幕間:娼女達と洞鍛人の御山
「一体何が起こった!?」
山肌をくり抜いて造られた入り口から入って直ぐにある階段を上っている途中で響いた凄まじい歓声に驚いた一行は、走り出したンギルグボルグを追い掛けて洞鍛人の御山の中に足を踏み入れた。
「――――」
「――? ――――」
「モーヅネーナ! 何が起こっとる!」
すっぽりくり抜かれた山の中に走る空中回廊の一つに出たンギルグボルグは、逸る心で近くの洞鍛人に人間の言葉で問い掛ける。
「ん? おやンギルグボルグ、いい時に帰ってきたじゃないか」
彼に話しかけられたモーヅネーナという女洞鍛人は、困惑するどころか平然と人間の言葉で返し、ンギルグボルグの帰還に対しても驚いた様子を見せなかった。
だが、彼の後ろに居る娼女二人を見つけるやいなや、ふくよかな身体を跳ねさせて驚愕を身体で表す。
そして、ンギルグボルグの背に盛大な平手をかます。
「それも人間の女と一緒にだなんてねぇ! それも二人も! 暇さえありゃ槌振ってるあんたが人間を好いてそっちを取るだなんて驚きだよ! それで、どっちがあんたの」
「えぇい、下らん事を言うでないわ! この騒ぎはなんじゃ! 先の地揺れは!? 一体何が起きとる!」
彼女の手を振り解き、逆に肩を掴み詰め寄る。
気迫に圧される事もなく、なんだい違うのかいと落胆を隠さないモーヅネーナは、聞くよりも見た方が早いと告げると山の下を指し示す。
「な……ぁ……!?」
「簡単に言やぁ大工房の炉を灯したのさ。それも火種は古龍の息吹っていう最高の炎でね」
彼女の声を聞いているのかいないのか、ンギルグボルグは山の中心地に設えられた大工房に瞠目して、言葉を失ったまま回廊の柵に引っ付いている。
それもその筈、大工房と呼ばれるその特別な設備は、彼が物心ついてから今までの記憶全て浚っても、炉が灯された時が見つからないのだから。
彼の親も、祖父母もそうだ。彼らもまた、火の灯る大工房を見れば驚愕するに違いない。
わなわな震え、一心に炉を見続けるンギルグボルグ。
彼が暫く戻って来ないと判断したモーヅネーナは、娼女ら二人に目を向ける。
「それで? あんたらはうちに何の用だい」
「ん、と……」
どう答えたものかと首を捻るヴィーラ。
慰安旅行に来たと言っても、何故わざわざ洞鍛人の里に? って、思うわよね。
「彼の護衛?」
考えても明確な答えが出ずそう言うと、モーヅネーナは吹き出した。
「そうかいそうかい、まぁゆっくりしてお行きよ。あれの友人なら大歓迎さ」
「えぇ、そうさせてもらうわ。にしても、随分と人間の言葉が堪能なのね?」
「そりゃそうさ、あたしら洞鍛人の主なお客はあんたらだからね。喋れなきゃ文字通り話にならないよ。その剣もあれに作って貰ったんだろう?」
ヴィーラが腰に差す不穢の白鋼の剣を指すモーヅネーナ。
旅立ちの日に貰った時からヴィーラの要望に応え続け、多くの改造を施された剣。
軽すぎるから重くするため刀身に穴を開け、重石を二つ嵌め込み、柄頭も重心の均衡を保つ目的で重めの鉄に取り替えられている。
不穢の白鋼という軽すぎる鋼材で造られたが故に、そうまでして漸くヴィーラの扱う曲刀より若干軽い程度に収まる。
「良い剣だね、やっぱ腕はラーグニースと遜色無いよ」
ヴィーラから剣を受け取り検めたモーヅネーナは惚けたような息を吐く。
既に完成された剣に追加で色々詰めるのは至難の業だ。
使い手が求める重みを持つ鋼材を選び取り、剣を傷付けることなく空けた穴に、刀身と同じ薄さに加工した鋼材を微塵の隙間も無く嵌め込む。
並の洞鍛人であれば隙間が生まれたり、そもそも嵌らなかったり、下手をすれば亀裂を生んで折ってしまう可能性すらある。
それを彼は鍛造も加工も一日で難無く終わらせたという。
高すぎる技量。
少なくともモーヅネーナは、比肩しうる者を一人しか思い浮かべられない。
「ラーグニース? ……って、どこかで」
「魔王殺しの剣を作った方、ですよね。でも」
「名前が同じなのさ」
「『名を継ぎしものは今、名だけでなく栄光も継がんと岩漿の中で槌を振るっている』」
「おや?」
ヴィーラはこの旅の起点となった、ゼルの言伝を思い出す。
ンギルグボルグが解説を口にしなかったせいで意味が分からずに居たが、ラーグニース、という伝説の魔法使いの名を聞けば理解が及ぶ。
「ヴィーラ、それって」
「えぇ、あの男のよ」
盛大に整った顔を歪めるヴィーラ。
色濃い冒険の中でゼルの名は忘れたが、彼が残した言葉は未だに彼女の中で燻っている。
名うての賞金首を殺した凄腕を下せば……なんて考えて関わらなければ良かった。
そうは思えど、過去は変えられない。
せめて抱くのは、次に会った時向こうにも忘れられない何かを刻み付けるか、単純にぶっ飛ばすかの二択の鬱憤晴らしである。
娼館から離れた分を冒険に、鍛錬に当てている事もあり、踊りの質と実力はより濃いものとなっている。
加え、多くの勝利経験もある。
今の自分ならばあの男を下せる。
そんな自負が、荒れた彼女の精神を安定させていた。
しかし、だからこそ、思う。
この旅を終えたら、自分はどうすべきなのか。
旅の間、身体を狙われた。
中には今まで相手にしてきた客を全て一蹴出来る程の大金を積んできたものもいた。
だが、それらに心動く事は無かった。
街から離れ、娼婦ではなく冒険者となったヴィーラには、どれだけ金を積まれても身体を許す気が湧かない。
でも、踊りを見たいと言われた時は別だった。
内に秘められたのが劣情であれ、踊りを求められる事に悪い気はしない。
だからこそ、どうすればいいのやら。
「ヴィーラ?」
「ん……、なんでもないわ」
沈みかけた思考を、ルアンノの声に応じて引き戻す。
剣を受け取り、剣帯に差し入れる。
「それにしてもあんた……」
「?」
まだ再起する様子の無いンギルグボルグの扱いに悩み、手持ち無沙汰な彼女達、特にヴィーラを精査するように上から下まで見遣るモーヅネーナ。
「良い身体してるねぇ! アルミド様も良いけど、やっぱあんたみたいな身体の方が彫りがいがありそうだ」
「???」
いきなり職人としての顔を覗かせた彼女の言葉を解せず、思わず固まるヴィーラ。
モーヅネーナはそれをいい事にヴィーラの周囲を回って舐め回すように見始めた。
目に一切劣情が宿っていないせいで困惑から抜け出せず、周遊する女洞鍛人を見守る事しか出来ない。
彼女達を見て、ルアンノは苦笑する。
そして、二人のやり取りを聞き流し周囲を見渡す。
「凄い……」
滑車の線路や、今彼女らが居る空中回廊などが入り乱れるのは、くり抜かれた山の中。
交錯点となる円形の台は、ゼルが見れば駅と例えるだろう。
山の至る所に存在する20m大のそれには、物を売る商店なども存在しており、完全な駅広場となっている。
広場を支えるのは、遥か下に伸びる巨大な鉄柱だ。
鉄柱には昇降機のようなものも取り付けられていて、人間の手であれば最低でも十数年はかかるだろう巨大建築物群となっている。
台と台とを繋ぐ回廊の終着点は、都市の壁に開けられた洞窟に向かっている。
無数に存在する洞窟群の一部からは、鮮烈な炎の輝きや槌の音が響いて来る。
恐らく穴は洞鍛人達の工房にして家なのだろうとルアンノは考えた。
だが、それらは決して山の中心から一定の所には建てられていない。
線路も回廊も走っていない。
どうしてだろう。
ルアンノは疑問を解消を求めてンギルグボルグの隣に向かい、彼と同じように柵を掴んで下を見る。
「っ」
太陽を見ているかのように目が焼かれる感覚に顔を顰め、魔術で目を保護して見た山の中心には、洞鍛人達が大工房と呼称する炉が存在した。
遠目だから分かりにくいが、ルアンノは二つの影を見付ける。
炉の炎に向かいながら槌を振るう洞鍛人と、その傍で炉に向かい手を翳す、人間。
影の形からして貴人服に似た装束に身を包む女性だろうか。
洞鍛人にしては、隣の人物より身長が高すぎる気がしてそう判断するも、強すぎる炎の光からして有り得ないと驚き、何者なのかと疑問を抱く。
遠く離れたこの場に居ても長い間見ていられないほど眩いのだ。
人間があんな所に居れば、忽ちの内に目どころか身体も衣服も焼け落ちる筈だ。
「ねぇ、ンギ……!?」
あの方が誰か知ってます?
聞こうとして彼の方を見たルアンノは、目をかっぴらいて潤ませているのを見て絶句する。
嗚咽を漏らさずに滂沱の涙の流す男というのは流石の彼女も初めてで、どう対応すればいいのか分からない。
「え、えと、ヴィー」
「あんたアクェーレのネレイア像は知ってるだろう? あたしゃあれに劣らない像を作りたいのさ」
「ふぅん……、それって石動人形として? それとも精巧な像として?」
「は? 石動人形ぅ? 何言ってるんだい、あれは確かに守護像って銘打ってるけどね、あくまで飾りさ。御守りみたいなもんだよ。あんな精巧な石動人形があってたまるかい」
「あら、もしかして洞鍛人には伝わってないの?」
「何がさ?」
「二、三年前にアクェーレが沈んだ時に、あの像が動いたっていう話よ。実際、今の噴水広場には像が無いって言うし」
「……………………は? あんたそら一体どういう事だい!? あの像が動い……はぁ??? って事はあの槍は、あの槍も飾りじゃないってのかい!?」
「え、えぇ、多分?」
「効果は!? いや待ちな。あの像はどんな動きをしてた!? 炉心は!? 完全に自律してたのかい!? 製作者は誰だい!?」
頼みの綱のヴィーラは、何やら憤慨した様子のモーヅネーナに詰め寄られていた。
助けを求める目で何度もちらちら見られるが、ルアンノも同じ目でヴィーラを見つめている。
方や大らかな雰囲気を消し去って剣幕立て、方やいつものしかめつらしい顔を涙で濡らす。
到着後のあんまりな出来事に、娼女二人は困り切ってしまう。
それが、二人の洞鍛人の里生活の始まりであった。
――キン。
槌の音が響く。
――カン。
金の音が響く。
「ふ……っ!」
鋭い呼気が響く。
轟々と盛る炎が、上方の営みの生み出す喧騒を全て掻き消す中、鍛造の音が響き渡る。
「……」
音の主が灼熱纏う槌を置く。
先程まで打っていた、僅かに赤熱した黒い鋼を一瞥する。
「まだ、届かぬか」
低い、低い、地の底の唸りの如き声が響く。
「諦める?」
「ふん」
甘美でありながら畏怖を呼び起こす不思議な声の主の問い掛けを一蹴し、唸りの主は炉の前で目を瞑る。
「龍の炎……、名はなんと」
「先も伝えたでしょう?」
呆れを孕んだ声に、不服げな唸りが返される。
「未だ、信じられぬのだ。……かの御仁が逝去なさったなど。それも、私の為に」
「彼女は十と生きられない事を予見した。だから貴方の為に全てを賭したのよ。私との縁は微力でしかない」
「心得ておる」
唸りの主は再び槌を手にする。
幾度も肉を潰し、固くなった掌は、槌の柄に隙間無く嵌り、人器一体の様を呈している。
それが掲げられると同時、周囲を流れる岩漿が熱を、色を失う。
否。
全ての熱が、槌に吸われていく。
いかな炎を槌に融合させ、一体とする洞鍛人の鍛造魔術とて、他の火山よりも圧倒的な熱を内包するこの山の岩漿の熱を吸えば、槌が耐えきれず溶解し出す。
しかし、唸りの主の槌はその例から漏れている。
特別な炉には、特別な槌を。
普段使いの物と違うにも関わらず手に馴染むのは、唸りの主がそれだけ槌を持ち続けた証左に他ならない。
「成った暁には、陽光の王に我が鐵を」
ただ一言だけ言祝ぎ、唸りの主……挑戦者は不変の黒鋼の鍛冶を再開する。
「えぇ」
甘やかな声の主は相槌すると、軽くかつての仲間に想いを馳せる。
山中に沈んだ天頂の炉に向かう者と、同じ名を持つ者に。
だがそれも一瞬で、甘やかな声の主、アルミドは炉から溢れ出んと荒ぶる炎の制御に注力する。
そして――
「ふ……っ!」
――高らかに、槌の音が鳴り渡る。
試練の合否は、すぐそこまで迫っていた。




