ムーンフィッシュ
満月の光が海に一本の道を落とした夜だった。
その姿を見た者はいない。透き通った体が光と同化して、影だけが月の道に落ちたようだった。いい天気の夜だった。雲一つない晴天の夜で星の瞬きの波長を際限なく捉えられる、星のためにある夜だった。もしくはその魚のためにある夜だった。
気温が良かった。金属の椅子をどれだけ置きっぱなしにしても劣化のしない完璧な気温で、いや、金属だけではなく、あらゆる物体、海水や月や砂、私の肉体までも風化のない完璧な気温だった。星屑の砂浜に足を下ろす度その温かさを、砂の星屑を掬い上げては零れていく刹那のぬくもりを、掬い上げる私のぬるま湯の心が、ふわりゆらゆら……、気温に酔ってしまうほど生命にとって素晴らしい至適気温だった。
肌の産毛を撫でる海風は、どこまでも優しい母のお腹の中のようで、産毛から指先を伝った風は生命の体温を微かに纏って大空に吹き抜けていく。大空には満天の星たちだけではなく、ついに踊り出した私のスッテプに合わせて純白の星屑が、定点した星々の隙間で舞い踊る。笑顔が零れる。美しい温かさをじっと足先で感じている。
ウミガメが泣いている。奇怪なスッテプによって舞った星屑を全身に浴びながら、深く掘られた浜の中で静かに泣いている。命に篝火を宿している。空に反対色の白鳥が甲高い声で鳴いて、人ひとりとウミガメと、月の道の上で白鳥とが、生命の頂で堂々としている。善悪も窮屈もない。自由なスッテプと自由な命と、悠々の鳴き声。祝福された時の一角で生命を謳歌している。
歳月による破滅のない空間ではないだろうか。永遠の命を持って、ひたすら生命の摂理に従って愛を貪って、ウミガメとその卵の横で踊り狂って、羽ばたきの音を聞いたら白鳥が飛んで、そうした奇跡のような事象の一つ一つが、あの魚を呼び起こす欠片となっている。
――実は本当である物語。誰も見たことも聞いたこともないけれど、眼下で起こっていた夢の中の真実である話。酔っ払いのために作られた伝承の物語。
ムーンフィッシュは現に紛れ込んだ伝承の魚である。
その姿を見た者はいない。体は無色透明で体長は数十メートルに及ぶという。雄雌の区別がなく繁殖もしない。食事を必要とせず睡眠も必要としない。世界にたった一匹しか存在しないのだから愛もない、体温もない。死んでしまえば種として絶滅し、透明な体は誰からも発見されない。外敵から身を守るために進化した透明な体は、誰からも認知されない孤高の生き物である。
ムーンフィッシュは臆病な魚でもある。普段は気配すら悟られないために深く潜って生活している。どれくらいの深さまで潜っているのか確かではないが、空の高さよりもずっと深い宇宙の深淵まで潜っていると言われている。光が届かない遥か深淵まで潜り、息を殺して、誰からも見つからないように、ゆらゆら漂うようにして暮らしている。
ムーンフィッシュは百年に一度しか海上に姿を見せることはない。ムーンフィッシュの体内器官を考えれば海上に姿を見せる必要などないはずだが、何故だか百年周期で海上を飛び跳ねるのだ。
ムーンフィッシュは臆病な魚であるから、陽の光が降り注ぐ朝には出現しない。この魚が現れるのはすべての生物が眠りに就く、夜の一番深い時間と決まっている。
ムーンフィッシュは太陽を知らない。百年に一度外の世界に飛び出しても、この魚を迎えるのはいつだって月である。生命の少しばかりの息遣いを平伏した闇が包み、雲一つない晴天のもと、百年で一番満ちた月がこの魚を迎える。
ムーンフィッシュはこの瞬間が来るのを深淵から薄目で待っている。独りぼっちの透明な体を上下にうねり、彷徨いながら、ときには孤独の寂しさに震えながら待っているのだ。そうしてやっとその時が来る。
孤高の寂しさを紛らわすために、百年に一度、世界が世界たる由縁を顕わす日に海上に出現する。コウモリの何千倍も高い周波数で、神様すら聞き取れない大声で鳴くのだ。
今、陸に打ち寄せる波が一つ高くなる。ついに月が満ち、私は踊る。未だ誰も踏んだことのないステップをあの魚に捧ぐために。孤独の化身に寄り添うために。
海のさざめきが生命の呼吸と調和し、窮屈のない世界が悠然と目の前にある。そこに生物種の隔たりはなく、敬愛する生命の王、ただ一匹のために皆は口を閉じ、耳を澄ます。
さあ、今、飛んでしまえ!
お読みいただきありがとうございます。
「ムーンフィッシュ」シリーズの最終話という位置づけにしていますが、どれから読んでもらっても構いません。各話完結です。
表題の通り、このムーンフィッシュで語られることが全てですので、他の「~の魚」で語られることは、ただの酔っ払いのために作られた道化話です。読んでいただかなくてもムーンフィッシュはこの話で完結しています。この「ムーンフィッシュ」という物語だけが真実です。