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第52話「スーパーまるかみ、見えないやりとりです」

 午前中のスーパーまるかみは、いつものように穏やかな空気に包まれていた。


 早めに買い物を済ませたい常連客がちらほら訪れ、野菜や惣菜の棚をゆっくり眺めていく。

 忙しくなる昼前までの、ささやかに静かな時間帯だった。


 レジ前では、シルヴィさんが飲料の補充を終え、続いて焼き菓子の棚を整えている。

 いつものメイド服。

 銀の髪をまとめたサイドテールが動くたびに揺れて、控えめな光を反射していた。


 「シルヴィさん、そこ終わったら入口のあたりをお願いします」


 「はい、承りました」


 返事はきっちり、動きは的確、ひとつひとつが無駄なく届く。


 俺はその横で、帳簿の見直しをしていたんだが──そのとき、自動ドアが静かに開いた。



 風鈴のようなチャイム音が鳴ると、そこからゆっくりとひとりの老人が入ってきた。


 くすんだ灰色の長衣に、肩まで伸びた白髪。

 背筋はすっと伸びていて、ただの年寄りというより、何かの職人らしい雰囲気がある。

 そして右手には、金属の棒のようなもの──杖とは違う、細身の探針のような道具を握っていた。


 続いて、若い男があとに続く。

 こちらは作業服姿で、少し緊張した面持ちをしていた。


 「師匠、ここ初めてでしょ? 僕が棚の場所をご案内しますから──」


 「いや、いい。ひとりで歩かせてくれ」


 老人は短く言い、肩の荷を軽く振って手を放させた。

 青年は不安そうに後ろに立ったまま、視線を泳がせている。


 ……なるほど、この人、目が見えないのか。


 だが足取りはしっかりとしたもの。

 体の傾け方、耳の動かし方、指先のかすかな揺れ──視覚の代わりに全身を使って、店内を“読んで”いるようだった。


 全てを見透かすような雰囲気。

 店内に一瞬、緊張が走る。俺も無言のまま、少しだけ体を正した。


 そのとき──シルヴィさんが、すっと動いた。


 静かに回り込むように、老人の背後を取り、ほんのわずかに棚の角度を調整する。

 背が高めの瓶や角ばった包装が引っかかりそうなところを、ひとつひとつ整えていく。

 音を立てず、声もかけず、ただ“通りやすい空間”を用意していた。


 老人は、まっすぐ野菜棚へ向かって歩いていく。


 「……これは、柑橘か?」


 手元の探針がかすかに震え、彼は商品の前で立ち止まった。

 鼻を近づけ、ゆっくりと香りを吸い込む。


 シルヴィさんは答えない。

 ただ手元で、商品を少しだけずらし、香りがより届くようにした。

 彼女は店員らしい声かけもせず、客の背中を煽るような動きも見せない。


 目の見えない客の感覚に、そっと重ねるように、空気を調整するだけだった。


 弟子らしい若者は戸惑っていた。

 何も声をかけないことに驚いているのか、時折店長のほうを見ては、でも言葉を挟まず黙っている。


 「見えなくても、こうして感じればいいんだよ」


 老人がぽつりとそう呟いた。


 その足取りはゆっくりだが迷いがなく、探針の先で棚をなぞりながら、商品の配置や形状を丁寧に確認しているようだった。



 シルヴィさんは時折、彼の進行方向を確認しながら、引っかかりそうなPOPカードを軽くどけたり、陳列の隙間を微調整したりしていた。

 すべての所作が、声もなく、視線すら交わさず、それでも確かに“会話”になっていた。


 やがて、老人は惣菜棚の前で足を止めた。


 「……この奥に、細長い……燻した香り……肉の腸詰かな?」


 呟きとともに、探針の先が微かに揺れる。


 その言葉を聞いたシルヴィさんは、迷わずソーセージのパックをひとつ手に取り、老人の前、棚の手が届く位置にそっと置いた。


 「……ありがとう」


 そのひとことだけが、かすかに聞こえた。


 付き添っていた若者が目を見張った。


 「えっ、何かしました? シルヴィさん、声……かけてました?」


 彼女はそれにも答えず、いつものように軽く頭を下げただけだった。


 その場には、静かなやりとりだけが残った。



 レジでも、やはり声は少なかった。


 老人がゆっくりと商品を出し、シルヴィさんが丁寧に受け取り、読み取り、袋詰めをする。

 必要以上の確認も、急かすそぶりも一切なかった。


 釣銭を手に乗せるときも、彼女はほんの一瞬だけ相手の手元を確かめ、受け取りやすい角度と力加減で差し出していた。


 見ているこちらが、少し胸の奥を温められるような光景だった。


 最後、老人が小さく頷いた。


 「また来るよ」


 それを聞いたシルヴィさんは、静かに微笑んで、深く一礼した。



 彼らが帰ったあと、俺は少しだけ店内を回り、シルヴィさんの近くへ歩み寄った。


 「……うちの店員はかなり優秀ですね」


 彼女はきちんと姿勢を正し、表情を変えずに応えた。


 「ありがとうございます。言葉がいらない場面もあると思いますから」


 それだけ言って、また黙って次の作業に移った。


 見えないやりとりは、確かにそこにあった。


 視線も、声も、届かなくても──気持ちは、通じる。


 言葉を交わすだけが、理解する方法じゃないのだと。

 そんなことを思いながらも、いつも通りコーヒーを淹れる。


 スーパーまるかみ、心遣いもお届けしています。

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