感情と記憶
初訓練を終えた翌日。軽度の筋肉痛に襲われた勇人は、追い討ちのようなゆだる暑さに顔を顰めながら、大して役に立たない扇風機を見つめ、机に頬をつけダラけていた。
一時間目の体育を乗り越えた高校生たちは、担任の催眠ボイスによって見事に眠らされている。辛うじて意識のある勇人は、未だ元気いっぱいのミラを視界の端に見つけ、感心するように息を吐き出した。
「勇人、ちゃんと起きないとダメだよ」
「うっ……」
シャーペンの先で脇腹を突かれた勇人は背中をのけ反らせながら体を起こす。シュシュで作ったポニーテールを揺らす優樹菜は勇人に微笑み黒板の方を向き直る。
ギッテーノとの戦いや訓練が嘘のように静かで平穏な日常。平和ボケしそうな空気に当てられた勇人は、ノロノロと板書しながら体を起こし頬杖をつく──
「先生! お手洗いに行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
教室に蔓延していた睡魔を振り払うような溌剌とした声で、ミラが突然立ち上がった。何人かは体をびくりとさせている。
ミラは言った勢いのまま教室を飛び出していく。そんなに限界なのだろうかというほど急ぐミラに、訝しむような目を向けていた勇人は、自身の右腕が振動していることに遅まきながら気がついた。
「なんだこれ……」
振動はリストバンドの下、変身用の腕輪から。直後、勇人のスマホが微かに震え通知が一つ。担任にバレないようにスマホを確認すると、ミラからのメッセージが届いていた。
『奴らが出た。行く』
急いで打ち込まれたであろう文字列を見た勇人は一瞬で目が冴え、スマホを机の中に投げ出すと、ミラと同じように教室を飛び出す。
「先生、俺もトイレ!」
「はい、行って──」
担任の声を半ばまで聞いて勇人は図書室へと走る。ミラは先に行っている。授業中の廊下には誰もおらず勇人の足音がタンタンと響く。鍵の開いた図書室へと駆け込み、そのまま地下室へ。
「行くよ勇人!」
「ああ!」
「「変身!」」
勇人とミラは声を揃え共に変身する。色違いの衣装に身を包んだ二人。ミラが既に座標を特定しており、二人はギアノ星人が出た場所へと瞬間移動する。
心の準備をする時間などなく、それでも気合十分に拳を握りしめる勇人は迷う素振りを見せず──二人が現地へ到着すると、人々の感情を奪うためにギアノ星人が暴れまわっていた。
「てええりゃああああ!」
「おらあああああああ!」
二人は人々を助けるために下級戦闘員たちに不意打ちで殴りかかった。
「来たか! ヒーロー共!」
場所は原宿、竹下通り。人通りが多く逃げ道は前後だけ。横へは細い道が二本だけ。ギアノ星人に囲まれた人々は逃げ場を失い、なす術なく蹂躙され、
「そこまでだ、ギアノ星人!」
原宿駅までの逃げ道を作ったミラは通りの先にいる大男へ叫ぶ。
突如現れた二人のヒーローに、人々は歓声を上げながら駅の方へと走り、二人の横を抜けていく。
「あいつは……!?」
近くにいた下級戦闘員を叩き伏せた勇人は、先で待ち構える男を視界に捉え、驚愕に目を見開く。
カブトムシのように黒光りする全身。二メートルを超える巨躯。甲冑の如き外骨格。手に携えている大剣も体と同じ漆黒。忘れるはずもない相手。優樹菜から感情を奪っていったあの男である。 記憶の中に張り付いたその姿に、勇人の頭に血が昇る。
「私はゲオルグ=バイエルン。ギアノ星人幹部戦闘員だ」
黒剣から橙色の感情を迸らせるゲオルグは、鋒を二人に向け口上を述べた。
「地球の平和を守るヒーロー、ギャラクシー!」
「愛と勇気のヒーロー、カーレッジだ!」
今にも飛びかかりたい衝動に駆られる勇人は、その怒りを力に変えて冷静にゲオルグを睨みつける。
向かい合う三者の間には、緩やかな傾斜を描く、普段からは考えられないほど閑散とした竹下通り。ゲオルグの背後では、下級戦闘員たちが感情集めに勤しんでいる。
「行くよ!」
助けきれなかった人々を視界に収めたミラは、一度顔を顰めてから駆け出す。
エレメンタルブレードを握りしめる二人は、強者の気配を放つゲオルグ目掛け、臆することなく飛び込んでいく。
「ギッテーノを倒したというから来てみれば、笑止」
狭い路地。二人の挟撃は同時にゲオルグへと迫り、剣線上にその体を捉える。だが、大剣を下段から振り抜いたゲオルグは一太刀で二人の攻撃を弾いてしまう。グワリと風が竹下通りを抜けていき、剣を弾かれた無防備な二人へ、ゲオルグは二の太刀を浴びせる。
「くぅっ……」
横薙ぎの一撃。ミラは剣を弾かれた勢いを利用し上体を逸らすことで回避するが、反応が遅れた勇人は腕を交差し剣を受ける。咄嗟に腕へ感情エネルギーを集中させ、なんとか斬り飛ばされるのを免れたが、そのままピンポン球のように飛ばされ、通りにあるピンク色のシャッターへと頭から突っ込んだ。閉じられたシャッターを破壊しながら中へと消えていく。
「るぁああっ!」
「一対一の決闘をする価値もない。誇りのない者に敬意など必要ない」
底冷えするような低音で唸るゲオルグは、必中の速度で迫るミラの剣を躱しその細腕を掴み上げた。
「せぇぇえ!」
「ふんっ!」
腕を掴まれたミラはそこを支えに蹴りを見舞う。首を刈り取ろうとする健脚。鎌のような一撃をゲオルグは軽く腕で受け止めた。そのまま、ミラの軽い体を投げ飛ばす。
「くたばれゲオルグっ!」
シャッターを押しのけた勇人が飛び出し剣を振る。
「ギッテーノは慢心していたようだな。この程度の者たちに遅れを取るなど」
ギッテーノは僅かな動作で勇人の剣を受け流すと、黒剣から手を離し、勇人の胸部へ拳を叩き込んだ。
「かはっ……」
「攻撃が軽い。全く重みがない」
目に見えて気を落とすゲオルグは、やる気が無くなったかのように項垂れる。それでも一部の隙も見せないゲオルグに、二人は攻撃の手を止めた。
「まさかとは思うが、感情が一部欠落しているのか? ギャラクシーよ」
「……だったら何。私は私の役目を果たすだけ」
怒る素振りを全く見せないミラは冷静に構える。
「無様だな」
ゲオルグは、自身を前に固まる二人を嘲笑う。
「うるせえ。俺はてめえをぶん殴って、感情を取り戻す!」
笑われた勇人は剣に怒りを籠めて突貫する。
「貴様はなんのために戦っている! 貴様の剣は軽すぎるぞ、カーレッジ!」
「大切な人の感情を取り戻すためだ!」
勇人が振り下ろした剣がゲオルグの両手で受け止められる。拮抗する二人の力、ぴたりと止まった二人。顔面を突き合わせ互いの目を睨み、
「感情は力を増幅させる。だが、怒ってやっとこれほど。貴様の想いはその程度か!」
「く……」
「一人で突っ走るなぁ!」
拮抗する二人に割って入るようにミラが剣を振り下ろす。
二人から距離をとったゲオルグは、二人を交互に見つめ、何か思いついたように歪んだ笑みを浮かべた。
「ギャラクシー、既に感情が欠けた貴様ならば、記憶についても知っているのではないか?」
ゲオルグは試すような視線でミラを見る。どこまで知っているかと探るようなゲオルグに、ミラは引くことなく鼻で笑ってやる。
「あなたには──」
「記憶って、なんだ?」
言いかけるミラを遮って隣の勇人が口を開いた。その質問はどちらに向けられたものなのか。両方に向けられたものだろう。何も知らない勇人は二人に答えを求める。
「知らないのか。知らないのか……クハハハ!」
突然笑い出すゲオルグに戸惑う勇人。ミラは苦虫を噛み潰したような表情で、拳を握りしめゲオルグを睨めつけている。
「知りたいか?」
「耳を貸しちゃダメだ……」
「感情を奪われた人間は記憶を失っていく。感情と記憶は密接な関係にあり、繋がりの失われた記憶から、徐々に消えていく」
「「……」」
「そして、一度奪われた感情は戻らない。なぜなら、回収された感情エネルギーは、我々の星を動かすために使われ、原形を失うからだ」
「……それは、本当か?」
聞き直す勇人の体が震えている。剣が動揺を表すように小刻みに揺れている。ゲオルグを斬るための怒りは、今や戸惑いに塗りつぶされている。
「あいつの言葉を信じちゃダメだ!」
「……そう、だよな。俺はあいつをぶっ飛ばして、感情を取り戻すんだ」
ミラに腕を掴まれた勇人は、落ち着かせようとする声にはっと意識を向けた。
「怒れカーレッジ! 私を楽しませてみろ!」
怒り再燃。合わせるようにゲオルグもやる気を漲らせ剣を構える。今だけは、迷いを押し殺した勇人はゲオルグへと斬りかかり、ミラがそれに合わせる。
「サーッ!」
「むぅ……時間か」
突如、ゲオルグの背後から下級戦闘員が声を上げた。ゲオルグは迫る二人の攻撃をいとも容易く捌いてしまい、背後に飛び退り距離を取った。
「さらばだヒーロー共。次に会える時はもっと楽しませてくれよ」
「はっ!? 逃げんな!」
「行っちゃダメだ!」
下級戦闘員と共にゲオルグはワープへと消えていく。歪む虚空に姿を消す直前、勇人はその姿を追おうとするが、ミラが飛びかかり必死に止める。
「乗り込んだってやられるだけだ!」
「……クソッ!」
取り逃した悔しさを拳に乗せて地面にぶつけた勇人は、大きく息を吐いて立ち上がる。
「とりあえず、帰ろう」
「……ああ」
現場の処理を、後から来るだろう警察に任せ二人は学校へと戻っていった。