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知恵ある愚醜人

評価ありがとうございます。励みになります。

「…………獣が居ない。それに何だ、この感覚は。空気が、澱んでいる?」


 森に踏み入ったゼルは、明確な違和感に顔を顰めた。

 森にいるべき小さな動物が居らず、森特有の澄んだ空気も何処か停滞している。

 その上で、肌に纏わりつくナニカ。

 森に異変があったと感じるには十分過ぎる要素が並んでいた。


「子供達は……いや、狩りをしないのか」


 明らかな異常であるというのに子供達が何の言及もしなかった辺り、巨人という明確な驚異に目が眩んだか、そもそも森を知らないかのどちらかだろうとゼルは当たりをつけた。


 この世界には魔獣が居る。そこらの肉食獣より獰猛で、剣の爪に槍の牙持つ強靱な獣が。

 それらと遭遇してしまえば、人間は忽ち狩られる側へと変化する。

 故に狩りをしない村というのが存在する。

 肉や皮を老いた家畜で補い、他は街で活きのいい家畜を売って買い付ける。

 それ以外にも、領主に献上する家畜もある。

 献上すべき家畜は、村の在り方への考慮もあってそこまで多いわけではない。

 だが、家畜は使い道が多すぎた。


 だからこそ青年は段々と減少していく家畜を憂い、ゼルを招き入れたのだ。


 ゼルの村もそうであったが為に、彼の予測は寸分違わぬ正答を射ていた。

 とはいえ、ゼルの村には彼の両親とフラウ夫妻という元、現役関係なく実力あるものが居た為に森に対する認識は緩く、ゼルもやんちゃ時代に友人達と森を探索したり出来たのだが。


「ヤメロ!」

「ん」


 村繋がりで過去を思い出し、望郷の念を抱いたゼルの耳に岩を擦り合わせたような、歪な嗄れ声が届いた。

 同時に、荒い息遣いと獣の唸りも。

 瞬間、ゼルは心の内の疑問を他所に、手に持った銀の剣を逆手に持ち替えて走り出した。


「グォアアア!! シツコイ! オッテク……ブグォッ!?」

「やはりだ……、まさか言葉を介しているのか?」


 段々と近付いて来る巨大な足音と、木の軋む音に混じる嗄れ声にゼルは驚愕を隠せぬままに、今し方倒れた木を飛び台に跳躍した。


「ヤメロ、ハナレロ!!」

「なっ……」


 空中で逆手に持った剣をそのまま両手で持ち、着地と同時に振り下ろさんとするゼルの視界に映ったのは、その身を精一杯に屈ませて蹲る()()と、黒い、黒い、今森を包む夜の闇をより濃くしたような体毛の狼達。


「何故こんな所に居る!?」


 ゼルはその狼達を、否、その狼達の()()()を、背から生える触手を見た瞬間に、剣先を巨人から着地点に一番近い狼に定めた。


「ヌォ!?」

「くそっ!」


 慣性のままに落ちゆくゼルは、次の行動に移しやすいように身体を捻らせて巨人の背に着地すると、巨人への負荷の一切を考えずに全力で狼の元へ飛び掛って刃を振るった。

 結果、狼は木に身体を叩き付けられ、ゼルの持つ銀の剣の切っ先が地に転がった。


 その事実にゼルは悪態を吐き、狼は突如現れた闖入者に切り飛ばされた事に怒りを抱いて吼え猛り、即座にゼルを殺さんと顎を大きく広げて跳んだ。


 対して、ゼルは銀の剣に魔力を込めて腕輪にして身に付けると、無手となった手に銀剣の代わりに黄金を槍へと変えて迎撃。


 目の前で突如現れた槍を狼は避けられず、そのまま身を貫かれて絶命……すること無く霞と化して姿を消した。

 それはゼルが魔法使いと戦った時、彼に剣が砕かれて消えた時と同じ消え方だった。


「遺されたもんじゃないだと?」


 ゼルの混乱に拍車が掛かった。

 遺されたもの。生殖を為し、多くの系譜を辿ったものでは無い。となると、この狼達は。

 幸いにして、考える時間はあった。

 狼達は己の仲間を殺したものに警戒し、木々の闇に姿を消してゼルを観察し始めたのだ。


 ゼルは己の王眼に魔力を込めて紅く灯らせながら黄金を剣へと変え、腰を低く落として待ち構えた。

 獣の群れ相手に、それも賢しき狼を森の中で追い掛けて殺そうなど無謀である。

 何より、蹲る巨人に話があった。


「おい、愚醜人(トロル)。いつまで蹲っている。お前も俺の()()だろう、とっとと起き上がったらどうだ」


 未だに狼達が此方を伺っているのをいい事に、ゼルは狼達に貪られていたはずなのに無傷を晒す愚醜人(トロル)の背中に指を食い込ませ、力任せに起き上がらせた。


「ウォオ!?? ナンダオマエ!」

「人間だ」


 凄まじい力で立たせられた愚醜人は、ちゃんと握られずに微妙に指の浮いた握り拳を、ゼルに指差すように突き付けた。

 対する返答は、馬鹿にしているとしか思えないようなもの。


「ソレクライシッテイル!」

「ほう……」


 当然愚醜人は怒りの表情を浮かべて答えるが、それこそがゼルにとっては驚愕だった。

 愚鈍で愚かな醜い人型の化け物とまで言われる愚醜人が、まさか人の言葉に理解を示して怒るとは。


「いや何、愚醜人ってのは目の前のもの全てを肉と判断して、番すら交尾すること無く貪るってのは有名な話なんで……なっ!」

「ヌォ、グァアア!!」


 ゼルは話の途中で飛び掛って来た狼に黄金を振るが、狼は寸での所で触手を利用して後退し、着地した瞬間に後退の勢いで若干脚を踊らせながら、再び触手を利用して飛び掛って来た。


 振るわれた触手を受ける、と言うよりはそのまま切り落とさんと黄金を振るうも、ゼルの手に返ってきたのは硬いものを削る感触。

 触手を削り落とす事には成功したものの、その対価は獣の触手がそれ程に硬いという事実。


 ゼルはその事に顔を顰めながら触手を断ち切った刃を返して追撃を目論むが、横から迫るもう一匹の狼によって阻まれた。


「結果、いつしか雌雄関係なく番を貪れば孕むようになったってのは、人間達からしちゃ良い笑い話だ」


 直接近寄るような事をせず、触手を長い間打ち合わせ無いように撓らせながら攻撃して来る狼達。

 ゼルは複数の剣を作って飛ばすが、それらは余裕を持って避けられるか、当たっても弾かれるかの二択で効果は無かった。


 ゼルは狼達との戦闘の間に隙を見て、巨体に似つかぬ静かな戦闘をしている愚醜人を盗み見た。


「なんっ」


 そこで繰り広げられていたのは戦闘ではなかった。

 先程ゼルに突き付けた右腕を振るわず、自身を食らう狼を左手で払ったり身体を木にぶつけて落としているだけの、決して戦闘とは呼べない光景が広がっていたのだ。

 ゼルは文句の一つも言いたくなったが、そんな暇は無かった。


「おい、愚醜人(トロル)!」

「ナンダ!?」


 振るわれた触手を剣の刀身を大きく伸ばして打ち合わせ、即座に退こうとする触手を鎌に変えた黄金で引っ掛けて切り落とす。

 驚きに動きを止めた狼に、斧に変化させた黄金を投げ込んで深手を負わせたゼルは、とどめを刺す前に木々の闇に消えた狼に舌打ちすると愚醜人に呼び掛けた。


「ここいらに開けた所は無いか!? 追い詰めても隠れられたら敵わん!」

「アル、ノレ!」

「あいよ!」


 愚醜人の即答にゼルは頷き、自分よりも一回りも二回りも大きい愚醜人の首元に飛び乗った。

 そして剣帯とは別に、腰に巻いていた革紐で自分の身体を固定して、勝手に手元に戻って来た黄金を弓へと変えて王眼で作った矢を番えた。


 互いに味方では無いと言うに、狼と敵対して話が通じるという点が一時的な共闘を実現させていた。


「くそ、弦の重さを調整出来たり、一番使いやすいのが忌まわしい……!」


 ゼルは黄金の弓の予想していなかった使い易さに複雑な感情を抱きつつ、迫る狼達を迎撃していく。


「それで、その右手に持っているのは何だ!?」

「ハナダ!」

「…………は?」


 愚醜人の放った単語に、絶え間なく動いていたゼルの手が止まった。

 幸いにしてそれは一瞬で直ぐに気を取り直したが、ゼルの心の内は混乱が占めたままだった。

 ハナ……はな、花? 花……だと? あの愚醜人が?


「ははっ、傑作だ! あの愚醜人が花を!」

「ナンダ、バカニシテイルノカ!?」


 愚醜人の抗議に、ゼルは強く首を横に振った。


「いいや、いいや! 寧ろその逆だ! いいだろう、お前はその花を守っていろ。奴らは俺が殺す」

「デキルノカ!?」

「……あぁ、やらねばならん」


 意気揚揚と宣言した時とは打って変わって、神妙な面持ちで呟くゼル。

 彼が何処までも深い夜の闇を介して見るのは、如何なるものか。

 それは分からねど、表面上のものであるのならば誰の目にも明らかだった。


「? ブブォ!?」

「おい嘘だろ……!」


 空である。

 ゼルの小声に耳を傾けようと顔を上げ、地を見ず走って転けた愚醜人によって、彼の視界は闇から銀の月を映す冷たい空へと変化した。


 それに伴い、身体の浮く感覚とそれを留めようと縛り付ける革紐をゼルは躊躇いなく黄金を短剣にして切り、己の身を解き放った。


 だがその身が木に打ち付けられる事は無い。最後に愚鈍な面を見せたものの、知恵ある愚醜人は見事に己の為すべき事を成し遂げた。


 背中から着地し幾度か転げて起き上がると、そこは森の中にあって広々とした平野であった。


「ヌォォ……」

「花は!」

「ン……ブジダ!」


 自分が起き上がったのと時を同じくして立ち上がった愚醜人に確認し、愚醜人は己の手の内にある白い花を見せる事で応じた。

 ゼルは、かつて魔法使いが魔術道具の類いを作る時にも、今愚醜人が示した花は使われていたと思い出し、何の花かを聞こうとした。


「だが……」


 呑気に尋ねている余裕は無かった。

 開けた大地で月下に晒されたのは何もゼル達だけでは無い。夜闇を切り取ったかの如き黒い体毛を靡かせ、紫の瞳を爛々と輝かせる四匹の獣。


「話は後だ。お前はそこの岩の上にでも座ってろ」


 大きな足音が遠ざかるのを背に紫眼の獣達と対峙したゼルは、右眼を紅く灯らせながら短剣の黄金を指輪へと戻し、その手に二振りの剣を作り出した。


「黄金は我らを繋ぐ縁であり、呪いであり、貴様の武具だ。俺が振るう武具では無い。故に俺は己の刃を以て貴様の牙をへし折る。来るがいい紫眼の同胞(はらから)の尖兵よ。如何なる理由でこの地を踏み荒らすのかは知らんが、ここは人の領域だ。疾く立ち去れ」


 ゼルの言葉に応じるは、獣の唸り。

 一見すると狼そのものである彼らの背には、常道の獣から外れた歪な触手が生えている。


 向かい合う今も、ゼルは己の眼と剣に魔力を送り続けていた。

 剣はより鋭く、より硬く、より自在に。

 眼には、目に映るものを武具と定義し捕捉する為の錯覚を。

 牙は槍、爪は剣、毛は針、皮は鎧、尾と触手は鞭。

 今は届かぬ高みで練り上げられた偽りの造物狼達に、己が刃と眼を届かせる為にゼルは力を高め続ける。


 結果として右半身に王眼の紅の煌めきが伸び、上裸というのもあってそれはまるで一民族の刺青のよう。


 そんなゼルの変化に狼達は唸りをより強くしながらも動かない。しかし、彼らの中にはゼルに対して警戒を忘れる程の怒りを抱いたものがいた。


「グルルルルァアア!!!」


 両者に広がる緊張と森の闇を打ち破って現れたのは、五匹目の狼。

 彼は深い切れ込みが入った顔を歪め、仲間達には目もくれずに残された片目でゼルを見据えて駆けていく。


「ふっ……!」


 手負いの狼の飛び掛っての爪の振り下ろしを、ゼルは左手の剣で受け逸らしつつ、逃がさぬように切っ先を鎌の様に歪めて振り上げ、狼を空中に留めさせた。


 鎌で絡め上げられた身体が後ろに空転するのを利用して身体を捻る狼に、ゼルは右手の剣を槍へと変化させて鋭い突きを放つ。


 槍は狼の背を穿つかと思えたが、微かに残った触手を打ち付けられ、結果として触手を断ち切ることには成功したものの、狼自身を貫く事は叶わなかった。


「厄介な……!」


 そして、荒ぶる獣性と猛る怒りに呑まれた触手無き狼の吶喊を皮切りに、他の狼達も目の前の敵を殺す為に動き始めた。


 一番槍を取ったのは、当然手負いの狼。

 着地するや即座に駆け出し、ゼルの脚を噛み千切らんと黒一色の身に白と赤の口腔を覗かせた。


 ゼルは迫る狼達を前に、ほんの一瞬だけ背後で戦闘を見守る愚醜人(トロル)を一瞥し、一喝。


「無理だな」


 狼の顎を受け入れ、左脚を喰い千切らせた。


「キャウン!?」


 直後、狼は自分の中で暴れる何かに慌て怯み、吐き出そうと戦場から距離を取った。


 鎧を着けているというのに、いとも容易く脚を持っていかれた事実にゼルは驚きを通り越した呆れを抱きつつ、予想通りと即座に再生した脚で大地を踏み締めた。


 そして新たに飛び掛ってくる狼の横っ面に即席で作った盾を叩き込む。


 手負いの狼が今苦しんでいる原因は、鎧に仕込んだ短剣だ。

 ゼルはヴィーラとの決闘で剣一本では足りな過ぎると反省し、鎧を改造して短剣を仕込んでいたのだ。


 馬に博労が引く程の剣を仕込んだのも同じ理由で、人の世の内で動くのならば、剣が壊れた時に迂闊に新しいのは作れない。故に予め、というわけだ。


 結果として使い道がザド少年への贈り物と、捕食された際の仕込み毒になったわけだが、役に立つなら同じ事。


「ぁぁぁああああ!!!」


 二匹目の狼が自身の横っ面に叩き付けつけられた盾を触手で掴み、空中で転身して舞い戻るのを尻目に迫る三匹目と四匹目の狼。


 右は牙で腕を、触手で脚を。

 左は触手で腕を、脚を牙で貪ろうとする狼達に対し、ゼルは咆哮を上げながら左側の狼に自分を喰らわせる為に重心を傾けた。


「ぁああらッ!」


 ぎりぎりで右側の狼を躱し、再び左脚を捥ぎ取られた対価に、ゼルは狼の触手を掴んだ。

 傾けた身体を支える為の左脚が無くなった事で均衡を崩したものの、強引に身体を回転させ、右膝を地面に付かせながら狼を二匹目の狼に投げ付けた。


 凄まじい膂力で投げられた事で二匹の狼が空中で縺れ合って遠くへ飛ぶ中、触手を掴む為に手放した剣を呼び寄せながら立ち上がると、己を挟む二頭の狼。

 一匹目と四匹目だ。

 怒り荒ぶる手負いの五匹目は……。


「ウォオオオオオオオオオ!!!」


 凄まじい咆哮と共に、引っこ抜いたのだろう丸太で打ち据えられた挙句に、近場の木に押さえ付けられていた。


 腹の中で刃が暴れて満足に動けないとはいえ、紫眼の狼の一匹と片手で戦おうとは、流石は化け物と恐れられる魔物か、それとも阿呆と嘲笑される愚物か。


 何方にせよ、厄介な手合い(怒りに呑まれたもの)の事を考え無くて良くなったのは、ゼルにとって僥倖だった。


 一匹は愚醜人が引き付け、もう二匹は投げ飛ばした事で戻って来るまで数十秒程の猶予がある。


 その間に眼前の二匹を一方でも討ち取らんと、ゼルは強く両手の剣を握り締めた。

因みに生まれたばかりの愚醜人の子供は凄まじい異臭を放っています。

理由は勿論生まれたその場で親に食べられないため。

たまに「何だこれくっせ!」と言ってぷちっとしてしまうのは……うん。

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