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幕間:旅立ち

「ごめんなさい、今日は気分では無くて。今日は遠慮して下さるかしら? その分、次に来て下さった時には併せてもてなさせて頂きますので」

「あぁ、分かったよ。惜しいが、君に嫌われたくは無いからね」

「えぇ、ありがとうございます」


 夕闇に溶けゆく陽光が照らす華やかな部屋の中で、ヴィーラは一人溜め息を吐いた。


「虚しいわね……」


 彼女の内に反芻するのは、数日前に出会った変わった男の言葉。


『決めた者がいる』


 男の言葉には、ヴィーラが聞いたこともない程の強い意思が宿っていた。

 踊っている時や、戦っている時には浮かんで来ないけれど、今みたく客を取るとその男の声が重くのしかかる。


 果たして自分には、彼のように人を強く想う事などあっただろうか。


「…………」


 思い出せない、思い出したくない。

 過去の事を思い出そうとすると、どうしても()()()()が付随する。

 その度に、手が震える。身体が震える。


「はぁ……」


 一人になると、どうしても気丈に振る舞うことが出来なくなる。

 でもそれを誤魔化すにも、男の言葉が思った以上に強く反芻し、考えてしまう。


「確か……、明日だったわよね」


 客や男……、ゼルに見せた嫣然とした表情が姿を消し、不安に揺れる目を彷徨わせながら、彼女は知り合いの言葉を思い出す。


 それはゼルが言伝を頼んだ洞鍛人(ドワーフ)


 ゼルに渡された言葉を洞鍛人に伝えると、彼は槌を落とした。それはヴィーラが初めて見る光景だった。

 そして行くべきところがあると、今請け負っている仕事が全て終わり次第旅支度を整えて街を出ると言い出した。


 その予定日が明日だった。


「ヴィーラ、居るかい」


 どうしようか。

 考えを巡らすヴィーラに、部屋の扉を叩く音と安心を齎す声が届く。

 入るよう促すと、姿を現したのは案の定。

 ゼルに責任の是非を問うた老婆であった。


「また眼を使って客を返したね」

「女将……、ごめんなさい」

「良いんだよ、責めるつもりは無いさ」


 老婆に答えるヴィーラには、演習場でおどけて見せたような強さは無かった。

 老婆は、彼女にとって唯一全てをひけらかせる相手であり、二人きりの時には何も取り繕う必要が無い相手だった。


「……どうしたらいいのか、分からなくて」

「なんだい、本格的にあの男に惚れたのかい?」


 ヴィーラは老婆の言葉に薄く笑い、それは無いと返す。


「色々抱えていて掘れば掘るほど色んなものが出てきそうなのは面白いけれど、それ以外には興味が無いもの」


 だからこそ、困っているのだけど。


「だからって無理すんじゃないよ。この前は生きた心地がしなかったからね」

「…………」


 この前とは、ゼルと別れてから初めて客を取った次の日の事だ。


 客との行為中にゼルの言葉が常にこびり付き、それを晴らそうとして、客を壊した。

 結果的に客は大喜びで帰って行ったから良かったものの、ヴィーラの心の内は全く晴れ無かった。


 そうして迎えた次の日、彼女は冒険者組合に行き依頼を受けた。自分の実力に見合わない依頼を。

 それにより、彼女は死にかけた。


 普段戦わない強敵を相手に、苛立ちに平静を失った状態で挑んだのだ。当然の結果だった。

 同伴していた冒険者達が居なければ、今頃彼女はこの世に居なかっただろう。


 起き上がったヴィーラを心配した老婆は、数日店を休んでいいと言ったが彼女は聞かず、以来この調子である。


 剣と閨。彼女を強く在らせた両方が、ゼルと出会った事で瓦解した。


「自分を見つめ直す時が来たんじゃないかい」

「見つめ直す?」

「そうさ。……このままだったらいつか駄目になるってのは、分かってた事じゃないか」


 老婆の優しい声音に、ヴィーラは沈黙を返した。


「元々街を出るつもりだったんだろう?」


 ヴィーラは驚愕に目を見開き、老婆に顔を向けた。


「知ってたの?」


 これは老婆には伝えていなかったのだ。

 そんなヴィーラに、老婆は皺だらけの顔に笑みを浮かべた。


「あ、カマかけたのね!?」

「ははは、相変わらずあんたは分かりやすいねぇ。私がどれだけ見て来たと思ってるんだい。少し見りゃ分かるさ」

「もう……、女将には敵わないわ。知ってる? 他の子達から読心婆さんって呼ばれているの」

「なんだい、あの子たちそんな事言ってるのかい。今度叱らなきゃだね」


 程々にね。断るよ。

 そんな他愛も無いやり取りのうちに、ヴィーラも少しずつ調子を取り戻していく。


「それで、何処に行くんだい。ングの偏屈野郎に付いて行くのかい?」

「それも知ってたの?」


 ングと言うのは、洞鍛人のあだ名のようなものだった。と言っても、彼をそんな名で呼べるのは老婆だけなのだが。


「急に仕事を断り始めたからね。何かあったと問い詰めたら故郷に帰るって言うじゃないか」


 それで、ヴィーラの旅の先にも丁度いいのでは無いかと思ったと言う老婆。

 洞鍛人は人間と価値観が違う為に、ヴィーラを見ても整った彫像のようだと賛美しても、劣情を抱くような事は決してない。


 それは、今のヴィーラにとって必要な場所だろうと。

 性欲云々関係無く関われるもの達。権謀術数なんてものも巡らせない、純粋なもの達。

 それはヴィーラに必要なもの達だと。


「でも」

「店なら気にするこたぁ無いよ。今のあんたじゃ売り上げは変わらないさ」


 それは突き放すような言葉ではあるが、何も気にするなと言う励ましの意の方が強かった。


「ここは娼館だ。美しいだけじゃ意味無いからね」


 まぁ、あんた程のものなら何もしなくても稼げるが。

 そう茶化す老婆の言葉に、ヴィーラは笑った。


「そうね、分かった。取り敢えずンギルグボルグに話を付けに行ってみるわ」

「あぁ、そうするといいよ。いつ戻って来ても良いからね」

「…………えぇ、ありがとう。いつも、本当に」

「構やしないよ。うちのもんは皆私の子供さ」

「あら子沢山」


 そうしてヴィーラは娼館を後にし、白鶴で武装を整えると沈黙知らずと謳われていた、静かな小屋へと向かった。


「入るわよ」

「既に入っとろうが」


 小屋の中には最低限の設備が整えられただけの工房と、洞鍛人(ドワーフ)が過ごせるだけの小さな空間があるだけの狭いものだった。

 中は凄まじい熱気に包まれており、轟々と盛る炉の前でヴィーラの臍程までしか身長の無い、()()()男が座っていた。


「…………もう仕事は終わったんじゃないの?」

「あぁ、終わっておる。これはまた別じゃ」

「そ」


 ヴィーラは物静かな洞鍛人に神妙なものを感じ、小屋の隅の椅子に座って洞鍛人の作業に目を向けた。


「………………」


 洞鍛人は丸太もかくやな太腕に純白の鉱物を持ち、金床に置いたまま、槌を持ったもう片手をだらんと下げて動かない。

 気になったヴィーラが彼の顔を覗き込むように移動すると、濃い眉の下に一文字に結ばれた双眸があった。

 口元は髭で隠れて見えないが、きっと同じだろう。


「何を、しているのかって、聞いてもいいのかしら?」

「…………儂は、届かなかった」

「?」


 洞鍛人はそれっきり、何も言わずに黙りこくった。

 そうして暫く。何もせずとも吹き上がる炉の炎が、洞鍛人の持つ槌へと吸い込まれていく。


「だからこそ、儂は槌を振る。奴が一本の剣を作る間に、十、二十。届かんと振るい続け、その間に奴はより遠くの高みへと上り詰めた」

「鍛造魔術……」

「だがそれがなんだというのだ。奴は天才だ、名に見合う実力を付けた芯あるものよ。なれば、我が大成を捧げるに値する」


 灼熱の槌を掲げ、洞鍛人が目を開く。

 熱に揺らぐその槌に、それを持つ洞鍛人に、ヴィーラは何も言えずに見入っていた。


 鍛造魔術。

 人には扱えない、洞鍛人(ドワーフ)のみが扱える特殊な魔術。

 それを包ずる槌が、純白の鉱物に振り下ろされた。


 その音は美しく、鉄を打つ音とは程遠い。

 一打一打で心が安らぐような音に、ヴィーラは目を閉じ聴き入った。


 そうしてどれ程の時が経ったか、洞鍛人の手には一本の剣があった。


不穢の白鋼(ミスリル)の剣」

「そうだ。それで、何の用じゃ」


 音が絶えると同時に目を開いたヴィーラは、その美しい剣が何で出来ているのかを言い当てた。


 それを手に問うた洞鍛人(ドワーフ)に、ここを訪ねた当初の目的を思い出したヴィーラは、共に洞鍛人の故郷に行きたいと伝えた。


「人の身で儂らの山を訪うと?」

「えぇ」

「………………」


 そこで漸く洞鍛人はヴィーラに目を向けた。

 鋭すぎる眼光にもヴィーラは怯まず、共に見つめ合う。


「ふむ、まぁ良かろう」

「え」


 ややあって出された許可に、ヴィーラは呆けた声を出した。


「随分とあっさり受け入れるのね?」

「主の踊りは剣を映えさせる。好い土産となろう」

「えぇ、後悔なんてさせないわ」


 ヴィーラは自信に満ち満ちた様子で応えた。

 どれだけ揺らごうと、彼女の何よりの根幹たる踊りに対する自信だけは、揺らぐことは無かった。


 ――コンコン。


 共に旅の支度を始めんと動き出した二人の元に、新たな訪問者。


「失礼しま〜す……、あ、良かった。まだ居たのね」

「ルアンノ。どうしたの?」


 訪ったのは、ゼルと酔っぱらいが――主に酔っぱらいが――話していた金髪赤貴人服(ドレス)の娼女。

 彼女はあの時とは違い、ゆったりとした服で身を包み、その手には捻くれた特徴的な杖が握られていた。


「今のヴィーラじゃ心配だから私も付いていけって、女将が」

「それは嬉しいけど、店はどうするの? 私と違って貴女はちゃんと接客出来るでしょう?」


 ヴィーラの尤もな意見に、ルアンノと呼ばれた金髪娼女は苦笑する。


「そうなんだけど、休暇だよ〜って、強制的に休ませられちゃった」

「らしいと言えばらしいけど、随分強引ね」

「それだけ貴女が心配なんじゃないの? 私もここ最近の貴女は見てられなかったもの」


 その言葉にヴィーラは気まずげに顔を逸らす。

 思った以上に多くのものに心配を掛けてしまったらしい。

 それもこれもあの男のせいだと、ヴィーラは逃避するようにゼルに八つ当たりすると、艶のある笑みを取り戻してもう大丈夫だと言う。


「確かに、ある程度は立ち直った様だけど……それでも付いていきます」

「どうして?」

「洞鍛人の山とか、気にならないわけないもの。だから付いて」

「ならん」


 二人の娼女が客には見せないような柔らかな笑みを浮かべ合う中、それをぶった斬るように洞鍛人の低い声が響く。


「鶴娘だけならいいが、お主もとなると話は別じゃ。一気に姦しくなりおって。それにんな胸樽で何が出来る」

「たるっ……」


 洞鍛人のあんまりと言えばあんまりな言葉に、ルアンノの柔らかな笑みが固まった。

 かと思えば、頬を引き攣らせながら反論を開始する。


「見ての通り私は魔術師ですので、()()所から遠くを見渡せればそれだけで戦えますわ。少なくとも……、()()の貴方よりは役に立つ筈ですよ?」


 自身の容姿に触れられたが故に、種族的にどうしようもない身体の在り方に触れ返すルアンノ。


「ほぅ? 言いよるわ」


 洞鍛人はそんな彼女に、そこらの小娘よりは肝が据わってると笑い、互いに挑発し始めた。

 ヴィーラは今まで見た事のないルアンノの苛烈な部分に、やっぱり優しいだけじゃないわよね、と見当違いな所に安堵を抱いた。


 娼館では皆の長女的存在だが、やはり溜めているものはあるのだろうと。

 そういう点では、洞鍛人の存在はありがたい。

 客では無いし、変に恨みを持つような輩でもないから、一切の遠慮が要らないのだ。


「それに貴方、ヴィーラが生理を迎えた時にきちんと処理できるの?」

「んなもん鹿の肝でも食わせりゃ」

「却下します。その点だけでも私が付いて行く価値は十分あるはず。……それとも、女将の交渉が必要?」


 洞鍛人が腹の底から響くような低い声で唸った。

 彼は洞鍛人の女のように遠慮知らずに詰めて来る女将の事を、少しだけ苦手としていた。


「それに」


 ルアンノは背負っていた背嚢を床に置いた。

 どさりという重いもの特有の音が狭い小屋の中に響く。


「旅支度は既に終えているので、断られると困ります」


 次いで、盛大な溜め息と笑い声。

 前者は洞鍛人。後者はヴィーラだ。


「賑やかな旅もいいじゃない。鉄を打ってないと静かなものよ?」

「…………鶴娘、これを持て」

「あら」


 ヴィーラの言葉に遂に沈黙した洞鍛人は、彼女に剣を手渡した。

 ヴィーラは剣を軽く振るい、その軽さに驚いた。


「お主の剣は折れとるだろう。道中はそれを使え」

「良いの?」

「構わん。剣は振るわれてこそだからの」


 その言葉に、ヴィーラは腰に差していた二本の剣のうち、半ばから折れている方を抜き取った。

 これはゼルが投げた剣を弾いた時に軽い亀裂が走り、その後の戦闘でトドメを刺されて折れたものだった。


「でも、大丈夫なの? いつもの幅が厚いものとは」

「その辺は大丈夫よ。むしろ問題はこの軽さね」

「そんなに? 持ってみても?」

「良いわよ」

「うわっ」


 剣を受け取ろうとして若干身構えたルアンノが、思った以上に軽い剣に少しだけよろめいた。

 剣だと言うのに、鉱物だと言うのに軽すぎるその剣は、鋭い切れ味もあって慣れなければ自傷する危険があった。


「それと樽娘」

「は? 誰が樽ですって?」

「杖を寄越さんか。でなきゃ付いてくる事は許さん」


 洞鍛人の物言いに、娼婦が……女性がしてはいけない形相を浮かべたルアンノは、不穢の白鋼の剣をヴィーラに、杖を洞鍛人に渡した。


「ちょっ、それ高いのに!?」

「黙って見とれ」


 悲痛な叫びを上げたルアンノの目線の先には、金床の上に置かれた杖の先端が、洞鍛人の魔術でこじ開けられる光景があった。

 そうして出来た空間に、洞鍛人はルアンノの髪色に近い色の琥珀の宝石を填めると、手に魔力の光を宿して杖を閉じていく。


「ほれ、なんかつこうてみい」


 改造された杖を若干の涙目で受け取ったルアンノは、杖に魔力を込めた途端涙を引っ込めた。


「凄い……」


 ルアンノは興奮に頬を赤らめ、潤んだ瞳で杖を見た。

 今までも十分にいい性能だったが、洞鍛人が一手間加えただけで段違いのものへと変貌したのだ。


 今の彼女を見れば、客の男達は途端に直立する事が出来なくなるだろうが、生憎とこの場にいるのは同僚たるヴィーラと、人間に劣情を抱かない洞鍛人。

 加え、娼女の乙女のような顔が向けられているのが杖と、誰も得しない状況と相成っていた。


「それで、何時出るの?」


 洞鍛人のおかげで武装の強化を図れた二人の娼女は、何処か好戦的な笑みを浮かべながら洞鍛人に問うた。


「明日だ。日が昇ると同時に、我らが御山に往くぞ」


 そうして、一人の洞鍛人と二人の娼女は、北東に聳える世界で一番大きな活火山に向けて旅に出た。


 それは奇しくも、この旅の要因となる言葉を幾つも放った男が、新たな剣を受け取った時と同じ日の事だった。

全部ゼルのせい。

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