女神様は異世界転生の予習をさせたい
作中のキャラクターにRTA走者の描写があります。
私はRTA走者の皆様のことを尊敬しており、RTAの動画を見るのが大好きです。しかしながらなるべく注意して書いたもののキャラクターとしては誤解を招く表現や誇張した表現を多用してしまっているかもしれません。そのキャラクターにのみ一部非常に長いセリフなどもあります。これらは、けしてRTA走者の皆さまを辱めようというような悪意があるわけではないことをご理解いただけますと幸いです。また、特定の個人をモチーフにするようなこともしておりません。あくまで創作ということで大目に見ていただけると助かります。
それでもちょっとこれはどうかな、と不快に思われましたら大変申し訳ありません。
そっとこのページを閉じていただければと思います。
「うーん……今回もまた失敗ですわ。うまくいきませんわ……世界を巻き戻すのもこれで何度目でしょうか。」
女神様は手元のメモに書かれた「学園の食堂の猫に転生」の文字に大きくばってんを付けるとしばし考え込みました。
メモには、「ヒロインに転生」、「悪役令嬢に転生」、「聖女に転生」、「王妃に転生」、「王女に転生」(中略)「ヒロインのクラスメイトAに転生」、「悪役令嬢の取り巻きBに転生」(中略)「悪役令嬢のペットの犬に転生」、「ヒロインの寮に住むネズミに転生」などなど、数え切れないほどの転生先リストすべてにばってんが付けられています。
「世界崩壊を防ぐには転生者に何とかしてもらうしかない、というところまでは合っているはずなんですわ……毎回じゃないですけどおしいところまでは行くんですもの……ヒロインと悪役令嬢が和解しつつ悪徳貴族を全て断罪してハーレムエンドのフルメンバーレベルMAXパーティで魔王を倒すだけ……のはずなのですのよ?」
なんでうまくいかないのかしら?そうつぶやきながら女神様はしばし目を閉じて考え込むと、ポンッと手を打ちました。
「そうですわ!ここは殿方を転生させたら何か変わるのではないかしら!フルメンバーパーティにならないのがほとんどですもの、事情がわかっている方々を3人ぐらいをまとめて転生させたらなんとかなりそうな気がしますわね!……でも殿方に乙女ゲームっぽい世界と言っても通じないかもしれないですわね……ここはひとつ……」
そうして女神様によって作られた一本の乙女ゲームこそが、【神託の王国〜逆ハーは世界を救う〜】でした。現実世界をまるっとゲームに落とし込むことで舞い散る枯れ葉一枚、風にそよぐ草の1本1本にまで完全な物理演算が適用され、全てのNPCは実在の人物の思考をトレースして会話をしてくれるという恐るべき完成度のゲームです。完成度が高すぎてゲームと言うより現実世界のシミュレーターと言ったほうが適切かもしれないレベルのこだわりの一品に仕上がりました。
「ゲームに詳しそうな転生候補者がとりあえず一人見つかりましたわ!まずはその方にゲームをプレイして頂いて……あと二人はその間に探せばいいですわね。」
■ケース1、27歳ゲーム好きサラリーマン山田さんの場合
「かくかくしかじか……というわけでして、山田さんには何とかして世界を救っていただきたいのです。こちらが予習用に作ったゲームですわ。」
「はあ、まあゲームは好きな方ですからとりあえずクリアはできると思いますけど。勇者になるとかじゃないんですね。」
「ええ。ジャンルとしては乙女ゲーですがRPGパートもありますわ。山田さんには攻略対象の第一王子に転生していただくつもりですの。このゲームをクリアできれば、一般常識はもちろん各国の情勢や世界を救う方法まで一通り予習可能ですわ。ゲーム機とテレビはあちらの部屋にありますのでじっくりプレイなさってくださいね!」
〜それからおよそ1000時間後〜
「すいません女神様。仲間になったキャラはレベルMAXでステータスカンストさせまして、一応クリアできたのですけどこれでいいですかね?」
「あら?悪役令嬢がパーティーにいないみたいですけど?宰相の息子も商人の息子も?」
「あー……悪役令嬢さんはなんか割と序盤で自分から修道院に行っちゃいまして、そのせいかわからないですけど他にも何人かたりないですかね?しょうがないからそのままプレイしてたんですけど駄目でした?」
うーん……と女神は頭を抱えました。どうも山田さんは乙女ゲーパートは8時間程度でクリアしてしまい、残りの時間のすべてをRPGパートに注ぎ込んだらしいのです。
仲間キャラクターが数人欠けていてパーティこそフルメンバーではないものの、レベルだけでなくステータスもカンストしており、さらには女神が人類にはクリア不可能と思っていた隠しダンジョンまでクリア前に攻略してレア装備をごっそり確保したおかげでクリアできてしまったようでした。なおスチル回収は穴だらけですっかすっかの模様。
流石に乙女ゲーパートのプレイ時間も短すぎるし想定外の攻略方法しちゃってるしと思った女神は、やり遂げた顔をしている山田さんに周回プレイをお願いしてみようと思ったのでした。
「あの、もう1週して今度はフルメンバーで攻略とかお願いできませんこと?だめではないのですがちょっと想定と違いますの……」
途端に山田さんはげんなりした顔になりました。
「すいません。ゲームの周回プレイって嫌いなんです。1周目のなんの情報もない未知の状態からのプレイこそが自分だけのプレイじゃないですか。クリア条件を指定された周回なんて攻略サイトを見ながらみんなと同じに進めるだけの作業みたいなもんでしょう?そういうのはちょっと……」
ぐむぅ、と女神らしからぬ声が漏れそうになるのを飲み込んで、女神オーラ全開で両手を組んで上目遣いで山田さんをウルウルと見上げる女神様でしたが、山田さんにはこうかはいまひとつのようです。
「あの、女神様?正直に申し上げましてその仕草もお顔もとてもかわいらしいと思います。それは嘘ではないのですけども、その言いにくいんですが女神様の見た目は8歳ぐらいですよね?……つまりその姪っ子を思い出してしまうと言いますかなんといいますか……ぶっちゃけ有名テーマパークにつれていけとか最新ゲーム機を買ってとか、色々ねだられた記憶が……あー元気にしてるかなあ……」
しんみりしてしまった山田さんを見て、女神様は申し訳ない気持ちになりました。なにせ女神様の感覚ではつい先程−−1000時間とちょっと前に−−死んだばっかりだというのに、山田さんは文句も言わないで女神様のお願いを聞いてくれたのですから。とは言え想定外の方法でクリアされているせいで悪徳貴族が反省していないとかもっと良い世界にできそうな気がしてしまいます。2つの気持ちの板挟みになった女神様はちょっとだけすねてしまいました。
「もう!もう!わかりましたわ!山田さんのクリア方法は保留ですわ!お待たせしてしまって申し訳ないのですけども、他の転生者候補の皆様がそろうまでしばらくお休みしていてくださいな。周回がそんなにお嫌でしたら、他のゲームも本もありますからお好きになさったらいいわ。あとはその……ありがとうございます。一応これでも世界は救えそうですもの……」
山田さんは、ぷくーっとほっぺをふくらませた顔もかわいらしい女神様を見て苦笑いすると、ペコリと頭を下げて部屋に戻って行きました。
■ケース2、45歳RTA走者伊藤さんの場合
「まるまるうまうま……というわけでして、伊藤さんには世界を救っていただきたいのです。こちらが予習用に作ったゲームですわ。」
「なるほど。異世界救済RTAですか……ふふふふふ、まさか死んでなおRTAできるとは思いませんでしたな。血が騒ぎます……本走が現実世界でのリセ無し1発通しならレギュはAny%Glitchlessか……」
「RT……?えに……?ええと、その、よろしくお願いいたしますわね。あちらの部屋にテレビとゲームを用意してますわ。あと伊藤さんは攻略対象の宰相の息子に転生して貰う予定ですの。」
不敵な笑みを浮かべる伊藤さんですが、それはそれは頼もしそうに見えます。惜しむらくは女神様がRTAというものについて詳しく知らなかったことでしょうか。伊藤さんは「できる限り良い結果」になるまで周回することを女神様に約束すると部屋の中に入っていきました。
〜それからおよそ2000時間後〜
「どーゆーことですのーーー!?」
伊藤さんのプレイデータのクリア時間を見た女神様は、あまりのことに女神らしからぬ絶叫を上げました。
「ええ、ええ、やはりチャートとテクニックの解説が必要ですよね?では今回の異世界救済Any%Glitchlessについて走りながら解説させていただきます。ESTは3時間を予定していますので一部操作優先で解説が間に合わない部分が出てきますがご容赦ください。本走は1発勝負と思われますので安定ルートを選択させていただきます。タイマースタートは電源投入から、タイマーストップは魔王討伐とさせていただいております。それではスリーカウントで始めたいと思います。3・2・1・グッドラック!」
伊藤さんは流れるように口上を述べると、カウントダウンとともにゲーム機の電源を入れ直しました。
ちなみに専門用語ですが、正確な説明ができる自信はありませんのでざっくりになりますが、Any%とは極力無駄を省き必須イベントのみをこなすプレイと言うとわかりやすいでしょうか。例えば中ボス3体とラスボス1体のゲームだとして、クリアのために必須で倒さないといけない中ボスが1体だけなら他の2体の中ボスは無視するといった感じです。なお女神様が期待していたのはAny%ではなく100%やALL○○というすべての要素をコンプリートするようなプレイです。Glitchlessとはバグ利用なし、ESTは予定時間の意味と思っていただければおおむね大丈夫かと思います。
「まずゲーム起動直後のデモムービーですがボタン連打で最速で飛ばしてNewGameを選択します、ヒロインはデフォルトネームの頭一文字だけ残してアという名前にします。ヒロインの名前を1文字にすることでほんの僅かですがタイム短縮が見込めます。そしてオープニングムービーですがもちろんキー連打で飛ばします。スタート直後の選択肢はいずれも3択で下、下、真ん中の順に選択することで……(30分経過)……はい!これで乙女ゲーパートはクリアとなります。すべての会話の最速文字送りに成功しましたし選択肢もミスなく選べましたので自己べ更新の可能性があります!開始5分で悪役令嬢引きこもりルートを確定させることによりその後のイベントを大きく減らすことができるのがタイム短縮に大きく貢献していますね!ここからのRPGパートは第一王子、宰相の息子、ヒロインの3人での攻略となります。まずここからの1時間は延々と3人で最初の洞窟入口の松明を殴り続けます。今のうちに解説できなかった乙女ゲーパートのテクニックについて説明しようと思います。まずは……(1時間経過)……というわけで乙女ゲーパートの大幅な短縮に成功したというわけです。さて、そろそろ1時間ですね。これでパーティー全員の素手スキルがカンストしました。当初はバグではないかと疑っていたのですが、非破壊オブジェクトはどれを殴っても僅かに素手スキルが上がるようですのでこれは仕様と判断しました。この松明を選んだのは最初の洞窟の攻略が必須ですので通り道だったという理由ですね。この洞窟は最初の宝箱でスキル:スライディングが……はい、入手できましたので全員に覚えさせます。そしてここからはすべての移動をスライディングで行います。これはタイム短縮だけではなく、このように、敵の横を、スライディングですりぬけて、はい!このように即座に逆方向にスライディングすることでボス相手でも確定でバックアタックを取れます。あとはカンストした素手スキルで殴るだけですので武器の回収は全カットです。もちろん魔王まで詰まることはありません。ここからはひたすらに……(1時間経過、ここまででトータル2時間30分ぐらいです。)……さて、必須のイベントボスのみを倒してきましたが、ここで寄り道です。魔王城の最短ルートから脇道にそれた隠し部屋にはいりますと、スライディングの次に重要なスキルの食いしばりが取れます。致死ダメージを受けてもHP1で1回だけ耐えられるパッシブスキルですね。スキルが発動したターン内であれば以降のダメージを無効にできる神スキルです。」
女神様はぽかーんと口を開けたまま、ずさーずざーとスライディングし続けるヒロイン達を見つめています。伊藤さんの声が聞こえているのかいないのかはわかりませんが、画面を見つめて精密な操作を行っている伊藤さんはそんなことには気づかないまま解説を続けます。
「さていよいよ魔王との決戦です!食いしばりは宰相の息子にだけ覚えさせれば大丈夫です。彼は最初からかばうスキルを持っていますからね、食いしばりのお陰で2回だけ使える肉壁というわけです。そして魔王にもスライディングからのバックアタックで先制攻撃を行います!まず最初のターンは3人で殴ります!そして次のターンも3人で殴ります!こちらが少人数かつバックアタックした場合、魔王は2ターン目にだけ全体攻撃をしてきますが何故か威力が下がっておりしかも1回しか行動しませんので全員死なずに確定で耐えます。またその後は魔王はこちらが回復しないまま2名以上で殴り続ける限り単体攻撃しかしなくなるという特殊な行動ルーチンに入ります。これも発見当初はバグかと思いましたが3人パーティーじゃないと再現しませんし、味方が回復などの行動をしたり攻撃役の人数を減らすと魔王の行動ルーチンが変化することから何らかの条件を満たしたときのみの仕様動作と判断しました。魔王もバックアタックに動揺しているんでしょうか?それとも捨て身の攻撃に怯んでいるんでしょうか?さあここからは宰相の息子がかばうで全てのダメージを引き受けますので2名で殴ります。はい、宰相の息子がHP1で耐えました。次のターンも引き続きかばってもらいます。はい、宰相の息子はやられてしまいましたがダメージの蓄積は十分です。次のターンで第一王子かヒロインの攻撃で魔王を倒せます。あ、魔王に先制されましたね。まあ第一王子がやられてもヒロインの鉄拳が魔王に刺さって、はい!ここでタイマーストップです!タイムは2時間49分です!ついに2時間50分切りに成功です!自己べ更新です!さて完走した感想ですが……」
画面では一人生き残ったヒロインが拳を高く突き上げてエンディングが始まりました。3時間近く途切れることなく喋り続けた伊藤さんはとても満足そうなやりとげた男の顔をしています。それを見た女神様はようやく我に返って叫びました。
「あのあのあの!ちょっとこれはちょっと!期待と違いますわーーー!」
「え?じゃあまさかの2時間30分切りを?あれはかなりの運ゲールートになりますのでおすすめはできませんよ?」
「そういうことじゃなくって!なんでこれでクリアできますの!?おかしいですわ!フルメンバーで!全員レベルMAXぐらいじゃないと無理のはずですわ!しかも宰相の息子が死んで……伊藤さんが転生するはずの宰相の息子が……」
女神様はすっかり涙目になってしまいましたが無理もありません。世界を救いたいのはその通りなのですが、かと言って皆に安易に死んでほしいわけではないのです。
「あー……それなんですがRTA界隈ではこのような格言がございまして、いわゆるその、タイムは命よりも重い、と。あと素手が相当ダメージの通りが良くてカンストだと武器を持つより有利なんですよねデフォで2回攻撃ですし。あと、少人数の短期決戦にして魔王の行動を縛るとこちらが受けるダメージ大きく減って安定するというのもありまして……」
「せめて……せめて犠牲者を減らしてほしいです……なるべく皆様に死んでほしくないんですの……」
しおしおとうなだれる女神様を見てさすがに伊藤さんもこれはまずいと思ったようで、腕を組んで考え始めました。
「つまり女神様。全員生存しつつ魔王を討伐する。というのが目標だったんですね。最初に確認すべきでしたね。すいません。そうなるとチャートの大幅な見直しが必要になるか……悪役令嬢引きこもりキャンセルを採用すれば……いやそうすると不要なキャラが参入して逆に魔王戦の犠牲者が……パーティーメンバー全員生存だと魔王の全体攻撃で回復必須になるか?そうすると魔王の行動ルーチンの固定が……」
どうやら伊藤さんは深い思考の海に沈んでしまったようで虚空を見つめながら何やらブツブツつぶやき始めました。おそらく彼の脳内ではいくつものチャートが同時に検討されているのでしょう。女神様が呼びかけてもつんつん突いてもなかなか我に返る気配がありません。
「えいっ!」ぽこん!
業を煮やした女神様のねこぱんちが炸裂し、妙に可愛らしい効果音とともに伊藤さんが我に返りました。
「あのあの、ごめんなさい。無理を言っているのは分かっていますの。先にプレイしてくれた山田さんも私の望んだ結果ではありませんでしたし……皆さまを危険な世界に転生させるような私が言っても説得力はないかもしれませんけども、でも伊藤さんがご自分の命を軽く扱うのは流石に心が痛みますの……」
「ほう、僕は2番目でしたか。先達がおられたのであれば意見を聞いてみたいですな。新たな知見が得られるかもしれませんし。」
「そういうことでしたら山田さんはあちらの部屋で待機してくださっていますのでご紹介いたしますわ。山田さんは第一王子に転生予定ですの。山田さーん!山田さーん!」
女神様はぱたぱたと小走りで伊藤さんを山田さんの部屋に案内しました。伊藤さんは、第一王子はあのルートだと50%ぐらいの確率で魔王戦で死ぬからそこも見直しだなぁ……とつぶやきながら山田さんの部屋に入っていきました。
■ケース3、31歳デバッグ担当松井さんの場合
「ぺけぺけうしうし……というわけでして、松井さんには騎士団長に転生して何とかして世界を救っていただきたいのです。騎士団長は攻略キャラじゃないのでハーレム入りできないのが申し訳ないのですが……こちらが予習用に作ったゲームでして先に二人の方にプレイしてもらったのですわ。でもお二人とも私が思ったのと違う感じでクリアされて……」
「ふーむ……まあうん、ええですよ。女神様もそんなに気を落とさんでええんちゃいます?プレイヤーが制作者の意図を超えた攻略方法を編み出す。本当におもろいゲームってのはそういうもんちゃいますか?現実もゲームも一本道はおかしいって思ってますねん。こう見えてゲームは本職ですさかいきっちりプレイさせてもらいますわ。」
「松井さん……いえ松井様……じゃないですわ。よろしくお願いいたします。もし詰まったら山田さんと伊藤さんにも相談していただいて大丈夫ですわ。その際は遠慮なくおっしゃってくださいまし!」
かなり自信をなくしていた女神様ですが、松井さんに励まされてうっかりチョロっといきそうになったのをなんとか踏みとどまると、松井さんを部屋に案内しました。
なお、いきなりバグのない完璧なゲームを作れてしまう女神様にはデバッグという概念がそもそも無いようです。
〜それからおよそ3000時間後〜
「遅いですわねえ……でも急かすのも悪いですし……様子を見たほうがいいのかしら。でも邪魔するのも悪いし……ちょっとだけ覗いてみようかしら。はしたないかしら。他の皆様もお待たせしていることですし、ちょっと様子を見たほうがいいですわよね?きっとそうですわ。」
部屋から出てくる気配がない松井さんが心配になった女神様は、松井さんの部屋のドアをちょっとだけ開けて中を覗きました。そこには一歩歩いては全てのメニューを開いて閉じて、スキルを使ったりアイテムを使ったり、壁にぶつかったり木にぶつかったりしては手元の紙に何かをメモする松井さんの姿がありました。
「あの、何をしてらっしゃいますの?」
ちょっと様子を見るだけと思っていた女神様ですが、見たことのない不思議なプレイスタイルに呆気にとられてつい声をかけてしまいました。
「え?ああ、自分はデバッグが仕事やったもんでバグを探すのが癖になっとるんですわ。」
「バグですの?無いですわよ?私が作ったんですもの。」
それを聞いた松井さんはとてもとても不思議そうな顔をして、何枚かの紙を手に取ると考え込んでしまいました。
女神様が女神ぱんち(ねこぱんち)の出番かしら?と悩んでいると松井さんが顔を上げました。どうやら考えがまとまったようです。
「女神様。ほんまにバグはないんですね?それやったらこのゲームの設定資料集っちゅうかこの世界の詳しい情報っちゅうかありまっか?あと先に来てるっちゅう二人にも話を聞きたいんですけど。」
「ええと、世界の全てが書かれた本ならありますわ。ちょっと分厚いですけど……よいしょっと!知りたいことを思い浮かべて適当に本を開けばそこに書いてありますわ。あとは山田さんと伊藤さんですわね。呼んできますのでちょっとお待ち下さいね。山田さーん!伊藤さーん!」
女神様は虚空から畳一枚はありそうな大きな本を取り出して床に置くと、山田さんと伊藤さんを呼びに行きました。残された松井さんは本を開いてはメモと見比べ、また本を開き直しては別のメモを確認し始めました。もっとも、すぐに戻ってきた女神様によりその作業は中断されることとなりましたがそれでも松井さんは何か思いついたようです。
「戻りましたわ!ご紹介しますわ!こちらが山田さんで、こちらが伊藤さんですの!」
松井さんはペコリと頭を下げると挨拶もそこそこに一枚のメモを取り出して女神様たちに見せました。
「王都のずーっと東に行った山にダンジョンがありますやろ?入っても1フロアだけで行き止まりになっとるやつですわ。非破壊オブジェクトのはずの松明が消えてましたやろ?あれってお二人はどのぐらい調べはりました?」
山田さんと伊藤さんは顔を見合わせると、口々に「そんなところにダンジョンがあるなんて気が付かなかった」、と答えました。
女神様も「ダンジョンの松明の火が消えるなんて……いったい?」と呟いています。それを聞いた松井さんは女神様にこう問いかけました。
「ひょっとしたらですんませんけども、女神様は二代目とかとちゃいますか?割と最近に前の神様か女神様から引き継いだっちゅうか……」
「ええ、はい。その通りといいますか私で五代目ですわ。まだ交代の時期じゃなかったはずなんですけど、魔王がどうしようもできなくて前任の女神が逃げたんですの。それで転生者の方々ならなんとかできるのでは、と思って何度も試していましたの……」
どうして分かったのかしら?と女神様が首を傾げていると松井さんは本を開いてみんなに見せました。
「ここの記載ですねん。この山は古代の巨大な神殿で、十五代前の魔王に壊されそうになったさかい、当時の神官長が山に偽装するために溶岩をぶっかけて固めて封印したとありますんや。ほんでもってこのダンジョンのフロアに2日以上おると松明が1つ燃え始めるのは気がついてたんやけど、そこからさっぱりでしてなあ。バグかどうか判断できひんかったっちゅうわけやけど、この本なら攻略法もわかるんやろか?」
松井さんが本を開き直すと、そこには「聖なる血を引く者は神殿の小部屋より2回の日の出を見よ。しかるのち神の剣に向かいて三度、天秤に向かいて五度、聖なる火に祈りを捧げよ。」と書いてあります。
「なんですのこれ……こんなの知りませんわ。でもゲームは世界をそのまま再現していますし、それにこの本に書かれているということは、私がまだ知らない遺跡が実在するということですわ!聖なる血を引くものはヒロインで確定ですわね。あとは……神の像は右手に剣を、左手に天秤を持ちますわ!燃えている松明から部屋を右に三回、左に五回回れってことですわね!書き方が古くてもったいぶっててわかりにくいですわ!ちょっと本をアップデートして今風の文章に直させますわ!」
そう言うと女神様は本を閉じると表紙をぺたぺた撫で回し始めました。松井さんは無言でゲームを再開し、目的のダンジョンに入るとアイテムからテントを使って2日経過させました。山田さんと伊藤さんは興味深そうに画面を見ながら「古い言い回しのほうがロマンがありますよね。」「あーわかります。いかにもな文章っていいですよね。」と、こそこそ会話しています。
無事に松明に火が付くと、松井さんは女神様の言ったとおりに部屋を回り始めました。右に三回、左に五回。すると画面が大きく揺れました。どうやら山が崩れたようです。松井さんがダンジョンから出ると、そこには山のように大きな神殿が姿を現していました。
それを見た女神様は本を撫で回すのをやめて、再び本を開きました。
「これで良しですわ。えーとなになに。封印の解き方。聖なる血を引く者はダンジョンの小部屋に入ったら2日以上滞在してください。2回目の日の出とともに松明に火が点いたのを確認したら、松明から右回りに3回、左回りに5回、部屋の壁に沿って回ってください。ですね。わかりやすくなりましたわ!それでこの神殿はなんですのよ?」
女神様が本を閉じて再び開きました。みんなで本を覗き込みますと、そこにはこのように書かれています。
【この神殿は、現存する世界最大で最古の神殿です。魔王に壊される寸前でしたので神官長は独断で溶岩による封印を行いました。しかし、あまりにダイナミックな封印方法だったため、また神官長が神殿内に取り残されてしまったため、当時の人は誰もそれが封印だと思わないどころか、魔王により壊されてしまったものと考えました。そのため今では誰もその存在を覚えていません。王都の神殿の禁書庫の片隅に、魔王に滅ぼされた神殿として僅かな記録が残るのみです。主な効果はレベル上限突破、成長率UPです。レベルがカンストした人は、最上階で天に向かって祈りを捧げてください。】
「前提条件が崩れましたわーーー!ごめんなさい。知らなかったんですの!」
あまりの救済措置に女神様は半泣きになってしまいました。こんな事ができるなら今までだって何度も世界を巻き戻さなくても良かったですし、3人の転生者候補にも無理難題をお願いしなくてよかったのですから。
「女神様、元気を出してください。」
山田さんはそう言うと優しい手つきで女神様の頭を撫でました。
「他にもバグかどうか分からへんかった場所がありますんや。せやけどこのゲームにバグはあれへんっちゅうことでっしゃろ?ちゅうことはそこにもなんやかんやあるんちゃいますか?」
「それは気になりますね。RTAのチャートでもバグか仕様か判断できなくて見送ったテクニックがあるんですよね。でもバグは無いんですよね?あれから更にやり込んで見つけた新しいテクニックもありますし……」
松井さんは他のメモを手にとって伊藤さんと相談を始めました。
「あの、山田さん。もう大丈夫ですわ。」
女神様は恥ずかしくて耳まで真っ赤になっていますが、それでも気を取り直して顔を上げました。
「改めて皆様にお願いしますわ。私はこの世界のすべてを知ったつもりでしたの。引き継ぎはしてもらえなかったですけど、それでもちゃんと全部勉強して一人前の女神になったつもりでしたの……でもそうじゃなかったですわ。私はまだまだ未熟でした。ですから。」
「分かってますよ。女神様。姪っ子みたいって言ってすいませんでした。周回は嫌いですけどね。でも未知を探すのは大好きなんですよ。」
「新しく発見されたらテクニックやギミックでチャートを組み直すのはRTAではよくあることですからね。」
「まだデバッグは終わってへんのですけども、お二人には自分が見つけた気になる点の調査と検証をお願いしてもええですかね?自分は継続してデバッグを進めますさかい。バグがなくてもまあ職業病みたいなもんですわ。」
「皆さま……ありがとうございます!お願いします!この世界を救ってくださいまし!できればハッピーエンドで!」
女神様が深々と頭を下げると、3人は口々に了承し、そして分担してゲームを再開しました。彼らと女神様はきっと世界の謎を全て解き明かし、世界を救うためのより良いチャートを見つけるのでしょう。それがどのような結末を迎えるかはわかりませんが、きっとハッピーエンドになることでしょう。ヒロインの名前が「ア」だったり、道中の移動が連続スライディングになるといったちょっとした弊害はあるかもしれませんが。
彼らと女神様の知恵と勇気が世界を救うと信じて。
最後までお読みいただきありがとうございました。
打ち切りのような終わり方をしていますが、最初からそのつもりで書いたものですので打ち切りではありません。この話はここで終わりです。