第44話「スーパーまるかみ、店長は観察されます」
今日も空にあるのは太陽と月。
この異なる二つが同時に浮かんでいるのを見ると、俺はまだどこか夢を見ているような気分になる。
けれど夢ではない。スーパーまるかみは、ここ異世界でも変わらず、きちんと営業している。
軒先の影がのびてきた頃、棚の整理を終えてレジ前へ戻ると、帳面とにらめっこする時間が始まる。納品された惣菜の在庫をチェックし、売上と突き合わせる作業は地味だけど、大事な仕事だ。
「こちらの準備おわりました、店長さん」
「ああ、はい。ありがとうございます、シルヴィさん」
エプロン姿のシルヴィさんが奥から顔を出して、挨拶してくれた。厨房の支度が済んだらしい。
そこへ、自動ドアが静かに開く。チャイムは鳴らないが、足音がしない分、気配は妙に際立つ。
入ってきたのは、長身痩躯の男だった。
魔族系の種族だろうか。黒い外套に身を包み、胸元には見慣れない細工のペンダント。肩に下げた鞄は古びているが、革の質は上等そうだった。
何より目を引くのはその眼差しで、じっとこちらを見つめてくる視線には、探るような鋭さがある。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」
俺が声をかけても、返事はない。ただ目を細め、軽く頷いたように見えた。
そのまま店内に歩み入り、ぐるりと視線を巡らせる。品物にはあまり興味がないのか、一つひとつをじっと見つめるというよりは、棚の配置、動線、全体の空気感を確かめているようだった。
惣菜コーナーの前で立ち止まって、陳列棚の仕切りを指先でなぞり、温度の違いでも感じ取っているのか、眉をわずかに動かす。
それからドリンク棚へ。
手には何も取らず、ポップや商品見ながら、また小さく何かを呟いていた。
内容までは聞き取れなかったけど、様子からして、何かしらの観察――あるいは記録でもしているような気配だった。
やがてレジのほうへ戻ってきた彼は、俺のほうをじっと見た。
目が合った瞬間、俺は少しだけ背筋を正した。何か妙な空気をまとっていた。
それでも、やるべきことは変わらない。帳面を確認しながら在庫のチェックを続ける。
しばらく俺の手元を凝視していた男が、ふいにぽつりと呟いた。
「帳面……無駄がない。記録の整合性がとれている。明らかに、基礎の理がある」
ちょっと何を言っているのか、分からない。
「何かお探しですか?」
そう尋ねると、男は首を横に振った。
「いや。ただ、見学している」
「見学……ですか」
「この店の管理体系と運営方法、それに……あなたの存在に興味がある」
明確すぎる興味対象に、少し面食らう。
「この規模でありながら、統率された棚。流通の効率化。あらゆる業務の最適化。……並大抵の知識と手腕ではできまい」
しばらくして、男は冷茶の缶と、小袋に入った焼き菓子を手に取ってレジにやってきた。
「これをいただこう。あの席を、使っても?」
「はい。どうぞご自由にお使いください」
男は丁寧に会計を済ませると、イートインスペースへ移動し、缶の蓋を静かに開けた。
そこからの観察も、止まることはなかった。
冷茶の蓋を開け、香りを確かめるように目を閉じる。ひと口飲んでから、焼き菓子をかじる。
そのたびに、何かを評価するように小声で語っていた。
「……香ばしさと、砂糖の焦がし加減が……計算されている」
「この茶の冷却技術……ただの氷水ではない、違う……」
「消費の快適性、椅子の高さ……すべてが、整っている……」
いや、それほどのことはしてないつもりなんだが。
というか椅子の高さは規格品だと思う。
隣の席にいたリリルルさんが、焼き菓子を頬張りながらイートインスペースから俺の方へ飛んできた。
「ねぇ、店長さん。あの人、さっきからずっと変なこと言ってない?」
「……言ってますね。観察中なんだそうです」
「観察? 誰の?」
「俺、らしいです」
「……へぇ」
リリルルさんは納得したのか、してないのか、曖昧に首を傾げた。
「うーん、黙ってる分には迷惑ってほどでものないかなぁ」
「まあそうですね。商品は買ってくれてましたし」
それからしばらくして、男がもう一度レジに来た。
「少しだけ、質問を」
「はい。なんでしょうか?」
「……あなたは、本当に、店長なのか?」
正面から聞かれるとは思わなかった。けれど、俺の答えは決まっている。
「ええ。ただの店長です」
男は一瞬だけ眉をひそめ、それから静かに目を細めて、頷いた。
──しかしその場を離れようとはせず、男はさらに言葉を重ねてきた。
「世界のどこを見渡しても、これほどまでに整然とした店を、たった一人の手で回している者などいない。品物の配置、客の導線、帳面の管理、接客の言葉遣い、すべてが訓練されている……異様なほどに、だ」
思いのほか熱が入っているようで、男の口調には妙な抑揚があった。
「つまりこれは……無意識下において積み重ねられた“技術”の発露だ。しかもそれが、日常として自然ににじみ出ている。まるで……息をするように、だ」
ここまで熱血に語るのは逆にすごい。
「恐縮ですけど、本当に普通にやってるだけですよ」
「いや、それが異常なのだ。意識せずとも完遂できるということこそ、最も恐るべき熟練だ。まるで、長い時間をかけて鍛え上げた剣士が、もう刀を振るわずとも相手の動きを止めてしまうような……そんな類の話だ」
「剣士ってわけでもありませんけどね」
男はさらに熱を入れて顔を近づけてくる。
「この空間自体が、あなたの意志のもとに保たれているとすら感じる。……それでも、あなたは自らを“ただの店長”だと言うのか」
「ええ。肩書きとしては、そうですから」
返答に、一瞬、男の目が細くなった。沈黙が訪れる。
やがて──ふっと、男は肩の力を抜いたようだった。
「……なるほど。たしかに、そうかもしれない。ここまで整った組織と運営を、一人の人間が担うということ。これは、実に稀有な能力……いや、信念の賜物か」
その声には、どこか満足げな響きがあった。
最後まで勝手に納得したまま、男は一礼し、何も言わずに帰っていった。
ドアが閉まり、外の光が揺れる。
レジ横のカップに、いつものようにコーヒーを淹れた。
ゆっくりと湯を注ぎ、香りが鼻先をくすぐる頃――
「……あれで満足してくれたなら、よかったけどな」
空には今日も、太陽と月。
スーパーまるかみ、今日も店長頑張ってます。
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