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拒絶

『ゼル、貴様のそれは……』


 ゼルの身から抜け落ちた蜘蛛の毒針を見遣り、ティズィアが険しい顔でゼルに視線を戻す。


「……リン、訳を。一言一句違わず、頼む」

「……ですが」

「頼む」


 魔力切れの倦怠感に、力の無い声を発するゼルは、目に力を込めてリンを見た。

 そして、やがてリンは躊躇いがちに、それでもしっかりと頷きを返した。


「察しの通りだ」

「っ……騙していたのか?」


 ゼルは薄らと笑みを浮かべながら、首を振るう。


「いいや、全て事実だ」

「………………」


 ティズィアは今までに無い強い警戒を見せながら、ゼルに怪訝な目を向けた。

 彼の笑みの意図を含め、多くを図りかねていた。


「ならば問うが、その力は……それと、先程剣を生み出していた魔術は、語られる不死の王と同じか?」

「そうだ。作るもんは違うがな」

「…………」


 ティズィアの目がより険しくなる。

 ティズィアを含め、当時生きていた翼人は居ない。

 だが、不死の王は忌むべきものとして、翼人達の間に語り継がれていた。


 ゼルはティズィアの目に、やはりこうなるかと笑みを深くする。

 己の力は忌むべき力。受け入れられるはずもない。

 リンと、彼の主が特殊なのだ。と。

 その笑みはやけになったもの特有のものであった。


「…………もう一つ、ここを訪った理由は」

「先も言ったろう、力を求めてだ」

「何の為に」

「守るべきものの為だ」


 ティズィアの目は、やはり窺うものから変わらない。


「その守るべきものは、人類か?」

「…………?」


 ゼルはティズィアの問いに眉を顰め、一瞬だけでも倦怠感を忘れる程、言葉を呑み込むのに手古摺った。


「何故そう思う」

「人は、縁や宿命に抗わんと動くだろう」

「だから俺もその類いだと?」

「そうだ」


 ゼルはティズィアの言葉に、愉快げに、不快げに笑った。


「それは英雄のする事だ」


 そして、吐き捨てるように言い放つ。

 自分を彼らと同じ領域に押し上げるかの如き問いに、そんな事があってはならないと顔を顰めながら。


「では、何を守る」


 ゼルは腰元の青珊瑚を手に取り、弄びながら視線を落とす。


「自分が守りたいと思うものをだ」

「…………それは、ファルンもその内だと」

「お前であった場合でも変わらん。動くべきだと判断した。それだけだ」


 ティズィアはそれを聞いても、顔の険しさを変えずにゼルを睨んだままだった。


「一つ、いいか」

「あぁ」

「今回は魔物だったが、もし敵が人間であった場合」

「変わらんさ」


 ティズィアの言葉を遮り、ゼルは即座に答えを返す。

 今彼が思い浮かべているのは、青珊瑚の女を含め、今は亡き村のものらと金眼の少女ユグリアだ。


 もし、彼らを失わなくなる代わりに、大いなる試練を受けなければならないとしたら?

 もし、無垢なままに悪意の濁流に呑まれた少女を救える代わりに、彼女を呑んだものども()と戦わなければならないとしたら?


 ゼルは自問し、迷いなく己の内に答えを出す。


「自分が救うべきものを、守るべきものを守れるなら、何が相手だろうと皆殺す。俺はその為の力を求めてここに来た」

「ゼル様、それは流石に訳せませんよ」


 だがその答えは、確実にこの場の話に終止符を打つもので、リンは駄目だと首を振る。


『守護、為、なら、犠牲、構わない。皆、殺す』

「…………そうか」


 だからゼルは自分で言葉を捻り出す。

 ゼルの言葉を聞いたリンは溜め息を、ティズィアは暫く目を瞑った後に脱力混じりに頷いた。

 そして、ファルンの糸玉を掴むと、強く翼を羽ばたかせた。


「その覚悟の一端を、我らに向けてくれた事には感謝する。しかし、階の鍛冶場への案内は引き受けられない。以降共にあることも。……貴様は、危険だ」


 助けて貰った代価として黙っている。

 それがせめてもの礼だと一方的に告げたティズィア。


 彼はゼルが石化魔眼の大蜥蜴に挑んでいた理由が、遭遇してしまい逃げられず、というものとは程遠い事を察した。

 人間にしては凄まじい膂力を持つ理由も、この歪んだ森に一人で来た蛮勇の要因も。


「………………」

「説得する気、ありました? 最初から諦めていたでしょう、貴方」


 全てを察したティズィアが、大きな羽ばたきの音と共に遠ざかるのを見ながら、リンは無言のゼルを責めるように問うた。


「……話は後だ。最初に来た洞は何処だ?」

「あちらです。それで、どうしてです?」


 話なら歩きながらでも出来ると、リンはゼルの言葉を無視して再び訊いた。

 ゼルは青珊瑚を戻し、リンの示す方向に足を向けながら、彼の問いに答えた。


「あの女のように自分を貫き続けられるものや、お前とその主のように中身が違うからと受け容れられるものは、どちらも少ない」


 あの女? と首を傾げるリンの反応を気にすることも無く、ゼルは独白するような声音で己の内に湧いた言葉を溜めることなく吐き出していく。


「少なくとも俺は、お前達のようにはなれん。村に居た騎士。あれと同じ鎧を着た者がいれば、俺はその中身がどんな善人だろうと、仮に子供であろうと殺すだろう。…………お前達のように、強くは在れない」


 ゼルは魔力切れによる倦怠感から鈍った思考を、ほぼ無意識に漏らしていた。


「だから、翼人の方々も同じだと?」

「この力を晒せば拒絶が待つ。分かっていたことだ」

「私達の存在をお忘れで?」

「お前達は希少だ」

「そう言い訳して、翼人達を信じなかったのは貴方でしょう」

「…………かもしれんな」


 ゼルは弱く笑いながら、案外近くにあった洞穴の中に異常がない事を確認し、転がる鉄扉を穴の入り口に押し付けて閉じると、中の仄かな光を宿す苔に身を預けた。


「…………」

「丁度いいですし、血を頂いても?」

「あぁ」


 完全に脱力しながら腕を上向きにしたゼルの手首に、リンが地面から生やした蔦を刺して血を吸い始める。

 枯樹人(エルヴェナンド)が共に居た時とは違う変化、リンの額が煌々と光を宿していく。

 ゼルはその光を薄ぼんやりと見ながら、全身を覆う脱力感に身を任せた。


「それで、どうしてあんな言い方を?」

「言い方も何も、事実を言ったまでだ」


 このまま目を瞑れば眠りに入る。

 そんな状態のゼルに、リンは質問を重ねる。


「だとしても、言い方次第では受け入れられていたかも。ティズィア様は最後まで貴方を見極めようとしておられた」

「仮に受け入れられたとして、彼らは俺をどう扱う。友人か? 化け物か? 仮に共に戦ったとして、傷を厭わん姿を見ればどう思う。……言葉で説得出来ても、行動で拒絶されるのが落ちだ」

「それは分からな」

「分かるとも。事実私はそれで全てを失った」

「……? 私?」


 リンは、唐突に変わったゼルの一人称に勢い良く顔を上げ、ゼルを見据えた。


「化け物だと拒絶され、恐れられ、皆が聞く耳を持たなくなる。仮に受け入れられても、結局は私達が原因で」

「待って下さい」


 目を閉じて独白のように言葉を重ねるゼルに向け、リンは吸っていた血をゼルの顔にぶちまけた。


「…………何をする」

「それはこちらの台詞です。私が求めているのは貴方の言葉です。他の誰かの言葉では無い」


 そう言うリンのゼルに向ける目には、異質なものを見る色が含まれていた。


「……貴方は誰です」


 今度はゼルが首を傾げる番だった。

 自分の言葉に違和を覚えていないゼルは、リンの言葉の意図が分からなかった。


「ゼルだ」


 訝しげに自分の名前を答えるゼル。

 リンは彼の顔や目に若干の力が戻ったのを見て、安堵に力を抜いた。


「もう一度聞きますが、どうしてティズィア様達を拒絶なさったので?」

「先にも言ったが、事実を述べたまでだ」


 変わらないゼルの態度に、リンは溜め息を吐いた。


「受け入れられた先の裏切りを恐れて。ですか?」

「…………」


 先程ゼルの口から出た誰かの言葉を足掛かりとし、リンは問う。


 ゼルは決して馬鹿の類いでは無い。

 寧ろ多くの思考を巡らして然るべき答えを導き出す賢さを持っている。

 だがそれを拘りや、彼が身の内に宿す何かが邪魔をする。彼を雁字搦めに縛り付けている。


 それが、共に行動して来た中でリンがゼルに抱いた所感であった。


 それは貴族との対談然り、彼の故郷での出来事然り、ティズィアとの話し合い然り。


 貴族と腹の探り合いを為し、相手に警戒されている事を分かっていながら、敵対すれば権力を使われて厄介な事になると分かっていながら、自分から危ない橋を渡りに行った。


 結果起こったのが、あの乱闘。


 だがゼルは、敵対するものたちを殺そうとはしなかった。

 蛇蝎の如く嫌っていても、貴族やその関連者を殺せばどうなるか分かっていたから。


 先を見通しているような、いないような、歪な行動。


「何を恐れているんです? 貴方は先を見通す力を持っていながら、悪い方への道を進もうとしている。私にはそう見えます」


 それは村での事も、ティズィアとの話し合いもそう。


 乱闘直後に腕を売り込んだり謝罪をすれば、断られてもあの様な形での終わりにはならなかっただろう。


 友人が生きていた事を喜んでいる筈なのに、話し合わなければ何も分からないと分かっているのに、結局は避けてここに来た。


 言い回しを変えれば、同じ内容でも受け入れられたかもしれないのに、そうする事を怠った。


 分かっているのに、何故。

 葛藤とは無縁の種族である為に、リンはゼルの行動の意図が分からない。

 今までその巧みな話術で場を乗り越える事が多かった者故に、最初から諦めを抱くゼルの考えが分からない。


「…………言ったろう、どうあれ拒絶されるのが落ちだと」


 仮に受け入れられたとしても、後から自分の異常性を見て考えを改める。

 そして最終的には拒絶される。

 遅いか早いかの違いでしかない。


 今度はしっかりと目を開け、声にもある程度の力の乗ったゼルの発言に、リンはどうしたものかと思案する。

 打てば響く。そんな表現がぴったりな彼の主と比べ、ゼルの口は固かった。


「それは……、貴方が見てきた夢、というものに影響を受けてです?」

「……さてな。だが」


 ゼルは再び目を瞑る。瞼の裏に垣間見るのは、鮮明に残る夢の記憶。


「仮に受け入れられたとしても、最終的には皆死ぬ」

「それは貴方の言葉です? それとも」

「俺の言葉だ」


 先程のゼルの様子を思い出して再び訝しげな表情になるリンに向け、ゼルはしっかりと言葉を返す。


「愛するものも、親しいものも、受け入れてくれたものも、結局は自分達が要因で死んでいった。……村が滅んだようにな。だから俺は、誰かと長く関わるつもりは無い」

「それを言えば、翼人達との関係は鍛冶場までだったじゃないですか。長くは無い。それに、だとすればどうして私達の事は受け入れたので?」

「お前達とは、明確な契約で結ばれてる。血を提供する代価に、お前の主は人を襲わない。お前の主が魔王を探す代価に、俺はお前と共にあり今の人の世を見せる」


 まぁ、最後の点に関してはまだ出来ていないが。

 そう告げるゼルに、リンは納得の頷きを返そうとし、首を捻った。が、それも直ぐに縦の頷きへと戻る。


「理解の深さの違いですか」


 翼人達との関係だって、ある種の契約だ。

 なのに何故。そう考えた結果リンが出した答えはそれだった。


「ですが、知らないのは当然ではないですか」

「そうだ。だから知らせない。知られれば関係を絶つ。…………そういえば、ここは人里からどれだけ離れてる」

「離れていないと言えば、ティズィア様達を殺めるおつもりで? それは理由こそ違っても、獣の王と同じ道を往くことになりませんか。それにティズィア様は、私達の事は黙っていると確かに仰った」

「…………」


 リンの言葉に、ゼルは沈黙を返す。


「もし伯爵との対談で傷を負っていた場合、どうしてました?」

「………………」


 ゼルは答えない。が、それが何よりも雄弁な答えとなっていた。


「…………ゼル様」

「なんだ」


 リンはゼルのそんな態度に危ういものを感じた。

 今の彼は、ティズィアに告げたような敵を皆殺しに……というようなものは、そこまで大規模には行わないだろう。


 それは彼が守ろうとしている尊いものというのが漠然としたものだからだ。

 だが、もしそれが明確な形を得て、姿を為せば、ゼルは恐らくそれを守る為なら本当に全てを殺そうとするのでは無いか、と。


「お願いがあります。鍛冶場で剣を得て戻った後、あの村に居た方とお会いになってくれませんか」


 リンの言葉に、ゼルは魔境の中の安寧の地であるこの空間に入ってから、一番明確に分かる反応を示した。

 倦怠感に預けて脱力していた身体には力が入り、虚ろに天井を仰いでいた目は揺らぎながらも、くっきりとリンを内に収めている。


「…………寝る」

「ゼル様っ」


 ややあってから、ゼルはリンの懇願に何の意見も返さずに背を向け、再び地面に身を預けた。


「はぁ、では起きた後に」

人面獅子(マンティコア)を殺しに行く」

「は?」


 起きた後に答えを。

 そう言おうとしたリンを遮ったゼルの言葉は、リンにとって予想外なものだった。


「しかし、ティズィア様達はもう」

「奴が絶ったのは同行だ。一人で勝手に殺しに行く分には構わんだろう。人面獅子討伐への尽力の代価に、共に蜥蜴を殺すと決めた」


 こちらの要求が履行されているのだから、こちらも果たす。

 リンに二の句を継がせないよう口早に告げたゼルは、暫く後に静かな寝息を立て始めた。


「ゼル様、貴方は……」


 強いのか弱いのか分かりませんね。

 この空間を仄かに照らす苔の灯にすら霞ませられるような、そんな小さな声で言ちたリンは、痛ましげにゼルの背中を見つめていた。

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