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一人の人間として、女としての最期を

ブックマークありがとうございます。

 穢れたもの共が撒き散らす血潮に身体を染め上げながら、ゼルは穢れた王の元へと馳せ参じた。


「ふむ……、何が起きた?」


 周囲の同胞の殆どが一瞬で命を散らした事に、王は理解が及ばず呆然と呟いた。

 そんな王を睨め付け、ゼルは黄金を構えた。


「その女を離せ」

「……人間は皆同じことを言うな」

「…………」


 己の前に立つ人間を見据え、王は女の顔を持ち上げた。

 女は一切の抵抗を見せず、全身を力無く弛緩させている。

 そんな女の頬をゼルを見ながら舌で舐った王は、表情を変化させずに黄金を構え続けるゼルに、他のものとは毛色が違うらしいと分析した。


「そんなにもこの女が欲しいのか? あぁ、それとも抱き」

「離せと、そう言っている」

「……ふん。愚図共を面妖な魔術で殺したのはお前だろう? その程度で自分が優位に立ったとでも?」


 ゼルは何も答えずに、黄金を構え続ける。

 何故攻め込まない。

 そう思うかもしれないが、遠目に見ても女の状態は酷かった。

 それこそ、衝撃一つで死んでしまいそうな、そんな危うさを孕んでいる。

 故に、ゼルは迂闊に動けなかった。

 だが……、


「離せ、だと? 馬鹿を言うな人間。こいつらには貴様が減らした愚図共を増やさせねばならんのだ。犯して、孕ませねばな」

「………………」


 その言葉には流石に、苛立ちで顔を歪めざるを得なかった。


「それならば、牛や豚が居るだろう。お前らの精は、それらも孕ませられる筈だが?」

「あぁ、そうだな。確かに奴らでも十分だ」


 ゼルは込み上げる怒りを抑えて問うが、その返答は最悪なものだった。


「だが、奴らは啼かんではないか。人間のように、いい声では。それはつまらん、興醒めさせられる。だが人間は違う。よく啼き、叫ぶ。おかげで股座がいきり立ったまま収まらん。特に貴様のような人間の目の前で犯す時など、本当に」

「……黙れ」

「……っ」


 強く、強く堪えて絞り出された怒気と殺気に、暴威を振るうもの(アビュラ)の王は漸くゼルが他の人間とは違う事に気が付いた。気が付かされた。

 それでも王は気圧されて引いた腰を立たせ、尚もゼルを挑発していく。


「クハッ、不快か? そうだろうな。今まで殺して来た雄共も皆怒りの叫びを上げていた。……くくく、それも皆、最後には悲鳴と温情を請い叫ぶようになったがなぁ!」

「黙れぇ!!」

「貴様も直ぐにそうなるさ!」


 話す事に増す殺気への恐怖を誤魔化す為か、終いには強く叫んだ王に、遂にゼルは堪えきれなくなり吶喊した。


「そら、貴様の望んだものだ、くれてやる!」

「っ!」


 向かい来るゼルを殺す為に剣を抜くのに邪魔な荷物と化した女を、ゼルに向かって投げつけ、女諸共刺し殺さんと剣を抜き放つ。

 ゼルはなるべく衝撃を与えないように女を抱き留め、王のすらりとした長身の剣を片手で受けた。


「ぐっ……」


 人間の膂力を大きく超えた剛腕からから繰り出された振り下ろしは、流石に片手で受けるには威力が高く、鍔迫り合う刃は次第にゼルの元へと近付いていく。


「ク、クハハハハ! どうした! 我は貴様の要望に応えたぞ! ならば後は我を殺すだけでは無いのか? なのに……ぐはっ!?」

「黙れ屑野郎」


 言葉を交わす価値すら無いと、ただ罵倒を口にしたゼルは王の腹を蹴撃して距離を取らせた。

 そして、


「ふ……っ!」

「なっ、逃げるなァ!!」


 女を抱えて、暴威を振るうもの(アビュラ)達の寝床だろう家屋群へと走り出した。

 王と戦うにしろ、徹底的に痛めつけるにしろ、その前に女の安全を確保する必要があると判断したのだ。


「無事か?」

「…………」


 返事は無かった。

 だが、呼吸はちゃんとしているし、弱々しくはあるが脈も打っている。

 気絶しているのだろうと判断したゼルは、走りながら器用にも腰の外套を外して女を包んだ。


「この……っ」


 そんなゼルを追い掛けながら、一切気に留められていない事に苛立った王は、近くの仲間の死体に剣を突き刺した。


 そうして、心做しか冷たい印象を与える様になった長身の剣を、王は勢い良く振り抜いた。


 死体から撒き散らされた血飛沫は、そのまま重力に逆らわずに落ち……る事は無く、冷たい空気を纏わせる鋭利な礫となって扇状に飛んで行く。


「なん……っ!?」


 ゼルはその事象に驚愕し、迫り来る血の礫を凌ぐために、近くの小屋へと飛び込んだ。


「……ころ……し……て」

「っ、くそッ!」


 小屋の壁に血の礫が突き刺り、どろりと溶けて血の匂いを漂わす中で、飛び込んだ小屋でゼルが見たものは、力無く横たわり、膨らんだ腹に手を添えた少女の姿。

 大人と少女の境にいるうら若い少女は、ゼルの姿を視界に収めると、介錯して欲しいと懇願した。


「おね……が……ぃ。……も…………ゃ……」

「…………分かった」


 ゼルは応え、少しの躊躇いの後に少女の首を撥ねた。

 そうして幾つかの小屋を巡り、何も居ない小屋を見つけ出したゼルは、外套に包んだ女に藁を被せると小屋の隅に剣を作り置いてから外に出た。


「何処だ人間! 俺に恐れをなしたのか!」

「……んなわけ無いだろ、糞野郎!」


 小屋から離れた所で留まり、周囲を睥睨して叫ぶ王に向け、ゼルは溜まった鬱憤を晴らすかの如く荒い口調で己の居場所を告知した。


「お前は多くを踏み躙った! 女の尊厳を、戦士の誇りを! そんな屑に恐れをなして逃げる? …………巫山戯るなよ、下衆が」

「っ」


 小屋を巡り、死に棄てられた戦士を見た。

 小屋を巡り、母親の負担など考えずに腹を叩き這い出でる不快なモノを見た。

 小屋を巡り、痩せ細って動けない女を、文字通りに貪る悍ましいモノを見た。


 今彼の内に漲る戦意は、魔法使いとの戦いの時にも劣らない……いや、ただ怒りと殺意だけが突き動かす戦意は、自暴自棄の愚か者のそれと比べて遥かに強いものだった。


「お前は、簡単には殺さん」


 言いながら、ゼルは黄金に魔力を込め、形を変えさせる。

 それは傍目から見れば分からぬ変化。

 当然だろう、ただ刃を丸めただけなのだから。


「ク……、クハッ、クハハハハ!! 吼えたなぁ! 人間! 他の奴らと同じで!」

「囀るな、煩わしい屑が」


 強すぎる威圧感を撒き散らすゼルを前に、恐れと畏怖と敗北を知らない王は、冷たい刀身を持つ長剣を手に強く走り出す。

 そうして勢い良く振るった剣は――


「ガッ――!?」


 ――呆気なく避けられ、近くの小屋へと吹き飛ばされた。

 人間離れした膂力を持つのは、何も暴威を振るうもの(アビュラ)の王だけでは無い。


 ゼルもまた、凄まじい膂力を持っていた。

 それこそ、体格の良すぎる大きいヒトガタを剣の一振で突き飛ばせるくらいには。


「ウォア!!」


 崩れてのしかかってくる小屋の瓦礫を力任せに退かした王は、凹んで痛みを与えてくる鎧を脱ぎ捨てると、その場で剣を振り下ろした。

 すると、剣を起点とした前方扇状に霜が降りた。


「氷の魔剣か」

「そうだ! 雌の癖に剣を持っていた女から、これを持つに相応しい我が取り上げてやったものだ。これで貴様は近付け……なっ」


 凍って滑る地面を、ゼルは悠々と歩く。

 彼が履く鉄靴は今、底に棘が存在し、それを刺すように氷を強く踏み砕く事で、彼は滑らずに歩けていた。

 それを知らぬ王は――知っていても変わらないだろうが――その光景に大きく目を剥いた。


「……いぃ!?」


 近付いて来るゼルに焦った王は、今のうちにゼルを殺さねばと思い逸って踏み出し、足を滑らせた。


 魔剣。それは魔術を発現させる為の特殊な文字や印を刻まれた剣。


「相応しい……ね。笑わせる」


 使い手次第では、魔剣を使いこなせずに振り回される事もある。王はその典型例であった。

 扱うものが扱えば、己の足元の氷を避けさせる程度の事は出来るのだから。


「ふっ……!」

「ぐっ……かは――ッ」


 王の元に辿り着いたゼルは、滑ってまともに動けない王を黄金で搗ち上げ、怒りを発散するかの如く王を殴っていく。

 そして――


「ぁ……が……」

「……ふん」


 ――全身から血を出し、王は地に伏せた。


「おい」

「…………こふ…………ぁ……」

「起きろ」

「ぁ、あ? あがぁあアアア!!?」


 呑気に伸びている王の足を踏み付けて、ゼルは気絶寸前の王の意識を戻させる。


「お前にはまだすべき事がある。痛みに叫べ。お前の苦痛に満ちた末声を、彼らの死への餞にしなければならん」

「やべろ……やめ、――はァ、やめでぐれ、…………来るな、化け物め……ァァアアアア!!?!?!!」

「お前はそう言われて……いや、いい」


 激情のままに怒鳴りつけそうになったゼルは、周囲の地獄を見渡して、自明であったと嘆息した。


 炎の中で抱き合い息絶える男女が居た。

 死体を相手に嬌声を上げ続け、狂ったように腰を振りたくる女が居た。

 無惨に広がるアビュラ達の死骸と倒れ伏て痛みに叫ぶ王を見て涙を流し、近くに転がる剣で自分の首を掻っ切る女が居た。


 問わずとも、その光景を見れば答えはあった。


「ウァアアア!!」

「っ……はぁ」


 地獄を見渡すゼルの身に、氷の魔剣が突き刺さる。

 それは突き刺さったゼルの身を次第に凍らせていくが……あるところでぴたと止まり、溶けだした。


「ぁ、……ぁぁ…………」

「満足か?」


 口の端から血を垂らしてはいるものの、痛痒を感じさせない態度で魔剣を引き抜くゼルに、遂に王は戦意を失った。


「化け物め……化け物め、化け物め!! なんなんだ貴様は、何故人間でありながらそんなに強い? それに……なんだ、それは……傷が、治っ……貴様は化け――」


 何度も化け物と連呼する王の首を氷の魔剣で撥ねたゼルは、先程まで剣が刺さっていた場所に手を置いた。

 そこには血のぬめりと肌以外の感触は存在しなかった。


「…………そんな事、誰よりも自覚してる」


 独り言ち、ゼルは心做しか重い足取りで女の元へ向かった。


「ぁぁ……あんた。聞いたよ……奴を殺ってくれたんだね」

「……あぁ」


 女の意識は戻っていた。顔を垂らしながら小屋の四隅に身を預け、視線はゼルの足に近い所を向いてる。

 だが、女の顔には笑みがあった。


「……待ってろ、今回復薬の類いを」

「……いいよ、そんなの。どうせ変わらない」

「っ……」

「それよりさ、一つ……あんたに頼みがあるんだ」


 ゼルの申し出を断り、女はゆったりとその顔を上げた。

 元は美しかっただろう顔は痩せこけていて、笑みこそ浮かんで居るものの、酷く弱弱しかった。


「あたしを抱いちゃあ、くれないかい?」


 そうして、女は一つ。最期の願いを口にした。


「……死ぬぞ」

「わぁってるよ」


 ゼルの警告に、女はその顔に浮かぶ笑みを深くした。その目はゼルから少しずれた虚空を向いている。

 もう殆ど見えないのだ。


「だから抱いて欲しいんだ。化け物に犯されて、孕まされて、産んで。また犯されて。そうやって奴らの女として死ぬんじゃなく、人間(ヒト)に抱かれて……(ヒト)として死にたいんだ」

「………………」

「勿論駄賃は払うさ、こんな汚ったない女をタダで抱いてくれなんて厚かましい事は言わない。奴らの塒に、青い珊瑚がある」

「…………あんたの、瞳の色か」


 ゼルは絞り出すようにそう言った。それ以外に掛ける言葉が一つも出て来なかった。

 女は少し目を見開くと、薄らと笑った。


「そうだよ、あたしの瞳だ。それを、好きにしてくれていい。……どっかの国の伯爵程度にはなれるだろうさ」

「………………」


 ゼルは今度こそ何も言えなかった。

 女の申し出が、意味を成さない物なのは明白だ。

 勝者が戦利品を漁るのは当然の行いなのだから。

 だが、だからこそ、ゼルは何も言えなかった。


「あっは……ありがとう」


 何も言えず、女の傍へと向かった。


「悔いは無いか」

「あるよ。……一杯ある。でも、女として死ねない以上のもんは無いさ。化け物の母として死ぬなんざ、それこそ死んでも御免だねぇ……」

「…………っ」


 そう言う女は強かった。

 少なくとも、ゼルが知る誰よりも強かった。

 旅の間に多くを見た。夢を介して多く(地獄)を見た。

 そうして見てきた誰よりも、女は気高く強かった。


「……ぁ、震えてるね」

「…………何分、初めてでな」

「そうか……そりゃあ……ぁぁ、ありがとう」

「あぁ」


 自分の言い訳に、女が謝罪を呑み込んだのは直ぐに分かった。

 ゼルはその事に何の言及もせずに、彼女を覆う外套を剥いていく。


「……何も全部脱がせるこたぁ無いだろうに。汚いだろう? 汚液と痣と垢ばっかだ」

「………………構わない。それに、あんたは綺麗だ」

「ははっ。……こんな女口説いて何が良いんだい」


 耳元で馬鹿だねぇと呟く女の言葉を無視し、ゼルは女を掻き抱いた。甘い匂いは無く、鼻につくのは血と土と体液の匂いばかり。


「すまないねぇ……、洗えればそうしたいんだが……多分近くの川に行けば、道中で死んじまう」

「………………」

「っ……ぁ。……もっと強く抱いとくれよ。…………ぁぁ、痛いっ、けど……いい痛みだ……。それに……暖かい…………」


 ゼルは言葉も無く女を強く抱き締めた。

 自分の身体が穢れた液体で汚れる事など一切気にせず、強く強く身体を密着させた。


 女は久しく感じなかった人の温もりに包まれ、これ以上無い程の幸福の中にいた。

 このまま化け物に犯されながら朽ちていくだけなのだと。そう悲嘆に暮れる中で現れた一条の光。

 その光は、希望は、ゼルは己を永きに渡って辱めた化け物を殺し、その手で自分を抱き締めてくれた。

 世辞だと言うのは分かっていた、水浴びなんて最後にしたのは何時だったか。最近の食事と言えば化け物共の体液ばかりで、草すら食べる暇が無かった。

 醜いだろう、臭いだろう、女としては最悪の状態だ。


 だと言うのに温もりの戦士は己を美しいと言ってくれた。家宝であった宝石と、己の色を同じだと言ってくれた。


 高望みの願いは一蹴され、結局化け物共の母として人知れず朽ちるのだろうと思っていたのに。

 何の躊躇いもなく承諾し、あまつ口説こうなんて。


 女は最期の最後に訪れた幸運に涙した。

 彼にとっては義務だとしても、強く抱き留め、口説き、無骨な手で肌を撫ぜる。

 女を愛おしむ男の温もりを、彼は全て与えてくれた。自分に女としての最期を与えてくれた。


 女はこれ以上無い不幸の中で、確かに幸福に包まれていた。


「ぁぁ……ありがとう…………」


 そして、最後(最期)の営みが始まった。

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