旅の伴に一片の艷花を(後)
「ハァッ!!」
「っ!?」
まさか素手で躊躇いなく吶喊して来るとは!
ヴィーラの頭の中を驚愕と恐れがないことへの困惑が埋め尽くす中、彼女の身体は染み付いた舞いを演じ続ける。
時には剣を逆手に持ち替え、放り、足で弾き、身体に剣を滑らせる。
大凡の戦士が考えもしない動きを繰り返す軽快な戦舞で拳の狂戦士を饗応する。
ゼルはそれらを手で逸らし、それが難しいものを鎧を纏った足で受け弾いていく。
それは一瞬であっても宙を舞う剣も同様だったが、遠くへ弾き飛ぶ前にヴィーラが掴んで次なる行動へと活かしてしまう。
故にゼルは阻止する為に、隙を見て彼女が掴む前に剣を奪い取った。
「はァ!!」
「ぬぅ……っ!?」
瞬間、鈍い音が周囲に響き渡った。
剣を奪われたと見るやヴィーラは伸ばしていた手を、蹴りの威力に乗せるために振るい、ゼルが咄嗟に掲げた腕に轟速の蹴りを繰り出したのだ。
その威力は音が証明するように高く、ゼルは威力を殺す為に下半身から力を抜いた。
少しばかり地面を擦った後に勢い良く宙を飛んだゼルは、ややあって体勢を崩したまま不時着。地面を転がることとなった。
「? ぁ、まずっ」
その距離はただ蹴り飛ばされて転けただけにしては長く、違和感を覚えたヴィーラがゼルの転がる先に目を向けると、先程自分が足で絡め飛ばしたゼルの剣があった。
焦りが心中を支配して身体を突き動かそうとするが、時既に遅し。ヴィーラは己を制し、手元に残った一本の剣を構えるだけに動きを留めた。
そんな彼女の視線の先にいるゼルは、ヴィーラから盗った湾曲刀と拾った剣の二剣を持ちながらその場で立ち上がり、蹴りを受けた腕を一瞥した。
「これでおあいこ」
ゼルの行動に既視感を覚えたヴィーラの口から、ほぼ無意識にそんな言葉が漏れた。
「……常人なら折れてるだろうものと、かすり傷でおあいこだと?」
字面だけでは悪態を吐いているようにしか聞こえないが、ゼルの笑みは深いまま。
ゼルが常人離れしているのは、何も膂力だけでは無い。身体の耐久性も常人のそれから外れている。
だと言うのに、今の蹴りは軽くではあれ骨まで響いた。
常人なら骨が折れるか、よしんば耐えられたとしても受けた面の肉が潰れていただろう程の威力だ。
「女の顔と戦士の腕。価値は同じ、でしょう?」
「…………そうだな、本来ならば釣り合わんものだが、あんたのものとなれば寧ろ釣りが来る」
分かっているのかいないのか。
艶のある笑みを崩すことなく豪胆な事を言ってのけたヴィーラに、ゼルは若干の呆れを抱きつつもそれでこそだという高揚を抱いた。
彼女は美しい。凡百の女が憧れと悋気を起こし、大半の男が焦がれ夢想する高嶺の花。
それを彼女自身も自覚しているからこそのその言葉。正真正銘、誇りを抱くものの言葉。
そんな尊いものを浴びせられて、昂らない方が無理というもの。
同時に、今なお煌めいている娼女の紫の髪。あれは恐らく、色気や魅力の類いを増幅するだけでは無いのだろうという推測も抱いた。
が、そんなものはどうでもいい。彼女の有り様と同じく美しい。それ以外の何が必要だと言うのか。
「あら、いいの?」
「あぁ」
ゼルは彼女に剣を返し、己の剣を上段に構えた。
今の自分では、彼女の卓越した技巧は越えられない。
剣筋を見れても、隙を見つけても、それに潜り込むだけのものを持っていない。
故にゼルは、彼女より勝る膂力に賭ける事にした。
「だぉらッ!」
「っ!?」
構えこそ上段のそれだが、膝を曲げて腰を落としての踏み込みは元来のものとは縁遠い。
駆ける。そう表現するより跳躍と言う方が正しい動きで肉迫するゼルの剣の腹に、ヴィーラは斜め前に身体を倒しながら両の手の二剣を叩き付ける。
そして剣を振り切った勢いを利用して身体を回してゼルの背に蹴りを放つ、が、空振り。
代わりにあったのはいつの間にか転身して突き出された刃。
浮いた右足が邪魔で剣を受けられるのは一方のみ。
その一方も剣に打ち合わせて逸らした場合、肩から腰の斜めの線にゼルの剣を乗せることになる。
故にヴィーラは迷いなく身体を捻って残る軸足も浮かせて蹴りに回すことでゼルの手を打ち据え、結果を見届けること無く地面に両手を着いてすぐさま左の腕を曲げて地面を転がった。
そうして一回転してから両腕だけで身体を跳ねさせると、先程まで居た場所に深く剣が突き立てられていた。
どうやら剣を絡め盗った時と違い、ゼルの手から剣が離れる事は無かったらしい。
とはいえこれは大きな隙である。
ヴィーラは着地すると同時にゼルに向けて剣を振るう。
「ぅぉぉおおおおおおおおああ!!!」
「なんっ……て、馬鹿力なのよ!?」
それを迎撃するのは、地面に刺さったまま強引に地面を裂いて現れた剣。
ヴィーラは両手の剣を即座に逆手に持ち替えて一方を胸元に、一方を腹前に移動させ、直後に土と一緒に宙へと切り上げられた。
「ちょっ……、殺し合いじゃないのよ!?」
だが、その事に驚く暇は無い。
打ち上げられて剣を持ち直しながら眼下を見遣れば、剣を逆手に投擲体勢に入るゼルの姿。
「分かってるさ!」
「分かってないぃ!?」
轟速で放たれた剣を、着地の事を一切考えずに身体を捻りながら二剣を振る事で、なんとか迎撃に成功したヴィーラと、弾かれた剣を取る為に跳躍したゼルがすれ違う。
「いっつ……、なんて人」
不格好に着地したヴィーラが見上げると、そこには手の内に剣を収め、近くに聳える外壁と同等かそれ以上の高さまで跳躍したゼルの姿があった。
遠目に見えるゼルは、空中で器用にヴィーラに身体を向けると、剣を持つ手を大きく振りかぶった。
「もうっ!」
痛みを訴える足の傷の程度を確かめる暇もない。
本気で殺しに来てるとしか思えないゼルに悪態を吐きながら、ヴィーラは足と剣に魔力を込めてその場から早急に離れた。
そしてすぐ後ろから迫る剣を身を翻す事で間一髪に避け、後ろに跳ねた。
地面に刺さった剣を飛び越えたヴィーラは常人離れした速さで、未だに空中で呑気に落下を続けるゼルの元へと疾駆した。
「させないわよ!」
「なっ、ぐ……」
ヴィーラが辿り着く前に着地を果たしたゼルは、娼女と同様に凄まじい速度で彼女に向けて駆け、ぶつかろうという瞬間に彼女の上を飛び越えようとした。
だがそれを敏感に察知したヴィーラは、ゼルが飛び跳ねた瞬間にバク宙し、彼の横っ腹に己の踵を打ち付けた。
しかし、当たったのが横っ腹と言うこともあってゼルの跳躍は多少勢いが殺がれただけで、彼は地面を数度転がると流れるように立ち上がり、投擲した剣の元へと走り寄る。
対して、ヴィーラは迎撃の為に伸ばした片足と曲げたままの片足という状態を崩すことなく着地。
バランスを保つ為の片手を加えた二足一手で地面を滑り、距離が空いていると言うのにもう一方の手に持つ剣をゼルに向けて振るった。
すると、昨夜の踊りのように剣先から揺蕩う水が現れた。それ等は昨夜とは一変し、彼女を彩る為でなく己をゼルの血で彩る為に飛んで行く。
「ぜァッ!」
正に鉄砲水と呼ぶに相応しい弾丸は、辛うじて迫る水弾よりも早く剣を抜いたゼルが一息で幾許かを打ち落とし、彼の剣を免れたもの達がゼルの身体に着弾した。
しかし、それ等は彼の身体を貫く事は叶わなかった。
「…………」
先の蹴打と違い、骨に届くような威力でも無かったというのに、ゼルは動かない。
要因は彼の視線の先。
「っ……」
地面を滑ったままの体勢で、紫の髪を亜麻色の髪に戻して足の傷口を抑えるヴィーラにあった。
それが示すのは勝負の終わり。決着の瞬間であった。
「無事か」
「……じゃないのは見て分かるでしょう?」
近付いて来たゼルを軽く睨め付けるヴィーラが押さえるのは、内の肉を露出させて血を流す脹脛。
そこに刃を入れられた瞬間は、ヴィーラが思い浮かぶ限りでは自分が宙に打ち上げられる前。ゼルの手に蹴りを放って地面を転がった時しかない。
気付かなかっただけで決着はその時に着いていたのだ。
「貴方、途中から殺しに来てたでしょ」
「そうでもしないと勝てんと思ってな」
「はぁ……ほんと、人と闘ってる気がしなかったわ。何よあの怪力」
軽口を叩くヴィーラにゼルは無言で手を伸ばした。
それに彼女は手ではなく剣を置くと自分の力だけで立ち上がり、返された剣を支えに歩き始めた。
「これを」
「これって……」
「痛み止め程度にはなるだろう」
ゼルが渡したのは、昨日のじゃれ合いの折に手渡されていた回復薬。
「……使って無かったの? でも」
「治りが早い体質でな」
「…………ふぅん」
ヴィーラは、疑わし気な表情をゼルに向けた。
が、一向に変わらないゼルの顔に、問うた所で無駄だろうと回復薬を煽った。
「はぁ……、ありがとう。これで最低限は歩けるわ」
「支えるか?」
「大丈夫よ、そこの小屋のから買い付けるから」
ゼルが渡したのは、些細な傷を治す程度の効力しか無いもので、ヴィーラの足の傷を治すには至らなかった。
その為、本当に少しだけ痛みが抜けただけで、動けばきついだろうと考えたゼルの申し出は却下された。
「洞鍛人か……、一つ言伝を頼んでもいいか」
「言伝? 貴方あれと面識あるの?」
ゼルは振り返る娼女に向けて首を横に振った。
「ならなんで」
「洞鍛人であれば伝えるべきだと思ってな」
「??」
「名を継ぎしものは今、名だけでなく栄光も継がんと岩漿の中で槌を振るっている。そう伝えてくれ、洞鍛人ならば分かるはずだ」
ヴィーラはゼルの言葉の詳細を聞こうと口を開いたが、傷の加減からしてそんな余裕は無いと判断し、頷きを返して歩みを再開した。
が、それも直ぐに止め、背を向けて去ろうとするゼルを呼び止めた。
「待って、貴方名前は?」
「ん……、ゼルだ」
「ふぅん……。私は……」
ヴィーラはゼルの名乗りに応じて自分も名乗ろうとしたが、言い淀むと代わりに流し目を送った。
「もう知ってるでしょう?」
「ヴィーラか」
「そ。また会いましょう、ゼル。貴方とはまた会う気がするわ」
傷の痛みは多少の痛み止めでは収まらない程のものだというに、尚も余裕を滲ませるヴィーラは、しっかりとした足取りで小屋の中へと姿を消した。
「…………行くか」
その余裕は、女としてのものか、それとも娼婦としてのものか。
流石にそれは分からないが、ゼルはこの街での思いがけぬ出会いに感謝した。
ヴィーラ。娼婦であり、踊り子であり、戦士でもある奇特な女は、間違い無くゼルの内に深く刻まれた。




