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第11話:緑の書庫と老賢者

世界滅亡まで、あと二十日。

京都の地を踏んだ俺たちの旅は、大阪とは質の違う静けさに包まれていた。歴史的な寺社仏閣が点在するこの街は、終末の風景の中にあっても、どこか荘厳な雰囲気を保っている。だが、その静寂は、人の営みが消え去ったことの証左でもあった。


俺たちのトラックは、京都市内を抜け、北部の山道へと入っていった。サクラが復元した地図データと、カナが断片的に感じる「博士の気配」だけが頼りだ。道は舗装されてはいるものの、落ち葉や折れた枝が積もり、自然に還りつつある。ゴトウさんは、慎重に、だが確実なハンドルさばきで、荒れた山道を進んでいく。


「この辺りのはずなんだが…」


サクラがノートパソコンの画面と、窓の外の景色を何度も見比べる。地図が示す場所は、もう目前だった。

「カナ、何か感じるか?」

「…うん。すごく、近い。悲しいような、でも、すごく懐かしいような…そんな感じがする」


カナは目を閉じて、意識を集中させている。キョウスケから教わった呼吸法のおかげか、以前よりも能力のコントロールが上達しているようだった。

やがて、トラックは、細い脇道へと続く、錆びついた小さな門の前にたどり着いた。門には、蔦が絡まり、その奥は鬱蒼とした木々に覆われていて、中の様子を窺い知ることはできない。


「ここで間違いない。この奥だ」


ゴトウさんが、トラックを停めて言った。

俺たち四人は、車を降りた。空気がひんやりとしていて、濃い緑の匂いがする。ここからは、徒歩で進むしかない。

ゴトウさんを先頭に、俺、サクラ、そしてカナと続く。全員が、周囲への警戒を怠らない。いつ、あの武装集団が現れるとも限らないのだ。


数分ほど、木々の間の小径を歩いただろうか。

不意に、視界が開けた。そして、俺たちは目の前の光景に、息を飲んだ。


そこに建っていたのは、ロッジ風の、趣のある山荘だった。壁は蔦で覆われ、周囲の森と完全に一体化している。カナがビジョンで見た「緑に囲まれた」という言葉そのものの場所だ。だが、驚いたのはそれだけではない。山荘の周囲には、小さな畑がいくつも作られ、そこには瑞々しい野菜が、生き生きと育っていたのだ。終末世界とは思えない、穏やかで、生命力に満ちた光景だった。


「…人がいる。畑仕事をしているぞ」


ゴトウさんが、低い声で言った。

見ると、一人の老人が、黙々と畑の雑草を抜いている。その背中は曲がり、歳月を感じさせる。だが、その手つきは、安田さんと同じ、熟練の農夫のものだった。


俺たちは、武器を構えた。あの老人が、望月博士本人なのだろうか?


「待て。様子がおかしい」


俺が声をかける前に、ゴトウさんが制した。

老人のすぐ近く。山荘の玄関先に、二人の男が立っているのが見えた。屈強な体つき、鋭い目つき。民間人ではない。その腰には、ホルスターに収められた拳銃が見えた。

護衛か?それとも、監視か…?


俺たちは物陰に身を隠し、作戦を練った。

「どうする、ユウキ。正面から行くのは危険すぎる」

「わかってる。サクラ、何か使えるものはないか?」

「ドローンがある!小型の偵察用ドローン。これで、山荘の周りの様子を探れる!」


サクラはリュックから手のひらサイズのドローンを取り出し、巧みに操作して、音もなく空へと舞い上がらせた。彼女のタブレットには、ドローンからの高精細な映像が送られてくる。


ドローンのカメラが、山荘の全体像を捉える。玄関の二人の他にも、裏手にもう一人、見張りがいることがわかった。合計三人。いずれも、プロの動きだ。

そして、カメラが山荘の一階の窓に近づいた時、俺たちはその内部の光景に言葉を失った。


部屋の中は、床から天井まで、本、本、本の山。まさに「書庫」だ。そして、その中央にある大きな机で、一人の白衣を着た男が、頭を抱えるようにして座り込んでいた。年齢は六十代ほどだろうか。その憔悴しきった横顔は、サクラが見つけ出した論文の写真の男と、完全に一致していた。


「望月博士だ…!」

「でも、様子がおかしい。まるで、監禁されているみたいだ…」


カナが言った。彼女の目には、博士の深い絶望が映っているようだった。

状況は、俺たちの想像とは少し違っていた。博士は、武装集団に協力しているのではない。彼らに捕らえられ、協力を強要されているのだ。畑仕事をしていた老人は、おそらく博士の身の回りの世話をしている協力者で、外にいる男たちは、その監視役なのだろう。


「…計画を変更する。俺たちのミッションは、博士の『保護』じゃない。『救出』だ」


俺は決断した。

「ゴトウさん、あなたと俺で、裏手の見張りを無力化する。サクラは、ドローンで敵の位置を把握し、無線で俺たちに指示を出してくれ。カナ、君はここで待機だ。もし、何か危険を感じたら、すぐにトラックまで戻って、アルカディアに連絡を」

「わかった…!」

「私も、戦う…!」


カナが、震えながらも、強い意志で言った。

「私、わかるもん。あの人たちが、次にどこを向くか、いつ、油断するかが…!」


彼女の瞳には、かつての怯えはない。自分の力を、仲間のために使おうとする、確固たる決意があった。

俺は一瞬ためらったが、彼女の目を信じることにした。


「わかった。だが、絶対に無理はするな」


作戦開始。

俺とゴトウさんは、森の中を迂回し、山荘の裏手へと向かった。耳につけた小型無線機から、サクラの声が聞こえてくる。

『ターゲット、裏口の階段でタバコを吸ってる。完全に油断してるよ!』


俺とゴトウさんは、アイコンタクトを交わす。そして、音もなく、左右から同時に飛び出した。ゴトウさんの消防斧の柄が、男の首筋に深々とめり込み、男は声もなく崩れ落ちる。一瞬の制圧劇だった。


『ナイス!次、玄関の二人!カナ、何か見える!?』

サクラの声に、カナが息を詰めて答える。

『…見える…!右の人が、左の人に、何か話しかける…!今!』


カナの言葉と同時に、玄関にいた二人の見張りのうち、一人が隣の仲間の方を向いた。ほんの数秒の、注意の逸れ。

その隙を、俺たちが見逃すはずがなかった。


「今だ!」


ゴトウさんと俺は、茂みから飛び出し、全速力で玄関へと突っ込む。

不意を突かれた二人は、反応が遅れた。俺は、持っていた鉄パイプで一人のライフルを叩き落とし、体当たりで地面に組み伏せる。もう一人は、ゴトウさんが屈強な腕で羽交い締めにして、動きを封じた。


「動くな!動けば命はないぞ!」


ゴトウさんの脅しに、男たちは観念したように抵抗をやめた。俺たちは、彼らの武器を取り上げ、ロープで縛り上げる。

わずか数分。三人のプロを、俺たちはほぼ無傷で無力化することに成功した。カナの予知能力と、サクラの情報分析、そして俺とゴトウさんの連携。アルカディアが培ってきた力が、完璧に機能した結果だった。


「博士!望月博士!」


俺たちは、山荘の中へ駆け込んだ。

書斎にいた博士は、突然の出来事に、呆然とした顔で俺たちを見ている。


「君たちは…一体…?」

「俺たちは、生存者のギルド『アルカディア』の者です!あなたを救出に来ました!」


俺がそう言うと、博士の目に、にわかには信じられない、といった表情が浮かんだ。

その時、畑仕事をしていた老人が、鍬を手に、慌てて駆け込んできた。


「先生!大丈夫でございますか!こ、こいつらは!?」

「落ち着いてください。俺たちは敵じゃない」


俺は、博士と老人に、俺たちが何者で、なぜここに来たのかを、手短に説明した。武装集団『ヘルメス』の目的、異能者のこと、そして『コア』であるカナのこと。


全てを聞き終えた博士は、椅子に深く座り込み、天を仰いだ。


「…そうか。やはり、私の研究が悪用されていたのか…。全ては、私の責任だ…」

「博士、今は後悔している時じゃありません!奴らの本隊がいつ来るかわからない。すぐにここを離れましょう!」

「…いや、まだだ」


博士は、震える手で、机の上の大量の書類を指差した。


「この研究データを、奴らに渡すわけにはいかない。これは、私の罪の証であると同時に、あるいは、この世界を救うための、最後の希望かもしれんのだ…」


その目には、科学者としての、狂気に近い執念の光が宿っていた。

俺は、彼の覚悟を理解した。


「サクラ!データは持ち出せるか!?」

「任せて!外付けのハードディスクに、全部コピーする!」


サクラが、博士のパソコンに端末を接続し、猛烈な勢いでデータの吸い出しを始める。その間、俺とゴトウさんは、外の警戒を続ける。カナは、博士の隣に寄り添い、彼の心を落ち着かせるかのように、ただ静かにそこにいた。


全てのデータのコピーが完了したのは、それから三十分後のことだった。

俺たちは、博士と、彼の身の回りの世話をしていた老人…ヤマダさんと名乗った…を連れて、山荘を後にした。


「ありがとう、本当にありがとう…」


博士は、トラックに乗り込むと、何度も俺たちに頭を下げた。

俺たちは、彼という最大の希望と、彼の罪の証である膨大な研究データを手に入れた。

だが、同時に、ヘルメスという巨大な敵の、最重要ターゲットを奪ったことにもなる。


世界滅亡まで、あと十九日。

アルカディアは、もう引き返すことのできない、危険なチェス盤の、ど真ん中に立っていた。

俺たちの故郷、大阪への帰路は、行きとは比較にならないほど、危険なものになるだろう。俺は、サイドミラーに映る、緑の森に沈んでいく書庫を見ながら、これから始まる本当の戦いに、身震いをせずにはいられなかった。

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