第39話「スーパーまるかみ、今日は静かです」
朝の風は、少しだけ冷たかった。
とはいえ、冬の名残というには心もとなく、むしろ春が本気を出す手前の息継ぎ、といったところだ。
店の中では、カップから立ち上る湯気がレジ横をゆっくりとくるむ。
帳面を手に、仕入れ分のチェックを終えたところで、ふと一息ついた。
「今日は……静かそうだな」
特売もない。新商品もなし。
目玉のない営業日というのは、案外まったりと時間が流れていく。
最初の客は、ラッカさんだった。
ドアの開く音とともに入ってきた彼は、目で店内をひととおり見渡すと、
迷いのない足取りで惣菜コーナーからパンをひとつ、続いて飲料棚から牛乳をひとつ。
無言のままレジへ向かい、商品を差し出してくる。
「おはようございます、ラッカさん。袋はご利用ですか?」
「いや、大丈夫だ」
袋を断ると、代金を置いていき、会計が終わると軽くあごを引いて出口へ向かう。
言葉は少ないが、いつも通りの流れ。それが返って心地よく感じられた。
それからしばらくして、ミリエラさんが来店した。
手には、青い布で包まれた本が一冊。いつものように静かに入ってきて、こちらに軽く会釈を送ってくる。
「こんにちは、店長さん」
「いらっしゃいませ、ミリエラさん」
「今日は少し時間が空いたので……よろしければ、ここでゆっくりさせていただこうと思って」
「イートインスペースですか? ええ、もちろんです。ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます。では、何か軽めのものを……あ、これをお願いします」
ミリエラさんがそう言って選んだのは、温かい中華まんだった。紙袋に包まれたふかふかの一品。
俺が蒸し器から出して、会計を済ませてからミリエラさんへ手渡す。
「こちらになります。どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
ミリエラさんはイートインスペースの窓際に腰かけ、中華まんを少し頬張ってから、そっと本のページを開いた。
静かにページをめくる音と、中華まんから立ち上る湯気だけが、空間にふわりと漂う。
その次に来店したのはガンドルフさんだった。
どこか肩を回すような動きで入ってきた彼は、惣菜棚をちらりと見て、ずん、とまっすぐレジへ。
「おう、なんか今日は静かだな」
「そうですね。落ち着いた一日です」
「いいじゃねぇか。喧噪がねぇ分、味もよくわかるってもんだ」
彼が選んだのは、甘辛い味付けの惣菜とパンをひとつずつ。
会計を済ませると、「ちょっとだけ休ませてもらうぜ」と言い残し、空いていたテーブル席にどっかりと腰を下ろした。
その後もぽつぽつと客は来る。
どの人も、必要なものだけを手に取って、必要なだけの会話を交わして、去っていく。
賑わいはない。けれど、足音も気配も、すべてがゆるやかで、やさしい。
まるかみが街の生活にすっと溶け込んでいるような、そんな日だった。
「店長さん、今日はなんだか……静かですね?」
掃除を終えたシルヴィさんが、ぽつりとつぶやいた。
「まあ、たしかに。にぎやかな日と比べると、そう感じるかもしれませんね」
「暇というほどじゃないんですけど、なんというか……落ち着いてて」
彼女がレジ横からイートインスペースのほうに目をやる。
本をめくるミリエラさん、惣菜を片手にのんびり過ごすガンドルフさん。
その隣の席では、また別のお客さんが、あたたかい飲み物を片手にぼんやりしている。
「……でも、いいですね。こういう日も」
「ええ。忙しい日も必要ですが、静かな日にも意味はあると思っています」
誰かが静かに過ごしている場所を、ただ保っておく。
それもまた、まるかみの仕事のひとつかもしれない。
閉店作業を終えて、一息。
いつものようにレジ横の椅子に腰を下ろし、コーヒーの香りを一杯分、深く吸い込む。
「……いい日だったな」
言葉にすることで、ふっと肩の力が抜けた気がした。
空には今日も、太陽と月。
スーパーまるかみ、静かな日も、ちゃんと営業中です。
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