友
「何故受け取らせた」
「言った方が良いです?」
伯爵との対談を済ませて街を出たその日の夜。
少しばかり距離を置いた位置で馬達が眠るのを尻目に、掘った穴から異臭を伴う煙が上がるのを見守りながら、ゼルはリンに問い掛け、その返答に唸った。
結局、馬はゼルの警戒度合いと比べると、非常にあっさり返された。
当然、栗毛の幼馬も。
部屋の補修費代わりに置いて行こうにも、そもそも伯爵邸を訪っていない事になっている為、不自然に馬が増えるというのはおかしい。
だから呆気なく手元に戻って来たのだが、ゼルの機嫌は仮に馬を取られていた場合と遜色無いだろう程度には悪かった。
「貴方はもう少し人と関わるべきです」
「人の世にいれば、何れは何かをきっかけに力がばれる」
「だからと一切を断つのは違うじゃありませんか。誰かいないんです? 繋がりのある人。あ、あの村の方々は無しですよ」
「居ない」
ゼルは迷う事無く答えた。
「ご友人は?」
「皆死んだ」
「……すみません」
ゼルは構わないと答え、人の世を忌避しているわけでは無いと言葉を重ねる。
「力を隠す為にも、力が欲しい。伯爵の傍に居た二人。あれらが動いていれば傷を負っていた筈だ」
「とんだ大博打をかましたものですね」
「先に動いたのは向こうだ。抵抗していなくても結末は変わらなかった」
ゼルの不機嫌の要因の一つはそれだ。
長々とした廊下を歩かされた先に居たのが影武者であった事もあって苛立ち、多少喧嘩腰になっていたのは認めるが、結果としては向こう側が始めた小競り合い。
最終的には無傷で済んだものの、伯爵と共に壁の内に潜んでいた騎士達や、動かなかった侍女長等、あの場での実力者が動いていれば傷を負っていただろう。
ゼルは、己の実力不足に顔を顰めながら、傍に置いていた枝を煙を放つ穴に焚べた。
今燃やしているのは、令嬢の遺髪だ。
髪というのは魔術の触媒に使われることもある。故に迂闊に埋めるわけにも行かず、ゼルは役目を終えた遺髪を燃やしていた。
「……気に食わんな」
穴から微かに覗く炎を見ながら、ぽつりと零す。
「何がです?」
「伯爵だ。娘の死に何の反応も見せなかった。仮に感情を隠していたとしても、検めようとすらしないとは」
嫌悪感を顕に吐き捨てるゼル。
彼の手には伯爵家の紋が握られていた。
それを見る彼の目は、殆ど睨んでいると言っていい。
配下が迂闊に動いたが故の対応。
伯爵の意図が分からないゼルには、伯爵は己の子供の死に全く心を痛めない非情な人間として映っていた。
家族や村の隣人達を尊び、それらが全て無くなった時に迷いなく自死を選んだゼルには、伯爵は嫌悪の対象以外の何者でも無かった。
「これは使わない」
ゼルの横の空気が揺らぎ、陽炎が姿を顕した。
それに向かい、ゼルは伯爵紋を投げ込んで陽炎を消そうとした。
「待って下さい、なんですそれ」
「知らん。気付けば使えるようになっていた」
止めたリンの問いに対するゼルの言葉は端的すぎる程に端的だった。
その言葉にリンは不思議そうな顔をして陽炎に触れ、すり抜けた手を見つめていた。
「本当に何です? これ」
リンの言葉に、ゼルは変わらぬ答えを返す。
「自分でも分からん。入るのは鉱物と武具だけ。武具に関しては俺の血を吸わせんようユグリアの剣を入れていただけだ。何かが入っていたということも無い」
「では今は何が?」
「硬貨だけだ。貯金箱とでも思えばいい。それより」
今度こそ伯爵紋を投げ込んで陽炎を消したゼルは、リッカデュラルの街に向かう道中で、リンが話していた話の一つについて触れた。
「龍匠というのは何処にいる」
「おや、彼女にお会いになるので?」
若干の驚きを孕んだリンの声に、ゼルは頷きを返す。
「奴が獣を理解してより強くするのなら、俺も剣を理解せねばならん」
言いながら、ゼルは手元に一本の剣を作り出して、異臭の消えた穴の中へと突き入れた。
じゅわ、と。急速に冷えていく焚き木が白煙を上げながら炎を小さくしていく中、ゼルは剣から力任せに手を離す。
「俺はまだこの力に呑まれたままだ」
リンに向けて差し出したゼルの手は、霜が降りてまともに動かない状態だった。
その上、剣に指がこびり付いて一部が欠けている始末。
紫眼の獣達との戦闘でも一度だけ氷の槍を作り出したが、あの時は王眼による身体強化があった影響で投げる程度の事は出来た。
逆に言えば、そうしなければまともに動かせなかった。
「これは……、氷の魔剣? たしか貴方は剣を操るのと身体強化以外の」
「それは眼の力だ。魔術は一切使えんし、これは模倣だ」
「ではさっきの、……何でしょう、空間も?」
「恐らくな」
ふむ、と。色々と考えを巡らせて沈黙するリン。
霜が消えて感覚と指の戻った手を握ったり開いたりしているゼルに、リンは思いついたように言った。
「だったら彼女に剣を作ってもらいましょう。龍の息吹を注いで貰うんです」
「何?」
「その力を使いこなせるようになれば、自然と剣への理解も深まっているはずです」
リンの言葉に、ゼルはややあってから頷いた。
どちらにせよ龍匠への興味は揺るがないし、剣の理解に、己の強化に近付くかもしれないとなれば断る理由もなかった。
「それで、何処にいる」
「鉱山です。暗い闇に覆われた奇っ怪な森に守られた所に、彼女は居ます」
「闇だと?」
「えぇ、あそこは少し……特殊で」
若干言い淀む雰囲気を見せるリン。
その地に棲まう大いなる龍匠の話をゼルにしたのは自分だというのに、行きたくないという思いがありありと伝わってくる。
「あぁ、それと。あそこは常に夜なので、灯りを用意しないと」
「灯り……」
言われ、ゼルは最近見た一つのものを思い出した。
特殊な加工を施されて輝き続けるものを。
「貴方も夜目は利くでしょうけど、隅の闇までは見えないでしょう?」
「"渡り"は」
リンは首を横に振って出来ないと示した。
森の小精や樹人の持つ、自然の中を自在に飛べる特殊な術法。
闇の森も一応は自然であるというのに出来ないという。
「行けるのは境までです。あそこは森ではありますが、森では無いので」
「??」
ゼルはその言葉を理解出来ずに首を捻った。
だが、それは行けばわかるだろうと判断し、穴を埋めると起き出した馬の元へと向かう。
「取り敢えず灯りを取りに行く」
「おや、何か心当たりが?」
「あぁ、故郷に一つ。それを取ったら闇の森とやらに"渡る"ぞ」
そうして、ゼルは翁と決別した故郷の村へと針路を取った。
しかし、目的のものを取ることは出来なかった。
「…………」
リッカデュラル伯爵領より数日。
相変わらずの行軍速度で南下して一路村へと向かったゼルは、柵を設えられて多くの兵士に囲まれた村を見て、不快気に顔を歪めた。
「おや、何かあったのでしょうか」
「いいや、した」
遠目に見える兵士達は、数人の冒険者と共に村を巡り、ゼルが弔いの為に突き立てた剣を引き抜こうとしたりと、調査をしているようだった。
「した、というと?」
「弔いに全ての軒先に剣を刺して回り、その上で幻境の獣達と戦った」
「げんっ……、よく生きてましたね?」
「一時は身体の全てが消えた」
「…………そんな経験をしておいてまだ死ねると思っていたので?」
黄金の異常な、再生力などというのも烏滸がましい程の力と、それを経てなお死を求めて彷徨っていたのかと問うリンに、ゼルはあの時はどうかしてたと返す。
「しかし、あの剣凄いですね。大の大人数人でも引き抜けないとは」
「抜かせるわけが無いだろう」
そう言うゼルに、使われる可能性を考え付いていたのに何故調査されるとは思わなかったのかと、リンは呆れを孕む目を向けた。
流石に自暴自棄になり過ぎていたという自覚のあるゼルは、リンのそんな視線を居心地悪く受けていた。
「それで、どうなさるので? 伯爵のものを使えば入れるんじゃないです?」
「使わんと言ったろう。近くの小川に井戸に繋がる洞窟がある。そこから……」
夜に忍び込む。
そう言おうとした時だった――
「これはゼルだ! あいつは生きてたんだよ!」
「っ」
――そんな声が聞こえたのは。
その声の主は、村の家屋群から多少離れた家の一つを前に、歓喜の声を震わせながら兵士と冒険者達に向けて訴えていた。
「だってそうだ。短剣があるのはここだけだ。……っ、アレンとエニタが子供作ったのを知ってるのは村のモンだけだ! 生きてたんだよ! ゼルは!」
「ゼル? って、もしかして貴方の」
「"渡る"ぞ」
「は……?」
尚も聞こえる声に、ゼルは抑揚の無い声でリンに告げ、手綱を引いて馬達を反転させて村から離れ始めた。
「ちょっ、よろしいんですか? あの方はご友人でしょう? それに灯りは」
「要らん。感覚を尖らせる収斂と思えばいい」
「ですが、死んだと思っていたのでしょう? 少しだけでも」
「いいから、"渡る"ぞ」
村近くの雑木林に入ったゼルは、リンの言葉を強く遮って闇の森へと行くよう促した。
だが、リンはこれを拒んでゼルを説得しようとする。
「駄目です。この際灯りは良いとしても、会うべきです。残された友人なんでしょう?」
「会う気は無い」
「ですが……、次にいつ会える機会が訪れるかは分からないんですよ? 最悪二度と会えないかも」
事実、貴方はそれで色々失った。
暗にそう言うリンに、ゼルは少し瞑目した後にそれでもと答えた。
「……村を滅ぼしたのは俺だ。会う資格は無い」
「そう思っているのは貴方だけです。彼は違う筈だ」
「その確証が何処にある」
「貴方が恨まれる確証も無いでしょう。話してみませんか。そうしないとどうにもならない。貴方は旦那様と会った時に協力関係になるとは微塵も思わなかったでしょう?」
「っ、……」
ゼルは何かを言おうと口を開き、直後に目と口を強く閉じてそれを堪えた。
「それでもだ。……頼む」
ゼルは、せめてもの抵抗か地面に降りたリンに視線を合わせるために膝をつき、懇願にも近しい声を絞り出した。
その言葉は森の小精の主と口論したような、貴族と腹の探り合いを演じた時のような強さは微塵も無く、ただ揺らぎ苦しむ弱々しいものであった。
「……今は良いのかもしれませんが、このままだといつか後悔することになると思いますよ」
その警告にゼルは答えない。答えられない。
そんな彼の様子に、リンは溜め息を吐くとゼルの肩に小さい手を置いた。
「…………良いんですね?」
「……あぁ」
「………………では額を合わせて。あ、馬達の手綱は離さないで下さいね」
リンは己の額にある宝石をゼルの額と打ち合わせ、二人揃って目を瞑った。
そして――
「………………」
「……………………」
「…………………………おい?」
「いえ違うんです。……どうやら向こうの地形が変わったようで、もう一度お願いします。いい所がある」
――周囲の空気が、一変した。




