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馬追

 ヴィーラと別れたゼルは、街門近くの厩へと向かった。


「すまない、軍馬は居るか」

「へぇ、軍馬……ですかい? 少々お待ちを」


 厩の近くに居た丁稚は、ゼルに断りを入れると馬房の奥へと姿を消し、暫くして一人の男を連れて来た。


「すまねぇが、今軍馬は皆出払ってるぜ」

「全てだと?」

「あぁ、ディグレナバル領遠征ってのは知ってるだろう?」

「それは四年前に行われたばかりだろう」

「魔獣が活発化してるって話だからな。それに応じてだ」


 恐らくこの厩に於ける博労だろう男は、ゼルの姿を確認すると媚びを売るような真似をせずに端的に告げた。


 それを聞いたゼルは、北の山脈を見遣ると軽く毒吐いた。


 山の先にあるのは、冒険者統合組合直轄、対ディグレナバル領移動型前線都市国リグジット。別名、リグジット庸国。

 そして、ディグレナバル領の別名は旧魔王領。無数の魔獣が跋扈する魔境である。


 リグジット庸国の普段の人口は千にも満たないが、それが大きく増える時がある。

 それがディグレナバル領遠征。人類圏を魔獣達から取り戻す為の征伐隊を組む時だ。


 冒険者組合に所属する実力者達を集めたその遠征は、六年〜八年に一回の頻度で行われる。


 よって、本来なら今の時期に遠征は執り行われない筈だったのだ。ゼルが毒吐くのも無理は無かった。


「ならば他に居ないか? 幼いのでもいい」

「一応数頭はいる。商品として扱うにゃ若い奴らがな。まさかそれを買うつもりか? 調教も不十分だぜ?」

「構わん。その中で最も優秀な馬を金貨250で貰いたい」


 ゼルの発言に博労は囃すように口笛を吹いた。

 一般の軍馬と比べても大きな額。蹄鉄、鞍、その他諸々を込めてもゼルの提示は破格に過ぎた。


「ははっ、上等。付いてきな、()はここには居ねぇんだ」


 にやりと笑みを浮かべた博労は、丁稚に馬を二頭連れてこさせると一方にゼルを乗せ、一方に自分が乗るとそのまま二人連れ立って街の外へと出た。


 ゼルに放牧場に入ってすぐの所で待つよう告げた彼は、ややあってから高く嘶く漆黒の馬を連れて来た。

 その馬は博労の宥める声を聞かず、首を振ったり身体を持ち上げたりと抵抗を見せており、ここまで連れて来られただけでも奇跡に思えた。


「待たせたな。見ての通り……の、気しょ……っ……こいつ、いつも以上に……うおっ!?」

「おい、ぬっ……!?」


 そして、激しい抵抗の末に遂には博労の手から引き綱が離れ、解き放たれた馬は博労が離した引き綱を掴もうと近付いたゼルに蹴りをかました。


 その蹴り自体は見切って避けた為に被害は無かったものの、彼が身を引いた事で近くに存在するものが居なくなった馬は、あっという間に姿が小さくなった。


「成程……確かに()()らしい」

「気性以外は……な。胆力、捷さ、体力、どれをとってもうちの幼馬の中では抜群に良い。成長すりゃぁそれこそ一日中戦場を駆け続けられるようになるはずだ。だがなぁ……」


 それ等全てを覆して余りある気性の荒さに、博労は手打ちのしようが無いと己の髪を撫で付けた。


「ま、というわけで能力的に最優秀な奴は諦めてくれや。能力面ではあれに負けるがその分従順なのが……おい?」


 博労は毎度例の馬が見定めるように自分を見ているのに気付いていた為に、雑多な冒険者とは違った雰囲気を纏うゼルの前に彼を連れて来ていた。

 だが結局は他の人間を見た時と大して変わらないと、諦観の念を抱きながらゼルにそう向き直るが、彼は博労を視界に収めていなかった。


「挑戦の機会くらいはくれてもいいだろう? それに」


 問いつつも答えを待たずに歩き出したゼルの内には、博労の言葉通りに従うという選択肢は存在していなかった。


「諦めろと言うなら何故見せた」


 博労の考えを知らないゼルの意見はこれに尽きた。


「もしかしたら……ってな?」


 ゼルの視線におどけて見せた博労は、まぁ、と言

葉を繋いだ。


「怪我、恐怖。これを与えないなら好きにしろ。失敗しても将来有望なのは他にもいるんだ」


 端から期待していない。

 そんな態度を隠しもしない博労にゼルは軽く笑みを浮かべ、遠目に此方を伺う馬に向けて芝を踏み締めた。


 そうして馬に挑んだゼルの歩みが早足に、駆け足に、常人離れした疾走に変わるのにそう時間はかからなかった。

 魔力の無い世界である、ゼルがこの世で二度目の生を迎える前に居た世界。


 その世界の競走馬(サラブレッド)と同等かそれ以上の速度で走るゼルに対し、超常の力と生物が存在する世界に生ける幼馬は、余裕を隠すこと無くゼルと付かず離れずの距離を保って走っている。


 そもそもとして馬と人間が競走するという行為自体が愚かに過ぎるが、それでもゼルは美女を追い掛ける醜男のように盲目に、一心不乱に馬を追い掛ける。


「っ!」


 はたと、今まで盲目であったゼルが突如周囲を見渡した。

 視界に映るのは広大な草原と、自分達から離れていく馬達。それと今も自分を翻弄する幼馬のみ。

 そこに博労の姿は、人の姿は映らない。


 それ確認したゼルの右眼が紅く灯る。

 だが、いつかの時に豪弓を引いたような変化は無い。

 代わりに、彼の走りが人のそれから獣のようなものへと変貌した。


 重心はより低く、上半身は前傾に、足の回りは転ける寸前で耐えるかの如く粗く速く。

 芝と共に土を巻き上げて迫るゼルに、さしもの幼馬もその動きを大きく、所謂襲歩と呼ばれるものへと変えて駆け逃げる。


「がァッ!!」


 しかし、差は広がらない。

 寧ろだんだんと狭くなっている。

 下りの際には滑空するように、上りの際には近付き過ぎた地面を手で力任せに掻き走る。


 本来ならばそんな走り方をすればまともには走れない。

 下りでは慣性に、上りでは両手によって足の動きが乱れるから。

 しかし、ゼルの足は変わらない。

 人間離れした回転を為す足は、何処か機械的に粗く速くを繰り返していく。


 そして――


「ぶばっ!?」


 幼馬が徐に走るのを止め、見事な後脚を高く掲げてもゼルの走りは止まらず、彼はまともな受け身を取れぬままに顔面を蹴飛ばされた。

 急な攻撃によって乱れた集中でゼルは完全に動きを止め、地面に触れても()()()足では踏ん張ることもままならず、勢いよく地面を転がった。


「ぐ……」


 うつ伏せに転がるゼルの上に、影が一つ。


「お前……」


 その主は言わずもがな。

 倒れたままひしゃげた状態から再生した顔を上げ、ゼルは己を見下ろす幼馬と目を合わせた。

 互いに目を逸らさずに見つめ合うこと暫く。

 ややあってから幼馬は頭をゼルに近付け、己が蹴飛ばした場所に舌を這わせた。


 それはまるで、人間にしては良く駆けたと労わるようで、誉めるようで。それは紛れもなく、ゼルが幼馬に認められた瞬間であった。


 そうして、幼馬に乗って戻って来た姿を見て驚愕し、興奮した博労と共に幼馬の鞍を初めとした諸々を拵えるために街に戻ったゼル。


「んじゃ、一旦そいつを預かるぜ。……本当にもう一頭買うのか?」

「あぁ」

「はいよ。じゃあ待ってな、要望通りの姿で連れて来てやるからよ」


 博労の言葉に頷いたゼルは、再び厩傍の客室へと入った。

 ゼルが馬を一頭ではなく二頭買うのは、あの幼馬の事が惜しくなったからだ。

 これ程の名馬を貴族に献上するなど勿体ない、と。


 ゼルが馬を買おうとしているのは、移動手段のためと言うよりは、これから会う貴族に対する警戒が主な動機だった。


 話し合いの最中に何かしらで拗れた場合の保険は必要だろう、と。そんな理由だ。


「待たせたな」


 待つこと暫く、博労に呼ばれて厩の外に向かったゼルを待っていたのは、例の幼馬と栗毛の幼馬。


「どちらもうち自慢の幼馬だ、大事にしろよ?」

「分かってる」


 ゼルがしっかり頷いたのを確認した博労は、軽く笑みを浮かべると幼馬達が着けているものについての説明を始めた。


「お前さんの要望通り、首には短鞘二本、背中の両側にも鞘を二本ずつ取り付けてる。あとそれぞれの背負い袋だが」


 言いながら、賢き幼馬から栗毛の幼馬に視線を移す博労。

 ちなみに、賢き幼馬は青鹿毛だ。


「こいつには回復薬を希釈した水瓶数個と人参と詰めた飼葉を積んでる。それと既に持ってるだろうが手入れ用の油だな。水は気分によっちゃ飲まねぇが、何かあったら強引にでも飲ませろ。んでそっちだが……見りゃ分かんだろ」


 言われ、ゼルは青鹿毛の幼馬に取り付けられているものに目を向けた、片側が皮袋。もう一方は細長い筒だ。


 皮袋の方には栗毛の馬と同様飼葉と回復薬の希釈水。これらが積まれている厳密な理由は、筒に物を入れた時の重心の均衡を保つ為だ。

 筒に入れるのは、矢然り槍然り。

 長物の投げ物を馬上で扱いやすいようにする為のもの。


 最初にゼルがこれらを要求した時には、博労は物騒すぎやしないかと若干引いていた。


「さっきも言ったが、こいつらはまだ二歳だ。これからどんどん大きくなる。だから蹄鉄や鞍は一巡りに一度は新調するようにしてくれ。遅くても二巡りに一度は絶対だ。それ以上空くと不味い」

「了解した」


 一巡りというのは、月の巡りのことである。

 新月から満月、そして新月と月が一巡りする事を指す。

 巡りの期間は、平均で三十二から三十四日。

 それらが一年を通して十一から十三程繰り返される。

 巡りの数がまちまちなのは、冬至を迎えれば新年となるからだ。


 例えば、十一巡目で、残り後数日で新月となると言う時に冬至を迎えたとする。

 その場合、冬至から次の新月までが一巡りとなるため、数日で二巡目に回るのだ。

 十三巡目も同様で、十三回目の新月を迎えたすぐ後に冬至を迎えれば新年の一巡目となる。


「他になにか説明は?」

「無い、満足だ」


 ゼルは博労の問いに首を振ると、金貨の入った袋を二つ取り出して博労に渡し、青鹿毛の幼馬の鞍上に乗った。


「ほい、金貨500。確かに」

「では」

「おう、良い旅を」


 見送りの言葉を背に、ゼルは青鹿毛の幼馬の腹を叩いて街から走り去った。

馬に負ける主人公……

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