放浪
今回は短話の連なりです
「……………………」
『高潔、此処に眠る』
ゼルはそう刻まれた氷の墓標の前で膝を付いていた。
あの後ゼルは満足そうに逝った女を見送った。
女が言っていたアビュラ達の宝から青い宝石と雑多な物を取り、一部を除いて謎の陽炎の中へと仕舞いこむと、女を抱えて一路高台に向かった。
道中の川で女の身体を清め、約一日かけてゼルは高台に辿り着いた。
そうして、大きめの穴を掘ると、彼女の亡骸を氷の魔剣で作り出した氷塊で包んで埋めた。
恐らく彼女は、地獄のような日々を過ごした森を見渡すなんて御免だと言うだろう。
それでもゼルは此処を選んだ。選んだ理由があった。
「…………剣の王、武具の王が、紅の眼を以て此処に招聘す」
透き通った氷の墓標が紅く染まる。
それ程に強い光が、彼が伸ばす手の先に発生していた。
「……模倣出来れば、それが良かったんだろうが。…………何処までも親不孝な息子を許してくれ。こればっかりは、やらなきゃならん」
強い光が収縮すると、そこには一本の矢があった。
それは、かの村の地下室で見た特別な矢。
それを、作り出した弓に番える。
「はぁ…………ふぅ……っ!」
力を込めても、弓弦は微塵も動かない。
ゼルはそれにも関わらずに矢を番え続け、目を閉じて深呼吸をすると、再び目を開いた。
瞬間、彼の右半身に紅い線が迸った。
爛々と、炯々と、今までに無いほどに強い光を灯らせる右眼から無数の線が走っている。
「…………」
きりり、と。先程までぴくりともしなかった弓弦が引かれ、弓が撓む。
鏃の先に見据えるのは、地獄であった場所。
生き残りは居た。
狂ったもの。腹が膨れて動けぬもの。手足を捥がれ動けぬもの。皆一様に死を願った。願わずとも、それが救いだったものがいた。
「…………砲撃」
この日、彼らの地獄は永遠に姿を消した。
この日、冒険者統合組合に危険地帯と指定された森は、人知れず更地と化した。
後日、ゼルはとある都市の場末の酒場で酒を呑んでいた。
「…………」
野卑な男達の下世話な喧騒に包まれる中で、ゼルはその手で青色の宝石のようなものを弄びながら、静かに椅子に座っている。
「おにーさんっ」
「?」
そうしていると、ゼルに一人の少女が声を掛けた。あどけなさを残したその面頬からして、歳はゼルとそう変わらないくらいか。
「どうした、給仕」
少女はこの酒場の売り子だった。先程まで幾人かの男達に持て囃されていたのをゼルは見ている。所謂看板娘と言うやつだ。
「そのきれーな宝石、ずっと見ていたいくらい綺麗なのは分かるけど、こんな場所で出さない方がいいよ? ほら、周囲を見てみなよ、何人か見てるよ」
「……そうだな」
男が弄んでいた宝石を強く握り締めながら軽く酒場を見渡すと、確かに此方を伺う者が幾人か存在した。
しかし、とゼルは宝石を外套に仕舞いながら少女に振り返る。
「あら、残念」
少女は男に見られた事で取り繕うように笑みを浮かべたが、残念な事に宝石に向けた欲望に塗れた表情はゼルの視界に確りと映っていた。
「安心しろ、これを奪わせるつもりは無い。他のものならともかくな」
「じゃあ、もし奪われちゃったらどうするの?」
ゼルは少女の呟きと表情を無視して言った。それに対する少女の質問には、笑みを以て答えた。
少女が背中に変な熱を覚え、無意識に後退る程の笑みで。
「あっははは……。それで? 杯が空だけど、おかわりは?」
今度の少女の笑みは、完全に愛嬌ある看板娘というに相応しいものへとなっていた。
「なら酒をもう一杯と、これで幾許かのつまみを頼む」
「っ、はーい!」
尤も、ゼルが出したこの酒場には不釣り合いの銀貨を見て、その笑みは瞬きの内に歪んでしまったが。
その後、酒場の上階に取った部屋に入ったゼルは、室内にも拘わらず剣を作りだし、命を降した。
「侵入者を殺せ」
そうしてゼルは珍しく微睡みの中へと沈んだ。黄金によって解毒されているというのに、酒を呑んでから少しの間に生み出された睡魔をそのまま受け入れたのだ。
「…………」
翌朝、ゼルは久方ぶりに血の臭いの中で目を覚ました。寝台から見下ろせばそこには武装した数人の男と一人の少女が血の海に沈んでおり、それらの真上に血塗れの剣が佇んでいた。
彼らは欲に眩み、翌の朝日という何物にも代え難い宝石を手放したのだ。
ゼルは一つ嘆息すると階下で店主達に事情を説明し、疑いの目を血を纏う金と銀の煌めきで逸らすと早足に街を後にした。
看板娘たる少女の死を悼む者は何人か居たが、遺品を整理している最中に見つかった幾つかの装飾品が原因でその心は去っていったという。
「あんちゃん、おいあんちゃん」
「?」
街を出て暫く。街道に沿ってゼルが歩いていると、多くの馬の蹄と車軸の回る音と共に、後ろから声をかける存在があった。
「あんちゃん良い身体しとるね。どうだい、次の街まで一緒してくれんか。駄賃は弾むよ」
恰幅のいい身体に人の良さそうな笑みを浮かべる商人の提案に、ゼルは暫し黙考した後に快諾した。
「受けておいてなんだが、良かったのか」
「えぇ?」
「護衛なら他にもいるだろう」
男は商人と共に馬車の御者台で揺られながら問うた。
「はは、たしかにそうだが、どうもここいらで盗賊が出回ってるとか、そんな噂があってね。命を守る為なら金は惜しまんで」
商人の言にゼルは成程、と一つ頷いて馬車の上へと居を移した。
商人は軽快に移動したゼルの挙動に目を剥いたが、これは頼もしいとばかりに満足気に鞭をしならせた。
その晩、商隊のもの達とその護衛達で幾つかの焚き火を囲む中、同じく炎を囲んでいたゼルは徐に夜の闇へと目を向けた。
「どうした」
「敵だ」
自分とは違い、行商の初めから護衛を勤めている戦士の問いにゼルは短く答え、腰元の剣に手を掛けた。
「俺が行く」
「待て、行くなら俺達も」
「俺はお前さんらと違って正規の雇用じゃない。来るにしても雇い主の意向を聞いてからにしろ」
「…………分かった。健闘を祈る」
ゼルは戦士の言葉に頷きを返した後に、夜の闇へと姿を消した。
「一人で行ったと言う事は、どうにか出来る自信があるという事だろう」
戦士が助太刀の為に指示を仰ごうとした所、慎重派の商人がそう返した。
「それにあの身体付き、尋常の徒では無いぞ。そこらの賊に敵う筈がない」
体格の良い商人もそう言って待つことを示唆し、他の商人達も二人の言葉に頷いた為に、戦士とその仲間達は近くで起きているだろう戦いの行く末に悶々とする事となった。
「一応見回る範囲を広げてくれんか」
恰幅のいい商人に頼まれ、元よりそのつもりであった戦士達は一も二もなく頷いた。
斯くして、ゼルは戻って来た。
「これを見てくれ」
その手に上等な剣と、上部に千切られた痕のある羊皮紙を持って。
「この人相書きに見覚えは?」
「ある! あるぞ! 首採りグォボスだ!」
首採りグォボス! 火に照らされた人相書きに目を凝らしていた商人と戦士達が一斉に騷めき出した。
「何だ、そいつは」
「あんちゃん知らんのかい? 奴ぁ危険な盗賊だよ。十年近く前から色んな場所に顔を出しては女を攫って男の首を持ってく猟奇人さ」
不安げに声を震わせて恰幅のいい商人が首採りについて大雑把に語った。
「だが、賊が自分の手配書持ってるってのはどうなんだ?」
慎重な性格の商人がそう言い首を傾げた。まさか自分が手配されていた事を酒の肴にでもするのだろうか。
「でもこの剣は上等なもんだ。これを先走りが持つってこたぁどちらにせよ大きいに違いない」
体格の良い商人が慎重な商人の言葉を否定するでも肯定するでもなく、自身の目から出した推測を口にした。
「なら潰すか。俺にはそれが出来るかもしれない。あんたらの助力があればそれは確実になる」
ゼルの不遜とも取れる言葉に商人達は顔を見合わせ、戦士達はゼルの返り血に濡れた身体を見た。
上裸という、一見ふざけているとしか思えないゼルの身体は、夥しい量の血に染っている。
だがその中に、彼自身の血が混ざっていないのは見て取れた。
「先遣はどれだけ居た」
「十二」
隊長格の戦士の問いに商人も戦士も一様に騷めき出す。
「多いな。何人逃がした」
「一人」
騒めきが大きくなる。ゼルに向かう視線は驚愕と猜疑に満ちている。それを跳ね除け、ゼルは問うた。
「どうする。行かねば来るぞ」
「脅すつもりかい」
「そうだとも」
恰幅の良い商人に対する返答はにべもない。
「先駆けは務めよう。ただ付いて来い。それでも躊躇うならば、奴らの宝で貴方達を雇おう」
沈黙する戦士達と商人達に、ゼルは更に言葉を重ねる。
「俺が一人で奴らを殺したとて、宝を運ぶ荷台がない。人手がない。今一度言おう、ただ付いて来い。先駆けは俺が務める」
沈黙の中で、火に焚べた木がぱちりと鳴った。
沈黙の中で、鉄の擦れる音が鳴った。
沈黙の中で、悩みに唸る音が鳴った。
「いいだろう。盗賊は我らの敵だ」
「老公!」
沈黙の中に、決意を含んだ老いた声が落ちた。
「奴らは儂ら商人の敵だ。排除しようと言うのなら。御膳立てしてくれると言うのならやろうじゃないか。それとも何か、一人で行かせるかい? 一度は雇ったモンを」
商人達は、杖を抱いて愉快そうに問うて来る老人の言葉に顔を見合せた。
老獪さを感じさせる老人の声に、戦士達は顔を見合わせ、己の得物に手を掛けた。
「見殺しなど、戦士の恥だ! 我らは冒険者! 人を害する魔を殺すもの! 賊とて例外では無い! 殺しに来るならば殺すまで!」
「「「おうとも!」」」
戦士達が吼えた。
「いやはや、商人は何時も後手になっていかんな」
恰幅の良い商人が苦笑し、それを見た体格の良い商人が立ち上がる。
「我らは要らぬ! 宝は要らぬ! 全ては主らのもんだ! 剣を振るう主らのもんだ!」
「「「「おお!!!」」」」
戦士達が雇い主の気前に沸き立ち、一部が興奮のままに得物を抜いた。
「ならばどうする! 分け前は!」
今にも走り出そうという戦士がゼルに問う。
「業物は戦果者に」
「「「おお!!!」」」
「女を助けりゃ俺達は英雄だ」
「「「「「おうとも!!」」」」」
「そして肝心の宝は俺らのもんだ。次の街で存分に酒を浴びるぞ!」
「「「「「「「おおおお!!!! 往くぞ! 今宵の夢は英雄だ! 奴らの悪夢は俺達だ! 危険を冒して一夜の栄光を! それが我ら冒険者!!」」」」」」」
「ならば行くぞ戦士達! 奴らの塒は向こうにある! 酒宴に昇る奴らの杯に奴らの血を注いでやろう!!」
「「「「「「「「うおおおおおおおおお!!
」」」」」」」」
異様に昂る戦士達の咆哮に天が震える。
彼らの鉄靴に大地が震える。
遠ざかる轟音に、商人達は自分らの護衛が誰一人いない事に笑いながら文句を垂れた。
「良かったのかい? 宝を貰わなくて」
「良いに決まっとろうが、商人が盗賊狩りに雇われてどうする」
慎重な商人の問いに体格の良い商人が豪快に笑って返す。
「それに、良い士気だったろ」
その言葉に残る三人の商人はどっと沸いた。
彼らの心に夜の闇が忍ぶには、戦士らへの信頼が些か厚すぎた。
「それじゃあ、俺はこれで」
翌朝、複数の死傷者と共に近くの街に着いたゼルは、恰幅のいい商人にそう告げた。
「えぇ、ではこれを」
「?」
早足に去ろうとするゼルに、商人は懐から拳大の皮袋を取り出して渡した。
「今回の駄賃と、死んだ彼らのものです」
「…………しかし」
「嫌というなら、少しばかり話しに付き合って貰えますかな。そんなに手間は取らせない」
恰幅のいい商人はゼルを雇った時とは違う丁寧な口調で語り掛けた。
「わかった」
「これからも雇われ続けるつもりはありませんかな」
商人、と聞いて想像されるような回りくどさは一切なく、恰幅のいい商人は最初から本題を口にした。
同業のものや貴族ならともかく、冒険者を初めとした戦士達にはこの方が好かれるのを知っていたから。
「人と長く関わるのは億劫でな。遠慮させてもらう」
「成程。では駄賃代わりに一つ情報を。夜『踊る白鶴』という酒場に行ってみるといい。彼女の舞いは何よりも価値がありますから」
その言葉に、ゼルは顔を顰めた。それを見て商人は苦笑する。昨日、一夜の戦いの後のゼルは酷く不機嫌で、朝まで誰とも話さずに奇麗な宝石を眺めていたのを知っているからだ。
その要因が女関連である事は彼の後に踏み込んだ戦士から聞いているが、詳細までは分からなかった。
「昨日の戦いで何があったのかは知りません。それは貴方にしか分からない事だ。でも、彼女の舞いはその鬱憤を晴らしてくれるには十分かと」
「…………そうか。でも、何故それを教える。何よりも価値があるものをなぜ教えた」
「これの対価ですよ」
ゼルの問いに恰幅のいい商人は小樽をぽんと叩いて笑った。
「長年我らを苦しめた首採りの首には、彼女の舞いでしか払えない」
どちらも私のものではありませんが、と笑う商人にゼルも苦笑を返した。
「では、今度こそ」
「あぁ、出来れば名を」
雑踏へと足を向けたゼルの背に、商人の声が掛かる。
「旅は一期一会。俺は放浪の身だ。それでも次に会うのなら、その時は変な縁が出来たとして名乗ろう」
「そうですか。では、今夜は宿には行かんようにしましょう。縁を無理に作るのは無粋というもの」
互いに笑みを交わし、今度こそゼルの姿は雑踏の中へと消えた。
その日の夜。ここらでちょっとばかし名の知れた商人が、いつもとは違う酒場で上機嫌に変わった戦士の事を語ったという。
そしてその数日後に多くの街に首採りグォボスの訃報が知れ渡り、それに埋もれる形で二人の娼婦の旅立ちが嘆かれた。
首採りとの戦闘シーンは、恐らく描写すれば運営から注意を受けるだろうと判断して省いています