第53話「スーパーまるかみ、はかりしれません」
昼下がりのまるかみは、ちょうど人の波が落ち着いた時間帯だった。
朝の混雑を終え、夕方の仕込みに入るまでの、この小さな静けさが俺は好きだ。
バックヤードでは野菜の検品が続いていて、店内はレジ横のシルヴィさんと、惣菜棚の前で品定めをする数名の客のみ。
俺はいつものように店内を一巡し、品出しの様子や温度表示を確認しながら、何気なく入口の自動ドアに目をやった。
ウィーンという静かな開閉音とともに、ひとりの客が入ってくる。
落ち着いた雰囲気の中年男性で、年の頃は四十代半ばといったところだろうか。
仕立てのよいコートを羽織ってはいるが、目立つ装飾はなく、手には何も持っていない。けれど、その動きにはどこか“慎重すぎる”気配があった。
パンの棚へまっすぐ歩み、並んだ商品を一つ手に取る。
そのままじっと立ち止まり、何かを感じるかのように両手を傾け、指先で微妙な感触を確かめている。
次に進んだ果物コーナーでも、りんごやみかんをひとつずつ手に取り、少しの違いを見極めるように目を細めた。
とくに変わった様子を見せるわけでもなく、騒ぐこともない。
だが、彼の“慎重さ”には、ある種の集中があった。
今度は豆腐の棚へ。
パックを取り上げ、手の平に乗せると、ほんの一瞬その重さを確かめ、また別のパックを選び直す。
そして小さく呟いた。
「……これは少し水分が偏っているな。重心が右に寄っている」
……重心? 豆腐の?
俺は思わず、通路の端からその様子を見つめた。
ただの物好きという感じでもない。どこかの分野で鍛えた感覚を持っているような……何か重さが関係するような仕事をしているのか、あるいは精密な秤を扱う職人か。
少なくとも、“ただの偏屈”とは違う気がする。
それにしても、ここまで異常なまでに重さをみて感じて回る客はいない。
しかも、目の前に重さが書かれているような商品でも、一つずつ確かめている。
「おいおい、あの人……」
近くで立ち止まっていた客のひとりが、誰にともなく小声で言った。
「グラム表記があるのに、わざわざ全部の重さ確かめてるよ。そんなに差ある?」
「目つきが真剣すぎて、ちょっと声かけづらいな……」
「なんか、すごく測ってそうな雰囲気出てるよね……」
思わず笑いそうになるのを堪えながら、俺は視線を店の奥に向けた。
レジ横のシルヴィさんが、いつのまにか業務用の小さな秤を手にして、歩いてくるところだった。
何も言わず、その秤を惣菜棚の横にそっと置く。
その所作もまた静かで、自然だった。
男性がそれに気づくと、目を細めたまま、ほんの一拍の間を置いて言った。
「……これは、計量器ですか?」
「はい。必要であれば、お使いください」
シルヴィさんは深く一礼し、それ以上言葉を重ねることなくレジへ戻っていった。
その背中を見送る客の目には、敬意に近い光が宿っていた。
「ありがたい。実にありがたい」
そこから、彼の“精密な買い物”が本格的に始まった。
豆腐、こんにゃく、バター、トマト、そして袋詰めのパン。
あらゆる商品をひとつひとつ秤に乗せ、表示された数字を見ては、小さく頷く。
「このトマト、少し重視が右寄りか。だがずっしりとして果肉密度が高い……」
「バターはこのブロックが最も均一……外装にわずかな凹みがあるが、保存環境は問題なし……」
ぶつぶつと呟きながら、選んだものを丁寧にかごへ入れていく。
こちらもつい、口を挟まずにはいられない。
「かなり正確に測られてますね。専門の方でしょうか?」
「ええ、まあ、少々重さを量る仕事に長年携わっておりまして……そのせいか、こうして一つ一つ重みを感じないと納得できないタチでして」
やはし仕事柄もあるようだが、重さというものに一種の哲学を見出しているような語り口だった。
それは奇異ではなく、むしろどこか品のある情熱に感じられた。
やがて彼は、3つの同じ型のパンを両手に抱えてレジへと向かってきた。
「どれもほぼ同じ重さでしたが、これだけが内部にブレがない。……構造の安定が、味の安定につながると私は信じています」
シルヴィさんはわずかにまばたきをしたが、すぐに無言でレジを通し、手際よく袋詰めを行う。
「……あなた方の店は素晴らしい。ここには、私の感覚を遮る雑音がない。……本当に、ありがたい」
彼はレジカウンターの端に手を添え、深く頭を下げた。
店として、それはとても光栄なことだった。
「ありがとうございました。またのご来店を、お待ちしております」
シルヴィさんも、丁寧に応じる。
彼はそのまま出口に向かったが、途中、冷凍ケースの前で立ち止まり、しばし見つめたあとで、氷菓の大袋を手に取った。
「……これは明確だ。量がそのまま幸福量に直結する類の食品だ」
そのつぶやきに、近くにいた母子連れが小さく吹き出す。
彼が出口から去っていったあと、俺はぽつりと呟いた。
「……重さにも、深さがあるんだな」
量るだけじゃない、感じる重さ。
見えない精度と、確かな感覚。
そのすべてを積み重ねて、彼は今日の買い物を“完璧”に仕上げたのかもしれない。
コーヒーを淹れて、一息つきながらそんなことを思った。
スーパーまるかみ、今日の重みも、はかりしれません。
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