第37話「スーパーまるかみ、メモが落ちてました」
レジ横で伝票の確認をしていたところ、足元に何かが落ちているのに気づいた。
裏返しになったまま床に張りついていた小さな紙を拾い上げる。ざらついた手触りのメモ用紙。表には鉛筆で走り書きされた文字が並んでいた。
「……だいこん、たまご、ふりかけ、牛乳……」
誰かの買い物リストらしい。だがこの文字に見覚えはない。常連たちの誰かとも思えず、差出人不明のままではあるけれど、とりあえず小さな掲示板の隅に画鋲で留めておいた。
「落とし物」の札を横に添えて。
朝の時間帯は比較的ゆっくりと進んでいた。
特売もなく、新商品の案内もない日。こういう静かな日の方が、意外と何か起きたりする。そう思っていた矢先だった。
「おはようございます、店長さん」
自動ドアの音とともに入ってきたのは、青葉の塔に住む発明好きのミリエラさん。手には小さな手帳を抱え、魔導カートを押しながら軽く会釈する。
「いらっしゃいませ、ミリエラさん」
「今日、何か買うつもりだったのですが……肝心なことを思い出せないまま来てしまいました。歳でしょうか?」
「お若いと思いますが……。何かヒントになりそうなものがあれば」
ミリエラさんは掲示板のメモに目を留めた。ふと眉を動かして、思い出したように指をさす。
「あ、そうそう、そうでした。たまご、買わなきゃいけなかったんです。助かりました」
「ミリエラさんの落とし物ではないんですね?」
「いいえ。ですが、助かりました。偶然でしょうがありがたいですね……」
そう言って、掲示板をじっと眺めながら棚の方へ向かっていった。
昼近くになって、ラッカさんが店に姿を見せる。
「……ん。牛乳と……ふりかけか」
商品を手に取り、無言のままレジにやって来た。
「いらっしゃいませ。袋はご利用ですか?」
「頼む。……で、これ、何なんだ?」
掲示板に貼られた紙を顎で示す。
「落とし物のようです。朝見つけたので、掲示しておきました」
「……中身がほとんど、俺の買い物と一致してんだが」
「確かにそうですね。偶然かもしれませんが……」
「……こえぇな」
ラッカさんは半笑いで袋を受け取り、ひとことだけ「ま、助かったが」と呟いて店を後にした。
午後。客足が少しずつ増えてくる時間帯。
その中で、何人かの客があのメモを見ては立ち止まり、そしてまた同じような品を手にしていった。
「助かりました、メモがなかったら忘れてました」と言って頭を下げていった中年の女性。
「……え? これ、俺が書いたのかと思った」とつぶやいた旅人風の青年。
みな、それぞれの生活の中で、このメモが何かしらの“きっかけ”になっていたようだった。
「店長さん、掃除終わりました」
イートインスペースの掃除を終えたシルヴィさんがレジ前にやってきた。制服姿で、まとめたカゴを手に持ちつつ商品棚をひと通り眺めてから、掲示板の前で立ち止まった。
「……結局このメモ、どなたのだったんでしょう?」
「さぁ? 今朝からあるものですからね。どなたのか分からないので、念のため貼ってはいましたが」
「すごく、普通の買い物ですね。だけど……どこか懐かしいです」
「何か思い出したんですか?」
「母がよくこういう紙を冷蔵庫に貼ってました。『忘れないように』って」
「今も何かにメモされることは?」
「頭の中に……入れたつもりが、出ていくばかりです」
シルヴィさんが肩を竦めるように笑った。
「でも不思議です。この紙、誰のでもないのに、いろんな人の役に立ってる」
「必要としていた人に届いた、ということでしょうか」
「あるいは……この紙が、皆さんの今日の“買うべきもの”を教えてくれてたのかもしれませんね」
掲示板の紙を見上げながら、シルヴィさんがぽつりと呟いた。
俺も視線を向けて、少しだけ頷いた。
「それもまた、ありがたい話ですね」
夕方になっても、結局この紙の持ち主は現れなかった。
でも、なんとなく誰のでもよかったような気もする。
閉店後。
帳面をまとめ、湯を沸かす。レジ横の小さな机で、カップにコーヒーを注いだ。
蒸気がふわりと立ち上がり、掲示の紙がわずかに揺れる。
そこには、鉛筆で薄く書かれた、シンプルな文字列。
だいこん
たまご
ふりかけ
牛乳
今日のまるかみは、誰かの忘れ物で、誰かの生活をほんの少しだけ支えた。
空には今日も、太陽と月。
スーパーまるかみ、メモが落ちて、少し優しくなった一日です。
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