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リッカデュラル伯爵(後)

「旦那様、例のお客様をお連れしました」

『入れ』


 複雑怪奇な屋敷の中を案内されて辿り着いた重厚な扉を持つ部屋。

 入室の許可と共に、ゼルはその部屋に踏み入れた。


「良く来たな冒険者。腕を売り込みにでも来たのかね?」


 部屋の中央に座する長机を挟む革の長椅子。

 その一方に一人の男が座っていた。

 年季を感じさせる深い皺に、鋭い目を持つその男は、目線でゼルに座るよう促した。


「いいや、申し訳ない事にこの身は組織に捉わぬ流浪の身。貴族、それも伯爵閣下程のものに売り込めるような腕は持っていない。あぁそれと、学が無い故に言葉を飾れないことを許して欲しい」

「構わぬ。民の言葉が如何なるものであれ、精査し時に取り入れるのが我らが責務。多少の無礼であれば赦そう。それに、私の形も客を迎えるには物々しい」


 共に互いの欠点に目を瞑ろう。

 暗にそう言う男は、飾り気のない実用性重視の鎧に身を包んでいた。


「……帝国との緊張が高まっているとは聞いていたが、これ程までに危機迫っているとは思わなかった。そんな中で訪問してしまった事を謝罪したい」


 言いながら、ゼルは周囲の騎士と、彼らの横に並んでいる侍女達に目を流した。

 十分数の実力者達を侍らせながら、貴族自身も身を護らなくてはならないのか。という、疑問だ。


「何、周りが着けろと五月蝿かっただけだ。私は戦えんし、そこまで切羽詰まっているというわけでもない」


 それに周囲の者らの忠誠故だと、いざとなれば騎士達は何時でも武器を振るうと応じる男。


「成程、盗み聞く程に主を知ろうとするとは、随分と見上げた忠道を歩む部下たちだな」


 その言葉の裏を知ってか知らずか、ゼルはこの部屋に入ってから感じていた違和感について言及した。


「……仕方なかろう、我ら貴族は常に命を狙われる。壁に潜ませねばならんのだ」


 男はその違和感を、護衛達のものであると答えた。

 変にはぐらかすよりも、そうした方が良いと判断して。

 しかし、その声が固くなったのは誤魔化せない。

 部屋の空気が変わったのは誤魔化せない。


「確かにそれはよく分かる。だが幾分か殺気立ち過ぎじゃないか? 俺は剣を封じられているんだぞ?」


 言いながら、ゼルは周囲の壁に視線を巡らせた。

 一々止め、そこに居るのは分かっていると。

 ここに来るまで、侍女達に案内された道は複雑怪奇そのもので、間取りの把握が難しかった。


 だがそれでも、ゼルの眼は誤魔化せない。

 自身を狙うもの達の武装を、燭台に見える絡繰りの弓矢を。

 そして、


「なぁ、右目の黒子(ほくろ)は何処だ? 伯爵殿。こんな馬鹿みたいに大量の騎士を置いて、本物の伯爵はどこに行った?」


 なんだかんだと『踊る白鶴』などで伯爵の情報を仕入れていたゼルが、その明確な違いを見逃す事は無かった。


「……その前に、本題を」

「俺は門兵に言ったぞ。伯爵本人に見せねばならないものがあると。渡さねばならないものがあると。主君への報を、勝手に聞くと? 本当に大した盗み聞き趣味だな」


 身を乗り出して吐き捨てたゼルに、周囲の空気が本格的に殺気に満ちたものへと変わった。

 このままだと直に戦闘になるだろうと察したリンが、姿を消したままこっそりゼルの肩上から降りた。


「今の時期は理解していよう!」

「分かっているとも。俺を帝国が遣わした刺客とも限らんと考えているんだろう?」

「左様! 故に貴様を閣下に目通りさせるわけにはいかんのだ! それに、なんだその格好は、半裸? 半裸だと!? 巫山戯るのも大概にしろ未開人!」


 影武者であることがばれた男は、主君の名代を努める事をやめ、出会った時からの不満を爆発させた。


 因みに未開人という発言は、ゼルの格好とどこの組織にも属していないという発言から出た言葉だ。


「ここは尊き御方方が住まう御屋敷だ! 決してそんな格好で足を踏み入れて」

「許可を下したのは伯爵じゃないのか」

「いっ、ぬぅ……!」


 ゼルは怒りで途端に知能を落とした男に、話にならないと周囲に視線を巡らせた。

 だが、誰も動かない。いや、一部のものは己の剣に手を掛けている。


 その時だ、かちり……と、壁に掛けられた燭台から音が響いたのは。


 壁の裏にいるものが(引き金)を引くと同時、一旦針が引っ込んだことで蝋燭が落ちて燭台が倒れた。

 落ち行く蝋燭を跳ね除け、鋭い鏃持つ矢と化した燭台がゼルに飛んで行く。


「っ!」


 矢を避ける為に動いたゼル。

 彼のその動作は傍から見るとそれなりに大きく、殺気立っていた周囲のもの達が反応して動き出した。


「うぉおお!」

「っ……!」


 最初に動いたのは影武者の男と、待機していた侍女の一人。

 影武者は距離が近いのもあって飛び込んだ。

 侍女は貴人服の腰部に仕込んだ短剣を抜き、流れるように投擲した。


「ふん!」

「あがっ!?」


 対するゼルは、重厚な長机を力任せに蹴り上げた。

 飛び込んだ影武者は机を避けられずに顔面から衝突し、短剣は机の端に弾かれて豪奢な吊り照明へと飛んで行く。


 ゼルは影武者がぶつかった影響で、緩やかに自分の方に戻って来る机を蹴り押す事で遠ざけ、結果影武者は下敷きとなった。


「ふっ……!」


 次いで動き出したのは、ゼルの後方に待機していた二人の騎士のうち一人。

 落ちる照明からゼルが身を離した先に、手に持っていた約2m程の短槍を突き出した。


 ゼルは照明を避ける為に下げていた足を更に半歩下げながら、身体を逸らして鋭い突きを避けた。

 だが反撃はしない。騎士との間には椅子がある為だ。


 それに……


「しっ……!」


 短剣を投げた侍女とは別の侍女が、貴人服(ドレス)の腰元の膨らみから、いつかの時にゼルが使ったような短剣と一体の鎖を取り出して、短剣部分を投擲した。


 同時に天井から、がた、という音がなり、矮躯の男が短剣の切っ先をゼルに据えて落ちてくる。


「ふっ……!」

「なっ、がきゃ!?」

「不味い……!」


 ゼルは足に力を込めると高く飛び上がり、鎧に鎖短剣を擦らせ、矮躯の男を蹴り飛ばし、勢いで反転した事で眼下に来た鎖に手を伸ばして掴み取った。


「いっ、このっ!」

「ぜぇあッ!」


 矮躯の男が凄まじい音を立てて壁を壊すのを尻目に、ゼルは着地と同時に身を伏せ、鎖を引いた。


 人間離れした膂力で力任せに鎖を奪われた侍女は、椅子に身体が引っかかって上半身が折れたのを利用し、前転しながら腰から二本の短剣を引き抜いてゼルの元へ駆け寄る。


 その中で、再びかちりという音が。


 ゼルは奪い取った鎖をある程度腕に巻きつけて丁度いい長さに調整すると、鎖を振るって先とは別の燭台から飛び出た矢を弾いた。


 そして、その勢いのままに床に落ちている吊り照明に鎖を伸ばして巻き付け、侍女に投げ付けた。


 この時、鎖を巻き付けたのはゼルの純粋な技量というわけではない、先だけ王眼の力を使って操作したのだ。


「っ!」


 矮躯の男と鎖の侍女が突っ込んで崩れた壁の向こうに、新たな二人の騎士と堂々と座る男の姿を見ながら、ゼルは新たに動き出した騎士と槍の騎士の攻撃に対処する。


 椅子を超えずに再び突き出された槍を、すれすれで躱して鎖を絡めさせ、椅子を超えてきたもう一人の騎士の剣と槍を打ち合わせた。


「「なっ!?」」


 そうして、引き込みの勢いで乗り出た槍の騎士と剣の騎士を、鎖で括って拘束し、直後に吶喊して来た短剣の侍女に向かい合う。


「っ、ふっ、はっ……た、ぐふっ……!?」


 無手となったゼルは、小回りの利く短剣を巧みに操る侍女の手を弾き、掴み、引き寄せ、腹に蹴りを入れた。


「………………」


 頽れた侍女の手から短剣を奪い取ったゼルは、動かずに居る老侍女を初めとした一部のもの達に目を向けた。

 崩れた壁の奥で、二人の騎士を侍らせて座る男に。


「させるかァ!!!」

「っ」


 ゼルが男に近付かんと踏み出すと、瓜二つの顔を持つ影武者が、勢い良く長机を跳ね上げた。

 長机はかなりの重量を持つにも関わらず、部屋の中で一回転して落ち、勢いのままに近くの壁を凹ませて寄りかかった。


 口の端から血を垂らした男は、ゼルに掴みかかるとそのまま押し込み、ゼル共々椅子を倒して転げ落ちる。


「貴様を閣下には近づかせん!」


 机を避けた瞬間を狙われた体当たり。

 椅子を倒して転がった事で影武者は手を離し、もう一度掴みかからんと起き上がった瞬間に、ゼルに胸を蹴られて吹っ飛んだ。


「…………」


 影武者が壁にぶつかり、俯いたまま動かないのを検め、ゼルは影武者と同じ顔を持つ男の元へと歩き出し……、元あった壁付近まで近付いた瞬間に新たな燭台の矢が飛んで来た。


 ゼルはそれを手早く掴み、男を見ながら矢を折った。


「隣国との緊張が高まっている故にこんな()で申し訳ない。そう言ったはずだが?」


 男は矢が床に転がる音を決起に口を開いた。

 その言葉の意味は、警戒故に影武者を用意した事を示唆するもの。


「生憎と名もない村育ちなもんで、学が無くて申し訳ない。まさか貴き御方が壁の内に篭っているとは」


 対してゼルは己が世俗から離れた無知であると示唆し、無礼を働いた自覚が無かったと暗に告げる。

 加え、盗み聞き趣味と言った事も分からなかったが故のものだったと。


「構わぬ。先も言ったが、多少の無礼は赦す」


 赦すと告げつつ、影武者の発言は自分のものであると男……リッカデュラル伯爵は言う。


「奴が怒りに吠える前の言葉は、全て我が言葉。再びの謝罪は余計だ」


 その上で未開人という侮辱は、自身で無くなった(我を失った)ものが勝手に発言したことだと。


「あぁ、……それで」


 ようやっと本題に入れると、ゼルは手に持ったままだった短剣を投げ捨てた。


「私に見せるべきものがある。と。このような真似をしてまで、何を見せに来た? 首採り殺し」

「…………」


 ゼルはその言葉に、一旦は何故と疑問を抱いた。

 彼の旅路は、常人のものより遥かに早い。


 白鶴の街より進み、この地に辿り着くまでにゼルがかけたのは約七日。

 対して、普通に馬車などを使って進んだ場合は、十日から十二日。


 馬に睡眠を取らせている時以外は常に歩み続け、道中の街全てを無視してこの日数。

 ゼルに関する殆どの情報は、未だ彼を追い掛けるのみで越してはいない。


 そう思っていたのに、この速さ。

 首採りを討伐してより彼の歩みが止まったのは、討伐直後に街に滞在したのと枯樹人(エルヴェナンド)との邂逅時のみ。

 早馬か、それとも魔術か。


 どちらにせよ、ゼルは改めて貴族の厄介さを痛感した。


「貴方以外には、迂闊に見せられんものだ」

「よい、それが何かは分かっている」


 首採り殺しを否定せずに渡すべきものについて触れれば、伯爵はそれだけでゼルが首採り殺しである事を確定させ、同時に何を届けに来たのかも察した。


「検めないと?」

「左様」


 ゼルは無言で伯爵を睨め付けた。


「何も聞かないと」


 伯爵は何も答えない。

 影武者を初めとした迂闊に動くものたちがいる以上、娘の死を確定事項として周知させるわけにはいかないのだ。


 ゼルの動きを攻撃ではなく、ただ矢を避けるため(こちら側の失態)だと理解せずに動いたもの達は、この場で伯爵の信を失っていた。


 忠義に動いたことは賞賛に値するが、それで盲目になっては意味が無い。


 伯爵の意図を読めないゼルは顔を不快気に歪めた。

 そして壁に寄り掛かる机を元に戻すと、その上に伯爵紋を叩き付けた。


「…………義理は果たした」

「待て」


 肩を怒らせながら重厚な扉を開けたゼルに、伯爵が声を掛けた。

 リンが姿を消していて何処にいるのか分からない故に、遮る為に扉を閉じれずゼルは伯爵の言葉を聞いた。


「貴様は今日、この屋敷には来ていない。故に紋は我が手に在らぬ」

「持っていけと?」

「違う。貴様が持っているのだ」


 やはりゼルは意図が読めず視線を彷徨わせた。


「恩でも売るつもりか」

「どうやってだ?」


 そこで漸くゼルは察した。

 伯爵の紋を使ったところで、感知はしないと言っているのだと。

 だがやはり、意図までは分からなかった。


「受け取りましょう。貰えるものは貰うべきです」

「…………」

「取らないなら私が取りに行きますよ」


 ゼルはリンの申し出に舌打ちした。

 確かに支配階級たる貴族の権威に頼れるのは、何かあった際に有効だ。


 特に今、ゼルは文明組織の一切と繋がりが無い。

 今はそれで良くても、何れ力を隠したままではどうにもならない事態に見舞われる可能性もある。

 その時に何の後ろ盾も無いよりはあった方がいい。


 ゼルもそれは分かっていた。

 だが貴族への警戒と嫌悪が受け取る事を躊躇わせ、その切っ掛けをリンが作った。


「……ふん」

「侍女長」

「はっ」

「案内を」


 そうして、不服気に紋を拾い上げて侍女長と共に去って行くゼルを見送り、伯爵は軽く力を抜いた。


「宜しかったのですか、閣下」

「あれは帝国の者共が好む手合いだ。誘致された時に私の存在を思い出させればそれでいい」


 傍に侍る騎士の問いに、伯爵はそう答えた。

 つまるところ、伯爵がゼルに紋を渡したのは粉掛けだ。

 ゼルが紋を使う使わない関係なく、持っているだけでそれは効力を発揮する。


「……何が学が無いだ。時間を取って正解であったな」


 ぼやく伯爵の視線の先には、死にはしていないものの気絶したり唸ったりと倒れ伏す配下達。

 貴族を相手に腹芸を仕掛ける豪胆さだけでなく、首採り殺しを証明出来る確かな実力もある。


 紋を渡したのはそれらを併せ持つ戦士を、簡単に帝国に渡さない為の行いだった。

 そして万に一つもゼルが紋を使えば、向こうが多少なり恩義を感じる事になるかもしれない。という狙いもあった。


 そこに善意の類いは一切ない。

 平民の無礼な口調を大仰に受け入れる器を持っていても、彼は貴族であった。

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