助力
「――――――?」
「――――――」
「…………」
未知の言語を操る伝説の種族を前に、ゼルは警戒も顕に周囲を見渡す。
翼人の数は約二十前後。
男女の比率としては6:4で女性の方が若干少ない。
だが武装の物々しさ、絢爛さは女性の方が高い。
彼らの持つ翼は純白で美しく、顔の目鼻立ちも整っていて、ある種の侵しがたい雰囲気を纏っている。
しかし、それらを貶めうる程の凄惨な有り様。
あるものは眼帯を着け、あるものは翼が片方無く、あるものは腕を失い、あるものは顔に壮絶な火傷跡を、あるものは一部が石化。
凡そまともとは言えない状態のものが多い中、目立った異常が見当たらないのはゼルを運んで来たと思われる男の翼人と、それと話す三人の男女。
「――――石眼蜥蜴――――、――――」
「――――――」
「………………何と言ってるんだ……」
彼らは遠巻きにゼルを見ながら何事かを話している。
時折灰眼の迷彩蜥蜴の名が出ている辺り、ゼルの話しをしているのは確実だが、やはり知らぬ言語によるやり取りの為、ゼルは警戒を解こうとはしなかった。
如何なる会話が為されているのか、何より何故こんな所に翼人などという伝説の存在が居るのか。
何故戦いの邪魔を……、いや、それは恐らく相手を見てのものだろう。
目を合わせれば石化する危険な魔物であり、それが無くてもあの音を置き去りにする瞬速の舌を持つ。
あんなものを相手にすれば大体は死ぬ。
ゼルも不死の力が無ければ既に数度は死んでいた。
だから、多分、助けた。
特に先の睨み合いは、嵐の前の静けさと言ってもよく、どちらかが動けば激しい戦闘を再開していたのは間違いない。
「………………」
だが、ゼルはそこが分からないと首を捻る。
わざわざ危険を冒してまで助けた理由は一体何なのか。
それを知るには、警戒したままでは居られない。
「……リンが居ればな」
かの森の智者であれば、もしやすると彼らの言葉も介せたかも知れない。
そうは思えど、逸れた以上はどうしようもなかった。
「――――――、――」
「――」
「…………」
ゼルは未知の言語で会話を続けるもの達に、無銘の剣を鞘に納めて近付くと、この森の特性に一縷の望みを賭けて声を、言葉を発した。
「『遊戯、話、驚いて、存在、驚く』……っ、ぁあ、分からん」
「――――『拙いが、樹人語か』」
ゼルが近付いた事で会話を止めた翼人達は、彼が紡いだ樹人の言葉に反応を示し、同じ樹人の言葉で応じた。
リンの言葉通りなら、この森はかつて樹人であったものの成れの果てが作り出したもの。
何故居るのかは分からないが、ここに居るのならば分かるのでは無いか、と賭けたのだ。
結果は見ての通り。
「あー、『何故』……ドゥル、違う……『邪魔を?』」
「『邪魔?』」
ゼルの言葉に、ゼルを運んだ男の翼人と、翼人達の中でも一番華々しい鎧に身を包んだ女の翼人が顔を見合わせた。
『まさか貴方は、分かっていて石眼蜥蜴に挑んだと?』
ゼルは女の問いに首肯した。
『分からない、でも、戦う、分かる』
『気付いた時には逃げられなかった?』
『いいや、逆、だ』
『分かったからこそ挑んだ』
再びの首肯。
女はゼルの拙い樹人語を、質問する事で補完していく。
そうして情報を明確にしていく毎に、それを訳すように他の翼人に二人のやり取りを伝える男の言葉に、警戒に満ちていた周囲の気配に猜疑が混じる。
『奴は石化の魔眼を持っている。それを分かっていてあのような睨み合いを演じたのか?』
疑いに満ちる空気にあって驚愕したのは、ゼルと大蜥蜴の睨み合いに介入した男の翼人。
森に響く破壊の音の源を調査しに出た所でゼルが石眼蜥蜴と睨み合っているのを見つけ、無知な迷い人が知らずに戦っていたと思っていたのだ。
そんな男にゼルは頷いて見せる。
幸いにして不幸にも、男はゼルの不死性を知る前に助け出していた。
故に男はゼルの頷きに大いに驚愕した。
まさか石化の魔眼の存在を知っていながら挑むとは。
それにだ、ゼルは暗闇の中であの蜥蜴と戦っていた。
光の屈折による違和感を得られない暗闇で、あの迷彩の蜥蜴に挑む。それがどれ程の蛮勇か、脅威を知るからこそ愕然とした。
『……貴様は何者だ?』
そしてやはりと言うべきか、周囲の者らと同じくゼルに猜疑の念を抱いた。
人間は徒党を組み強敵を狩るのが主流。
単独では容易に恐慌に落ちる脆さを持つが、群れると途端に強靭な精神を宿す特異な種族。
凡そ翼人の人間に対する認識はこれだった。
だからこそ、ゼルの行動が理解出来ないでいた。
ゼルの纏う雰囲気は、決して武勲を求める愚者のものでは無い。
ゼルの眼は、欲に濡れた下賎な光は灯していない。
となれば残るは、蛮勇を成し得る程の強者であるという事。
ゼルの肉体は人間の中でも特に研鑽を積んだものしか得られない程に引き絞られている。
しかし、肉体を鍛えた所でどうにもならないもの等は存在する。石化の魔眼を持つ大蜥蜴など正にそうだ。
『何故この地を訪った?』
故に分からない。
人間が一人でこの地を訪ねる理由が。
特にゼルは、大蜥蜴と睨み合っていたというのに魔術の類いを使っていた痕跡が無い。
まさかこの人間は、本当に肉体の力だけでどうにか出来ると思っていたのだろうか。
「…………」
多くの思考から導き出された質問に、ゼルは答えない。答えられない。
翼人達がどうやってこの森が出来たのか知っているのか分からないから。
もし知っていたとして、元凶の樹人に、枯樹人にどのような感情を抱いているのか分からないから。
そして肝心の龍匠がどのように扱われているのかも分からない。
もし奉られているとしたら、無法の客人として拒絶され、戦闘となるかもしれない。
伝説の種族と、戦闘。
たかが常人より優れた身体能力程度では敵う筈もない。
でもそれで警戒して話をまた止めるのは、違う。
『求める、もの、ある』
『このような場所にか?』
首肯。
『龍、探した』
『龍? まさか、龍匠?』
ゼルの言葉に反応したのは女の方。
『彼女は既にこの地にはいないと思いますが』
その言葉に眉を顰めたゼルに、男が女の言葉を引き継ぐ。
『階の鍛冶場は長い事沈黙している。かの龍匠は死んだか、この地を去っている可能性が高い』
そう告げる声音は憶測というよりは確信めいたものだった。
「………………そうか」
警戒に強張っていたゼルの身体から力が抜けた。
恐らく枯樹人とずっと一緒に居たのだろうリンは、この時代ではなく約650年前の住人だ。
それだけあれば人間は何十と世代を重ね、多くを忘れ去る。
他の長寿の種族であっても、無視は出来ぬ程の年数。
それはどの種族よりも長寿とされる龍であっても例外では無い。
故にこの森から龍匠が居なくなっている可能性は、充分過ぎるほどに存在した。
老衰による死……というのはあまり考えられないから、何らかの理由で居を移したのだろう。
ゼルはそう推測したが、悩む事無く、目標は変えずに龍匠が居たという鉱山を目指す事にした。
リンと合流する為にもそこを目指した方が良いというのもあるが、何かが遺っている可能性もあるのだ。
それに居ない可能性は最初から考えていた事だ。諦める理由にはなり得なかった。
『それ、でも』
『往くと』
肯定するゼルを見る女の手に、槍を持つ手に力が入る。
『何故かの鍛冶場を目指すのですか?』
返答如何では殺す。そんな意思がありありと伝わる態度。
『為さねばならん事がある』
この返答だけは拙くあってはならないと、ゼルは何度か口の中で言葉を転がした後に、今までとは比べ物にならない程流暢に返した。
『その為すべきこととは』
『……問う、ばかり。次は、そちら』
『む』
肝心の質問をはぐらかし、語るよう促すゼルに女は不服気な顔をする。
このような場に何故人間が居るのか、何故かの龍匠の鍛冶場を目指すのか、そこで為すべきこととは何なのか。
迷彩の蜥蜴を相手に怯むことなく戦い、石化の魔眼を掻い潜って痛手を与えたという。
そんな危険な者であるゼルを見極めなければならないと、目を眇めていた所で遮られた。
言いたくない、そう取れるゼルの態度に、翼人達を取り纏める女の警戒心は否応無く増していく。
「――――――」
「――――――――」
だが自分達ばかりが訊いているという自覚もある為に、女は男含む無傷のもの達に何処まで語るべきか、各々の認識をすり合わせ始める。
「………………」
そうして再び始まった理解不能な言語でのやり取りに、ゼルはどうこの場を抜けるかを模索する。
森で舞うには大きすぎる翼を持つ者たち。
彼らがこの場にいるのがまともな理由では無いことは、傷を負うもの達の惨状から明らかだった。
ゼルは軽く、首を巡らす事無く周囲を見遣った。
ゼルを抱えて男が入って来たのは、ゼルの身長を大きく超える場所にある横穴。
それ以外に目立った出入り口の類いは見当たらず、この木に囲まれた空間を照らす仄かな鉱石の存在も相俟って、秘境と言われても納得出来る。
だがその有り様は利点にはならない。
横穴に向けて駆けて跳ぶ間に、翼人はただ背の大翼を一つ羽ばたかせるだけで追いつくだろう。
「…………話し合うしかないか」
翼人達を警戒してはいても、敵対するつもりの無いゼルはそう選択した。
脱出するにしても、翼人達もゼルのことを警戒している以上阻止されるのは確実。
そうなれば、脱出は力任せにする他ないからだ。
「――――――」
「――――――――――」
「――――」
「――――――――」
大人しく待つ事暫く。
四人で何事かを話す翼人達の声が途切れ、樹人語を話せる二人がゼルに向き直った。
『我らが此処に在るのは朋の為。それ以上の開示は出来ない。そして、其方を階の鍛冶場に通す事も』
「………………」
男の言葉に、ゼルは瞑目した。
自分から敵対するつもりは確かにない。
しかし、拒むと言うなら話は別だ。
『しかし、それを覆す為の条件が一つ』
「……?」
高まる戦意に身を預けようとしていたゼルに、女が告げる。
『石化蜥蜴に挑む貴方の蛮勇を貸して欲しいのです。共に戦えば貴方の実力も、人となりも分かる』
そうなれば階の鍛冶場に向かう事を赦すどころか、案内も請け負うと言う女翼人。
だがゼルにはそうする事による利益も、何より何故力を貸して欲しいのかも分からない。
『情報、ない。断る』
『…………』
同行するというだけで不死に王眼と多くを制限されるのだ。
情報を圧倒的に欠いた申し出を受けるはずが無かった。
そんなゼルに二人の翼人は顔を見合せ、案の定だと互いに頷くと更なる情報を乗せていく。
二人はゼルが本当に安請け合いするような蛮勇の徒か試したのだ。
『人面獅子、という魔物を知っているか』
『名前、以外、分からない』
『獅子の身体に蛇の尻尾。そして醜悪な老人の顔を持つものだ。我らが求めるものが奴の臥所にある』
『取る、協力?』
ゼルの問いに男は頷いて肯定を示す。
『意味、……意図? やっぱり分からない』
『其方は石化蜥蜴と遭遇しても億さず挑み痛手を与えた。最終的に倒せたかどうかは私が遮ったせいで分からないが、確かな実力を持っている事は分かっている』
言いながら、男は後ろを振り返る。
そこには大半が重傷を負った翼人達の姿がある。
『見ての通り我らは満身創痍。今は少しでも力が欲しい』
「………………」
ゼルは翼人からの依頼に、やはり益が無いと考える。
未知の魔物に対する恐怖は無い。寧ろ望む所だ。
死を望むからでは無い。強くなる為に強敵との戦いは必要だ。
案内を得られるのは有り難い。だが、不要だ。
不死を晒すわけにはいかないから? それは当然だ。
それ以外には、なんだ? 分からない。しかし、彼らと関わるつもりは無い。
ゼルは己の中の漠然とした思考に困惑した。
流石にこのような不明瞭なものでは断れない。
『……一つ、前に、したい事ある』
故にゼルは、せめてもの益を求めた。
『なんだ?』
『石化蜥蜴を、殺す』
途中で放棄した戦いの再開を。




