まで、あと十七日。
傷ついた英雄の帰還と共に、アルカディアは賢者を手に入れた。
だが、博士とデータを奪われたヘルメスが、このまま黙っているはずがない。嵐の前の静けさが、俺たちのギルドを、優しく、そして不気味に包み込んでいた。




