第19話「スーパーまるかみ、扉の向こうの迷いごと」
午後の店内は、少し肌寒い静けさに包まれていた。
風が強い日で、外の砂が時折シャッターにカラカラと当たる音がする。来客の足も、今日は控えめだ。
俺はレジ横のカウンターに腰かけ、仕入れ伝票の整理をしていた。
昨日のノッカさんが大量買いをしたためソーセージが予定より早く売り切れた件と、麦茶フィーバーに陰りが見えたのか箱がやや多めに残っている。
備考欄にメモを書きながら、ふと店内を見回す。誰もいない。今日は本当に、静かだな――
ウィーン。
不意に、自動ドアが開く音がして、俺は顔を上げた。
入ってきたのは、小さな女の子だった。
肩までのくしゃくしゃな髪、少し大きめの上着、裾が土で汚れている。靴は片方だけしっかり履いていて、もう一方は紐がほどけて脱げかけていた。
見たところ、七歳くらい。細い体つきで、でも泣きはらした様子はなく、ただ、目だけがきょろきょろと店内をさまよっていた。
俺は伝票をそっと置いて、ゆっくりと声をかけた。
「……こんにちは」
女の子は、驚いたように俺を見て、小さく頭を下げた。
そして、そのまま無言で店内に足を踏み入れる。
どこかを探すように周囲を見回しながら、惣菜コーナーの前で立ち止まった。
視線の先には、ロールパンが並ぶ棚。見覚えがあるのかな?
「もしかして……ここ、前に来たことあるの?」
そう聞いてみると、しばらくして彼女は、かすかな声で言った。
「……おかあさんと、いちどだけ。ここで、パンをたべたの」
なるほど、と心の中にすとんと腑に落ちた。
きっと、近くの村の子なんだろう。一度だけ母親と一緒に来て、その記憶を頼りにここまで来た――迷子の足で。
「それじゃあ、また食べようか。あったかいスープもあるよ。よかったら、いっしょに」
彼女は少しだけ迷ったような顔をして、でもすぐに、こくんとうなずいた。
――レジ横のイートイン席に彼女を座らせて、俺はロールパンと温かい野菜スープをトレイにのせて持っていった。
両手を合わせて、小さな声で「いただきます」。
パンを両手で包み込むようにして一口。スープをすすると、ふうっと肩がゆるんだ。
心配でいっぱいだったはずの顔に、ようやく少しだけ色が戻る。
「スープ、あったかい」
「でしょ。冷えた身体に効くんだ」
そう言うと、彼女はちらっと俺の顔を見て、すぐ目を逸らした。
でも、その目にはさっきまでの強張りはなく、どこか素直なまなざしがあった。
「おみせのひと?」
「そうだよ。店長ってやつ。ここで毎日レジ打って、コロッケ揚げて、商品を棚に並べてる」
「……すごい」
「いや、全然すごくないって。むしろ、ひとりでここまで来た君の方がよっぽどすごいよ」
そう言うと、彼女は「……えへへ」と小さく笑った。
「名前はなんていうの?」
「……ニナ」
「そっか、ニナちゃんか。いい名前だ」
パンを食べ終え、スープもほとんど飲み干したニナは、椅子の上でぺたんと座って、少し照れたようにうつむいていた。
「おかあさんと、はぐれちゃって。ちょっとまえ、いっしょにおさんぽしてて……。でも、あのときここに来たの、思い出して。だから、ここに来れば……って」
「うん。よく思い出したね。えらかったよ」
その時、店の外から風の音にまじって、何かの足音が聞こえてきた。
次の瞬間、自動ドアが音をたてて開いた。
「ニナ――っ!」
駆け込んできたのは、若い女性だった。
髪も服も少し乱れていたが、顔はまぎれもなく、ニナちゃんと同じだった。
「ママっ!」
ニナちゃんが椅子を飛び降りて、母親の元へ走る。
そのまま、お母さんの腕の中にすっぽりと収まった。
「よかった……よかった、ほんとに……!」
「うん……ここ、きたことあるから、だいじょうぶだったよ」
涙ぐみながらも誇らしげに言うニナちゃんの言葉に、お母さんが、もう一度ぎゅっと抱きしめる。
「本当に、ありがとうございました……!」
何度も頭を下げるお母さんに、俺は「無事で何よりです」とだけ答えた。
そのまま帰ろうとしたニナちゃんが、ふと足を止めて振り返る。
「……またきても、いい?」
「もちろん。お腹がすいたとき、ちょっと休みたいとき、いつでもおいで」
ニナちゃんはこくんと頷いて、小さく手を振ってから、お母さんと手をつないで帰っていった。
イートインスペースに置きっぱなしになっていた、まだぬくもりの残るスープ皿を片付けながら、俺はひとつ息を吐いた。
店って、ただ商品を売る場所じゃないんだよな――こういう日があると、思い出す。
空には相変わらず、太陽と月が仲良く同居。
スーパーまるかみ、異世界の小さな足取りにも、あたたかな扉を開いています。
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