明日の天気 転校の天候
「なぎさの、バカっ!」
わたしのその悲痛な叫びは、白い防音材にスッキリ吸収されてしまう。
ほんとうきっちりしてて便利だ。
さまざまな用途に利用可能な、いまは忌まわしい壁。
わたしの思いの丈はとても消えていいものじゃないと言うのに。
教育的な映像見たり、発表会のレジュメ映し出して解説したりしているわけじゃあない。
いまのわたしたちはケンカ場として利用している。防音、ゆえに。
わたしと、相手の親友のなぎさ。視聴覚室の真ん中に膝突き合わせた差し向かいでしゃがみ込み、噛み合わないケンカの真っ最中だった。
「二年生の学祭は一年きりなんだよ!?」
「毎年ね?」
わたしの熱い主張。なぎさは冷めた視線を送っている。
わあわあ叫び散らかすに対したなぎさは、いつもの通りだ。
音量設定10対1。
「なぎさ! わた」
「千夏、ともかく座って。見つかりたくないからここなんだろうし」
気づく。
立ち上がっていた。視聴覚室の構造的にある程度の高さからは窓ガラス。外より見えてしまう。
くいくいと袖を引っ張られる。
「む、む」
わたしたちは幼馴染なのに、こんなに、凸凹。
意識は感情的にだけなりたいのに。怒っているときとくにそう思う。
でも、砲撃する自分と次弾をどこかから探す自分。冷静に相手とのテンション差を俯瞰する自分。
頭をフル回転して非を探したり、
かつての記憶を辿ったりする自分。
いつもより喚くほどに、
いつもより冷静になっていく自分が、
死んだ感情でこっちを見てる。
「そんなに、わたしのおもりはいや!?」
「慣れっこ」
「じゃあなんで名乗り出たの? 開催委員なんて!」
高校一年の去年の学祭は、楽しかった。なぎさと回る学祭が今年ももうすぐ、と楽しみで。
「今年もだれもやりそうないからよ」
なぎさはとつとつ言う
「うちのクラスの性格は去年からだいたい把握してる」
「なぎさはそんなクラス思い!? 愛国者? やっぱりわたしと回るの嫌なんじゃ」
わたしの袖をくい、くい、と引っ張って座ることを促してくる冷静ななぎさ。
わたしまた知らない間に、立っていた。
親友の長髪の大人びた印象に意外なクマ髪留めが振動で揺れているのに、こんなときなのに目がいってしまう。
「嫌なら、こんなところで、千夏のおもりしてない。あと愛国関係ない」
なぎさは流し目になりため息を吐く。
「去年は立候補なし。やりたくない子に先生の指名で決定した。覚えてる? かわいそうだったの。その子泣きそうな思いしてやってたの、知っているから」
「それは」
うちの高校の面倒な面。自主性、実行力、チームワークを高めることを目的にしているのか、学園祭の規模もそれにかかる個人の負担も、他の高校より大きい。その中、先生のお膝元に置かれ、大スケールの学祭を取り仕切る運営委員は遊びなどは捨てなければ務まらないことなんて暗黙の了解にあり、通称「生贄委員」。
大半が自主性を持たずに先生の指名でムリに送り込まれるゆえの名称であり、未然になぎさは防ごうと?
とてもいい子。でも、今年は、今年だけは。
なぎさの家庭事情を盗み聞いてしまった、あのときの記憶がシナプスする。
「千夏」
気づけば、わたしはまた立ち上がってしまったらしい。
窓ガラスを見てみる。
最悪だった。
バカが見えた。
男子の中でもうるさいバカ3人は、こっちを見て止まっている。手にはクラブの学祭準備なのかダンボールを仲良くそれぞれ一箱抱えている。
ひとりが変顔してくる。
気づく。
さっきわたしが叫んでいたときの顔真似だと。
なぎさへのとは違う羞恥の濃い血で赤くなる。
ここで平常を保つが大人。
が高校生なる成長期の分水嶺の中でわたしはほんと幼っぽく、泣ける。
視聴覚室の備品に、親友を置き去り、わたしだけ外に飛び出した。
「うっるせ!」
背の嘲笑をかき消す。
肩を怒らせ、下り階段をずしずし踏み抜いていく。
肩を怒らせて帰る。
男の子にからかわれながら。
一階に着くころには、怒りは悲しみに変わっていた。さっきとは打って変わって、がっくり肩を落とす。
トイレに駆け込む。
鏡に映るのは、ケンカ中俯瞰してみていたもうひとりの自分の表情。
冷めて死んだ瞳。
視聴覚室の高くに並び掛けられた音楽の偉人の肖像画はぜんぶ遺影に見えてたし。
「なぎさ」
トイレからでると、去年の生贄の子に捕まる。
興奮気味に話してくる。
「去年も経験したわたしをみんなが名前をあげようと裏で計画していたのは知っていたからあきらめてたけど」
わたしは複雑だった。
彼女は逃れて、親友は飛び込んでいった。
「黒木さんが守ってくれたんだ」
なぎさはいい子。
そうだ。
わたしが悪いんだ。
でも、諦め切れないんだ。
一度も入ったことのないドアをノックする。
「どうぞ」
怖い。
そろりと中を確かめると雑然と呼べるほどだった。
校長室だ。
とんでもないことをしているのはわかっている。それであっても、最後の最後まで希望を捨てるのは、「行き着く」まで、やめられないというわけだから、見れば全財産を一目で数えられるとき、わずか程の勇気の使い道は、格好をつけて、失礼しますなんて大声で。
「見ての通り散らかっているが、その辺に座るといい」
新校長。
今年になってこの私立学校の赴任した二代目だ。まだとんでもなく若く、私立ならではの見事な親子代替わり。
でも、チャンスはあると思っていた。
若く就任仕立てで生徒とうまくやっていこうと柔軟な発想を持っているかもしれない。
追い出さないところを見るとなかなかいい線いってるかもしれない。
それにしても前校長の持ち物だの痕跡が残るものはすべて取り外しているのか? 業者も呼ばずに?
「あの、委員会のことで」
わたしは委員会は実質的に学祭を楽しめなくなる要因になっていることを話した。
「着任したとき朝会で言いましたよね? 前校長の勘違いした校則を直すと」
そう。
彼は前校長の行いを元から疑うので君たちにもゴタゴタと迷惑をかけるかもしれないという旨を着任式で伝えていた。
「着手するのは来年からだ。今年は問題点を洗い出す時間に使う」
「今年じゃないとダメなんです!」
「ふうん?」
思わず、声を荒げてしまったわたしに校長はなんでもなさそうにしている。
いや、若干ニヤリと興味深そうだ。
「では、力尽くでことを成せ。君にはなにができる?」
「え?」
「何かすでに敷かれているレールが気に入らないとき、他力に頼れないとすると、その線路からほかに移るか、線路のチェックポイントを変える力を振るうかのどっちかだろう?」
「チェック、ポイント?」
「私は後者だったよ。だから反乱を起こしてよいものとする」
なに言ってるんだろ。
「不良、だったんですか?」
「ある意味ね。相当に不出来な息子だっただろう」
そういえば、前校長は交代劇の前の最後の朝礼で、
「次に来るものは僕にとって息子であるというよりとても優秀でかつ恐ろしい男だ」
「別に僕の息子だから譲ったわけではない」
「僕がいなくなっても僕の教えは覚えておいてほしい」
とか悲壮感いっぱいの最期だったっけ。
まさか。
「自主性と言いつつ譲られるのは道理に合わない。自主性を出して奪い取る。不正を申告した。脅した末にアイツは涙ながらに承諾したよ」
校長はなんでもないように交代劇の裏側を話し出した。
「キミも知っているだろ? 前校長がズレた愛国心。自主性を重んじる。政府の施作の虜とならないことが自主性を発揮するということであり、ひとりひとりが政府としてそれぞれ施作を持って切磋琢磨していくことこそ日本をより良くする。愛国心だとそう謳っていたよ。くだらない。それを校風に反映させているなど、最悪だ」
「不正を申告って」
「父の不正を流して、失脚させた。脅してね」
黙っていてもおそらく校長になれていたのに? 家族を脅して?
「クレイジーすぎるだろ」
わたしの思わずの呟きにも、まったく取り合わず校長は朗々と話す。
「私はただ手を挙げただけさ。自主性とは、各々が信念を持って取り組むことであり、政府だとか国のためとか枠組みに当てはまるものではない」
自主性をたしかにこの学校は重視していたけれど、なんだかさらに大きな主体性を求めている。
「そもそも人間は政府やら国やらに留まるから進化を成せないのだ。可能性は大いにあるのに」
校長は物悲しそうに話す。
「人間の化学や科学、生き維持の汚さには果てがない。おそらく地球の資源を取り尽くしても、無限に生成できるエネルギーを人工的に作り出し、出生と同時にそのエネルギーに適合できる手術になりを行なって人類のベースを新たにしていくだろう。太陽の膨張による滅びも、熱に耐え得る星を覆うシェルターを開発。なんだかんだ存続していく確信がある」
きゅ、急にスケール大きい。
校長はため息をひとつ付き、かつての前校長のうち捨てられている肖像画に目を向ける。
「父にとっては己こそが政府であり私はそれを継ぐ部品程度だったのだろうがな」
「嫌いだったんですか? お父さんのこと」
尊敬していたさ、とこぼす校長。
「自主性だなんだと謳い、しかし自身こそそれを維持するのに他との汚職という依存から逃れられていなかったことに、がっかりしただけさ」
前校長、立派そうな人に見えたけど。
「私の理事兼新校長としての大胆な施作。このままでは保守派の抵抗に合うだろう。まるで事が進まない可能性は大きい」
彼は自画を壁にかけながら言う。
「ここ学園において私の影響力がまだ小さいからだ。キミ同様ね。そんなものが自主性を持って何か成せるだろうか」
わたしなんてなんの力も実行力も自主性もない。無理だ。
「無理だろう。明日の天気は晴れてほしいとかその程度の祈りに変わるのだ。力なき者の訴えは」
力なきもの。
「正確には、力入れなきものには、いつまでたっても前に進む力は出せない。この一年でかならず私の考えを教師陣に浸透させてみせる。実現力をわからせる。そのための一年だ」
やめていく教師が続出しそう。彼から凄みを感じ取れるのもまた事実。
「キミも力を持つといい。そのために力を入れるといい。キミ自身その組織のトップとなり、不満を正すといい」
そんな時間はない。だってなぎさは来年この学園には。
「いままでの自分から自身を少しずつ動かす。小さな革命を起こし続けろ」
いや、新校長ってこんなアブナイ人だったんだ。
「キミのように校長室にアポもなく乗り込んでくるというのは教育上は正しくない。しかし、私は好みだから助け舟を出そう。どうするのかは、キミ次第だ」
校長はわたしの瞳をじっと見据えてひとことだけ言った。
「生贄委員は最低ひとりさ」
下がりたまえ、とひとこと言われてわたしは力なきまま部屋を出た。
言葉を反芻するたびに力を入れようとする。力なきものじゃ天気を願うだけ。でも、力あるものなら? 天気だって変えられるのか?
わたしは意地汚く前を進む人間になれるのか。
力を入れる。
入れる。
わたしは必死に足を動かす。
メールを打ってどこにいるか聞く。
なぎさはまだ駅で電車を待っている。
明日ではダメだ。
今日だ。
今日直接聞かないとダメなんだ。
「おそい」
「ご、ごめん」
「じゃあなにか食べに行こう、仲直りに」
なぎさは気を利かせているのかさっきのわたしの取り乱しぶりには触れていなかった。
「ごめん、わたし、自分のことしか考えてなかった!」
頭を下げる。
「学祭のこと?」
「うん、だってなぎさとは、今年が最後だって」
言えた。罪悪感と、贖罪の解放の最中に、言えなかった気持ちが滑りこんできて言えなかったことが言えた。
「なんで今年にこだわるの?」
なぎさはとぼけているのだろうか? わたしにショックを与えないように? でももう遅い。
「職員室通ったとき、担任と話しているの聞こえて、両親が引っ越すからって」
「ワタシは残るわよ?」
「え、うそ」
「ああ、それで」
「わ、わたし、だから今年は最高の学祭にしようって、回ってたくさん楽しもうって」
「最近いっしょにご飯行ってなかったから怒っているのかと」
「そんなメンヘラ彼女じゃないもん!」
涙で視界が歪む。
「ワタシがあなたを残して転校すると思った?」
なにを暴走していたんだか、と頭を撫でられる。涙が別の涙に変わっていく。
「こんな子を放ってどこに行くって?」
でも、なぎさは両親について行きたかったんじゃない? 未熟なわたしが妨げとなったんじゃ。
「お、重荷でごめん」
「千夏、たぶんまた勘違いしてる」
「いっしょにいて救われていたのはワタシの方」
その後、カフェに入ったわたしはなぎさと各々の好みを注文する。
「覚えてる?」
切り出してきたのはなぎさだ。
「この髪留め」
「え?」
それは幼稚園を卒業の頃、たぶん離れ離れになるだろうからとプレゼントしたクマの髪留めだ。ずっとつけてくれている。
「あなたは、外で遊ぶときもウチでもどんなところにもどんどん入り込んでいって。いろんな景色を見せてくれたよね。小さかったワタシはいつもあなたの後ろに隠れてて、勇気なくて。
そんなワタシをたぶん守ろうとして、このクマのストラップをお守り代わりにプレゼントしてくれたってたしかそんな風だったけど」
覚えていない。そんな理由だったっけ?
「ワタシはそれから勇気を持てるようになった。なにか踏み出したいとき、でも勇気が出ないとき、踏み出せないとき、クマのストラップを手で撫でるの。そうするとあのときもらったものがからだを包む。勇気をありがとね、なぎさ。
いろいろなところをクマみたいに敵なしに歩き回って、いろいろするけど、いい結果をいつも上げる千夏に憧れて、ワタシも積極的のなろうと決めて、いまのワタシがいるんだよ」
「人は積極的になにかを求めなければ、名前すら覚えてはもらえない。あなたのクマでワタシの名前そのものをいろんな人は認識した。千夏はワタシの第二の人生の親のようなものなの」
「そんな千夏は劣等感を覚えずに堂々とワタシの前にいてほしい。クマみたいに」
ク、クマ。
「残るってのもクマのおかげかもね? 積極性がないんだったら流されてついていったかも」
あのときのクマは未来でわたしを守ってくれた。あのころのわたしが乗り移ったクマはわたしに問いかける。あのころのほうがわたしはイキイキしていたよ?
そうだ、思い出した。クマを渡したのは、卒園の直前の劇で森のクマさんをしたからで、そのときの配役でわたしは食べられそうになるお嬢さん。大声で手をあげて主役を勝ち取ったんだ。
食べられるんならなぎさがいいなと事前に約束していたクマさんに、しかしなぎさは動けずにいたんだ。手を挙げられなかった。クマは違う人に。なぎさは涙ながらに勇気がなかったって謝ってきて、わたしは別にもう済んだことだしって思ったけれど、あんまりに謝るから、じゃあ今日からクマさん役ねいっしょにいようねってプレゼントしたんだ。
お荷物だと思っていたのに、なぎさにわたしは必要ないと、思っていたのに。
「なぎさ、わたしも委員やるよ」
「ん?」
「委員は最低ひとりさ」
こんどはわたしが手を挙げる番だ
「ずいぶんニヒルな言い方ね? だれかのマネ?」
いつまでもいられると思ってた。でも有限であると、当たり前のことを知った。
ならこの一瞬をしっかりとなぎさとイキイキ過ごしていこう。クマみたいに。クマ二匹だ。
「でも、そうね、千夏となら普段の1、5倍くらい力を出せるから。歴代最高の働き方で、学祭回る時間も作れそう」
「愛のクマパワー!?」
「ううん、危機感」
「あ、あとお礼ね、言ってたよあとで本人からもされるだろうけど」
「お礼?」
「うん、黒川さんが守ってくれたって」
「千夏の真似しただけ」
「あとさっき校長室にも、乗り込んでみた」
「さすが」
すでに日が暮れ始めていたことが、カフェの窓から見えた。けれど、明日の天気を疑う必要はもうない。
わたしはデザートのあとのコーヒーを見つめながらひとこと言ってみる。
「大事なのは、意地汚く泥臭くも前に進むこと」
「?」
「人間がいつまでも存続していくように」
「スケール大きわね」
最後に突き動かすのはテクノロジーでも革命でも愛の力だと信じたい。
きっといろいろなものを見ていくのだろう。
これからもぶつかり合うことは、あるだろう。でも、この生きてきて、いちばん甘く安心感に包まれた愛のアイスは、忘れないだろうから。永遠の原動力だ。
後日、校長が無理に生贄委員の枠をわたしぶん開けてくれたのは、小さな改革のひとつだったらしい。ここだけの話だ。