第26話「スーパーまるかみ、香りから始まる出会い」
昼過ぎのまるかみは、いつものように穏やかな空気に包まれていた。
レジ横で伝票をまとめていた俺は、湯を注いだばかりのマグカップを手にしていた。
今日の中身はインスタントコーヒー。手軽に飲めて、作業の合間にちょうどいい。
ふっと香りが立ちのぼる。鼻に抜ける苦味が、脳の奥をしゃんとさせる感じが心地よい。
そのとき、自動ドアが静かに開いた。
入ってきたのは、濃い色の上着を羽織った青年だった。
肩に革の鞄を提げて、足元には土埃がうっすらとついている。腰には巻物のようなものが差してあり、見たところ紙類らしい。
旅の人か、それとも何かの使いで動いているのか。
店の中を丁寧に見回すその様子には、日常的に書き物を扱っている者特有の落ち着きと、わずかな慎重さがあった。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ご自由にご覧ください」
俺が声をかけると、彼はぴしりと姿勢を正して返した。
「失礼いたします。私はヨシュア・フィンレイ。地方監察局に属してまして、巡回業務を担っております。……本日は近隣の村を周っている際に、こちらの店をお見かけしまして」
「それはご苦労さまです。ようこそ。お気軽にどうぞ」
挨拶のあとは、少し気が抜けたように息を吐いて、ヨシュアさんはまた棚へ視線を戻した。
しばらく商品を眺めていた彼が、レジ近くに来たとき、ふと足を止めた。
俺のマグカップを見つけたようだった。
「その香り……どこか引っかかると申しますか、不思議に感じます。これは、何の……?」
「コーヒーです。温かい飲み物ですよ。よかったら試されますか?」
「よろしいのですか?」
彼はわずかに目を見開いてから、控えめにうなずいた。
俺は紙コップを取り出し、給湯ポットから湯を注ぐ。
湯気の立つ黒い液体を手渡すと、ヨシュアさんは両手で受け取って、そっと鼻先に近づけた。
「……なんという良い香りだ」
香りだけでしばらく止まり、やがて一口、そっと含む。
無言の時間が流れる。味を飲み込んでからも、少しだけ目を閉じたまま動かなかった。
「苦味が強いのに、嫌な感じがまったくしない……これは、どのような……」
「作り方は簡単です。お湯にこの粉を溶かすだけ。元々は豆ですが、それを加工して粉状にした手軽にしたものですね」
俺はレジ脇の棚を指さした。
「こちらに置いてあるのが商品です。袋の中に粉が個別に入っていまして、一つで一杯分。保存も効きますし、外出にも向いています」
ヨシュアさんは一歩近づいて、その箱をじっと見つめた。
「……申し訳ない、この文字は、読めなくて」
「ああ、すみません。説明は口でいたしますね。甘みがついたもの、ミルク入りのものもあります。いくつか種類がございますが、いまお渡ししたのが基本の甘さが無いタイプです」
「なるほど……」
ヨシュアさんは箱をそっと撫でるように指先でなぞってから、紙コップをもう一度口に運んだ。
「……頭がすっきりしますね。これは、深夜の帳簿に向き合うときに役立ちそうです」
呟いた言葉には実感がこもっていた。どうやら相当に気に入ったらしい。
「こちらを……自分用に三つ、そして、仲間にも勧めてみたくて、三つ。合計六つ、お願いできますか?」
「かしこまりました」
俺が伝票に数字を書き入れている間に、シルヴィさんが袋を用意し、丁寧に詰めていく。
「これは……きっと言葉ではうまく説明できませんが、香りならば、伝えられる気がします」
「ええ、きっと伝わりますよ。香りの記憶は、人を動かすこともありますから」
ヨシュアさんは、少しだけ笑った。仕事柄、笑顔はあまり出さないタイプのようだったが、その一瞬は確かに柔らかかった。
「このような品が、日常にあるということが……素晴らしく思えます」
「いつでも、立ち寄ってください。新しい香りも、きっとまた見つかります」
コーヒーの箱が入った袋を受け取って、ヨシュアさんは深く一礼した。
「貴重な体験をありがとうございました。……では、また」
その背筋はまっすぐで、足音は静かだった。だが、帰り際の歩みには、ほんの少しだけ軽さがあったように思う。
見送った後、俺は再びコーヒーを啜った。
空には今日も、太陽と月。
スーパーまるかみ、香りの一杯が、旅の記憶に残っていきます。
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