第57話 「スーパーまるかみ、ゆずれません」
朝の青果コーナーで、ナスの前にじっと立つ男がひとり。
開店直後でまだ静かな時間帯だってのに、その男はナスを一本ずつ手に取っては、光に透かしたり、撫でたり、首をかしげたり。
どう見てもただの“選んでる”じゃない。なんかもう、科学者が試験官でも見てるくらいの勢いだ。
あんまりにも長いもんだから、声をかけてみた。
「お探しの品がございましたら、お声かけくださいね」
すると、男はナスを見つめたまま、ぽつり。
「……見栄えが良すぎるんだよな」
「え?」
「悪くはない。むしろ立派すぎる。けど、焼きナスには不向きなんだよ、こういうのは」
なんだそりゃと思いつつ詳しく聞いてみたら、なるほど。
この男、どうやら“焼きナスにするためのナス”を探してるらしい。
「俺、食にうるさいわけじゃないんだ。でも、焼きナスだけは……譲れない」
言い切ったあと、そこからが長かった。
「まず皮が厚いとダメ。炭で炙っても裂けねえ。焼き目もつかない。かといって薄すぎても、持ち上げた瞬間に崩れる。絶妙な厚さじゃないと」
「なるほど……」
「種が多いと舌触りがザラつく。水分が多すぎると水っぽくなるし、少なすぎると灰汁が立つ。焼いたときのとろみと香りのバランスがな……」
「はあ……」
完全に“ナス”でスイッチが入ってる。
なのに不思議と、嫌な感じはしない。
こだわりが変な方向に突き抜けてるだけで、話しぶりは妙に丁寧で、むしろ好感がもてるタイプだ。
聞けば、ナス以外の食事もそこまで気にしない。
「買ったやつそのまま使ってる」「パンなんて硬かろうが柔らかかろうが一緒」だそうだ。
なのに、焼きナスだけは「自分の舌しか知らない理想の一本」があるんだとか。
そこへ、シルヴィが品出しワゴンを押して通りかかる。
俺とお客さんの会話が耳に入ったらしく、ふと足を止めて軽く会釈した。
「焼きナス、お好きなんですね」
たったそれだけの一言に、お客さんは表情を緩めた。
「ああ。子どものころ、よく親父が作ってくれてさ。焼き立てが……あれがうまくてね。自分でも何度も真似してるんだけど、なかなか、あの感じにはならなくて」
「思い出のお味なのですね」
シルヴィはそれ以上なにも言わず、静かに微笑んで頭を下げ、ワゴンを押していった。
お客さんはしばらく黙って、ナスを見つめたまま立っていた。
俺は棚の端から、一本のナスをそっと手に取った。
「これなんかどうでしょう。ほかのより皮がやや薄めで、焼いたときに中がとろっと柔らかくなります。炙りにも向いてる品種です」
「……直火、いける?」
「いけます。炭火なら、なお良しです」
お客さんは黙ったままそのナスを受け取って、両手で重さを確かめるようにゆっくり持ち替える。
真剣なまなざしで数秒見つめたあと、ふっと小さく息をついた。
「……一回、試してみるか」
レジまでのあいだ、歩きながらぽつぽつと話してくれた。
「理想って、あるんだよな。焼いた瞬間に、皮がパリッとして、中がとろけて、香ばしくて……。あれがないと、もう別の料理になるんだよ」
「わかります。食感も香りも、料理のうちですからね」
「でも、家族には笑われる。焼きナス一本にどんだけ執念かけてんだって」
苦笑まじりに言いながら、レジ台の前でふいに真顔になる。
「でも、俺は諦めない。理想の一本が見つかるまでは、何本だって焼く」
かっこいいんだか面倒くさいんだかわからない名言をいただきつつ、ナスを袋に詰める。
「またいつでも、じっくり選んでください」
「……ああ。世の中のナス、まだ全部見たわけじゃないしな」
袋を受け取り、ゆっくりと歩いて扉の向こうへ。
閉まる寸前、ふと振り返ってナス売り場のほうに目を向けた。
その背中が妙に印象に残って、思わず見送ってしまった。
そのあと、棚の整理をしていたシルヴィが近づいてくる。
「……あの方、とても真剣でしたね。まるで、ナスと会話しているみたいでした」
「そう見えた?」
「はい。一本ずつ、何か確かめるように……」
たしかに、あんなに時間をかけてナスと向き合う人はそうそういない。
でも、そうやってまっすぐ選んでくれるお客さんって、ちょっと好きだ。
ひと段落ついた店内で、俺は湯を沸かし、いつものマグカップにコーヒーを淹れた。
香ばしい香りが立ち上る。カップを口に運んで、ひと口。
ほどよい苦味と熱が、肩の力をゆっくりと抜いてくれる。
空には今日も、太陽と月。
スーパーまるかみ、譲れないこだわりにも応えています。
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