婚約破棄後とその顛末〜契約書は良く読みましょう〜
セレーネ・ロッサ辺境伯令嬢がローライスト王国貴族学園の中庭の奥に点在しているガゼボの一つの裏、植え込みの中にぽっかりと空いた芝生の上にブランケットを敷いて本を読んでいると、コロコロと明るい笑い声が聞こえて来た。
「ライ様、今日は私マカロンを作って来たの。美味しく作れてると良いんだけど」
「ルーナのお菓子は何でも美味しいよ」
「うふふ」
「ははは」
イチャイチャキャッキャウフフしているのは、セレーネの許嫁であるライカーン・エスト・ルークレイ・ローライスト、ローライスト王の一人息子と、ルーナ・エンジュ伯爵令嬢。セレーネとライカーンが18歳、ルーナが16歳。セレーネとライカーンは学園の最高学年であり、卒業後ライカーンの誕生日に結婚式を行う予定だ。
セレーネは黒眼、ストレートの銀髪をブレイドクラウンに纏め、落ち着いた雰囲気。ライカーンは深い碧眼に輝く金髪、自信に満ち溢れた美形。ルーナは澄んだ水色の目にふわふわのプラチナブロンドのロリータ風かつ豊かな胸を持っている。
「もう直ぐ卒業式ですね。ライ様の代表の挨拶楽しみぃ」
「ライって呼んで構わないぞ」
「うふふ、でもライが卒業したら会えなくなっちゃう」
「大丈夫だ、ルーナの願いを叶えてやろう」
「えー、ドレスを買ってくれるの?」
「ドレス如き幾らでも買ってやるぞ。もっと良い事だ」
「もっと良い事?うーん、ライと一緒に居られるのが一番素敵」
「ははは、キスをくれたら教えてやろう」
「やだー、ライ、恥ずかしいわ」
ちゅっという音が響き、セレーネがゲンナリとした表情になる。
「ルーナを王太子妃にしてやろう」
「ほんとに?やだっ!ライの一番近くにずっと一緒にいられるの?」
「そうだ。だがな、王妃になると国王の代理や外交や社交の為に高い資質が求められる。今のルーナには無理だろう。それとも今から諸外国の言葉や歴史、国内外の特性等を勉強するか?」
「それは無理だわ。私、愛妾でも良いの。ライの側に居られれば」
「やはりルーナは可愛いな。あの鉄面皮の勉強しか出来ない田舎娘とは大違いだ。だがな、田舎娘は勉強だけは出来る。だから卒業式にアイツに婚約破棄を叩きつける」
「えー、そしたら王妃の仕事は誰がやるの?」
「そこだ。仕事の為に田舎娘を王妃にして、ルーナを愛妾にしたらルーナはあの田舎娘の下の立場だろ。愛するルーナが田舎娘の下なんて許せないからな、婚約破棄を止めて欲しかったら側妃になって公務全てきちんとこなす約束をさせるんだ」
「すごぉい。私の為にありがとうございますぅ。ライだーいすき」
「愛してる、だろ」
「愛してるぅ♡」
昼休みが終わるまで、セレーネはバカップルのバカ話を聞く羽目になり、精神がガリガリと削られていった。
◆◇◆
バカ一号とセレーネが婚約をしたのは、貴族学園初等部でセレーナが首席で趣味で諸外国の言葉、文化、産業、名物、特色等を全てを覚えているという才女だったから。因みにバカ一号は人目の無い所でサボるのが上手く、王と王妃、宰相や大臣、家庭教師達の涙ぐましい努力によって、何とか上中下なら上の下の位置をキープ中であり、バカ二号は「女の子に必要なのは美しさと笑顔と愛嬌です♡」というある意味筋の一本通った信念の元に、下の中という補習をしなくても良いギリギリラインを保っている。
セレーネの成績や落ち着いた性格、級友に対して上位貴族には敬いつつ必要な事はきちんと伝え、下位貴族には公平に誠実に対応するという、将来の王妃としての資質を備えている事を知った王と王妃と宰相が大喜びでロッサ辺境伯家に話を持って行ったのだ。
ロッサ伯は難色を示したものの王と王妃と宰相に大切にすると説得され、また、王妃、王配となる者と交わす王家の契約の内容を聞いて納得した。そして、王、王妃、ライカーン王子、宰相、教皇、セレーネ、ロッサ伯の七人で契約書にサインをした。王家の婚約契約書には国教の大教会の祝福が掛かっている。その為、婚約が無効になった時ある奇跡が起こるのだ。セレーネはきちんと契約書に目を通したが、バカ一号は他の人が見たから良いよね?と言った気軽さでサインをした。
◇◆◇
「セレーネ・ロッサ、お前は王太子の婚約者という地位に胡座をかいて努力を怠り、王子の政務全てを肩代わりせず、私が請求する結納金を出し惜しみし、私の学園の課題の代理を拒み、社交力が必要にも関わらず無表情でいる。そのような者を王太子の許嫁にしておく訳にはいかない。ここにライカーン・エスト・ルークレイ・ローライストの名において婚約破棄を宣言する」
卒業式の最後、王太子という立場から卒業生挨拶を任されたライカーンは挨拶もせず高らかに婚約破棄を宣言した。学園の大講堂には卒業生、在校生、教師達、王と王妃、王都にいる公爵と侯爵、卒業生の親、教皇といった多くの人が集まっている。要は、ローライストの重要人物が集まっているのだ。
そんな中で堂々と宣言した壇上のバカ一号に、すててててとオモシロ足音を立てながら走り寄って腕にひしっとしがみつくバカ二号。
王と王妃が驚愕の表情を浮かべている時、バカ一号二号はお互いの瞳に最愛を映しうっとりし、オーディエンスは半眼や白眼、見たくも無いと視線を逸らしていた。
バカとバカによるバカ劇場。
王子の政務を肩代わりせずも何も政務は自分でやれ。結納金は夫側が嫁入り支度金として妻側に渡す物だし、持参金と勘違いしているとしてもそれは王子個人のお小遣いでは無い。学園の課題は自分でやれ。無表情ではなく冷静なだけで、生徒達に信頼されている。
王子の側近候補もジリジリと壇上から降りていく。だって、学園生活の間中、婚約者以外の女生徒とイチャイチャしちゃダメって言い続けたのに「俺達の真実の愛を妬んでいるんだな。側近失格だ!」とか浮かれていたし。
腕にバカ二号をくっつけたまま、卒業生首席として最前列、学園長の隣に座っていたセレーネの前にツカツカと近寄るバカ一号。唐突にセレーネのネックレスを掴んで引きちぎった。
「王家の婚約の証、ローライストの瞳を返して貰った!これで貴様と俺の縁は切れた!どこへなりと行くがいい!だが、心を入れ替えて_」
次の瞬間、ロッサ伯とその隣に座っていたセレーネの兄カークライトがセレーネの両側からセレーナを支え、高速で大講堂を出て行った。バカ達が学園の中庭で、バカな計画を話したその日のうちにセレーネがタウンハウスを預かっている兄にバカ計画の事を説明し、余りのバカ計画に精神力をガリガリと削られた兄も可愛い妹の為に領地の両親に状況を連絡。この時の為に準備をしておいたのだ。
ロッサ伯、カークライト、セレーネは、幾らなんでも冗談だよね?でももし本当に起きたら、という半信半疑で準備をしていたのだけれど、バカ達は底抜けにバカだったという事になる。準備しておいて本当に良かった。
被害者大多数の卒業式は、王の「これで今年度の貴族学園の卒業式を閉会する」というどこか投げやりな声で終了した。
セレーネを側妃にして便利に使う予定でいたバカ一号二号は慌ててロッサ家に向かおうとしたが、王の近衛騎士と聖騎士に捕獲された。
◆◇◆
セレーナは帰宅後即、カークライトと馬車に乗って一路ロッサ領に向かっていた。強行軍だったが辺境を守る家の者として鍛えたロッサ兄妹は一週間後には元気にカントリーハウスに到着、先にカントリーハウスを訪れていた隣国レイフォースに嫁いだロッサ伯の姉、ララーナ・アマルディ辺境伯夫人に迎えられた。アマルディ領は国境を挟んでロッサ領の隣。ローライストとレイフォースは友好国で、ララーナの婚姻はその絆を更に強くしている。
「セレーネ、カークライト、元気そうね。セレーネ、この度は大変だったわね。国内にいると面倒が増えるから私の家にいらっしゃい。うちは男ばっかり三人でしょ。セレーネと過ごすのが楽しみだわ」
「セレーネ、伯母様にお世話になるんだ。アマルディ伯にもよろしく伝えてくれ。ララーナ伯母様、父から贈り物を預かっております」
「うふふ、任せて」
伯母の家とはいえ外国に行くのは初めての体験になるセレーネは、学んだ事を活かせるかもと大喜びでアマルディ領に向かった。
◇◆◇
「ライカーン、お前は自分が何をしたのかわかっているのか?」
「父上、私はセレーネを追い払うつもりは無かったのです。側妃として迎えるつもりでした。それをロッサ家が早合点して、セレーネを連れ去ったのです。私はセレーネの能力は認めています。王命でセレーネを連れ戻して下さい」
息子のバカが一周回って斜め上階に上がっているのを知ったローライスト王は心で泣いた。王なので家臣の前で実際に泣いてはいけない。王の周囲の家臣は涙目だ。王妃はホールに入る前に心労で倒れたので不参加である。
堂々と不満を述べるライカーンの隣でルーナは上目遣いの瞳にゴミでも入っちゃったの?と聞きたくなる程瞬きを繰り返している。
「お前とセレーネの婚約は完全に破棄された」
「しかし、セレーネは王太子妃教育と王妃教育を終わっています。結婚式の日取りも決まっております。結婚式には諸外国からの招待客も多いのに、セレーネがいなくては困ります」
「だから、お前が追い払ったのだろう⁉︎ それに王太子妃では無く、王太子側妃の結婚式を行なうのはおかしいだろう」
「セレーネは側妃となりますが、公務を行いますので諸外国や国民に披露する必要があります。ルーナはまだ16歳なので、学園卒業後、国内全体に向けて豪華な結婚式を挙げます」
ウチの子バカなの?ウチの王子バカなの?みんなで必死に教育したのに、何でこんなにバカなの?王は心で泣き、重臣達はリアルで泣いた。
ライカーンは堂々としたバカである。そして王として素晴らしい資質を持っている。それは優秀な者を見抜く力を持ち、方針を決めたらその道の専門家を信頼し全面的に任せる事が出来るという事。任せたら細かい事は言わない心の広い男である。自分に権力を集中させる王は、全ての事に通じていなければ国は傾く。優秀な者を見つけ信頼して任せ、もしも想定外の事が起きた時は王として責任の取れる男、それがライカーンだ。
セレーネは王を支える公務の専門家だ。だから必要である。ルーナは王の愛を受け愛を返す王を癒す専門家だ。事務屋と最愛だったら心を支える最愛の方が上なので、正妃。事務屋は専門家なので臣下であり側妃で良い。バカ理論炸裂。
「お前は婚約の契約書を確認しておったよな?」
「はい!」
「何と書いてあったか覚えておるよな?」
「……」
「……」
「……」
「馬鹿者ーーーーーーーっ!」
◇◆◇
セレーネはそれはそれは楽しく過ごしていた。それだけでは無く、従兄であるアマルディ家の三兄弟に可愛がられまくっていた。長男は辺境伯の後継、次男はレイフォースの騎士団員、三男は外交官として活躍しているのでセレーネの知力と体力にも惚れ込んで、猛アタックされている。
アマルディ伯とララーナは、息子達がセレーネの負担になりそうな時は鉄拳制裁をしつつも、優しく公平で慎ましくそれでも必要な事はしっかり主張するセレーネが、三人の息子のどれかの嫁になって欲しいなと思っている。勿論、ロッサ家から預かっている大切な令嬢として、無理だけはさせない相思相愛になって欲しいと願い、レイフォースのタウンハウスにも連れて行き自慢の姪として披露、セレーネを幸せにしてくれるレイフォースの貴族令息との出会いも探している。
そんなこんなでセレーネは幸せだ。
◆◇◆
バカ一号は泣いていた。今までも王太子として教育を受けていたが上手いことセレーネに手伝って貰っていた事が多く、身に付いていない全てを短期間で習得すべく大包囲網を敷かれているのだ。正に四面楚歌だがやらねばならぬ。もうお助けセレーネはいないのだ。
バカ一号は婚姻契約書をきちんと読んでいなかった。契約書の一番重要な部分、それがあるからロッサ辺境伯がいやいや認めた部分、婚約無効になる条件とそれに対して遂行される奇跡。
王家との婚約は臣下である側から解消出来ない。故に、王家側から一方的な解消や破棄をされた時、神の奇跡が発動する。それは配偶者としての教育内容を全て忘れてしまうという事。王太子妃、王妃、王太女配、王配としての教育を受けると、王家の秘密を知る事になる。臣下側が不祥事を起こした場合は、処刑や幽閉刑等が適用されるが、王家側の都合で瑕疵が無いにも関わらず王家の為に刑を執行するとなると、優秀な人材が失われてしまう。
この奇跡が授けられる前、婚約者とされる可能性が示唆されると決まる前に結婚してしまったり修道院に逃げたり大病になったと家から出て来なくなったりという事態が続いた。しっかりとした家の優秀な令息令嬢であるほど、親はそんな危険な目に遭わせたいと思わない。
結果、当時の王と重臣と教皇が協議し、婚約者を保護する為に神の奇跡が婚約契約に加えられたのだ。そしてその奇跡の証拠として大教会から祝福されたローライストの瞳と呼ばれるアクセサリーが婚約者に渡される。女性ならネックレス。男性ならブローチだ。王家側が理不尽な婚約解消、破棄を申し出た時、アクセサリーを返却する事により奇跡は発動する。
バカ一号こと、ライカーンは婚約破棄を宣言しネックレスを引きちぎった。故に、セレーネの王太子妃、王妃教育の内容は彼女の記憶から全て失われた。戻って来たとしても公務は出来ない。ライカーンはサボっていた外交も一人で全部出来る様にと見張り付きの勉強漬けである。勿論、健康も大切なので王国の剣と呼ばれる将軍による特訓も毎日休まずおこなわれている。
バカ二号は泣いていた。今まで可愛さと愛嬌と笑顔で生きて来たのだ。今更教育と言われても無理♡と言い張った所、教育係のマダム達に口でボッコボコにされた。
運良く、否不幸中の幸でバカ二号ことルーナは16歳。卒業まで後2年ある。セレーネと同程度なんてどうやっても無理だが、王太子妃になると言ったのだからやって貰おうじゃないか、と生活に必要最低限以外の時間は全て教育だ。食事もお茶もマナーの時間を兼ねている。
「できなーい」と誰かに甘えようにも、人生経験値が半端無いマダム達に囲まれている。出来ないじゃない、やれ、出来るに変えろ。とボッコボコにされるだけだ。
過労でちょっと胸が萎んだ。
王や重臣達はバカ二号が確実に力量不足だとわかっているので、セレーネ程では無いが公務をこなせる令嬢を探し、バカ達には内緒で教育中だ。バカ一号の正妃になっても良いと受け入れてくれたのは侯爵の令嬢で、バカ一号の公務はきちんとバカ一号が行う事、バカ二号は愛妾として後継を確保出来る状態にする事、もしバカ一号が人として信用出来る様になったらお互いを尊重し添い遂げたいという条件で婚約を受け入れた。
この令嬢の婚約契約書は、バカ一号が勉強と将軍の特訓を休憩無しで続けてヘロヘロになっていた所を狙ってサインさせた。しっかりした婚約者が出来たと安心してまた怠けない様に、内容に気付かれ無い様に騙しうちでサインをさせたのだが、やっぱりちゃんと見ていないという事実に王と王妃が数日どんよりとした気持ちで過ごしたのも、まあ仕方が無い事である。