断罪と老婆、そして名前
気づくと朝になっていた。
祠の入り口から差し込む光は眩しく、晴れたことを窺い知ることが出来た。
まだお酒の影響でもあるのか、頭が痛かった。
そんな中、雪を踏みしめ近づいてくる何者かの足音をボクの耳は捉えた。
ここで出くわしたらマズイと、逃げるか隠れるかの判断に迷った末、逃げようとした。
…が、数歩遅かったようで、けばけばしい仮面を被ったひょろ長い人物に祠の入り口で出くわしてしまった。
仮面の人物は祠の中の様子を見て、それからボクのことを見た。
ボクはすかさず、謝罪の意味を込めて地面に伏せて頭の上に前足をおいた。
しかし、どうも許されなかったようで、手にした杖でボクの頭を一撃した。
神は許しても人は許さない、人誅は下された。
二日酔い状態の頭に痛恨の一撃を食らい、そのまま意識を手放した。
…
……
………
気がつくと、石材で作られた部屋の中、火が燃えているのが目に入った。
辺りを見回すと天井は何かの植物の束で出来ているのが見て取れた。もちろん知らない天井だった。
火は、石材で出来た囲いの中で燃え、何かの液体が入った大きな鍋がその上に鎮座していた。
昔話や古民家で見ることのある囲炉裏というのが近いように見えた。様式は随分違っているようだったけれど。
その囲炉裏の前、何かの動物の毛皮が敷かれた上にボクはいた。獣の臭いがする。
そして、揺らめく炎と大鍋の側、ボクの隣に顔色の悪い老婆が座っているのを認めた。
くすんだ赤い色の毛織物を着込んでいるようだった。
「りっかすくぁちゅ、かしゃんき? えんちえんでんきちゅ、りまいた?」
老婆がゆっくりと穏やかに話しかけてきた。
ごめんなさい、理解可能な言語でお願いします。できれば日本語で。
それに、この体では分かっても伝えられない。
伝わらないと思うけれど、もどかしさを込めて「きゅう…」と鳴いた。
「まな、やちゃく、ひなちゅ。 まな、やなぱいた、あてぃくんまんちゅ。」
そう言うと、老婆は片手を自分の額に当て、それから口の中でモゴモゴ呟くと、最後にボクの額に触れた。
『これで通じるかの?』
頭の中に声と言うか、ニュアンスのようなものが広がった。
テレパシーや念話というものなんだろうか?
ボクは肯定の意味を込めて「きゅ!」と鳴いた。
伝わるかどうかは分からないけれど。
すると、老婆はボクの額から手を離して自分の服の中に手を戻した。
『良い、伝わっておるよ。ワシはヴァレトリ・ククルという。おまえさんは?』
ボクは自分の名前を思い出そうとした。そして、ゾッとした。
自分の名前が分からないのだ。
獣としては当たり前の事なのかもしれない、けれど人間だった証になる名前、コレだというものが分からない。
人間だったと思いこんでいるだけで実際ただの獣だったんじゃないか?
思考は人並みにできるけれど記憶力はないのか?
ショックで考えがあらぬ方向に脱線しているのがわかる。
『名前がないのか、はたまた伝えられない訳ありか。しかし呼び方がないと何かと不便じゃろう?』
老婆は、ボクのうろたえぶりを見てこう伝えてきた。
不承不承、不便なことに同意すると、
『そこでじゃ、仮にではあるが呼び方をこちらで考えてもええかの?』
と聞いてきた。
ボクは何だか不利な取引を持ちかけられているんじゃないかという気がした。
しかし、今この場ですぐに名前が伝えられなければそれを打破できない。
もしや、逆にそれが狙いで正しい名前を伝えるほうがマズイのでは…?
分からない中、ボクは……名前を付けてもらうほうを選んだ。
思念を伝えたりする特殊な力の持ち主を相手に逆らうべきではないと直感で思ったからだ。
念を通して、名付けに了承の意思を伝えた。
すると、老婆は我が意を得たりとばかりにニヤリと笑うと、こう伝えてきた。
『ただし、名前を決めるのはワシではない。』
おまえが決めるんちゃうんかーい!!
そしてパンパンと手を叩くと、誰かを呼んだ。
「かむくな、はむいちく!」
そうだった、日本語じゃないんだ。
できれば名前は覚えやすいのがいいなぁ…。