過去
「うぉおおあああああああッッ!!!!」
『なっ、人間である貴様が何故我らの"渡り"の術を!?』
思いの外枯樹人の近くに出たことをこれ幸いと、ゼルは剣を抜かずに枯樹人に向けて突撃した。
同時に青珊瑚の所在を王眼で探るも、鉱物ではない為に分からなかった。
『ぐっ……貴様、どうやって"渡り"の術を知った!? それは我ら樹人のものだ! 貴様のような悍ましいものが行使していいものでは決して無い!』
「知らないさ! 樹人の事などその在り様と言葉以外は何も知らん! この眼を見ろ! 紅だ! 紫じゃない!」
白の剣を介した移動を、樹人にしか出来ない秘術によるものと勘違いした枯樹人は、ゼルに掴み掛かられて呆然としていた。
「これを見ろ!」
そんな枯樹人にゼルは自身の紅の眼を見せ、次いで畳み掛けるように目の前で剣を作り出して見せた。
枯樹人は遭遇時に、ゼルを森を駆ける穢れ……つまり、狼達の主だと言った。忌まわしきものと。
「剣だ、獣ではない! この意味が分かるか!? 循環の理から外れて何を為そうとしているのかは知らんが、話せる能があるなら分別ぐらい付くだろう!」
呆けて動かない枯樹人を前に、昂っていた行き場の無い戦意を号砲の如き大声に変えて、ゼルは尚も畳み掛ける。
自分を同質の力を持った同胞と勘違いしているのなら、それを晴らせばこの理性ある朽ち人は話せる部類になるのでは無いか。と。
「それとも血しか見てこなかったせいで他と見分けが付かなくなったか? あ゛!? 今森を駆けている獣共の目の色はなんだ!? 血の赤か? それとも木々の茶か? 葉の緑か? 違うだろう!」
敵であるなら殺す。
そう動いて来たゼルらしからぬ言動。
その要因は、やはり白の剣を介して戦地へ赴くという行いに、多少なりとも引け目を感じていたからだ。
ゼルは自身の絶望に加え、今は亡き同胞達の夢を見て生きる理由を無くした彷徨い人。
有り体に言ってしまえば、過去に囚われている。
そんな人物が一度は決意したとはいえ、己の行動を鑑みて揺らがない筈が無かった。
『……ならば』
枯樹人が反応を示した。
「? ぐっ……!」
『ならば何故! 貴様は我らの言葉を解する! ならば何故! 貴様は不死の黄金を携えている!』
枯樹人の小声に反応して少しばかり拘束する力が緩んだ瞬間に、ゼルの身体に蔦や根が絡まり、近くの木に磔にした。
『あぁ、確かに貴様は違うとも。その肌も、目鼻立ちも、どれをとってもかの国の者とは大きく異なる! ならばだ! なればこそ何故貴様は我ら樹人の言葉を介す? 我らと交流のあった人間は彼ら以外には居ない! それに何より、その黄金だ! 獣を自在に変容させる貴様なら、己を偽る程度ワケない筈だ!』
返す言葉もない。
強い怒りを孕んだ告げられた言葉の数々に、ぱっとゼルが思い浮かべたのはそれだった。
そう、今二人はゼルが人間の言語を、枯樹人が樹人の言語を口にして会話をしている。
それは喋れる喋れない関係なく、互いが互いの言葉を理解しているからに他ならない。
枯樹人は兎も角、ゼルが樹人の言葉を理解しているのは夢の、同胞の記憶故だ。
だから、ある種の姿を変えて〜というのも、あながち間違ってはいなかった。
「だとしてもだ! その程度で俺が獣の王と同じだと、何故言える!? 奴の紫眼の獣共が俺を襲っていたのは知っているだろう! 森全体の木々を胎動させられるんだ、分からなかったなどとは言わんだろうな!?」
『あぁ、分かっているとも! 貴様が私と戦っていた時に穢れ共に追われていたのは知っている! だがそれがなんだ!? 追わせただけであろう! 仮に貪らせていたとしても、己を傷付けることを厭わない貴様であれば何ら支障の無い芝居に過ぎぬではないか!』
激情のままに交互に叫び、己の言葉を紡ぐ二人。
ゼルは枯樹人の言葉に訝しげな表情を浮かべたが、愚醜人との共闘は感知していなかったのだろうと判断した。
続く芝居云々についてはゼルの事では無いと言うに、同質の力を得て、同じ道を辿ったからこそ思わず頷きそうになってしまった。
その言葉は、先程から枯樹人が紡ぐ言葉は、不死のものをよく知っている事を窺わせるには十分すぎる発言の連続だった。
だからこそ、際立つ。
「そうだな。確かに俺は傷を負う事を厭わない。寧ろ望んで死に瀕する傷を負わんと動くだろう。だが、だがそれは、この黄金が仮初だからだ! 仮初故に僅かにも死の可能性があるから、俺は……!」
『仮初だと? 下らん戯言を宣うでない! ならばなぜ貴様の手足は瞬く間に再生する!? ならば何故貴様は首だけとなっても喋り続け、あまつ身を生やす!? 贋作であれば斯様な悍ましい奇跡は為せんだろう!』
感極まって言葉を詰まらせたゼルの言葉を、枯樹人は今し方目撃した光景を例に否定する。
そう何人も不死の黄金を携えていては堪らないと。
だがそれでもやはり、枯樹人は触れない。
「それは先にも言ったろう! 俺の眼は剣を造る! 対して奴は獣だ! 奴が獣達を変容させ、常軌を逸した力を発揮させるのであれば! 俺の眼は剣の力を引き出すものだ! それが仮初でも贋物でも、本物に近い性能を発揮させるのがこの眼なんだよ!」
『なんっ』
何故ならばそれは、ゼルとまともに会話を交わせている時点で感じていた違和感が、嫌な予感のするそれの、答えになってしまう気がするから。
『ならば貴様が私を殺そうと遣わしたあの獣共は何故未だに生きている!? 仮に貴様が奴でないとして、ならば何故――』
だが、流れには逆らえない。
口を突いてしまった問いに、違いに対する言及に、ゼルは無情にも枯樹人にとって最悪の答えを返した。
「――生きているからだ! 奴は生きている! 血肉も皮骨も全て失って尚、魂だけの状態で今も何処かで生かされている。……奴の獣達が姿を消さんのが良い証拠だ」
ゼルは、自分の力にとある確信めいたものを感じていた。
自分が死ねば、それまでに造った剣は皆この世から消えるのでは、と。そんな予感。
もしその予感が正しければ、同じ王眼を宿す紫眼の王、獣の魔王が手ずから造った獣達も姿を消しているはずなのだ。
本当に死んでいれば、の話だが。
『何故……それが分かる。そうだと言える。人間は皆、死ねばその魂は』
「死の国に招聘される。確かにそうだ。だが吸奪の、不死殺しの剣に喰らわれたものは例外だ。魔力生命力に加えて魂すらも貪られて糧にされる。……奴の場合そうはならずに魂が保護されたようだがな」
『だから、何故それが分かるのだ。それに、不死殺しの剣? とは、なんだ……?』
「何?」
ゼルは、そこで漸く目の前の古きものが、激動の時代の中を生き延びたのではなく、脱落したものである事を察した。
「…………お前、あの戦いの事をどこまで覚えている」
『それは……、魔法使い達が急激に数を落とした頃だ。奴を殺す為の道具を作る為の、素材を集める魔法使い達の為の、時間稼ぎを担っていたもの達が急速に殺され始めた頃だ』
「……………………」
ゼルは、一番悪い時期に枯樹人が脱落した事を知り、内心で悪態をついた。
「……ネレイア・エウシュガテナが命を落とした事は」
『……知っている。ウィンディアナの麗王だろう。かの大滝を世界を覆う大蛇に変えて、我らを逃がす活路を拓いてくれた。……っ! そうだ、癒しの魔法使いはどう』
「死んだ。それとウィンディアナはもうない。かの麗国は名を変えた」
『………………そうか』
先程までの気勢が失せ、消沈した様子を見せる枯樹人。
彼の感情に作用してか、ゼルを拘束する蔦達もまた、力を失いゼルを解放した。
「お前は、彼女を逃がすためにここに?」
開放された足で青珊瑚を探す為に歩き始めたゼルの問いに、枯樹人は無言で首肯した。
『そうだ。……天を覆う水の大蛇をも呑み込んで迫る群れを相手に、私は禁忌を犯して……それで、何をした? ……分からない、だが実際に私は堕ちて……此処に居て。それで……』
記憶の欠陥。
ある所から欠けた記憶に、枯樹人は思考を巡らす。
「ん」
傍ら、ゼルは漸く青珊瑚の石を見つけた。
しかし、それは拾おうと手を地に付ける前に、ゼルの手元に戻って来た。
「どうぞ、貴重な品です。離さないようにしないと」
「っ!?」
何者かの手によって。
ゼルより先立って青珊瑚を拾い、彼に手渡したのは碧い小人。
細く短い脚に、丸い背中、細長い腕。極めつけは長い耳とそこまで伸びる裂けた口。
肌の色は緑ではなく碧で、額にあるのも角ではなく宝石のようなナニカだが、その姿はとある魔物と非常に酷似していた。
「遍くもの?」
「違いますよ! 私は森の小精です! あんな非生産的で醜いもの達とは一緒にしないで頂きた」
「言い訳無用!」
「あっ、待って――」
魔物は魔物である。
それも、暴威を振るうもの達とは比べるべくもない脆弱性と知性ではあるが、やっている事はほぼ同じな魔物と同じ姿であれば、見敵必殺は然るべき対処である。
「なっ……!?」
そうして迅速に作り出した剣を振るった手には、
「――無駄です。そう言おうと思ったのに」
何の手応えも存在しなかった。
ゼルは何が起こったのか分からず、思わず今し方作り出した剣を見た。
当然だが、血は付着していないし、刃毀れもしていない。
「どういう事だ?」
「世話係は不滅と言うことです」
「は?」
森の小精の言葉にゼルが首を傾げた直後、枯樹人の鋭い声が響いた。
『リィン!!』
「はいただいまー! では」
「なんっ……」
森の小精は枯樹人の呼び掛けに答えたかと思えば、その場から姿を消した。
「おはようございます旦那様、今日もご機嫌麗……」
『そんな事はどうでもいい! 今はいつだ! あれから幾許の時が経った!?』
「……しくは無いようで。えぇ、私も正確に数えていたわけではないので分かりませんが……、ざっと六百程でしょうか」
そして、いつの間にか移動した森の小精と枯樹人のやり取りが聞こえ、戻ろうとしたゼルは青珊瑚を鎧の腰部に仕舞おうとする。
「?」
だがそれを、彼の腰に巻き付いたユグリアの蔦が遮った。
少し太い糸程度の細い鶴が青珊瑚に巻き付いていく。
「ユグリア……、君は」
その現象に驚愕を隠せないゼルは、ここに来て自分が取り返しのつかない事をしてしまったと気が付いた。
動きを止めたゼルの手から青珊瑚を取り上げた蔦は、そのまま彼に巻き付く太蔦の中に青珊瑚を固定した。
「…………すまない」
がっしりと。
それこそゼルの腰を断ち切らなければ取れないだろうと思わせるには十分な程、固く固定された青珊瑚と蔦を見て、ゼルは謝罪を口にした。
白の剣の変化を考えるべきなのは分かっていても、今は他にも優先すべき事があるのだ。
「650だ。均衡していた趨勢が崩れたのは、戦いが始まってから50と少しばかりの年が流れた時だ」
『貴様……、先の問いの答えを寄越せ。何故知っている? 何故今の奴の有り様を知っている』
「会ったからな」
『…………』
戻ったゼルを闇を湛えた眼窩を向けて迎えた枯樹人。
ゼルは彼の問いに、枯樹人が予想していなかった返事をした。
『そこで会い、我らの言葉とその仮初とやらを受け継いだのか』
「違う」
『ならば』
糾弾すような口調の問いに端的に答えたゼルに、枯樹人は尚も詰問しようとする。
「旦那様旦那様、起きたばかりで色々あって平静でないのは分かりますが、そういう時こそ静かに聞くべきです。でしょう? 違う?」
確認するように枯樹人とゼルに交互に視線を投げる森の小精。
遮られて正論をぶつけられた枯樹人は押し黙った。
ゼルは肯定と感謝を込めて森の小精に頷きを返すと語り出した。
不死の黄金という絶対の縁に結ばれた、紫眼の同胞たる獣の魔王について。その邂逅の経緯を。




