魚を商う商人
何やら騒ぎが起きていた。
「この馬車の向かう先ですね」
アリサの耳は人よりいい。騒ぎの中心に向かって馬車が進んでいくのが分かった。
「巻き込まれるのは困りますね」
そして馬車が止まる。やはり騒ぎが起きて道がふさがれているんだろう。
「困りましたね」
そう呟いていたが御者席の人が馬車から降りて騒いでいる人たちにどいてもらおうとしているのだが一向にらちが明かない。
アリサはおもむろに馬車を降りた。
「危ないわよ」
シンシアがそう言ったが騒ぎの原因の方が気になる。
アリサは一人の男が取り囲まれているのを見た。
その男は訳が分からないと言った顔をしていて、取り囲んでいる人々の顔に浮かんでいるのは恐怖と嫌悪。
不意に嗅いだことのある臭いがした。これは干した魚の臭いだ。
サヴォワの港町で干してあったり撃っていたりしていたのを思い出した。
「あの、どうしたんですか」
御者の男が何とか解散してもらおうとしているが一向に状況は動かないようだ。
「いったい何ごと」
アリサが思わず呟いたらそのつぶやきを拾ったものがいた。
「どうもこうもない、この男とんでもないものを売りつけようとしやがって」
壮年の男が憎々しげに叫ぶ。
取り囲まれた男はいまだに状況が読めていないようだ。
アリサは状況を把握しようとした。
どうやら一人の男が魚の乾物を売り歩こうとしたらしい。しかしこの国で海の物は忌避される。そのため迫害を受けているらしい。
そしてその男の着ている服などを見たが、何となく仕立てが違う。遠い異国人なのかもしれない。だからこの国の事情も知らなかった。
アリサは訳が分からないという顔をした男にそっと耳打ちした。
「それを捨てたほうがいいよ」
そう言われて男はぎゅっと袋を握りしめた。
気持ちはわかる。大切な商品、元手もかかっているのだ。それをむざむざと捨てろなんてどうしたってできないだろう。
しかしそれをこの国で売り歩くことはできないのだ。それどころか持ち歩けは命に係わるかもしれないのだ。
アリサは何とか荷物をあきらめてもらえないだろうかと説得を試みた。
あきらめられない気持ちはわかる。だが命あっての物種だ。アリサとしてもまさかここまでヒステリックに海というものをこの国の人間が嫌っているとは思わなかった。
男はあきらめたように袋を手放した。
素人でも周りの人間の殺気に気づいたのだろう。
まあ、殺すつもりはなくとも打ちどころが悪くてぽっくりということもありえた。
素人というやつは殴っていい場所と悪い場所も心得ていないから質が悪い。
「アリサ、何をしているの」
シンシアが降りてきた。上流階級の貴婦人めいた彼女の姿に周囲がざわめいた。
「通してくださいな」
シンシアがおっとりと笑ってそう言うと潮が引いたように人垣が崩れていく。
人目が無くなったのを見て先ほどの商人は袋をもう一度手に取った。
「ここじゃ売れないよ」
「まったく、普通の内陸の国は喜んで買ってくれるのに」
「まあ、そうだね、どうしてだろうね」
アリサは適当に話を合わせた。
男は忌々しそうにため息をつくと歩き始めた。何とか国境を越えられるといいのだけど。
アリサは無言で男を見送った。