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此処に在らざる獣たち

「ぜァッ!」


 二匹の狼に左右を固められ、普通ならば何方かの動きに合わせて反応するだろうところを、ゼルは躊躇いなく一方に向けて走り寄った。

 何せ時間が無いのだ。

 早く片付けねば向こうの友軍が戻って来てしまう。睨み合う余裕などあるはずも無い。


 駆け寄って来るゼルを前に狼は触手を揺らめかして待ち構え、それに向かって飛び掛ったゼルの足を後ろの狼が触手で捕まえて引き寄せた。


(不死)の戦い方は、お前らの主で知っていると思ったんだがな!」


 だがそれこそが望んでいた事だと、ゼルは歓喜の雄叫びを上げて両手の剣を二つ合わせると、彼の体躯を大きく超える大槌へと変化させて狼を打ち据えた。

 狼は当然逃げようとした。だが触手を用いてゼルを引き寄せてしまった事と、槌が大きすぎた事で逃げる事が出来なかった。


 大槌の角に打ち弾かれて地面を転げる狼の手前に、大槌を一振の剣と槍へと変化させて槍の方を投擲するゼル。

 すると狼が横たわる地面が凍り付き、狼を拘束した。

 そこは狼達がゼルの脚を捥いだ場所であった。

 彼の血による水溜まりが出来ていたのだ。


「成程、これは使える」

「グルルルルル……」


 狼が無知であったおかげで直ぐに拘束出来た結果、存分に目の前の一匹に注目できるようになった。

 擬似的な一対一の状況を作り出せた事に満足したゼルは、自身の凍てついた手を切り落とし、即座に再生した手に剣を持ち替えて腰を低く構えた。


 友軍が戻るまで一匹で戦わねばならなくなった狼は、拘束された狼と共に為そうとしていた時間稼ぎは不可と断じ、牙を剥いて低い唸りを上げて威嚇の姿勢を見せた。


「来い」

「ガァ!」


 例の如く飛び掛って来る狼にゼルは剣を振るうが、空振り。

 刃が当たる寸前で触手で地面を掴んで身を引いた狼は、ゼルが刃を戻す前に前脚を振るい、自分と同様に身を引いたゼルに躱された。

 狼は空振った前脚を地面に叩き付けながら、後ろ脚に力を込めて跳んだ。


 側転のような動きで身体の天地を逆さにした狼は、その身を触手で支えると、再び曲げた脚でゼルに後ろ蹴りをお見舞いした。


「くっ……、賢しらな……!」


 蹴り自体は剣で防いだものの、獣特有の強靭な後ろ脚による攻撃にはさしものゼルも地面を削りながらの後退を余儀なくされる。

 だがただでやられる程、ゼルという狂戦士は甘くない。


「捕まえたぞ」

「ッ!?」


 彼が剣と引き換えにその手に掴むのは、短剣とその柄頭から伸びる鎖。

 太い鉄を編み込ませる事で形成される鉄の糸は、多くの種類の武具を作れるゼルが最も苦手とするものだった。

 しかし、狼が触手を攻撃では無くその補佐に使い始めた時点で、ゼルは鎖を作る為に剣に魔力を込めていた。

 攻撃されていても不死故に、自分を殺し続けた故に痛みに恐怖を抱かなくなったゼルだからこそ、その数秒を鎖を作る為の集中に費やせた。


「ふん」


 捕まえた狼を引き寄せ、ゼルは触手の抵抗を無視して短剣を狼の首筋に突き立てた。


「ちっ」


 が、狼の硬い皮膚に防がれた。

 それでもゼルは諦めず、短剣に魔力を注いで逐一切っ先を微妙に変化させながら突き立て続けた。


「ふんっ……ふっ……! っ、っ、っ! だぁぁああらァッ!!」


 どれ程腕を振り下ろしたか、遂に刃は硬い感触ではなく、肉を突き破り命を奪う感触を与えた。


「……これが奴と俺の差か」

「ニンゲン!」

「む、づぁ!?」

「ハグルァ!」


 力任せに刃を突き立てても一向に突き刺さらなかった狼が霞と化して消える中、ゼルは因縁の相手との力の差を改めて実感した。

 だがそれは戦闘中にすべき事では無かった。

 背後から呼び掛ける愚醜人(トロル)に応じて振り返ると、傷だらけの手負いの狼が眼前に迫っており、直ぐに押し倒された。


 同時に血の氷から解き放たれた狼も迫らんと駆けていたが、愚醜人の投げた丸太が命中したおかげで最悪の状況は免れた。


「ぐ……ぬぅ、ぉ、ぉおお……!!」


 今にも頭を噛み千切らんと迫る顎を両手で抑え、手放した鎖に魔力を込めて狼に巻き付けるゼル。

 傷を厭わないゼルも、流石に顔面を獣に食べられるというのは御免だった。

 鎖で引っ張っても変わらぬ猛攻に抵抗を続けるゼルは、閉じようとする顎を強引に開け広げようと力を込めていく。


「くぅ……!」


 流石に鎧を一噛みで千切る顎の力は伊達では無く、人間離れした膂力を持つゼルでも閉口の妨げしか出来なかった。

 しかし、狼が明確な隙を作ってしまった。

 鋭い爪でゼルの胸を切り裂き続けた結果、溢れた血に足を滑らせたのだ。

 突如身を襲う滑る感覚に狼は思わず動きを止め、一瞬でも力を入れ続ける事を怠ってしまった代償に、通常では有り得ぬ程に口を大きく開けさせられる事になった。


「あああああああああッッ!!!!」


 顎が外れて力が入らず、逃れようと四足を暴れさせるが、ゼルが鎖の両端を地面に固定した影響で叶わない。

 そして遂には、咆哮にも似た雄叫びを上げたゼルによって下顎を胸まで巻き込む形で引き千切られ、手負いの狼は霞と化した。


「はぁっ、はァ――っ、ぷっ…………次!」


 ゼルは手負いの狼を何とか殺せた余韻に脱力しかけたが、直ぐに気を取り直して立ち上がると鎖を剣に戻し、近くに刺さったままの槍を呼び戻した。


「オレモタタカウゾ!」

「お前、さっきから思っていたが、花は何処やった?」


 両手で木を引っこ抜いて担ぎながら三匹の狼と共にゼルの元に駆け寄る愚醜人に問い掛けると、口を大きく開けて舌裏の唾液に塗れた白い花を見せた。


「…………あの愚醜人が大事なもんを仕舞うって考え付いただけでも上等か……? まぁいい、呑み込まんよう気を付けろよ」

「トウゼンダ!」


 口の中を、それも汚い口の中を見せられたゼルは顔を顰めたが、馬鹿の代表格として扱われる愚醜人が花を捨てなかっただけマシだろうと自分を納得させ、自分達を囲む狼に向き直った。


 狼の数は先よりも多い三匹。

 されど此度は愚醜人という味方がいる。

 本来ならば全く宛にならないが、考える能を持っているのなら人より優れた体躯と膂力と自然治癒力を持つ頼もしい巨人となる。

 そう思えたが……。


「ウォオオオオオオオオオ!!!」


 自分らを囲む狼に距離を取らせる為か、それとも威嚇か。

 愚醜人はその場で手に持つ丸太を振り回して身体を回転させた。

 当然、近くに居たゼルも巻き込んで。


「うぉっ」


 ゼルは向かって来た丸太を伏せて躱し、巨人の駒が落ち着いて来た所で槍を鎌に変えて丸太に引っ掛けて登ると、すかさず跳んで愚醜人の首元に着地した。


「厶、ナゼノボル!?」

「戦う為だ!」

「ナライイ!」

「良いのかよ……っ!」


 深く考えずに肯定した愚醜人に呆れと驚嘆を抱きながら手元に鎌を呼び戻すと、剣と併せて弓へと変えた。


「フン!」

「ふっ……!」


 そして、背中のゼルを気にすること無く距離を置いていた狼の一匹の元へ駆け寄った愚醜人。

 彼が勢い良く丸太を地面に叩き付けて前傾になった瞬間に跳躍したゼルは、丸太を避けた眼下の狼に向けて矢を放った。


「くそっ!」


 王眼によって普段よりも高い膂力を発揮している今でさえ、多少力まなければ引けない豪弓から放たれた矢は、残念ながら外れた。

 しかし、矢が着弾したとは思えぬ轟音と砂埃から、当たれば流石の狼でもひとたまりもないだろうことは想像に難くなかった。

 着地したゼルはすぐさま愚醜人の身体を登る狼に向けて矢を番え、躊躇った。


「撃っていいか!」

「イイゾ!」

「ふっ……!」


 凄まじい治癒力を持つ種族である()()()

 自分と同じとはいえ、痛みに慣れすぎて傷を負う事に一切の躊躇いが無い点まで、自分と同じでは無いだろう。

 予測を元に問うたゼルは、許可を得ると同時に矢を手放した。


「グォオ!??」


 結果は命中。

 だが威力が高すぎて、矢の勢いのまま狼が愚醜人の肩に身体をめり込ませた。


「オイ、ナゼオレヲウッタ!」

「違う、狼を撃ったんだ」

「ナラナゼイタイ!」


 たたらを踏んだ愚醜人は、思いがけぬ痛みに戦うことを忘れてゼルを睨んだ。


「そら射線上に居るんだから当然だろう。それに撃っていいか聞いたぞ」

「ソレハケモノノコトダロウ!」

「そうだ、だからその獣を撃ったんだ。実際そこでのたうち回ってるだろ?」

「ヌゥ……タシカニ、ダガ……ヌゥアアア!!」


 思考が渋滞を起こして混乱した愚醜人は爆発し、矢の突き刺さった狼を追い捕まえると滅多矢鱈に近くの岩に叩き付け始めた。

 ゼルはこの平野に存在する唯一の大岩が少しづつ砕けていくのを尻目に、やはり愚醜人は愚醜人だったと嘆息した。


「「ガルルルルル……」」

「結局二対一か」


 とはいえ、暴れ狂う愚醜人が狼を殺して戻って来るのは時間の問題だ。

 早く仕留めねば敵が戻って来ると言う事は無く。

 戦闘が長引いても有利になるのは此方側。

 先程と正反対の状況は、ゼルに余裕を齎した。

 弓を他の武器に変えず、ぎりりと弦を撓らせ待ち構える。


「ガァ!」

「ふっ……!」


 ゼルの周囲を回って隙を伺う二匹の片割れが、牽制の為に一歩だけ近付いた。

 途端、背後で吼えた片割れに向けて身を翻し、矢を放つゼル。

 矢を放たれた狼は触手で弾き、背を向けられた狼は飛び掛った。


「ふん!」


 背後に迫る狼に、一振の槍に変えた弓を振り返らずに突き出し、次いで眼前に迫る狼に槍の穂先を刺股に変えて、触手諸共地面に押し付けた。

 突き出された槍を触手で身を引く事で避けた狼が、着地と同時に仲間を拘束したゼルに触手を振るう。

 対するゼルは穂先を切り離した棒を背部に回して触手を防ぎ、続く爪の振り下ろしを棒を斧に変えて叩き流した。


 苦し紛れの噛み付きを横に飛んで避けたゼルは、刺股の拘束から逃れた狼を迎撃しつつ穂先を呼び寄せて剣に戻した。


「ふ……」


 狼達との睨み合いを再開したゼルは、軽く息を吐いた

 睨み合いが面倒だからと相手の動きに乗った結果がこれである。

 巧みな連携と、息付く暇もない猛攻。

 それに、自分らの攻撃を利用されて戦場から離された経験から、不用意に踏み込まない立ち回り。

 苦し紛れの噛み付きも、もう一匹の動きから反撃されない自信があったが故のものだ。

 厄介という他無かった。


「造られたものでありながら、こんなにも賢いのか」


 何度目か分からない驚嘆を抱きながら、ゼルの内に疑問が湧いた。

 当時のリグジッド傭国によってこの地が取り戻されたのは、もう百年以上前のこと。

 だというのに、何故ここに同胞の獣が居るのだろうか。それも直接造られたもの達が。


 今の旧魔王領に跋扈するのは、これらの子孫達だ。

 遺された穢れ達、通称残穢。

 もしここに居るのがそれらなら、まぁ、取りこぼしていた可能性は僅かでもあっただろう。


 だが、この狼達は違う。

 象徴たる紫の眼を継ぐのは、手ずから造られたものであるという証左に他ならない。

 何より、王眼がそうだと訴えている。

 魔法使い達から歪な魔力と言われた自身のそれと、狼たちの内に在る魔力が同質のものであると。

 そんなもの達が、どうして此処に。


「ニンゲン!!」

「っ!」


 ゼルの思考を遮ったのは、疑問の答えとなるかもしれないナニカに仕えるものだった。


「ウエダ!」

「出来れば投げる前に言って欲しかったんだが……!」


 方向を告げられる前に睨み合う自分らを覆う巨大な影に気付いたゼルは、逃げようとする狼の一匹を留める為に剣を複数の短剣に変えて投げ付けた。


 魔力を行使して操られた短剣達は、普通では有り得ない軌道を描いて狼の周囲を取り巻いていく。

 そして、己を囲む短剣に二の足を踏んだ狼と短剣の操作に注力したゼルの元に、着弾。


 武器を振る風切り音と、魔物達の唸りと足音。

 加えて元来の木々の擦れる音以外何もなかったこの平野に、凄まじい轟音が鳴り渡った。


 大岩である。

 愚醜人(トロル)が遅い警告をし、狼達が慌てふためき、ゼルが悪態を付き、森に轟音を響かせた元凶は、愚醜人が投げた大岩であった。


「……潰れないか」


 岩の下敷きにされたゼルは、重いものにのしかかられる苦しさこそあれ、身体が潰される痛痒が無いことに乾いた笑いを漏らした。

 同時に、のしかかる岩ががたがた揺れている事に対しても。

 愚醜人の攻撃は、不発に終わるどころか面倒を増やしただけであった。


「ヴァァアアアアア!!!」

「グルゥアアア!!」


 愚醜人と狼の咆哮を聞き流し、ゼルは頭を地面に押し付けて少しの空間を掘り上げた。

 そして短剣を作ると額の上に浮かせ、頭を釘を打つ槌の如く振りかぶった。

 元から愚醜人の影響で所々に亀裂を走らせていた大岩は、ゼルの頭突きがとどめとなって割れ砕けた。


「よっ……ふん!」


 岩が割れ砕けた恩恵を受けたのはゼルだけではなく、狼もまた受けていた。

 ゼルが起き上がると同時に、狼は突如軽くなった己の上の岩片を触手で持ち上げ、ゼルに向けて投げ付けて走り出す。


 向かい来る岩片を殴ってより小さく砕いたゼルも、勢いのまま剣を片手に走り出した。

 それと同時に、己の周囲に幾許かの剣を作り出して侍らせた。

 短剣を投げ付けた時に、有効打にならずとも牽制には使えると分かったからだ。


「ガァ!」

「はァッ!」


 瞬く間に周囲を囲んだ剣達の大半を触手の一振で砕いた狼。

 剣達の配置を失敗したと悟ったゼルは、やはり遠隔での操作は慣れないと軽く笑いながら吶喊した。


 一合。

 互いに走りよる勢いのまま剣と触手を振るい、打ち合わせた時の抗力を利用した狼がゼルの背後に回った。


 二合。

 背後に回った狼に向けて刀に変えた剣が居合の要領で振るわれ、背中を強襲せんとした触手が大きく弾かれた。


 三合、四合。

 即座に戻して振り下ろされた触手を、同じく素早く戻した刀で受け、弾いて遠のいたと思えば腹を打ち据えようと戻る触手を、返す刀で再び弾く。


 五から幾合。

 遠のき戻り、遠のき戻る。

 弾いて返し、弾いて返す。

 一歩下がり、一歩踏み込む。

 決して絡ませる事はせず、決して深入る事はしない。

 決定打を見い出せず、踏み入る事も許されない。


 次々と仲間を仕留められた狼は決してゼルに近寄ろうとせず、触手の動きも絡め掴むものから打ち弾くものへと変えた。

 それによってゼルは、迂闊に武器を変えることが出来なくなった。


 今回の戦いで彼はかなりの頻度で武器を変化させるという曲芸を披露したが、そこに遊びは無い。

 その場面その場面に合わせて最適なものを選び取っている。

 ならばこの一騎討ちに於いても最適な武具を選び出せばいい。

 だがゼルはそれをしない。出来ないと言ってもいい。


 鎖に変えても意味は無く、鎌に変えても意味は無い。絡め取る前に退かれるからだ。

 また斧に変えても、槍に変えても意味は無い。

 重いものでは、長物では、狼の猛攻に対応出来ないからだ。

 よって最適なものは今手に持つ刀となり、停滞の要因も刀であった。


 元々、狼はゼルと比べて一匹一匹が格上である。

 そんな強者が驕りを、群れの優位を捨て、一切の油断なく対峙すればこうなるのは自明だった。

 しかし――


「ツカマエタゾ!!」

「ッ!?」

「っ!」


 ――その賢さが、仇となった。

 投げ捨てようとも払い落とそうとも、触手を使って戻って来て自分の身体を貪る狼に苛つきながら、平野を暴れ回る愚醜人(トロル)が歓喜の声を上げたのだ。

 それは、本来なら明確な影響は無い掛け声。

 そう、その言葉の意味を理解出来ぬ獣にとっては。

 だが狼は理解した、してしまったのだ。残された唯一の味方すら失いかけている事を。


「……」


 狼の動揺を機敏に察知したゼルが、刀に魔力を込めた。

 そうして起こるのは、今までとは違う変化。

 刀身の根に、文字が刻まれた。

 それは、いつかの時に森の王が握っていた剣に刻まれていたものと同じ、氷を表す刻印。

 凄まじい冷気を纏う剣と打ち合った血通う触手は動きが鈍り、狼の動揺の一助となった。


「ぜァッ!!」


 高速の打ち合いの最中に生まれた一瞬の隙は如何ともし難く、狼はゼルの接近を許し、口腔に刃を迎え入れてしまった。


「愚醜人!」

「グァアアア!!」

「そいつを俺に叩き付けろ! 両手で!」


 狼が霞と化すのを尻目に、ゼルは愚醜人に向けて大きく叫んだ。


「っ!!」


 短慮故に、考え無し故に、ゼルの言葉を躊躇うことなく遂行した愚醜人の両手の間に覗く最後の狼に向け、ゼルは全力で刀を振り上げた。

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