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04 絶望と希望




 しばらくじっとしていると、ようやく暗闇に目が慣れてきた。

 ようやく視界がクリアになり、周囲を見渡す。

 誰も住んでいない廃屋はやはり、床や壁は相当傷んでおり穴が開いている部分もある。

 床板から音が鳴らないように充分に注意しながら、廃屋の奥の方へ歩を進める。


 後ろから、足音。

 咄嗟に身を隠しながら、壁にあいた小さな穴から後ろの様子を窺う。

 そこから見えたのは――3人の人影。

 全て、先程見た影と同じ形。


「くそッ」


 心の中で悪態をつく。


 3人の人影には、迷いの様子がない。

 つまり、俺は完全に目をつけられて、俺だけが追われているということ。

 なんで、俺だけがこんな目に遭うんだ!


 いや、そんなのは分り切っている。

 最後尾にいた、まだ10歳に満たないような少年。

 大人と比べると足は遅く、大人勝りの知恵があるわけでもない。

 それが、たった一人で夜の暗闇を走る。

 彼らにすれば、格好のカモなのだろう。


 でも。

 だけど。

 まだ、終われない。

 このまま攫われ売られて、奴隷として一生を終えるなんて。

 人の道具として、望まぬ相手に生を捧げるなんて。

 そんなの、絶対に嫌だから。


 体力は既に底をついている。

 息だって、まだ絶え絶えだ。

 居場所もおそらくバレている。


 でも、まだ。

 俺はまだ、魔法という切り札を使っていない。


 人を追い払うための魔法は知らない。

 それに、魔法を使えば必然的に彼らの目に留まり、一度逃げたとしても仲間を呼んで俺を捕らえに来るだろう。

 それも、今度は魔法を対策されて。

 俺も魔法はかなり上手い部類に入るだろうが、人攫いの奴らに雇われるような百戦錬磨で老練な魔法使いには到底敵わないだろう。

 如何せん、俺には実戦経験がない。


 さらに、魔法を使える奴隷は高価で売買される。

 ある程度の水準にある魔法使いは、戦争でも、平時に及んでも貴重であるからだ。

 俺が魔法を使えば、彼らの俺への執着は増すだけであろう。

 何せ、彼らにとって人攫いというのは路上に落ちた金を拾うだけの作業であり、攫う対象は金貨との引換券としか見ていないのだから。

 価値の高い物には執着する、当たり前の話。


……くそッ。

 魔法を使うと、さらに状況が悪くなるじゃないか。

 これでは、切り札は無いも同然だ。


「おいガキ。痛い目に遭いたくねえなら今すぐ出てきな」


 男の低い声が建物の中に響き渡る。

 しかし、まだ声の主の姿ははっきりと見える距離にいない。

 人影は少しずつ大きくなってくるが、飛び掛かっても届かない距離だ。

 まだ、逃げ切れるかもしれない。

 俺は、この一縷の希望に賭ける。


 男たちの人影に背を向ける。

 この襤褸家の裏口がある方へ、駆け出す。

 どうせここにいることはバレているんだ、床がギシギシ鳴ったところで大勢に影響はない。

 できる限りの速度で、転ばない限界の前傾姿勢で、廃屋を走る。

 風を切る音以外は、何も耳に入らない。

 すぐに裏口のドアにたどり着き、ドアノブを回して、外へ――




――開かない。

 ドアが、開かない。

 ドアノブは回るのに、ドアが一切動かない。


 なんで。

 どうして。


 今までこのドアが開かないことなんて、一度もなかったのに。

 そもそも、鍵をかける機構が壊れていて、施錠できないドアだったはずなのに。

 でも、確かにこのドアは開かない。


 慌てて、後ろを振り向く。

 ゆっくりと、でも確かに、複数人の黒い人影が近づいてきていた。

 人攫いの象徴である、迷彩柄の布を手に持ちながら。

 人攫いは、迷彩柄の布で人を包み、身動きできないようにして人間を持ち去るのだ。


 一歩、また一歩と人影が迫ってくる。

 このあばら家には、入り口と出口はそれぞれ一箇所しかない。

 入り口からは人攫いが迫ってくる。

 出口はどういうわけか――いや、おそらくここに誰かが逃れてくることを予測して、人攫いの奴らが封鎖したのだろう。

 窓から逃げようにも、窓のある部屋は入り口付近にしかなく、そこまで辿り着くのは現実的ではない。


 半ば、詰みの状況。

 奴隷となり一生道具として使われる未来が、戦争で真っ先に死ねと命じられる未来が、忍び寄る。

 そんな中で俺が取れる手段は、そう多くはない。

 その中でも、一番助かる確率が高いものは――。


 だから俺は、力の限り床を蹴った。

 腰を低くし、左肩を前に突き出して、タックルの形をとった。

 俺の全体重で、ドアに向かって体当たりを繰り出した。


 ドンッ!


 肩から感じられたのは、強い反発感と、鈍い痛み。

 ドアを見ると、傷は一つも増えていない。

 目の前には、俺の突撃を受けてなお無傷のドアが立っていた。


 その間にも、敵は迫り来る。

 いつの間にか、暗闇の中でもはっきりと姿が見える距離まで来ていた。


 前には人攫い、後ろは閉ざされたドア

 俺が攫われるのはほとんど確定の状況であった。

 それでも俺は諦めきれずに、振りかぶってはドアを殴る。


 殴る。

 殴りながら、脳裏にふと疑問がよぎる。


 なぜ、俺は諦めきれないのだろうか。

 奴隷になることを、道具となることを、受け入れることができないのだろうか。

 それが運命だからと、認めることができないのはどうしてか。


 いや、誰だって、直感的に奴隷落ちは忌み嫌うだろう。

 人間としての尊厳を奪われ、襤褸切れのように使い捨てられるのは嫌だろう。

 それは、俺も変わらない。


 でも、今の生活だってそれほど変わらない。

 ストリートチルドレンとして忌み嫌われ、悪意を持った他者から逃げ回り、こそこそと生きているだけの生活だ。

 尊厳なんて元々無いし、生まれたら命を繋ぎ、力尽きて死ぬだけの運命だ。

 誰かに生き方を定められたような世界で、自分の意思で生きた気になることが、そんなに重要だろうか。


 それとも。

 何か守りたいものがあっただろうか。やり残しや未練はあっただろうか。

 いや、守るものなんて何もないし、やり残すような事も何もしていない。

 ゴミの掃き溜めのような場所で、過ぎゆく時を待っているだけの人生だ。


 そもそも、この世界に希望など無かったはずだ。

 頻発する戦乱により大地は荒廃し、市民は疲弊し、治安は悪化する一途をたどっている。

 旱魃かんばつにより干上がり、ひび割れた農地。

 戦地となり、焼け跡のみが残る荒廃した市街。

 権力者たちは私利私欲だけのために争い、平民は不透明な未来を悲観し、目的もないまま命を繋ぐ。そして俺たち掃き溜め者は、何も残さず消えていく。

 遠くの国の宗教では、今の世は『終末のとき』と呼ばれているらしい。

 その教えによれば、もうすぐ世界は終わるのだとか。


 無心でドアを殴るたびに、重たい音が鳴り、握った右拳に痛みが伝わる。

 いつの間にか、手の甲からは赤い液体が垂れていた。


 しかし、ドアは開かない。

 壊れて穴があくこともない。

 何度殴っても、鈍い音と固い感触が返ってくるだけだ。


 人攫いの布を持った男が、俺に向かって手を伸ばす。

 スキンヘッドの男が、槍をこちらに向けてくる。

 その姿が、やけにゆっくり見えた。


 もう、逃げ場はない。

 手を伸ばせば届く距離に、人攫いの奴らが来ている。

 数秒後には、迷彩柄の布に包まれて攫われることだろう。


 ああ、これはもう無理だ。

 俺は最初からこういう宿命だったのだ。

 ようやく、俺は現実を受け入れられたような気がした。

 人攫いの方に向き直り、開かない扉に背を向けて、抵抗することなくその場に立ち尽くす。


 そして、男が迷彩柄の布を広げ、俺に向かって振り下ろし――



「…………少年、逃げろ」



――()()()()、声をかけられた。





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