これから向かう初仕事
アリサはベッドに腰かけて、ミリエルは椅子に座った姿勢で話を始めた。
これは安い宿屋の一室ならさして不自然ではない格好だが豪華絢爛な一室ではちょっと異質だ。
「アリサ、私にも立場ってものがある。昔はサフラン商会で特殊部隊に勤めていたが、今の身分はサヴォワ王妃だ。サフラン商会にだけ便宜を図っている場合じゃない」
アリサはついていた肘をふらつかせそのままベッドに突っ伏してしまった。
「あの、王妃って、ここは王宮なのおばさん」
このまま何も聞かなかったことにして眠りにつきたいと思いつつ、何とか気力を振り絞って起き上がりながら訊いた。
「あれ、聞いていないのかい?」
「聞いてないよ」
いったいどんだけ大物を捕まえたんだか。後両親、そういうことは事前に説明しておいてほしかった。ここにはいない両親を呪いつつ豪華な調度品を眺めた。
「ということは、ここは王宮なの」
「そうだけど、いくらなんでも鈍すぎない?」
ミリエルの言葉にアリサは深く反省する。
「まあ、それでこうしてお前をもてなすのは単に身内に親切にするだけじゃないっていうのはわかるね」
そりゃそうだ。一国の王妃たるもの単なる身内にここまで大盤振る舞いをすることはたぶんない。
「それでだ、これから船で向こうの大陸まで行くことになる。言葉は実ああそこでつかわれているのは古サン・シモンの言葉だから心配しなくていい」
サフラン商会ではこちらの大陸ではほぼ死語になった古語を習得するのが義務付けられている。
古語を解する人間が減ったがゆえにそれが暗号として機能するからだ。
「じゃあ、もしかしてこちらへの手紙は普通の言葉で出せば」
「あちらの人間には読めないかもしれないが、あくまで読めないかもしれないだよ、わかる人間にはわかるから油断しないように」
「油断って、まるでどっかの軍事施設にでも潜り込んで情報をとって来いって言ってるみたいですよ」
ミリエルは無言でアリサを見た。
「あの、冗談ですよね?」
「お前が行くのは中堅どころの貴族の家だよ、ただし、その立場がちょっとねえ」
ミリエルの言葉はとことん不穏だ。
「その国はちょっとどころじゃなく政情が不安定なんだよ、内戦になるかもしれないね、それでまあちょっと不穏なこと企んでるんじゃないかなって思われてる相手なの」
それは軍事施設に忍び込んだ方がましなのではと行く前から将来を悲観するアリサだった。
「サフラン商会としては情報が欲しいんだろうし、いわゆる商売を広げたいという気持ちもあるんだろうけど、わかっているだろうけど、手紙は私のところに送ってもらうし、協力の対価として情報を分けてもらうのはサフラン商会からも承諾を得ているわ」
なるほど利害はあるよね。
商売にかかわることはアリサにも多少はわかる。下っ端でも商会の構成員だ。
「手紙を出すときの宛先とか、あらかじめ教えてくれるんですよね」
「すでにあちらに潜り込ませている相手がいるからそっち経由で送ってもらいたいわ。内部に送り込める人間で適度に油断してもらえそうな相手はお前くらいなのよ」
小娘だからね。
アリサは自分のちっぽけな体を見下ろした。
「だから船のつく日まで窮屈だろうけれど我慢しておいてね」
それはもう精いっぱい小さくなって暮らすわ。うっかり打ち首なんて冗談じゃないから。