第55話「スーパーまるかみ、おたすけします」
昼過ぎのまるかみは、ぽつぽつと客足がある静かな時間帯だった。
レジ前で帳簿の確認をしていると、自動ドアがウィーンと音を立てて開いた。
入ってきたのは、明るい色のブラウスにエコバッグを肩にかけた女性客。顔なじみの常連客のひとりで、俺もすぐに会釈を返す。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとねえ、店長さん。今日はね、人に渡したいのがあってね」
開口一番、そう言いながら店内へと進んでいく。
俺はふと手を止めて、その後ろ姿を目で追った。
この方、以前からちょくちょく“おすそわけ目的”で買い物に来る人だったが、今日はその気配がとりわけ強い。
まず向かったのは、果物コーナー。
赤く色づいたりんごを一つひとつ手に取り、「あらこれ、あの人好きだったな」と言いながら選んでいく。
次に惣菜コーナーで、パック詰めされたおはぎをじっと見つめる。
「うーん、あの人、甘いの控えてるって言ってたっけ……でも一個くらいなら、いいかしら」
そう言って、おはぎの三個入りをカゴに入れた。
さっきまでの葛藤が嘘みたいに軽い足取りで、次の棚へ。
通りがかった若い男性客がつぶやく。
「……すごいな、あの人。全部“誰かのため”に買ってる」
「ついで買いでも、流行りでもないのが逆にすごいよね」と、横の女性客も小声で返していた。
俺も思わず苦笑いする。
確かに、これは見事な“おすそわけ買い”だ。
続いて、漬物売り場でしばし立ち止まり、きゅうりの浅漬けを手に取る。
「ああ、これはお隣の奥さん。塩分は控えめがいいって言ってたわよねえ……」
それを一旦棚に戻し、別の減塩タイプを慎重にカゴへ。
野菜コーナーでは、人参と大根を選びながら「これで煮物にして、二軒分は作れるかしら」とぶつぶつ。
いったい何軒分の献立を脳内で組んでいるんだろうか。
完全に“ご近所のおかん型配達人”と化している。
そのうち、かごが一杯になってもうひとつ手に取ったところで、「あらま」と一言。
「すいません、店長さん。もうひとつカゴ、借りていい?」
「もちろんでございます」
俺はすぐに空の買い物かごを手渡すと、彼女は笑顔で受け取り、またあちこち巡っていく。
冷凍庫前では、ちょっと迷った様子で餃子を見比べていた。
「うちのお向かいさん、これ好きだけど……にんにく控えめのほうが、やっぱりいいかしらね」
こだわりが“相手基準”に全振りされている。
自分の欲が一ミリも見えない潔さすら感じる。
しばらくして、彼女は精肉コーナーの前で立ち止まった。
カットされた鶏肉をひとつずつ手に取り、「これで、あの人の家、唐揚げにしてあげようかしら。たまには、ねえ」とつぶやく。
すっかり“あの人”や“あそこ”といった曖昧な人称が連発されているが、本人の中ではしっかり整理されているのだろう。
そして、またカゴが一杯になった。
「もう一個、借りていい?」
「ええ、どうぞ。お気になさらず」
三つ目のカゴを渡す頃には、レジ前の俺もだいぶ慣れてきた。
彼女の買い物は、一見すると場当たり的にも見えるが、実は計画的なのかもしれない。
献立や好みをきちんと頭に入れたうえで、それぞれの顔を思い浮かべながら選んでいるのだ。
惣菜棚に戻って、唐揚げのパックを手にした時には、また違う人の話をしていた。
「これね、娘のところに持ってくのよ。旦那さんが鶏好きでねえ」
それを聞いた近くの客が、「すげえ……まるで使い魔みたいに、人の好物全部覚えてる」とつぶやいたが、
たぶん本人には届いていない。
それからもしばらく、買い物は続いた。
ジュースは子どもが喜びそうなものを選び、焼き魚のパックは「一人暮らしのおばあちゃん向け」に。
まるで、スーパーまるかみが出張おすそわけセンターに変貌したようだった。
最終的に、かごは四つ。
レジ台に並べられた商品を見ながら、俺はそっと尋ねた。
「……あの、お客様。今日はご自身のものは……?」
彼女は一瞬、はっとしたような顔をして、手ぶらの自分を見下ろす。
そしてレジ横の棚を見つめると、ひとつだけ、お茶のパックを取り出した。
「これだけ。私が飲むのは、これでいいのよ」
「それだけで、よろしいのですか?」
「ええ。これ飲みながら、あげた人の顔を思い出すのが、いちばん楽しいの」
にこりと微笑むその顔は、とても満足げだった。
誰かのために選んだ買い物。
それが重荷ではなく、喜びになる瞬間。
俺は、ひとつひとつ商品をスキャンしながら、なんだか胸が温かくなるのを感じていた。
「いつもありがとうございます。ご近所の皆様も、きっと喜ばれますね」
「うふふ、そうだといいんだけどねえ。じゃあ、また寄るわね」
「またのご来店を、お待ちしております」
笑顔のまま、重そうな袋を片手に、彼女はさっそうと帰っていった。
その背中を見送りながら、俺はぽつりとつぶやく。
「……今日も誰かのおたすけになってるようでなによりだね」
そして空には、いつも通り、太陽と月が同居。
スーパーまるかみ、やさしさの連鎖が続く日常の一コマです。
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