バスティーノ=ギッテーノ
ミラとの対面をしてから一週間。何事もない平凡な日常が流れた。
そんな中、勇人は土日を利用して優樹菜を呼び出していた。
感情を失ってしまった優樹菜を気遣って何かできることはないかと考えた勇人は、デートに誘うという結論に至った。優樹菜の気晴らしになれば、というのと自分もちょっと楽しみだという魂胆で。
お洒落をして優樹菜を迎えに来た勇人は、少しドキドキしながら落ち着きなく優樹菜を待つ。
「ごめん、お待たせ」
「いや。時間ぴったりだな」
家の前で待っていた勇人に、玄関から慌ただしく飛び出してきた優樹菜は申し訳なさそうに謝った。しかし、優樹菜は約束の時間に一秒たりとも遅れていない。
白色のワンピースに身を包み、清廉な気配を纏い、天女の如く勇人の前に舞い降りた。足首が少し出るくらいの裾丈で、時折吹く柔らかな風にふわりとワンピースがたなびく。そんな優樹菜の姿に見惚れていた勇人は、ポツリと一言、
「……すごい、似合ってる」
「本当?」
「ああ」
照れ臭くぶっきらぼうな言い方になってしまう勇人だったが、優樹菜は察してにこやかな笑顔を浮かべた。以前の優樹菜とは違うが、紛れもない本心の笑顔に、勇人は困惑と嬉しさを覚えた。
「行くか」
いつものように世間話を始める気にはならず、勇人は優樹菜をエスコートするように歩き出す。優樹菜もそれに合わせて隣をてこてこついていく。
「浅草行くんでしょ?」
「そう。観光しようと思って」
「勇人ってお寺とか興味あったの?」
「……少しだけ」
問われた勇人は微妙な顔をして答えた。勇人自身、正直に言えば神社仏閣には興味がない。だが、占いや御神籤は信じる質で、ご利益などは少しだけ興味がある。
「浅草って、願いが叶うみたいな場所らしいんだよね」
「具体的にはどんなご利益があるの?」
「俺も調べただけだけど、所願成就って言って、なんでも願いを叶えてくれるらしい」
「すごいね」
興味ありげに聞いていた優樹菜は、今からどんな願い事をしようかと勇人に相談し始める。あまり深刻な表情をしていない優樹菜を見て、勇人は安心したように微笑んだ。
「どうしたの?」
「なんでもない」
ふふ、と穏やかな笑みを漏らす勇人の顔を覗き込んだ優樹菜は、釣られるようにして目尻を下げた。
二人が最寄り駅から電車に乗り一時間ほど。一度電車を乗り替え、上野駅から徒歩数分。浅草に近づくにつれて観光客が増え出した。二人はあちこちに視線を向けながら会話に花を咲かせる。
「勇人、途中ですっごい眠そうにしてた」
「ごめん……」
雷門を目指し歩く二人。優樹菜に苦言を呈され、勇人は申し訳なさそうに縮こまる。
電車を乗り替えた後、上野駅に向かう電車内で勇人は眠気と戦っていた。心地いい揺れと隣から舞ってくる甘い香りの挟撃に遭い、戦いは熾烈を極めていた。だが、眠気の原因はそれだけではない。昨夜、勇人は浅草について色々調べていたのだ。そして緊張から中々寝付くこともできず、寝不足になっていた。
「今日が楽しみすぎて、昨日夜更かししました」
「ふふ、そういうところ変わってないね。中学の修学旅行の時も、行きの新幹線で爆睡してたし」
「それは……」
一分の隙も反論する余地が見つからず勇人は黙り込む。確かに勇人は、何かある前日は眠れなくなることが多い。
「でも今日は寝てないだろ」
「そんな誇らしげに言われても……。すっごい眠そうにしてたし、返事も適当だったよ?」
「そんなことはない……とは言い切れない」
「でしょ」
電車での会話を思い出そうとする勇人だったが、何故か記憶のほとんどが残っていないことに気づく。詳細に思い出すことができず、勇人は観念したように手を合わせた。
「神様仏様優樹菜様、今回のことはどうかお許しくださいませ」
「よろしい、面をあげよ。って、仏様ってこれから拝みに行くじゃん」
「観音様って仏なの?」
「……どうだろ」
他愛ない会話に興じる二人。その間柄はいつもと変わらないようで、でも少しだけ違っていた。互いに意識しあって、気を使って言葉を選んでいる。今までのような遠慮のない友人から、二人の関係は確かに形を変えていた。それはおそらく、付き合い始めたことだけが原因ではない。
「勇人は願い事決まってる?」
「もちろん。優樹菜の感情が戻りますようにって」
「……ありがと」
雷門が見え始める少し手前の信号で聞いた優樹菜は、他人を優先する勇人の答えに対し、素直に礼を言った。
「……勇人は優しいね」
「ん?」
「なんでもない」
優樹菜の呟きを聞き逃した勇人は、はにかんだ表情を向けられる。
「雷門、見えたぞ」
信号が青に変わったことで動き出す二人。勇人の目は既に雷門を捉えており、はしゃぐ子供のような、快活な表情をしている。
「勇人。手、繋ご?」
「…………おう」
優樹菜の言葉にドキリとした勇人は、一瞬だけ動きを止め、次には男らしく自分から優樹菜の手を取った。
「逸れるといけないしな。ほら、仲見世通りって人混みすごいし、迷子とかになったら困るからな!」
咄嗟に言い訳が口をついて出た勇人だが、誰に対しての言い訳なのか。もう恋人なのだから、手を繋ぐくらいおかしくないだろうに。
優樹菜は呆れ気味に息を吐きながら、それでも照れを隠しきれず、
「私たち付き合ってるんだし、言い訳しなくても、いいと思うよ」
「そ、そうだな。普通だよな。うん、ごめん」
二人揃って顔を赤くしながら、それでもしっかりと手に力を込める。一人で勝手に緊張していた勇人は、優樹菜の言葉で少しだけ冷静さを取り戻し、仕切り直すように咳払いをした。
「それじゃあ行くか。手、離すなよ」
「うん」
頼りになる顔を浮かべる勇人に、優樹菜は頬を染めながらついて歩く。人混みを避けるように歩く勇人は、優樹菜のペースに合わせて歩きやすいように手を引いていく。
「人、多いな」
「そうだね」
長身の外国人で先が見えない中、勇人は道の端に寄り、通りから見える店内に視線を向ける。
「どこか見たい所とかある?」
「浅草って何があるの?」
「やっぱり人形焼きじゃないか?」
人通りの少ない場所で足を止めた勇人は、スマホを取り出して優樹菜に見せてやる。画面には、昨夜勇人が調べた浅草の観光案内サイトが映し出されている。
「勇人、食べ物ばっかり」
「いや、仲店通りのイメージが……」
画面に映る色とりどりの食べ物を見て優樹菜は苦笑いを浮かべる。指摘された勇人は恥ずかしがりながら言い訳を口にした。
「めろんぱんとかメンチカツとか、有名な食べ物多いもんね」
「ちょうちん最中とかな」
「今日暑いから、ちょうどいいかもね」
「お参りした帰りに買ってくか」
スマホをポケットにしまった勇人は、再び優樹菜の手を引き人の流れに乗っていく。まずは浅草寺にお参りし、観光はその後に。
「そういえば、優樹菜はどんな願い事にするか決めた?」
「私は……」
思い出したように問う勇人に、優樹菜は考える素振りを見せる。
「意外と思いつかないなぁ。夢とか、あるわけじゃないし」
特段欲しいものがないという優樹菜は困った表情を浮かべて唸る。頭を捻るが何か良い願い事は思い浮かばず、
「私は、勇人がいればいいかな」
恥ずかしがる様子もなく言い放った。
「お、お前。そんな恥ずかしいセリフを堂々と……」
言われた方が照れてしまっている。片手で顔を隠す勇人に、優樹菜は揶揄うように笑ってみせた。タジタジになる勇人は赤くなった顔を見られまいとそっぽを向く。
「優樹菜は自分のことを願えよ。俺の願いと合わせて二倍だろ」
「はは、欲張りみたいじゃん。でも、ありがと」
ありがとうに気持ちを込めるように、優樹菜の手に力が込められる。返すように勇人も力を入れ、楽しげな笑みを優樹菜に向け手を引く。
「今日は目一杯楽しもう」
「今日、誘っってくれてありがとね。私のこと、元気づけようとしてくれて」
「優樹菜は元気な方が似合ってるからな」
変わってしまった優樹菜を見続けた勇人は、楽しそうな微笑みを浮かべる優樹菜を見て安心する。軽やかな足取りで本堂を目指す二人はさながら遠足中の小学生のようだ。
「モケケケケケ! これがこの惑星の住人たちか」
突然、人混みの動きが突然止まった。それに合わせて二人の足も止まる。
「揃いも揃ってアホヅラを並べているな! 総員、カカレッ!」
二人が仲店通りの真ん中を過ぎた頃だった。前方で誰かの叫ぶ声が聞こえ、二人は前を覗き込むように首を伸ばす。
「何、あれ?」
「でけえな。コスプレか?」
二人の視界に、人混みから頭二つ以上もはみ出ている大男が映った。白く横に広い頭部、ダイオウグソクムシのような顔をしていた。
二メートルを超える大男に向けて、周囲の人たちはカメラを構えている。やはり何かのコスプレなのだろうと考えた勇人は、視線を外し人混みを避けるように端に寄る。しかし、
「鬱陶しい、散れ!」
焚かれるフラッシュを煩わしそうに見つめる大男は、腕を上げ、近くにいた人に向けて振り下ろした。その腕は、体の細さに不釣り合いなほど大きい義手であり、先には剣がついている。銃砲のようなものも見え、銃剣型の義手を男は何度も振り回し、周囲の人間たちを斬りつけていった。
「きゃーっ!?」
血飛沫が舞い、それを間近で目撃した人たちは大慌てで逃げ惑う。密集していた人混みに混乱が走り、人々は押し合いながら散っていく。
「うむ。いい悲鳴だ」
男は満足そうに呟くと、ようやくその手を止めた。細長い手足には甲虫類のような節が二つ付いている。虫を擬人化したような見た目の男は腕の剣を撫でるようにして血を拭き取る。
「あまり殺すなと言われているが、仕方ないだろう」
殺した人間の死体を踏みつけ男は周りを見る。周囲には男の手下らしき者たちが、各々で持っている機械を使い、薄紫色の怪しげな煙を蒔いていた。
「優樹菜、逃げるぞ! あいつらだ!」
「う、うん」
遠巻きにその光景を見た勇人はミラの話を思い出した。一週間空いての襲撃に、ギアノ星人の存在をすっかり忘れていた勇人は、優樹菜の手を引いて走り出す。浮かれ気分で平和ボケした自分を責めるように舌打ちをして、男の反対側へ人の波を掻き分け流されながら逃げる。
「サーッ!」
「うわっ!?」
突如動きを止めた人の壁に勇人はつんのめった。前の人の背にぶつけた鼻を押さえながら先を覗くと、進路を塞ぐように男の手下たちが立っていた。
「サー」
手下たちは手に持った送風機のような機械を勇人たちのいる人混みに向けている。
「優樹菜、こっち!」
手下たちが動き出すよりも一足早く、勇人は通りにある店の一つに身を隠した。そして、二人が店のカウンターに姿を隠した直後、手下の持つ機械から薄紫色の煙が放出された。
「優樹菜、ハンカチ使って。絶対吸うなよ」
「うん」
勇人は足下に流れてくる煙を警戒してハンカチを取り出す。隣にいる優樹菜も同じようにハンカチを口元に当てる。
「な、なんだよこれ……」
ポツリと呟く勇人は、目を凝らし煙の中を見て声を漏らした。
「く、来るなぁ!?」
「きゃあっ!?」
二人の耳に夥しい悲鳴が聞こえ、そんな阿鼻叫喚に二人は揃って顔を顰めた。
数秒後、紫の煙が風に乗って仲店通りを抜けていく。視界を覆うほどの煙が一気に晴れ、二人は驚愕の光景を目の当たりにする。先程までとは様子が全く違う人々の姿。人殺しに対する恐怖とはまた別の何かに怯える人の群れ。それぞれが何かを恐れるように発狂している。人混みはたちまち大混乱に包まれ、逃走もままならず次々取り押さえられていく。
その惨状を緊張した面持ちで見つめる二人は息を殺し、気配を殺し、決してバレないように口を閉じる。優樹菜の手が不安げに勇人の袖を掴んでいる。
「あれは……」
手下たちの動きを観察していた勇人は、奴らの持つ鉄輪を凝視する。あの日、優樹菜から感情を奪った装置と同じ物だ。あの時と同じように、煙で錯乱した人々は感情を抜き取られていく。
「幻覚症状に陥った者から感情エネルギーを抜き取れ!」
「サーッ!」
制服なのか、同じ格好をした手下たちは一斉に返事をすると、狂乱し悶える人々から奪った感情を男の元へ集めていく。
「ふむ。あまり質が良いとは言えないな。まあいい。数を集めればマシにはなるだろう」
玉になった人々の感情を手中で弄ぶ男は、玉の状態をマジマジと見つめ呟いた。周囲の人間は皆、生気を失ったように倒れ込んでいる。男は手下たちが仕事を終えるのを待っているが、
「──でぇぇえいっ!」
「ぬぐぅおっ!?」
警戒を解いていた男は、いきなり現れた一人の少女に後頭部を蹴り飛ばされた。顔面から地に突っ込み、ズァガガァァッ! と豪快な音を立てる。
前のめりに倒れ地面を削る男と、それを睨め付ける少女。
「ギアノ星人! お前らの悪行もそこまでだ!」
飛び蹴りをかました少女は、男を指差し口上を述べる。
「この星への侵略行為、人の感情を奪うという非人道的行為、目に余る!」
「モケケケ! とうとう姿を現したか」
弾き飛ばされた男は義手を支えに立ち上がると、立ちはだかる仮面の少女を睨みつけた。
「ミラだ……」
男の様子を見ていた勇人は、突如現れた人物が誰であるかすぐに悟った。仮面の少女ミラは、威風堂々たる佇まいで男を指差している。
「我はギアノ星人侵略軍幹部戦闘員、バスティーノ=ギッテーノ! 貴様の名前はなんと言う!」
義手に付いた矛先を天に向け、男はギッテーノと名乗った。その言葉は正面に立つ少女に真っ直ぐ向けられている。戦いに向けた強い思いを感じ取った少女は、緊張から握りしめた手に力が入る。
「私はギャラクシー。この星の平和を守るヒーローだ!」
「ギャラクシー。貴様の名前、このギッテーノが死ぬまで覚えていてやろう。良い勝負を期待している!」
ギッテーノは矛先を少女へと向け、少女もまた、同じように剣を構える。何もないところから出現した剣を手中に収める少女は、ギンッと強い気持ちをぶつけるように敵を見据え、誰の合図もなしに二人は衝突した。
先に動いたのは少女の方だった。突貫を受けたギッテーノは鍔迫り合いに持ち込まれ、予想外の膂力に押し込まれる。
「なんという力だ。これくらいでなければ張り合いがない!」
肉弾戦に流れ込み、なりふり構わず攻撃を繰り出すギッテーノ。少女も、自分よりも体格の大きい相手に怯むことなく反撃する。
予想以上の強さを持つ少女にギッテーノは目を見開く。ギリギリの攻防にギッテーノは口角を釣り上げる。それと同時、ギッテーノ力が増し均衡が崩れた。ギッテーノの蹴りが鞭のように少女の体を打ち払う。
「ぐふっ!?」
吹き飛ばされる少女は、仁王門の屋根へと激突し、割れた瓦と共に地面へと落下した。呼吸が乱れた少女は、一心不乱に立て直そうと捥がくが、一撃でフラフラになってしまった。仮面の下に隠れた表情が苦悶に引き攣り、体を起こそうとする腕は小刻みに震えている。
「こりゃまずいダメージだわ……」
少女は視界が霞み、アドレナリンでは打ち消せないほどの痛みに呻き声を漏らす。
「もう終わりか? 我はまだまだ戦えるぞ!」
少女へと駆け出すギッテーノ。高速移動から繰り出される拳は、無防備な少女の顔を打ち抜き、さらに奥へと吹き飛ばす。
「ふむ、心が折れてしまったか? 呆気ないものだ」
少女が動けないのを戦意喪失と捉えたギッテーノはつまらなそうにため息を溢す。
「がはっ……はぁ」
浅草寺に背を向けた少女は、石畳に剣を杖のようにつき立ち上がる。なんとか受け身をとった少女だが、そのダメージはかなり大きく、仮面の下で何度も咳き込む。肩が大きく動き、少女の放つ覇気も弱々しくなっている。