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逢引

「…………得心が行った」

「?」


 喧騒も衰えぬ酒場の上階の、階下とは違い薄暗い廊下で娼女……ヴィーラと向き合ったゼルは、開口一番に頷いた。

 対してヴィーラはいきなり何を言い出すのかと首を傾げたが、直ぐになんの事が察しが着いた。

 この男は戦闘に関して恐ろしい程に鋭い。ならば先の踊りを見せた今、彼が見抜いた自分の動きの癖と照らせば。


「剣一本では明確な隙間があり、足捌きは独特で遠心力を利用するような動き。それを二本に、舞うように、流れるように動かせば、あの違和は消える」

「…………ふふっ」


 やっぱりだ。この男は鋭すぎる。強すぎる。

 だからこそ、降したい。


「じゃあ、その違和感を解消したげるって言ったら、また戦ってくれるのかしら?」

「む……」


 ヴィーラが瞳に妖しげな光を宿して悪戯っぽく笑むと、ゼルは少し唸って虚空に視線を彷徨わせた。


 その仕草に見覚えのあるヴィーラは、悪戯気な瞳でゼルを見ながら待った。


 流石に、長時間待たせられたらあれだけど、この男はそれをしないだろうと、娼婦として鍛えられた洞察力が教えてくれる。


「あぁ、戦場で舞い踊るものの()()は無いからな。是非もない」


 その言い方はどこか他人事だった。


「ふぅん……。じゃあ、どんなのなら記憶にあるの?」


 ヴィーラはそれが気になり、言葉を重ねた。


「色々だ」

「色々?」

「そうだ」

「ふぅん」


 二度聞いて同じ答え。答える気は無いのだろう。

 中には勿体ぶって何度も聞かせるものもいるけれど、例の如くこの男はその類いでは無い。


「それで」


 今度はこちらの番とばかりにゼルが口を開く。

 そういえば、この男から何かを聞かれるというのは初めてな気がする。

 何を聞くのだろうか。何故呼び出したか、若しくはこの髪と目だろうか。前者は野暮だし、後者だろうか。


「その髪はどうなってる」


 当たった。でも目の事は聞かれなかったし、半分正解と言った所か。

 さてなんと答えたものか。素っ気ない返答をされたし素っ気なく返してやろう。


「体質よ」


 言いながら娼女は身の内の魔力を巡らせる。

 すると亜麻色の髪が脈打ち、紫に変色した。


「そうか」


 それを見たゼルの反応は呆気ない。

 踊りの最中は確かに見惚れていたくせに、なんという淡白さだろう。


「気にならないの?」


 疑問が口を突く。


「魔眼か、それに類するものだろう。さして興味は無い」


 種が分かればどうでもいい。暗にそう言われているようで、娼女は少しだけむかついた。


 この男はなんなのだろう。そう思って改めて男に視線を向け、ヴィーラは気が付いた。

 先程までこちらを見据えていたゼルの視線が、ずれてはいないものの、焦点が自分の後ろに向かっている事に。


「あら、興味がないならどうして目を背けるの?」


 常人なら気付かないだろう目の逸らし方。

 それにあっさり気付いたヴィーラは、我が意を得たりとゼルに近付いて頬に手を添え、目に魔力を流しながら甘く囁いた。


「ねぇ……、こっちを見……でぅっ!?」


 だが、それは悪手だった。

 ゼルと目が合ったと思った瞬間、蛇のように伸びて来た手にこめかみを捕まれ、足が床から離される。

 一瞬で、直ぐ乱雑に手を離されたヴィーラはたたらを踏んで着地し、いつの間にか首筋に刃を添えられているのに気が付いた。


「紫の目、蠱惑の瞳、魅了(チャーム)の魔眼。なんのつもりだ」

「ごめんなさいね? 貴方が余りにも私を見てくれないものだから、意地になっちゃって」


 ぞっとする程の鋭い殺意を滲ませるゼルの詰問に、ヴィーラはあくまで態度を変えずにおどけて見せた。


 いや、寧ろその殺気に対抗するように、経験の無い男ならばそれだけで下腹を湿らせるだろう程の凄絶な色気を感じさせる笑みを浮かべた。

 それを見たゼルは、深く嘆息して剣を下げた。


「そんなものに頼らなくても十分だろう。あんたは十分に美しい。それこそ妖姫にも麗王にも劣らないだろう」

「あら」


 妖姫に麗王。

 前者は悠久の時を生きる魔法使いの一人で、二年程前にフラン王国に姿を現した際、多くのものがその姿に惚れたという。

 それを含め、多く伝説が残る絶世の美女。


 後者は容姿に優れたものの多いアクェーレ水麗国の中でも、特に美形とされる四公爵家の内から剪定される国一番の美姫。

 かの国本来の剪定が出来なくなった影響での選出法ではあるが、それもかの国に遺された伝説に由来する。


「流石に大袈裟じゃないかしら」


 確かに容姿には自信があるけれど、伝説に謳われる二姫と同格と言われると、流石にその自信も少し揺らいでしまう。


「劣らないとも」

「ふぅん……。随分と熱心に口説くのね」

「事実だからな」


 強く推して来る事に首を傾げながらからかえば、戻ってくるのはやはり淡々とした返事。

 もしや会ったことがあるのだろうか。というか、そういえば……。


「そ、だから私の目も色で分かったの?」

「そんな所だ」


 やっぱり。妖姫の目にはこの世のありとあらゆる色が宿っている。それは有名な文言だ。

 でも、最近妖姫が人の世に現れたというのは二年前以外だと、五十年ほど前のが直近になる。


 だとしたら会ったのはその時? 


 でもあの時は、フラン王国王都近くの森を荒したと思ったら軍相手に無双。王と謁見して直ぐにアクェーレに向かったと言う話だ。


 直後にアクェーレ水没が起き、魔法使い達が集結してなんやかんやしたと聞いた。

 それは確かだろう。実際、二年前の春頃に天を悠々と泳ぐ巨大な城を見たのだから。


 もし男がその何れかに関与していたとして、話をする機会は……いや、確か同時期に良く噂されていた話があったはず。


 魔法使いと一緒に旅をして、行く先々で色んな冒険者と手合わせして、大人顔負けの並外れた剣技を持ち、遂にはあの龍殺しの剣すら躱して見せたという。

 あれは確か……。


()()()()()

「……っ」


 浮かんだ単語をそのまま口にすると、ゼルの顔が明確に歪んだ。

 常に無表情だったのもあって、それは非常に分かりやすい反応(地雷)だった。


「ま、取り敢えず部屋に行きましょ。このまま立ち話していてもいいけど、暫くしたら邪魔になるでしょうし」

「…………」


 ヴィーラは申し出ると同時に歩き出し、ゼルはそれに鉄靴を鳴らして答えた。


 良かった。ヴィーラは心の中で独り言る。

 地雷を踏んだ瞬間、男の意識は自分から後ろの喧騒へと向かっていた。


 このままここで話を続けていれば、自分の戦場に引き込む前に男が帰ってしまっていただろうことは容易に想像出来た。


 それはダメだ。それに、この男の顔を歪ませたのが意図しないものだったのも許せない。


「それで、何故俺を閨に呼んだ」

「勝ったら抱かせたげる。そう言ったでしょう?」

()()()の正体を晒してでもか」


 言われ、はたと気付く。確かに、仕事で自分を抱いた人も、自分が踊り子だというのには気付いていなかった。でも、


「貴方は気付いていたでしょう?」

「…………なぜそう思う」

「女の勘?」


 その言葉にゼルは呆れた様子を見せたが、再び何かを遠く見るような目をした。

 そうしてゼルは己の中で反芻する。昼に見せた足捌きと、舞いの足捌き。

 流れるような動きと、足りない動き。

 そして明確な共通である靱やかな足に、嫣然とした笑みを。

 それに何より、その美しい顔立ちが同じだ。


「そうだな、余韻が抜けた頃には気付いていたかもしれん」

「でしょう? 目と髪が違うだけで普段はバレないんだけど」


 というか、そもそもとしてあの娼館に来る客が、こういう場末の酒場に滅多に来ないというのもあるのだろうけど。


「その程度じゃ変わらん。それにあんた程の美人はそう居ない」


 平然とそう言う男からは一切の照れを感じない。

 どうやら本当にただ事実として口にしているらしい。


「そ、ありがとう」


 下心がある賞賛も、それだけ自分に見惚れているのが分かるから良いが、純粋な賛辞の方がやはり心地がいい。


「あぁ、だが抱くつもりは無い」

「良いわよ? 私が抱くから」

「………………どうあってもやるつもりか」


 当然、とヴィーラは頷きを返しながら自分用に設えられた大きめの寝台に腰を下ろす。


「もしかして、処女以外は抱けないとか?」

「そこまで拗らせちゃいない」

「じゃあどうして?」


 言いながらヴィーラは近くの燭台に手を添え、魔力を使って火を灯す。

 炎の揺らぎが彼女の艶かしい身体を妖しく照らす中、ゼルは答えた。


「決めた女が居る」

「…………」


 ゼルの強い言葉に、ヴィーラはこれに踏み入ればこの男は去るだろうという確信を抱いた。


「……どんな人?」

「最期まで己を貫いた高潔な女だ」

「それは……」


 死んだのなら、一時の快楽に忘れるのも。

 そう言おうかとも思ったが、ヴィーラは言えなかった。

 ゼルの声は、悲しみに暮れるようなものでは無かった。


 憧憬や羨望。そんな声。

 好きともまた、何か違う気がした。


「だから抱けん。あんたは確かに美しい。だが、無理だ」

「…………そ」


 真剣な眼差しで断るゼルに、どう対処すればいいのかと、ヴィーラは素っ気なく答えた。

 ゼルはヴィーラが今まで触れた事の無い種類の人間だったのだ。


 そうして黙ったヴィーラに、ゼルは一言断りを入れると腰に巻き付けた外套を解き、そこから綺麗な布を取り出し、剣帯から抜いた白い剣を拭いていく。


「……? その剣、刃が無いの?」


 それを黙って見ていたヴィーラは、ゼルの拭き方に違和感を覚え、その疑問を内に秘めるような事はせずに訊いた。


 ゼルが自分の事を気にせずに己の事を初めた事で、ヴィーラは少しずつ調子を戻していった。


 対するは、無言の頷き。


「子供の頃の……とか?」

「遠からず、だ」

「んー……?」


 ヴィーラは何故そんな剣を佩くのか疑問に思って取り敢えずで聞いたが、近いと言われてより首を傾げた。

 子供の頃の木剣。確かにそれは大事だけど、普通なら何かしらで真剣を貰ってそれに乗り換える。

 もしかしてこの男には、その何かしらが無くて木剣のまま……? でもその割には、魔法使いと冒険とかしてるのよね。


 ヴィーラは、首が回るのなら逆さになるだろう程に首を捻り、子供冒険者の噂を洗った。

 そこに何かしらの要因があると見たのだ。


 優れた技巧の持ち主だ、それでも大人の意地を見せてやったが。

 生意気だけど物の本質を突く賢さを持っている子供だよ。

 あれはきっと魔法使いに……醜い嫉妬だ、どうでもいい。


 そうして振り返る内に出てきたのは、その子供が幻想の放浪翁では無く、妖姫に連れられていたという時の話。


 彼女が一軍相手に無双したのは鰭の付いた話で、冒険者達が対峙しただけ。

 実際に行われたのは、妖姫の望みで龍殺しと子供冒険者の一騎討ちだった。というもの。


 当時は嘘だろうと思っていたせいで思い出すのに苦戦したが、確かその時は……いや、せっかく本人がいるんだ。そっちに聞いた方が確実だろう。


「貴方、あのグリアリアと会った事があるって、本当なの?」


 未だに剣を磨くゼルに、ヴィーラは長考の末に導き出した記憶の答え合わせを要求した。


「あるぞ」


 少しの間手を止めて、唸るように返されたのは肯定。


「彼の攻撃を避けたっていうのも?」

「それは無い」


 あぁ、そこは嘘なのか。


「一騎討ちはしたが」


 いや、話が違っただけらしい。


「じゃあ、ほんとの所はどうだったの?」


 その問いにゼルは布を手放して剣の腹をなぞり始め、中程の所で指を止めた。

 ヴィーラはその動作が気になってゼルの前に移動すると、一言断ってから彼の指の置かれた場所に指を走らせ……見つけた。

 見た目では分からない程に小さな傷。切り込みと、そこから伸びる少しの擦れた跡。


「逸らしたの?」

「あぁ」

「あの龍殺しの剣を受けて?」

「それしか無かったからな。お陰で肩が砕けたが。これじゃなければ……いや、どうせ彼女(妖姫)が止めてたか」


 止めた言葉が何かは分からないけれど、この剣だから耐えられたというのは伝わった。


 単騎で偉大なる龍を殺せしグリアリア。

 彼の持つ剣には、乗ろうとした蝿の足をそのまま斬って真っ二つにしたという逸話がある。


 そんな斬れ味を持つ剣で、子供とはいえ人間の肩を砕く程の剣撃を受けて、触らなければ分からない傷しか付いていないだなんて。


 ヴィーラは驚きのままに、刃無き剣に指を走らせていく。これ以外の傷は無いのかと、好奇心のままに撫ぜていく。


「………………」


 その動作をゼルは止めなかった。

 ヴィーラはややあって満足すると、唐突に嫋やかな指を剣から男の顎に移し、軽く唇を触れさせた。


「…………する気は無いと」

「これくらいは、ね? 私は娼婦よ? 男を閨に呼んで何も無かった。なんて、屈辱だわ」

「…………」


 自分から誘われておいて最後の最後で断ったゼルは、不服気なヴィーラの言葉に何も返せなかった。


 結局二人は抱き合う事無く二人で眠くなるまで雑談し、やがて眠りに落ちたヴィーラを、ゼルはそっと寝台の上に運び込んだ。


 ゼルは一瞬、その場から立ち去ろうか迷った。

 しかし無防備なヴィーラを放置するわけにもいかないのと、彼女の戦舞を見てみたいという理由から、彼もまた眠りに落ちたのだった。

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