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報酬

「……爺さんが森で喧嘩を売るなと言っていたのも頷ける」


 森を出た途端に、枯樹人(エルヴェナンド)の力によって拓かれていた一本道が元の乱雑とした森に戻るのを見て、ゼルは乾いた笑いを漏らした。


「戦士殿! お戻りになられましたか!」

「みんなー! おいザド! 兄ちゃん帰って来たぞー!」


 そうして森から戻ってきたゼルの姿を改め、村のもの達が騒めく中、彼は村長である老人の、自分に対の呼び方が変わっていないと不服げにぼやいた。


「…………だから戦士じゃないと」

「おや、違うので?」

「違う。あと人里では黙っててくれ。置いていくぞ」

「貴方、それを言ったら私が黙ると思ってません?」

「違うのか」

「いいえ、大正解」


 姿を消しながらも肩から声を掛けてくる森の小精(ゴブリン)を黙らせ、ゼルは村に辿り着いた。


「それで、森の異変は……」


 労りや報酬の相談をする事も忘れ、異常事態の解決の成否を問う老人。

 彼を代表に、ゼルの帰還を周知した子供達によって、着いた頃には殆どの村人が集まっていた。


「解決した」


 ゼルの言葉に村人達がわっと沸くが、老人だけはゼルの全身に目を巡らせた。

 戦利品の類いが見当たらず、白の剣と共に佩いていた剣と銀の剣が無くなっている。


 昨夜の奇跡は覚えている。

 この世のものとは思えない美しい花々を咲かせたと思えば、枯れて蔦が伸びて繭が出来、崩れた時にはそこにゼルの姿は無かった。


 魔術とは違う、魔法としか思えない奇跡の所業。

 それを見ていたから信じたい気持ちはある。

 しかし、村のことを思うと目に見えるものがなければ信じ難い。

 それが老人の考えだった。


「疑われてますね」

「……ぉぃ」

「? 何か?」

「いや、なんでもない」


 老人の感情を察した森の小精に、「黙れ」と「分かっている」の二つの言葉を含ませて唸ったゼルを、老人は訝しげに見遣った。


「信じられんかもしれんが、脅威は去ったと思ってくれていい。……森の獣たちも去ったが」

「…………」

「だから冒険者組合から派遣される冒険者達から異常なしとされるまでは、決して誰も入れんようにした方がいい。何が残っているかも分からない」


 昨日村に着いた頃に交されていた会話を思い出し、そう告げるゼル。

 自分で疑いを晴らそうとすると、愚醜人(トロル)が普通に生きている事や、枯樹人(エルヴェナンド)の存在を漏らしてしまう可能性があると自覚していた為に、冒険者達を利用する事にしたのだ。


「……分かりました。一先ずは、森を蠢かせたナニカは去った。そう思って宜しいのですね?」


 ゼルの言葉に暫く瞑目していた老人は、明確な保証をせずに冒険者達に調査させるよう促された事で信じる事にした。


 一人で闇雲に保証されるよりは、他のものの目も使って確かめろと言われた方が、まだ信じやすかったのだ。

 勝利に酔って酩酊していない事が、功績をひけらかすために饒舌になっていない事が分かるから。


「そうだ」


 そうして問うた老人に、ゼルは確りと頷いた。

 ゼルと老人の間に走った神妙な空気に、なにかまずい事があるのかと不安気な空気を醸す村のもの達。

 彼らに向けて老人は謝った。


「いやぁ、すまんの、疑り深い儂のせいで不安にさせてしもうて。だがおかげで脅威が去った事が分かった。もう牛は減らん! 村は安泰じゃ!」


 村のもの達は、今度こそどっと沸いた。

 村を想う老人は、不安から解放された喜びを分かち合う友人達を見て、満足そうに頷いていた。


「兄ちゃん! ほら、ザド」

「う、うん……」


 二人の話が一段落したのを察した二人の子供がゼルの元へと走り寄る。

 一方はザド少年。そしてもう一人は、ヤンと呼ばれていた活発な少年だ。


「どうした?」

「これ……」


 片膝を地面に着けて視線を合わせたゼルにザド少年が見せたのは、革紐に吊るされた小さな木札。

 独特な模様と彫刻を施されたそれは、ここいらではそう珍しくもない御守りだった。


「……作ったのか?」

「うん……昨日の夜に。……でも、途中なんだ、森が動き出したから。……あの銀の剣は?」


 途中までしか出来ていない物を渡そうとしている後ろめたさから、ザド少年は森が軋み唸るまで楽しみにしていた銀の剣と巨人の話を訊いた。

 ゼルは結局なんの活躍もさせてやれなかった剣の事を訊かれ、苦い笑いを漏らした。


「あれは折れたよ」

「え……」

「折れたって、大丈夫なのか? 兄ちゃん」

「おう、この通りだ」


 驚いて固まるザド少年とは別に、無事なのかと問うたヤン少年に、ゼルは村の筋肉自慢の大人の真似をしてみせた。


 力んだ事で血管を浮かせながら盛り上がる筋肉に、ヤン少年は村の大人達と全然違うと興奮し、ゼルに頼むと腕にぶら下がってはしゃいだ。


 そんな二人を前に、過酷な戦いを繰り広げた事を察したザド少年は、途中の御守りなんて意味が無いのではと仕舞おうとした。


「いいか?」

「ぁ……」


 それを遮ったのは、無論ゼルである。

 彼はヤン少年を降ろすと再び地面に膝を付き、ザド少年の手からそっと御守りを取り、何が途中なのかと目を凝らした。


「いい出来だ」

「でも……、まだ大事な部分が出来てないんだ。……だから」


 短剣を受け取り、仲間にも恵まれて変わりかけている少年は、直ぐには変われず気弱な面を見せてしまう。


「ふむ……、じゃあこうしよう。渡した短剣は持ってるか?」

「う、うん。……何をするの?」

「まぁ見てろ」


 ゼルはザド少年から短剣を受け取ると、御守りの模様の無い部分に刃を宛てた。

 ここに刻む模様によって、御守りに含まれる願いの意味が変わる。


 反れた一本線から小さな線を生やした稲穂の模様は五穀豊穣。不変の安寧。

 ゼルが初めて見た時、某エジプト神話の神を思い浮かべた瞳の模様は、真偽の見極め。商売繁盛。

 簡易な線のみで描かれた四足の獣は、狼ならば自由。馬なら旅の平穏。


 他にも色々あるが、ゼルはそのどれも取らなかった。


「ここに一本の線を刻んでくれ」

「うん。ぁ……」


 円の中の剣……否、銅貨の中の剣。

 最後の刀身部分たる一本線が刻まれたそれは、二人を繋ぐ縁を表す彫刻だった。

 賢いザド少年は、それを確かに理解した。


「これ……っ!」

「確かに願いも大事だが、俺は旅の身だからな。人との縁も同じくらい大事なんだ。だから、これでいい」


 当然、今のゼルの言葉の意味も。


「……うん、うんっ! 僕も、僕も後で作るよ! だから」

「あぁ、いつか会おう。この印は俺達を繋ぐものだ」

「……っ、はい!」

「良かったな、ザド! だから言っただろ、兄ちゃんなら大丈夫だって」

「うん、ありがとうヤン!」


 二人の子供がはしゃぐのに目を細めたゼルは、再び老人に話し掛けた。


「報酬ですな?」

「それもある」


 だが、と。ゼルは子供達の輪の中で笑みを浮かべるザド少年を見遣った。


「……もし森の惨状について組合から問われたら、遠慮無く俺のことを出してくれ」


 ゼルの言葉に、老人は首を傾げた。


「しかし……、昨夜の事は」

「それ以外で、だ。首採り殺しの上裸の男。そう言えば、恐らく分かるはずだ。……俺への恩よりも村を優先してくれ」

「……宜しいのですね?」


 それは、次第によっては躊躇うことなく話すと、最悪の場合他言無用と告げられた昨夜の事も、もしかしたら言ってしまうかもしれない。

 暗に告げる老人に、やはりゼルは頷いた。


「……ありがとう。貴方への恩は死の国の果てまで忘れないでしょう。報酬は……貴方の働きに見合うかは分かりませんが、一つ贈らせて頂きたいものが」

「了解した。馬を迎えた後に行かせて貰う。……屋根を壊してしまったあの長屋で良いか?」

「いえ、それには及びませんとも。受け取ったら旅立つと言うのなら、村の外でお待ち下され。そう長くは待たせませんで」


 頷きを返したゼルは、二頭の幼馬を迎え、青鹿毛の幼馬の革袋に入れた外套を取り出して遺品がある事を確認すると、村の外の櫓下に移動した。


「随分と面倒見が良いんですね?」

「……まだ人里だぞ」

「良いじゃありませんか、誰も聞いていませんし」

「…………」


 森の小精(ゴブリン)に言葉にゼルは唸った。


「それにしても意外でした。その……」

「子供の扱いか?」

「えぇ、だってそうでしょう? 貴方の私に対する態度から、あんなになるだなんて。もう少しその優しさを私に分けて頂けません?」

「だったら人里では黙ってろ」

「……ほんとになんであんなに?」


 自分への辛辣な態度と子供との態度の差に不平を漏らす森の小精は、ゼルが答えるか老人が戻るまでは黙るつもりは無いと、尚も問いを重ね、鬱陶しくなったゼルは漸く口を開いた。


「……子供には憧れが必要だ」

「ふむ……。その為に演じたと?」

「そうだ」

「ではいつか会おうというのも方弁?」

「だったらなんだ」

「いえ……」


 言い淀む森の小精を無視し、ゼルは村の方へと身体を向けた。

 その先には、布に包まれた何かを持って歩く老人の姿があった。


「黙ってろよ」

「分かってます」


 再度静かになった森の小精(ゴブリン)


「これを」

「剣か」

「えぇ。……父から継いでより、一度たりとも振るう機会の無かったものです」


 埃を被った革袋の緒を緩め、老人は中から剣を取り出した。

 流麗な印象を与える白い鞘に納められた剣の柄は、鞘の装飾と似通った装飾が施されているものの、両者とも決して華美なわけではなく、好い印象を抱かせる程度に留まっている。


 そんな一目で良いものだと分かる剣を持つ老人の手は、微かに震えている。


「いいのか」

「…………構いません。私がこの剣を持つ資格はありませんから」


 絞り出すように言う老人の声は手と同じく震えていた。


「どうか、振るえなかった私の代わりに……この剣を使ってやってはくれませんか」

「……頂戴する。銘は」


 剣を受け取ったゼルに、老人は首を横に振って分からないと答えた。

 父はお前の剣になるのだから自分で新たに付けろと言った。だがそれは終ぞ叶わなかった。故に無銘。


「ならば約束しよう。この剣に相応しい名を、功を立てて見せると」

「っ……」


 老人は、深く、それはそれは深く頭を下げた。


「お兄ちゃん!」


 呼び掛けるザド少年にゼルは御守りを掲げて応え、ザド少年は小さな身で短剣を精一杯に高く掲げた。



 ゼルはそれを見、満足した様子で村を後にするのだった。

一区切りまで来たので明日一話投稿した後は隔日更新とさせていただきます。

ストックは一応ありますが、ストックの余裕による精神の余裕が欲しいので。

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