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異変

 その後、ミラが再び二人の元を訪れることはなく、いつも通りの平日が始まった。まるで金曜日のことなどなかったかのように代わり映えしない景色、時間の流れ。何もかもが変わっていない。あの時に見た不思議な出来事が、白昼夢であったと思えるほどに。

 だが、現実はそう優しくなかった。変わらない風景の中、そこだけが特異点のように気になってしまう。


「優樹菜、おはよう」

「おはよう、勇人」


 薄く微笑む優樹菜は、勇人の隣にとぼとぼ歩いてきて並び立つ。いつもなら太陽にも負けないくらいの元気で勇人を引っ張っていく優樹菜だが、今はまるで別人のように大人しい。体調が悪いわけではない。ただ感情が振れないだけ。それだけのことで、好きな人間の姿がこんなにも変わってしまうことに、勇人は痛ましいと感じ目を伏せる。


「行くか」

「うん」


 勇人は優樹菜にいらない気遣いをさせないよう気丈に振る舞う。自分がしっかりしなければいつか優樹菜の心が壊れてしまうんじゃないか。そんな思いから、勇人は俯くわけにはいかない。


「家に帰ってからどうだった? 何か変わったこととか、体に異常とかなかったか?」

「体はなんともない。ご飯もちゃんと食べたし、ちゃんと眠れた」

「そうか。なら良かった」


 勇人はどう切り込んでいいか、どうすれば優樹菜に無駄な心労を負わせずに済むかと頭を捻る。


「感情の方はどんな感じ? 話せそうなら、聞いておきたい」


 怖々、探るように問いかける勇人だが、優樹菜はあまり気にした様子はなく淡々と答えてくれる。


「怒るとか、悲しいとか。全く感じないの。テレビとか見てて、悲しいニュースに何も感じないの。それが悲しいニュースだってことは分かるけど」

「そうなのか」

「それと、全然やる気が湧いてこない、みたいな。楽しいって思ってる時以外は、無みたいな。何かしても、覚えるようなことじゃないみたいな。どうでもいいことみたいに感じるの」


「それって、辛い?」

「今の所は何ともない」

「辛くないなら良かった」


 それが聞けた勇人は、少しだけ肩の荷が降りたようにほっと胸を撫で下ろした


「お母さんとかには話した?」

「ううん。ずっと部屋にこもってたから」

「そっか……。あまり心配かけんなよ。気持ちの整理とかも必要だろうけどさ、辛くなったら、俺のこと頼っていいから」

「ありがと。元気出るかも」

「はは、元気出るかもってなんだよ」


 これだけ静かな優樹菜に調子が狂う勇人だったが、ポツポツと言葉を積み重ねていった。幸い、会話が困難なわけでもなく、優樹菜自身が会話を拒否することもなくキャッチボールはしっかり続いている。

 通い慣れた道が初めて通るかのような新鮮さと、こんなに遠かっただろうかという疑問を抱えながら勇人は登校した。だが、これからはこの状態の優樹菜と一緒に通うことになる。早く慣れなければいけないと意気込む勇人は、胸の前で拳を握る。


「勇人おはよう! 高畑さんも!」

「おはよう高瀬」

「おはよう」


 昇降口に入ると、クラスメイトの高瀬光一が手を振りながら声をかけてきた。二人は挨拶を返しながら靴を履き替える。


「勇人、トイレ行こうぜ」

「ああ。優樹菜、先に教室行ってて」

「分かった」


 高瀬に肩を掴まれた勇人はそのまま引っ張られトイレへと連行されていく。優樹菜に見送られながら二人は男子トイレへと入っていく。


「なあ。告白は成功したのか?」


 トイレに入るなり、高瀬は少しだけ声を潜めてそう問うた。勇人が告白するということを聞いていた高瀬は、興味津々に目を輝かせている。


「告白は成功したよ」

「おお! 良かったな!」


 嬉しい報告のはずだが、それを伝える勇人は元気がない。そんな勇人の様子には気づかない高瀬は浮かれたテンションで話を続ける。


「それでどうなった?」

「何もないよ。いつも通り一緒に帰った」

「それだけ!? 恋人としてのスキンシップとかしてないの!?」

「ねえよ。そんな急に関係が変わるわけねえだろ」


 間の悪い高瀬に、勇人は少しだけ苛立ちを感じながら答えた。人の気も知らないで呑気な奴だ。と一発手が出そうになるがなんとか堪える。ここで手を出してはただの八つ当たりだ。


「まあそうか」


 高瀬は「ホェー」と納得したのかしていないのか微妙な反応をしながら用を足す。


「まあ、お前らなペースでいいんじゃね。変に焦っても嫌われるだけだし」

「ああ」

「俺には一度だけ彼女ができたことがあるが、付き合って三日目のデートでキスしようとした。そしたらビンタされたよ」

「それは早すぎるだろ」


 諭すように語る高瀬に勇人は呆れた顔を向ける。


「彼女にとっては早すぎたんだろうけど、俺からすれば三日も待ったんだぜ。このように、相手に寄り添うことが恋愛の基本だ。覚えとけよ」

「お前全然寄り添えなかったのか。まぁ、忘れないようにしとく」

「おう!」


 勇人の肩をバシバシ叩く高瀬はそのまま勇人の背中を押してトイレを出る。

 高瀬から助言を受けた勇人だったが、今のところ恋愛どうこうという余裕はなかった。そんな考えを抱くには、迫る非現実があまりに大きすぎた。


「恋愛か……」


 高瀬に指摘されたことで少しだけ意識し始め、考えるような素振りをしながら、高瀬に押されていく。

 友達から恋人に変わったことで、関係性に変化はあったのだろうか。今までと変わらない日常を望んでいた。だが、優樹菜は感情を奪われ、自分だけが浮かれ気分で良いんだろうか。そんな思考が頭を過ぎり勇人は思い悩む。


「お先〜」


 隣を歩いていた高瀬は勇人から離れて教室へと飛び込んでいく。


「なーん……どうした?」


 と、教室の扉に手をかけながら高瀬が立ち止まった。


「どうした高瀬?」


 開かれ具合は六割ほど。一人通るくらいなら余裕だが、二人並んでは通り抜けられない。高瀬は教室の中を見て動きを止めていた。そのせいで勇人からは中の様子が見えない。


「早く入れよ」

「いや……うん」


 いつまでも扉の前に立っている高瀬を、いい加減待ちきれなくなった勇人はそのまま中へと押し込む。教室に一歩踏み込みようやく、高瀬が抱いていた違和感を勇人も目の当たりにした。


「どうした?」


 勇人の席に集まる数人の女子生徒。彼女らはどうやら、勇人の隣の席である優樹菜の元に集まっていたようで、神妙な面持ちを浮かべながら入り口に立つ勇人を見ていた。ひそひそ交わされる言葉は、勇人がいる教室前方まで届くことはない。


 女子たちの態度のよそよそしさが気になる勇人だが、いつまでも立ち呆けているわけにもいかず自身の席へと向かう。


「勇人君、ちょっといい?」

「なんだ?」


 勇人が席に近づくと一人の女子、優樹菜の親友である京子が勇人を呼び寄せた。手招きする京子は、優樹菜から距離を取った場所で勇人が来るのを待ち、


「ねえ、優樹菜となんかあった?」

「何もないけど。なんで?」

「今日の優樹菜、めっちゃ変だから。どう見たっていつも通りじゃないし。元気ないみたい。勇人君なら何か知ってると思ったんだけど。本人に聞いても何もないの一点張りでさ」


 京子は怪訝な目を勇人に向けながら小声で話す。優樹菜を案じているのが、優樹菜に向ける柔らかい視線や落ち着きのない手指からよく分かり、勇人は騙している罪悪感と申し訳なさに眉を寄せる。


「俺も、分かんない。でも具合が悪いわけじゃないみたいだし、本人が無理してそうな時は俺がなんとかするよ。今はそっとしておいてあげたら?」

「そうだね。ありがと。優樹菜とは、勇人君の方が付き合い長いから頼りにしてる。私の親友を泣かせたら許さないからね」

「分かってるよ」


 揶揄うように笑った京子はそれを最後に優樹菜の元に戻っていく。いつものように明るく話しかけてくれる京子に、優樹菜は柔和な笑顔を浮かべながら応対する。感情の起伏は小さく、口数も決して多くはないが、優樹菜は楽しそうな表情を浮かべている。

 クラスメイトは優樹菜の様子に戸惑っていたが、そういう気分もあるだろうと徐々に慣れていった。

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