凍て氷るは傀儡糸
「ふっ……!」
「随分と躊躇いがないですね!」
「そんなことをしている暇は無い!」
大蜘蛛の伝う縦糸に、大蜘蛛に体当たりして押し退けながら着地したゼルは、大量の毒針の刺さった左腕を躊躇なく切り落とした。
氷の魔剣……氷剣で切断した為に凍り付いた傷口を近くの木に擦り付けて削り落とす。
露出した断面から生えた新たな腕に、切り落とした腕の持つ氷剣を呼び寄せる。
指が凍るせいで持ち替えたりは出来ないため、最初から左手の剣を逆手で取ったゼルは、前方から迫る蜘蛛を認めると即座に飛び降り、氷剣を蜘蛛糸に突き立てた。
「づぉら!」
突き立てた氷剣を無理矢理動かし、凍った糸を断ち切る。
その際、凍った指が柄にめり込み軽い癒着状態となるが、ゼルは気にすること無く着地し、落ちてくる蜘蛛に向けて槍を作り出して嗾ける。
「ゼル様、横に!」
飛び出した槍が刺さったかどうかを確認する暇も無く、押し退けた大蜘蛛が飛ばした糸を横に跳んで避ける。
そうして一瞬だけ、前脚を上げて威嚇してくる大蜘蛛を一瞥する。
一匹一匹に構っている暇は無いと、ゼルは無視する事にして駆け出した。
目指すのはファルンが攫われた蜘蛛糸の帳の中。
「リン、奴らの捕食法は」
「毒でじわじわ、溶かして一気。でしょうか」
「溶かし始める条件は」
「獲物が動かなくなってから。つまり死ぬか、寝るかですね。そして彼らの毒は」
「麻酔か、時間が無いな……。くそ」
剣を掴むために強引に力を込めていた、ゼルの左手の指がぽろりと落ちた。
ゼルは事態が一刻を争うこと以外に、己の実力不足にも悪態を吐いた。
二三剣を振るうだけで、凍った指が剣にめり込み、割れ落ちる。
王眼による身体強化があれば、恐らく一度振るうだけで同じ事が起こるだろう。
黄金による治癒も、常に凍らせ続ける冷気とせめぎ合うばかりで、殆ど意味を成さない。
だからと氷剣を他の剣同様空中に生み出せばいいかと言うと、そうもいかない理由があった。
今のゼルの実力では、魔剣を作り出すのも、武具の形を変えるのも、自分の手で直接触れていなければ難しい。
不可能では無いが、触れている時と触れていない時では魔力の消費や、要する集中力が段違いに膨れ上がる。
時間が無い今出来ることでは無かった。
「どう為さるおつもりで?」
「ひたすらに突き進む。俺に策を弄する頭は無いからな。それしか出来ん」
「それはまた、不死者らしい戦い方だ事で」
ゼルは走りながら、指が崩れた事で取り落とした氷剣を浮遊させ、再生した左手に新たな氷剣を作り出した。
「ゼル様」
「分かってる」
前方から迫る大蜘蛛の数は三匹。
ゼルはそれらに素早く目を配ると、身体を前傾に倒して加速する。
しゅると伸ばされる糸を、低い体勢のまま身を捻りながら跳び超える。
目の前に張られている巣に氷剣を叩き付け、表面の凍った糸に体当たりを敢行する。
「ぬぅおぉ!」
氷結を免れた糸の一部がゼルの身体に纏わり付くが、冷やされて伸縮性を失った糸は存外脆く、呆気なくゼルの走りを許した。
飛び出した先に待っていた一匹の大蜘蛛に向け、逆手に持った剣を突き出しながら駆けて行く。
「ふん……!」
蜘蛛の尻から射出された糸を避けたゼルは、身体の横を走る糸に左手の逆手の剣を突き立てる。
凍り付いた手ではまともに握れないのを、親指を他の指に乗せ、そこに右腕を押し付ける事で補い、糸を凍らせながら尚も走り続ける。
糸を凍らされた蜘蛛が糸を断ち切った事で、左手の氷剣を手放したゼル。
彼は逃れようとする蜘蛛に急速に接近すると右の剣を突き立て、例の如く柄を膝蹴りして威力を補った。
「凍て!」
蜘蛛を殺した直後に魔力を込めて放った言葉は、蜘蛛糸の帳に先行させた浮遊する氷剣に向けたもの。
ゼルはこれまでに無い急激な魔力の消費に一瞬だけよろけながら、氷の壁と化した帳に躊躇無く飛び込んだ。
「横に!」
「っ!」
不格好に吶喊して地面を転がったゼル。
嫌に湿った地面に顔を顰める間もなく、リンの言葉に再生した手腕を使って飛び退る。
「おい……これはどうなってる」
「絡繰蜘蛛の仕業かと。簡単に言えば彼らの変異種の様なものです」
「魔物か?」
「えぇ」
厄介な。
起き上がってぼやくゼルの視線の先には、首のない愚醜人の姿があった。
白い蜘蛛糸の帳の中に吊るされた、何かが入った無数の糸玉。
それらを背に、振り下ろした腕と一緒に身体を起こした首無し巨人の姿は、何処か空恐ろしい悍ましさを持ち、無視し難い異質な存在感を放っている。
「アレに操られた愚醜人は生きていた時よりも厄介ですよ。何せ優れた頭脳を得たんですから。それに死んだ事で再生力は失ってますが、ある程度原型を留めている限りは動き続ける」
「その頭脳は何処に」
「さて」
とぼけたようなリンの返事に、ゼルは軽くリンを睨んだ。
「彼らは別名幽霊蜘蛛とも呼ばれているんです。灯りで照らせば白く浮き上がりますが、暗闇だと姿が見えない。だから言ったでしょう、灯りが必要だと」
「それはもう過ぎたことだ。アレは後回しにしてファルンを探すぞ」
「……逃がしてくれると思います?」
「…………」
二人の視線の先に居る首無し巨人は、操られているとは思えない程力強く大地を踏み締めている。
大蜘蛛達の代わりに守護者として帳の内に鎮座する巨人が向かう先は、当然侵入者たるゼルの元。
ゼルは巨人を前にしても、吊るされた糸玉達に視線を巡らせ続けている。
「来ますよ」
リンの言葉に舌打ち一つ。
迫る拳を身を捻って避け、次いで払うように振るわれた腕に、呼び寄せた氷剣を突き立てて力任せに足と手を縫い留めたゼル。
「今の内に……っ!?」
急速に凍らせて暫くは大丈夫だろうと離れた彼に向け、首無し巨人が体勢を崩したままにも関わらず、もう一方の腕を振るった。
それを咄嗟に交差した腕で防いだゼルは、成程と苦く顔を顰める。
「操り人形か」
「無視して探すのは厄介ですよ。見つけたとしても救い出すのはもっと困難です」
「分かってる。だがやる事は変わらん」
言いながらゼルは王眼に魔力を込める。
それによって成るのは身体強化とは違う現象。
ゼルの目が一瞬だけ、後ろにあるそれなりの大きさの糸玉に向かう。
「見つけたぞ。恐らくあれだ」
ゼルはファルンが槍を手放していないことに感謝した。
ゼルの眼は、魔法使い達が暫定で武具の王眼と定義したもの。
魔力を込めれば、付近の武具の在処を探る程度は可能だった。
そうして見つけた糸玉付近に広がるのは、大蜘蛛達が地面に転がる死体を糸で拾い上げ、巻いて吊るしていく光景。
ファルンを救い出すという事は、糸玉を取り巻く大量の大蜘蛛達をどうにかしなければならないという事でもあった。
「取り敢えず、あの糸玉を切り落としてから考える」
「正気ですか?」
「そんなものはとうに失っている」
ゼルはリンの呆れの溜め息を聞き流して、割れ取れた足を手に引っつけながら平然と立ち上がる首無し巨人を見遣る。
操り人形。足の前部を失っていても問題なく立っている巨人は、そう表現するのが相応しい状態だった。
とはいえ、足を失っているのだから素早く動く事は出来ないだろうと、ゼルは己の予測に従って巨人に背を向けて走り出す。
「なん……っ!?」
近くの木の幹を蹴り上げて高い枝を掴んだゼルに向け、巨人が尋常ではない速度で飛んで来た。
それを横目に、ゼルは枝に飛んだ勢いを利用して身を上げ、枝に着地すると同時に近くの糸玉に飛び乗った。
直後に、巨人がゼルの居た枝をへし折って通り過ぎる。
「……とんでもないな」
言いながら、ゼルは糸玉から糸玉へと飛び移り、次第にファルンの元へと近付いて行く。
それを邪魔するのは蜘蛛糸の天蓋を作り出した大蜘蛛達。
大蜘蛛達は餌である糸玉に行けなくなるのを防ぐ為か、糸を出すことはせずに溶解液を飛ばしている。
ゼルはそれらを浴びながら、目線を蜘蛛達では無く足元の糸玉へと移す。
糸玉は多少溶けてはいるものの、強靭な糸で構成されているため、内部まで浸透している様子は無かった。
ゼルはその事実に安堵を抱くと共に、視界の端で捉えたものに舌打ち一つ。
ただ飛び上がったにしてはゆったりと向かって来る巨人を見て、ゼルは幾度となく抱いた操り人形という言葉を再び脳裏に過ぎらせる。
「ここは劇場か」
腕の間合いにゼルが居る糸玉を捉えた瞬間、比にならない程の轟速で振るわれた腕を、飛んで躱しながらゼルはぼやく。
「っ!?」
そのまま巨人の背に飛び乗り、ファルンの元へ向かおうとするゼル。
それに対し、巨人が空中で回転する。
巨人の突然の動きで跳ね損なったゼルは、巨人の背に自身の身体を留めようと短剣を作り出して突き立てる。
だが、回転が止まった瞬間に身体が浮き、その勢いで短剣が抜けてしまう。
結果、ゼルは再び地面に逆戻りする形となった。
「くそ……」
ゼルは悪態を吐くと、黄金に魔力を込めた。
ゼルが糸に氷の剣を突き立てて割り砕くのは、彼の作る剣では糸を断ち切る事が出来ない為だ。
細かい糸の集合体を凍らせる事で、撓むことも撓る事も無い一つの固い物体へと変える。
そうする事で漸く、彼の力で糸を割り砕く事が出来た。
他にも粘着性を失わせる為という理由もあるが、やはり一番の要因はそれだった。
そんな面倒な手間を惜しむならば、何が必要か。
より鋭い剣を作る。だがそれには時間がかかる。
その時間をも惜しむのであれば、最後に残るのは何か。
言わずもがな、黄金であった。
「らァ!」
ゼルは黄金を斧へと変え、ファルンがいると思しき糸玉へと投擲する。
同時に、手元に普通の剣を作り出して首無し巨人に飛び掛った。
巨人の手前で身体を捻って反転させ、どん、と轟音が鳴り渡る程の蹴りを食らわすゼル。
高威力の蹴りに体勢を崩しつつも、倒れる手前で不自然に止まった巨人。
ゼルは蹴った反動で勢い良く地面に背中から着地し、一度転がると素早く立ち上がって巨人の足に剣を振るう。
しかし、剣の高さは足より幾分高く、空振りする。その上、不自然に半ばから折れる始末。
ゼルは剣が折れた事に表情を変えることなく断面を一瞥し、そこで漸く眉を顰めた。
「ゼル様、ファルン様の糸玉が」
「あぁ」
ゼルは折れた剣を消す事無く黄金を呼び寄せ、短剣に変えて空いている左手に持つ。
落ちたファルンの糸玉に向けて駆け寄ったゼルは、上部に黄金を突き立て、両手で切れ込みを拡げていく。
「どうです?」
「正解だ」
言いながら、ゼルは糸玉を力任せに横に移動させた。
瞬間、先程までファルンの糸玉があった場所に、上から放たれた糸の先が付着する。
ゼルは降りてくる蜘蛛を無視してファルンを担ぎ、次いで折れた剣をリンに見せた。
「角度は分かるか?」
「それはつまり、居場所を逆算しろと?」
「出来るか?」
「逆に聞きますが、出来るとお思いで?」
何をしているのかと思えば、そんな事を企んでいるとは。
リンはゼルが剣を空振らせた理由に納得しつつ、流石に無茶だと返す。
「そこまですっぱり綺麗に折れてるとなると」
「そうか」
元々駄目元で訊いていたゼルは、再び剣の断面を一瞥すると剣を消し、代わりに黄金の剣を手に握る。
同時に、ファルンの糸玉の大きさに顔を顰めた。
だが解く気は無かった。
落とされる酸から護る鎧代わりであり、同時に衝撃から護る緩衝材代わりに糸が使えるからだ。
加え、ファルンに触れる内側の糸が、外側のものと違い粘性を帯びているというのもある。
単純に解いている余裕が無かった。
ゼルは思考を巡らせながら、伸ばされる糸を躱す。
そしてその糸を何ら気にする事無く迫ってくる巨人を睨め付けた。
自分の体よりも一回り近く大きな糸玉を担ぎながら戦う余裕は、流石に無い。
ゼルは黄金を手放して手元付近に浮遊させると、その手に氷剣を作り……即座に黄金で腕を切り落とした。
「ゼル様? 貴方まさか……」
「この際だ、全て凍らせる」
「正気……は既に失ってるんでした。狂気ですね?」
「正気だ」
「…………」
巨人と蜘蛛糸を凌ぎながら数度繰り返し、数本の氷剣を携えたゼルに、リンが恐る恐る問うが、その返答は短絡的な思考によって導かれた最悪の手段。
「魔力は持つので?」
「持たん。が、気絶と魔力切れには慣れてる。多少は動ける。その間にティズィアと合流するぞ。…………ティズィアァアアア!!!」
吼えながら、ゼルは自身の内に燻る不可視の力を全て右の眼に注ぎ、王眼を介して氷剣達に指示を出す。
瞬間、氷剣が蜘蛛糸の天蓋へと翔び、凍らせ始める。
「全て凍るとは思えないのですが……!?」
「巨人が止まればそれでいい!」
ゼルは全身を襲う倦怠感と、日がない故に冷たい森の中の空気が、より冷えて肌の感覚を失わせる中で、動きを止めた巨人の身体を片腕と両足で登り始める。
巨人を操る糸が全て凍り付いたことで、糸を軋ませながらも体勢を保っている巨人を登りきったゼルは、そのまま近くの糸玉へと飛び乗る。
「ぬぉ、く……」
そうして、ゼルが乗った事で落ちんとする糸玉から糸玉へと間髪入れずに飛び移り、巣の帳上部の蜘蛛用に空けられた出入り口に飛び込んだ。
「ゼル様!」
「分かっている!」
ファルンの糸玉を緩衝材として着地したゼルは、糸玉の跳ね返りを上手く利用して立ち上がり、帳から離れようと怠い身体を突き動かす。
そんな彼の走りを妨害せんと、帳の外にいた蜘蛛達がゼルに向けて走り出す。
「邪魔だ!」
ゼルは自傷も毒も躊躇わずに蜘蛛に体当たりを食らわせながら、強制的に道を開いて走り続ける。
その間、常に木々の合間を縫うように動いているため、運がいい事に糸がファルンの糸玉やゼルを捉えることは無かった。
そして――
「ゼル!」
『これを!』
――ファルンがゼルを追う大蜘蛛達を蹴散らしながら、遂に合流した。
そうして、ある程度蜘蛛の来ない所まで逃げた二人。
『感謝する。だが……』
ゼルからファルンの糸玉を受け取ったティズィアは、ゼルに感謝を示しつつも彼を見る目は剣呑であった。
『貴様……、その身は』
「…………」
ティズィアの視線の先には、木に背を預けながら、黄金の治癒によって蜘蛛の毒針が抜けていくゼルの姿があった。




