転校生ミラ
ギッテーノとの激闘を乗り越えた翌々日。いつも通り学校にやってきた勇人は一昨日の出来事が夢ではないことをテレビで確認していた。
浅草で起こった出来事は、その日の内には全国放送のニュースになっていた。幸い、勇人とミラの正体はバレていないが、目撃者の証言などを元に再現VTRなんかも作られていた。
「あー、じゃあホームルームを始めます。起立」
初老の担任のしゃがれ声で生徒たちが立ち上がる。朝の時間を通して友達と戯れていた優樹菜は、眠そうに机に突っ伏している。担任からは死角になっており気づかれることはなかったが、
「大丈夫か?」
「眠い……」
勇人が声をかけると、小さい返事がきた。
「えー突然ですが、今日は留学生を紹介します」
そんなに心配しても仕方がないかと、勇人は黒板の方に顔を向けた。ちょうどいいタイミングで担任と目が合い、黒縁眼鏡をかけた皺のある顔をじっと見つめる。
「ミラさん、入ってー」
「はーい!」
「ミラ?」
担任の呼んだ名前に反応したのはもちろん勇人だ。その囁きは誰にも聞かれることなく、勇人は開かれる扉を凝視し、教室に入ってくる人物へと注視する。
「失礼します!」
ショートカットの金髪に綺麗な顔立ち。可愛い系よりも美人系なその少女は、レッドカーペットの上でも歩いているかのように完璧な姿勢で教卓の横を目指す。
教室中の視線を一身に集める少女は、悠々というか全員の前に躍り出た。
共に戦った少女のミラで間違いなかった。非現実が自分たちの日常に踏み込んできたことを、勇人は改めて認識する。何もかもが現実。頬を抓ってみるが、痛みを感じすぐに手を離す。
「初めまして。イギリスから来ました、ミラ・ブラウンと言います。よろしくお願いします!」
丁寧にお辞儀をしたミラは、花の咲いたような笑顔を振りまく。そんなミラに見惚れているのは男子だけではなかった。
「それじゃあ、あそこに席を用意したから」
「はい!」
ミラは、廊下側の最後列に用意された席に座る。勇人が右に首を曲げれば、すぐ視界に入る場所だ。ミラの姿を目で追う勇人に、ミラはバレないように一度だけウインクをして席についた。その仕草に勇人と同じ方向にいた男子たちが沸き立つ。
それからミラは、勇人の方に一度も視線を向けず、まっすぐ前だけを見ていた。
なんでミラがここに? 留学生ってなんだ? そんな疑問を口にすることができず、勇人はソワソワと落ち着きをなくして頭を抱える。
「それじゃあ、今日も元気に過ごしてください。起立」
勇人の頭が状況を理解するよりも先に、担任が締めの言葉を言ったことで朝のホームルームが終わり、複数の女子生徒がミラの元へ足を向ける。
男子はその様子を気にしながらも、自分から声をかけるのを遠慮している。突然の美少女に臆病になっているのか、ミラの周りは既に百合園が形成されていた。
男子たちは一箇所に集まってヒソヒソ作戦会議を始める。その中心は高瀬の席である。
「漢の中の漢、光一様が、一番槍となってやろう!」
「おお!」
輪の中心人物である高瀬の発言に、集まった男子たちは湧き上がる。後ろで開催される会合に、勇人は苦笑いを浮かべながらそっと距離を取った。優樹菜の前の席を借り、男子たちの運命を見守る。
「では、行ってきます。おい勇人、お前もついてこい」
「は? なんで俺?」
だが、勇人の意思と反するように高瀬から声がかけられる。運命からは逃れられないとでも言いたそうな、嫌な笑顔を浮かべる高瀬に腕を取られ、
「俺とお前はタッグだろ。俺が何をする時も一緒だぜ!」
「一人で行けよ」
「いいから!」
半ば強引に腕を引かれ、勇人は渋々立ち上がると高瀬の後ろをついていく。
ミラの考えが分からない勇人は、そのまま接近していいものかと戸惑いながら高瀬に引かれていく。ミラとの関係性がバレやしないかと案じているのが手癖に現れる。ひっきりなしにブレザーのポケットについているフラップを出したりしまったり。
勇人はため息を押し殺して高瀬と共に百合園へと侵略を開始する。
「どーも。俺、高瀬光一です。よろしく!」
「高瀬かよ。ミラさん、こいつ女好きだから!」
「ちょ、何言ってんだよー」
高瀬が絡みに行くと、先にミラと話していた女子が嘲るような目で高瀬を見る。追い払われそうになる高瀬だったが、飄々とその場を凌いでミラへと話しかける。
「男子もできればミラさんと仲良くしたいからさ、男子代表としてよろしく。これからの生活で何か困ったらみんな力になるから」
「ありがとうございます。そうだ。それなら連絡先交換しませんか? 早く皆さんと仲良くなりたいですし」
そう言いながらミラはスマホを取り出した。
「いいね!」
ミラに合わせるように、その場にいた全員がスマホを取り出し、ミラと連絡先を交換していく。当然のように勇人も巻き込まれた。
「グループに誘っておくから、そしたらみんなのこと追加するといいよ」
「ありがとうございます。それから、どうか私のことは呼び捨てで構わないので」
「オッケー! これからよろしく、ミラ」
「はい!」
ノリノリの高瀬にニコリと微笑むミラ。美人の至近距離スマイルに高瀬はドキリとして顔を赤くする。傍にいた勇人は、そんな高瀬の様子も気にせずスマホを見ていた。
勇人の携帯画面にはミラとのトーク歴が映っている。緑を背景に確認用の兎スタンプが一つだけ。そこに、キュポッという通知音と共に、一通のメッセージが現れた。
『放課後、作戦会議を開く。学校ではなるべく接触を避けよう!』
絵文字も何もない簡素な文面に、勇人は『了解』と返信し、スマホをポケットの中にしまった。
それからのミラは普通に授業を受け、勇人も不必要な接触を避けながら過ごした。
「勇人くん、ちょっといいかな?」
「はい。なんですか?」
帰りのホームルーム後、担任に呼ばれた勇人は教室の入り口で足を止める。
「この後、用事あるかい?」
「いえ、特には」
「そうか。ミラさんに学校の案内をして欲しいんだけど、いいかな?」
柔和な笑みを浮かべる初老の担任は、勇人に信頼の目を向ける。
「……分かりました。任せてください」
「ありがとう。じゃ、お願いね」
一瞬迷った勇人だったが、ミラと話す機会を得られると気づき、快諾した。
担任はそれだけ告げると、見た目の割にはしっかりとした足取りで去っていく。
教室を振り返ると、優樹菜がミラに話しかけている。ほとんどの生徒は部活に向かい、教室の中はすっからかんだ。勇人を待っている様子の二人は、勇人と目が合うと笑顔で手を振った。
「二人ともー。先生に頼まれてミラに学校案内をすることになった」
「はいはーい! 私すごい楽しみ! 優樹菜ちゃんも一緒に行こ?」
「うん!」
勇人の誘いに乗り気な二人は元気に返事をして荷物を手に取る。三人は連れ立って教室を出た。
ミラは留学生の皮を被ったまま周囲を観察して、興味ありげにキョロキョロと辺りを見回し、二人に質問を繰り出す。
「どこか、人気のない場所ってある? できれば一階で」
「図書室とかかな。放課後は基本的に閉まってるけど、鍵を借りれば入れるよ」
「なら、そこに案内してちょうだい」
「……? ああ」
ミラは今までとは打って変わって、小声で問いかける。作戦会議を開くと聞いていた勇人はすぐに察した。
三人は図書室の鍵を借り、人の気配がしない校舎へ向かう。図書室があるのは特別教室が並ぶ南校舎で、放課後になれば一気に人通りがなくなる。美術部などが部活動のために南校舎を使っているが、美術室は三階にあり、一階の図書室で鉢合わせることは滅多にない。
「ここだよ」
扉の上に「図書室」と書かれたプレート。文字が禿げかかっており、薄暗い廊下も相まって少し不気味に見える。扉の真ん中は磨りガラスになっていて中を見通すことはできない。
「いい場所じゃないか!」
ミラは人目に付きづらく、目的にぴったりの図書室に満足したように頷いた。
「作戦会議って何するんだ?」
図書室にやってきた勇人は早速本題に入る。
「それそれ!」
テンション二割増で興奮を露わにするミラは、用心深く入り口の鍵を閉め勇人の言葉に反応を示す。何やら楽しそうな顔をしているが、何をしでかす気だろうと勇人は身構える。
「鍵貸して」
「──? おう」
「ありがと」
勇人から鍵を受け取ったミラは、スマホで鍵の写真を撮っていく。何をしているのかと訝しむ勇人だったが、それもすぐに終わり鍵が返された。
「何してたんだ?」
「コピーしてた。今後、この図書室を私たちの活動拠点とします!」
「は?」
大胆不敵に訳の分からないことを言い放つミラに、勇人と優樹菜は理解できず、クエスチョンマークを頭に浮かべる。
「勇人、あっちの部屋は何?」
「資料室だな。棚とか、ガムテープとか色々入ってるよ。普段はほとんど使われてないから、かなり埃っぽいと思うけど」
「同じ鍵で開くの?」
「開くよ」
「了解。ちょうどいい立地ね。じゃあ、作戦会議を始めようか」
終始置いてけぼりな二人に、ミラは自信満々な笑みを浮かべながら語りかける。
「作戦会議といっても、実際の作業は明日取り掛かることになると思うんだけどね」
「何するんだ?」
「拠点作りとヒーロー育成!」
「ヒーロー育成ってなんだよ」
ヒーロー育成の意味が分からず、勇人は問いかける。
「勇人がこの星のヒーロー。育成するのは私。勇人には明日から、ヒーローとしての訓練を受けてもらいます!」
「なるほど……?」
イマイチ飲み込めていない勇人は困惑をそのまま声に出す。ヒーローになるからには変身するのだろうが、そんなことを一体どこでやると言うのか。
「明日になれば分かるよ百聞は一見にしかず! 作戦会議とは名ばかりで、本当は拠点探しが目的でした! それじゃあ、学校案内を続けよう!」
「なんて自由な奴だ。まあ、振り回されるのは慣れてるけどさ……」
勇人は優樹菜とミラの顔を見比べながら呟いた。どんな意味で言われたのか理解していないような優樹菜はつられて微笑んだ。
「適当に行こう! 目的は果たしたからね!」
「後はざっくりでいいのか?」
「おうとも!」
テンションの高いミラを見て優樹菜も楽しくなってきたようで、朝よりも元気が出ているように見える。ミラのテンションが優樹菜へと伝播して、楽しげな雰囲気が広く薄暗い図書室を埋めていった。
「ところでさ、なんで学校に入ったんだ?」
「理由は色々あるんだけどねぇ」
図書室を後にしながら、散々質問攻めにあっていた勇人は純粋な疑問を投げかけた。問われたミラは少し考える素振りを見せてから答えを示す。
「一つは優樹菜ちゃんと勇人の様子を見れるように。奴らと戦うには心の状態がとても大切だから」
「なるほど」
「二つ目は、私が学校に興味があってね」
「そうなのか?」
ミラは少し外しそうに照れ笑い浮かべる。
「私の星にいた時は、学校に行ってなかったんだ。頭が良かったから、研究所に籠りっぱなしだったの。仲の良い同世代の友達が、いなくてね」
自虐的な笑みが哀愁を誘い、見かねた優樹菜何ミラの手を取る。
「私たちはもう友達だよ。これから一緒に、たくさん思い出作ろう?」
「……思い出。そうだよね、ありがとう優樹菜ちゃん。私にしんみりな空気は似合わないよね! この話はおしまい!」
暗くなった空気を吹き飛ばすように喝を入れるミラに合わせて二人も笑顔を浮かべる。勇人はフランクな雰囲気のまま、もう一つだけ気になっていたことを聞いてみる。
「なあ、急に留学ってできるの?」
「うーん、できなくはないかな」
勇人の問いに、ミラは適当な答えを返す。
「学校の許可ってそんなすぐ降りるのか?」
「そこは科学の力でチョチョイのチョイよ!」
「科学の力?」
「あなたはだんだん眠くなーる」
ミラは冗談めかして勇人に向き直り、ぐるぐると指を回しながら呪文を唱える。勇人は引き攣った表情を浮かべながら、「催眠術……」と恐ろしげに呟く。
「普通に考えて、即留学! なんてできるわけないよ」
「そうだよな」
ミラの行動力に慄く勇人は引き攣った顔のまま頷き、先に進んでいくミラの後を追いかけた。
「実はね、君たちと最初に会った時も、印象操作する催眠術を使っていたんだ」
「え!?」
「大丈夫! 体に害はないし、今は使ってないから!」
驚きの告白に、勇人は咄嗟にミラから距離を取る。自分の体を触って守るようにするが、全くもって意味はない。
「だってさ、君は初対面の人を家にあげたりしないでしょ? 普通は」
「た、確かに……」
当時を思い出す勇人は、自分の行動に不審な点があると気づき頷く。
「こっちで仲間を見つけるには、仕方ないことだったんだ。ごめん」
「ミラちゃん。私は大丈夫だよ。ミラちゃんのこと、友達として好きだから」
「ふふ、ありがとう」
ミラと手を繋ぐ優樹菜は真剣な眼差しでミラを見つめる。そんな優樹菜を見て、勇人も怒るはずなく、
「別に悪いことしてるわけじゃないし、いいんじゃないか?」
「そう言ってもらえると、心が軽くなるよ」
ありがとう、と締め括ったミラは、こうして二人に優しく迎えられた。
学校案内を三十分ほどかけた三人は一緒に下校する。
「あ、そうだ」
「ん?」
「今日から勇人の家でホームステイさせてもらうことになったから!」
すっかり忘れていたぜ。と額を打つミラに対し、驚いた勇人は唖然と口を開けている。
「は?」
「お母さんはもう説得してあるから大丈夫!」
「まさか、俺の母さんにも催眠術を!?」
「いや、勇人のお母さんは普通に了承してくれたよ」
そこはせめて催眠術であって欲しかったと嘆く勇人であったが、母の性格を省みて納得してしまった。
「くそ……母さんが常識人だったら」
勇人は帰り道でミラに抗議したが、家に帰宅すると母とミラによって言いくるめられるのだった。何故か相性バッチリで、勇人の母は突然のホームステイも快く承諾していた。
だが、勇人はまだ、ミラの本当の姿を。自由で破天荒な姿を知らない。