第3話 藍染めの、ささやかな祈り
僕は白銀先輩のエプロンがさらに精巧で、美しい青色の模様が刺繍されていることに気づいた。そして——エプロンには染料の跡形もなかった。このことが彼女の「工芸技術」に対して少しの疑問を感じさせた。
「あ、そうだ!」千紗が突然何かを思い出したかのように手を叩いた。「今日は柊原さんに藍染の『不思議な魔法』をお見せします!」
「不思議…魔法?」
「はい!」彼女は興奮して頷いた。「藍染の一番不思議なところは――藍甕の中では布が黄緑色なのに、空気に触れると徐々に青色に変わることです!」
彼女の輝く目を見て、僕は本当の愛情が何かを理解した気がした。彼女が先ほど言ったのは実際には単純な酸化反応だが…この時はあまり突っ込まない方がいいかもしれない。
「まず、柊原さんに試してもらいましょうか?」白銀先輩がどこからともなく白いハンカチを取り出し、僕に手渡した。
「え?でも、まだできません…」
「大丈夫です、」彼女は微笑んだ。「千紗が指導してくれます。」
千紗はすぐに飛び寄ってきた。「教えますよ!まず、ハンカチを折りたたんで…そうです、こう!それからこの小さな木製クリップで固定します…」
彼女の指導の下、僕は人生で初めての藍染体験を始めた。正直言って、これは実験室で実験をするのとは全く違った感覚だった。手順は同じく正確さを要したが、言葉では表現しきれない楽しさがあった。
「できました!次は染液に入れます…」千紗が言いながら、突然動作を止めた。 「あ!一番大事なことを言い忘れました!」
「何ですか?」
「染缸にハンカチを入れる前に、願い事をすることです!」
「願…い?」
「はい!」彼女は真剣な表情で言った。「これは祖母から伝わる習慣です。真心を込めて染めた青色だけが人の心を動かすことができると言われています。」
僕は白銀先輩を見た。彼女は依然として優雅な笑みを浮かべており、この話を聞いても慣れているようだった。
「それで…何を願えばいいんですか?」
「それは…」千紗は頭を傾げて考えた。「例えば、『工芸部で楽しい時間を過ごせますように』とか、どうでしょう?」
「待って、まだ入部を決めてないのに…」
「早く願いを込めて染めてね!」彼女は巧みに話題を変えた。
彼女の期待に満ちた視線を見て、僕は仕方なく目を閉じ、心の中で呟いた。そして、彼女の指導のもと、慎重にハンカチを染缸に入れた。
「見て!やっぱり黄緑色だよね?」千紗が興奮気味に言った。
確かに、染液に浸かったハンカチは不気味な黄緑色を呈していた。その時、僕は思わず口を開いた。「実はこれは染料が還元状態にあるから…」
「シーッ——」白銀先輩が優雅に指一本を立てた。「時には、秘密を保つ方がいいこともあるのよ。」
その時、白銀先輩の言葉の意味が少しだけ分かった気がした。確かに、この藍染めの美しさは科学だけでは説明できない。長い年月をかけて受け継がれてきた人々の思いも、確かにそこにあるのだから。
「よし!取り出していいよ!」千紗の声が僕の思考を断ち切った。
※
藍甕:
藍甕は、藍染を行う際に使用される陶器や木製の容器で、藍染料を溶液として保持するためのものです。藍甕の中では、発酵や還元のプロセスが進み、染料液が染色に適した状態になります。染液の管理にはpH値や温度が重要で、熟練した職人の知識と技術が求められます。藍甕の中で布を浸して染め、空気中で酸化させることで美しい藍色が布に定着します。