旅の伴に一片の艷花を(前)
「んぅ……あれ」
「起きたか」
「……、結局あのまま寝たのね……」
「あぁ」
ヴィーラより先に起きたゼルが部屋の窓を開けると、そこから差し込んだ陽光に当てられたヴィーラも目を覚ました。
「さっき店主から湯を貰ってきた。顔でも拭いて目を覚ませ。それと白湯だ」
「うぅん……」
目を覚まして男が傍に居るのに、事後の感覚が無いという違和感と爽快感に彼女がぼーっとしていると、ゼルは湯を入れた杯と、絞った布を彼女に手渡した。
そうしてヴィーラが白湯を飲んでから軽く身体を拭き始めたのを改めると、ゼルは彼女に背を向けて、外していた外套や白の剣を付け始めた。
「ん、もう行くの?」
「あぁ」
身体を温め、眠気から解放された様子で訊くヴィーラ。
一切の迷いのない即答に、予想通りと軽く笑みを漏らしながらゼルの背に言葉を掛ける。
「じゃあ、その前に再戦して貰っても?」
「あぁ、こちらとしても願いたい。戦舞というものに興味がある」
「そこは……、私に興味があるって言った方が、お世辞でも喜ぶわよ?」
「…………なら言い直すか?」
「結構よ、もう遅いわ」
ゼルの変わらぬ態度にヴィーラはからかいを多分に含んだ笑みを浮かべると、化粧直しの為に起き上がった。
「用意が出来たらやるぞ」
「あぁ、それなんだけど、武器を預けてるから取りに行ってもいいかしら?」
鏡越しに首肯したゼルを見遣るヴィーラ。
「…………そういえば、貴方の旅の目的ってなんなの? 冒険者……じゃあ、無いのよね?」
「あぁ」
彼女は化粧中であるにも関わらず、終わるまで暇をさせないようにと話しかけた。
「目的か」
「えぇ」
「…………」
しかし、結局ゼルは黙りこくってしまった。
「自分探し…………の、ようなものだ」
化粧がある程度進んだ所でようやく発された言葉は曖昧なもの。
「ふぅん……」
そうして再び二人の間に沈黙が広がり、やがて準備を終えたヴィーラが行こうとゼルに声を掛けた。
だが、肝心のゼルが動かなかった。
「どうしたの?」
「……その格好で行くのか?」
「貴方がそれを言うの?」
互いの視線に収まる互いの姿は、上裸と半裸。
ゼルは言わずもがな、ヴィーラの格好も常人と比べるとあまりにも露出が多かった。
昨日の昼の貴人服とも踊り子の服とも違うものの、谷間を、腹部を、太腿を大胆に晒しているのは変わらない。
「それでいいなら何も言わんが」
「そ? じゃあ行きましょ」
そうして上裸と半裸……痴漢と痴女……否、ゼルとヴィーラは部屋を後にし、『踊る白鶴』の裏手にある常に槌の音を響かせる建物の前へと場所を移した。
「老婆が言うに沈黙知らずの槌の家だったか」
「槌を振るしか能がないってだけよ」
「遠慮が無いな」
「そんな仲じゃないもの。じゃあ少し待ってて」
彼女はその言の通りに一切の遠慮を伴う事無く家の戸を開け、判別不能な言語による怒鳴り声と共に勢いよく戻ってきた。
「もうっ、頑固親父!」
「黙らんか鶴娘! 鍛治の邪魔をするなと何度言ったら分かる!」
「そうでもしなきゃ季節が巡るでしょうが!」
理解不明な言語から人の間で共通する言語に切り替わった怒鳴りに、ヴィーラも先程までのしゃなりとした雰囲気を一変させて家の中へと突っ込んでいく。
どうやら本当に遠慮の無い関係らしい。それがいい意味かどうかはともかく。
「今の……洞鍛人語か」
目の前の騒ぎを他所に、ゼルは先の怒鳴り声が覚えのある言語だったのを思い出して驚嘆した。
優れた技術者である洞鍛人がこんなこじんまりとした小屋で鍛冶をしているなんて、と。
一体何故。ゼルの好奇心が僅かに疼いたが、今回彼に用があるのはヴィーラだ。
「ごめんなさい、長引いたわ」
「構わない」
待つこと暫く、湾曲刀を二本携えた娼女と共に、槌の音が響き始めた小屋の横で二人剣を構えて向かい合う。
「その白い剣は抜かないの?」
「これは抜かん、何があろうとな」
娼女の問いにゼルは腰に差したままの白の剣の柄に手を添えて強く答えた。
刃も無く、抜かず、手入れだけは怠らない。
その剣には一体何があるのだろうか。
「ふぅん……」
気になる。凄く気になる。あの龍殺しとの一騎討ちの時には使っていた筈、多分それ以前も以降もだ。
何かあってその剣を振るわなくなったとすると、子供冒険者の噂が更新されなくなった一二年前から今までの間。
そしてそれは、今の彼の格好にも起因するものなのだろう。というか、上裸関係無しにこの男本当に二年前まで子供だったのだろうか。
それに気になると言えば、先程のゼルの反応。
自分探し。やっぱりそれは、魔法使いとの旅の終わりにも関係しているのだろうか。
「ねぇ、この勝負、何か賭けない?」
「賭けだと?」
「そう」
今までも謎の多い人物と関わる事はそれなりにあった。
でも、それらとは比べ物にならない程に色々抱えるゼルに、娼女の好奇心がそそられた。
「私が勝ったら貴方の旅に付いてくわ」
「…………何故だ」
「首採り、樫の森の崩落。最近ここら辺で物騒な事が起こっているから、街を出ようと思っていたのよ」
そして女一人での旅は流石にきつい為、元々同行者を探していたと。
ゼルは強い。同行するものとしては申し分のない者だ。
そして彼が抱えているナニカ。
魔法使いと一緒に旅をしていた少年が、活発だと言われていた少年が何故こんな状態になっているのか。
「……っ」
ただ聞き出すのでは味がない。
ならば、この男を落として色々聞きだしてやりたい。
それは共に旅に出れば何れ達成できるのでは。
そんな考えの元での発言は、彼女の美しい背筋を凍らせた。
凄まじい殺気。
ヴィーラが今まで出会ったことも無い、体験したことも無い強烈な拒絶を孕んだ殺気。
彼女は殺気から格の差を察し、戦意を失いかけた。
だが、ここで折れれば自分が剣を取った意味が無い。
男に怖じて屈するなど、もう御免なのだ。
「すまんが、誰かと旅を共にする気は無い」
今までの何処か余裕のある雰囲気を一転させて紫の髪を煌めかせ、構えも昨日の舞い初めの時と同じものから違うものに変えたヴィーラを見据えるゼル。
今の歪んだ有り様を常に隠し続ける必要があるのは面倒だ。
何かしらの拍子でばれて黙らせても、別れた際に暴露される可能性がある。
それを阻止するには別れる際に殺すか、そもそも同行を許さないかのどちらかだ。
昨夜の美しい舞いを、自分の事情のせいでこの世から消すのはあまりにも勿体ない。
だから。
「だから、叩きのめす」
「……舐めないで貰いたいわね。そう簡単にやられると思って? 貴方の為に舞ってあげるわ」
「来い、妖美な踊り子、豊麗な恋の乙女。類稀な美を宿そうと、穢れ無き珠の肌であろうと、一切の加減はしない」
「……戦いになると饒舌なのね?」
「箍が外れるだけだ」
ヴィーラの戦闘に対する意欲に当てられたゼルの口許に、獰猛な笑みが姿を現した。
肉食獣もかくやな笑みに多少心が揺らいだものの、貧富強弱、閨と剣、それらの両分で多くの男を降して来た自負の元に、ヴィーラは口許に弧を作る。
「だぉらッ!」
「ちょっ!?」
初撃を取ったのはゼルだった。
人間同士の戦いの一合目に起こる探り合いの一切を無視した突撃と、勢いを十全に利用した横薙ぎにヴィーラは驚きつつ身体を逸らして避けた。
「貴方、淑女に先手を譲ろうとかは無いわけ!?」
「あるわけが無いだろう! 剣を取り向かい合うならそれは戦人同士の戦いだ。男女老若区分無く、ただ全力で相手の首を獲りに行く!」
「そう、それは光栄だわね!」
凄まじい突進に度肝を抜かれて調子が狂ったものの、自分を女としてでは無く戦士として扱っての行いと知れば文句など出よう筈もない。
心の内にあった油断余裕に類する傲りを全て捨て、ヴィーラは戦場で舞い踊るものとしての戦いをゼルに仕掛けていく。
「ふっ!」
「な……っ!?」
相手の出方、此方の状態、それらを加味された可変の拍子。
踊りと言うには歪すぎる程に変調を繰り返す舞いに、さしものゼルも攻めあぐねた。
剣で受ければ呑まれ、弾けば呑まれ、避ければ呑まれる。だからと言って逸らせば直後に待つのはもう一方の刃。
どれを取っても悪手。同調する事が許されない。
「成程……厄介だ、なァ!」
常人ならばすぐに呑まれて殺される舞いを前に、されど狂った戦士は刃を突き入れんと吶喊する。
彼は傷を恐れない、呑まれる事に躊躇しない。
それは不死を隠す必要があると分かっていても簡単には変えられない、深く刻まれた不変の嵯峨。
「いぃっ!?」
自分の持つ二刀が最も接近した瞬間を狙っての一瞬の早業。
左右に大きく弾かれた腕にかかる負荷は、驚くべき事にほぼ均等。
一方だけ耐えてわざともう一方の勢いを殺さずに回る事は出来る。
でもそれは、ゼルが今にも自分の胸に刃を突き入れようと動いている時点で悪手。
故に両の手に掛かった力を利用して身体を逸らし、地面に向かって腕を伸ばす。
しかし、伸ばした腕は着地と同時に曲げられた。
突きが不発と見たゼルは、腕を伸ばしたままの体勢で刃を眼下のヴィーラへと向けたのだ。
ヴィーラは腕を曲げ、膝を胸元付近まで抱え込むと跳ねるように腕と膝を伸ばし、振り下ろされる剣に足を絡めた。
「なっ……」
「この足輪は飾りじゃないのよ!」
器用に下腿に着けられた足輪だけに刃が来るように足を操るヴィーラは、驚愕に目を開くゼルから剣を奪い、そのまま足で遠くへと弾き飛ばした。
やろうと思えば剣を足で弄んだ上で突き返すことも出来るのだが、やはり目の前の相手はそれを許さない。
「ふんッ!」
「っ!? 嘘でしょ……」
剣を取られても踏み込んで来るのを視界に収め、ヴィーラが急いで足と手の上下を戻した直後、眼前に迫る岩塊……否、拳。
立ち上がった直後なのもあって、完全には整っていない体勢を敢えて後ろに崩しながら首を傾げる事で辛うじて避け、勢いのままにバク転する。
そうして体勢を立て直すと、頬に違和感。
確かめるために触れれば、軽い痛みと血があった。斬られたのだ。それも拳で。
信じ難いが、指に付着する血が紛れもない現実だと訴えて来る。
ヴィーラは驚愕を隠せぬままに、拳を振り切った体勢で動かないゼルに目を向けた。
「血が流れたわけだが、どうする」
ゼルが動かない要因は、明確な勝利条件を定めなかったが故のものだった。
血が出るか、降参か。
互いに語らずともそれ等を敗北の条件と認識していたが、今回は僅かに頬を切っただけ。
跡に残るようなものでもなければ戦闘に支障が出るものでもない。
「貴方こそ、剣を落としたじゃない」
故にゼルは問い、ヴィーラは挑発で応えた。
「落としたのなら拾うまで。届かぬ所に行ったわけじゃない」
「そんな暇を与えると思って?」
「必要無い。奪い取る」
いっそ傲慢とも取れる発言と共にゼルは硬い拳を解いて構えた。
黄金は使わない。それは決闘を穢す行為故に。
白の剣は抜かない。それは最も忌避すべき所業故に。
拳と剣、一本ならばやりようもある。だが、二剣相手となれば一方を受ければ斬られ、逸らせば斬られ、弾けば斬られる。
あまりにも不利であるというのに、ゼルの笑みは深まるばかり。
膂力は明らかに暴威を振るうものの王よりも下。
しかし、強さは彼女の方が上だ。
力任せに剣を振るしか能の無い不快な愚物と比べ、彼女のなんと尊い事か。
「ハァッ!!」
ゼルは今この時、不死を隠すと云う考えを捨てた。
それは、彼女の積んできた研鑽に対する侮辱であると。怪我を恐れ、隠し卑屈になるのは、目の前の武人に対して無礼であると。
ゼルは先の宣告通り、目の前の華から勝利を摘み取らんと踏み込んだ。




