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38 ティリナの本気




 ☆ ★




 シグトは、襲撃者の男によって心臓に剣を突き刺された。

 彼は地面に倒れ伏し、胸から血を噴出させる。

 夜の芝生の上に、赤い血の海が出来上がった。


 襲撃者の男は、シグトが息絶えたのを確認して踵を返す。

 それとほぼ同時刻に、シグトの身体から人間の形をしたものが現れる。

 第三者から見れば、その様子はシグトの魂が具現化したようにも見えたかもしれない。

 しかし、その正体は、シグトに取り込まれていた精霊のティリナだった。


 彼女は姿を現してすぐに、シグトの方に向き直る。

 シグトの姿――その惨状を見て、彼女は叫ぶ。


「ご主人?! 大丈夫?!」


 暗闇の中、ティリナの声が響く。

 彼女はシグトをゆすって起こそうとするが、しかし彼が動くことはなかった。

 ティリナも、既にシグトが動かないことは分かっていたのだろう。

 憎悪に染まった目で、襲撃者を見据えた。


「許さない。ご主人を、こんな目に遭わせるなんて……」


 殺気のこもったその言葉に、黒いフードを被った襲撃者の男が振り向く。

 彼はひとつ舌打ちをし、シグトの血の付いた剣を構える。


 直後、彼は地面を蹴る。

 普通の人間が見ればそれは、彼の姿がブレるところしか見ることはできなかっただろう。

 しかし、ティリナの目は彼の動きを全て捉えていた。


「全てを切り裂く夢幻の剣を今ここに――――【根源分離の剣】」


 ティリナは澄んだ声で詠唱をする。

 その声に呼応するように、彼女の目前で眩い光が撒き散らされる。


 その光が一点に収束し、空中に一振りの剣が現れた。

 サファイアの宝剣。

 蒼い光で満ち溢れた剣にティリナは手を伸ばし、掴み取る。


 その剣を構えて、身体を左にずらしながら、一閃。

 迫り来る襲撃者の男の肩口を斬り落とす。

 男の振るった剣は、彼女の残像の中で空を切っていた。


 襲撃者は、ティリナから一度距離を取る。

 そして彼は、自身の右腕がないことに気づく。

 綺麗に切り落とされた彼の右腕は、ティリナの足元に転がっていた。

 それをティリナが踏みつけ、彼女は男を鋭く睨む。


「ねえ、そこの襲撃者。キミは、胸を貫かれて死ぬときの痛みって知ってるの?」


 絶対零度ともいえる冷たい口調で、ティリナは言った。

 言いながら、一歩、また一歩と彼に近づく。


 顔をマスクで隠したフードの男の表情は、見えない。

 彼は、彼女が間合いを詰めるのを、無言で観察していた。


「知らないよね。人が死ぬほどの痛みなんて。キミは、死んだことなんてないんだろうからさ」


 冷徹で無感情な瞳で、彼女は男を一瞥する。

 そうして、一歩ずつ男に詰め寄る彼女の姿に、付け入る隙は存在しなかった。


「だけど、ボクは知っている。ボクは一度、心臓を貫かれて死んだから。狂ったような、壊れるような痛みを、ボクは身をもって経験したんだよ」


 彼女はそう言って、改めて剣を構える。

 蒼く煌めく、サファイアの剣。

 剣先を、襲撃者の男の心臓に向ける。


 気圧されるように、男は一歩、後退する。

 右腕を失った彼は、左手だけで血の付いた鈍色の剣を握っていた。

 そして、剣先をティリナに向ける。


「だからその痛みを、ご主人にだけは味わってもらいたくなかったんだ。ボクの大好きなご主人だけには、知らないままでいてほしかった。その方が、絶対に幸せだから」


 彼女の剣が、徐々に輝きを増していく。

 彼女の剣が、長く、鋭く伸びていく。

 強大な力を纏って、眩い光を放って、剣が進化する。


 剣から発せられた蒼い光が、夜の草原を明るく照らしていた。

 蒼い光が、彼女を、襲撃者を、周辺にある全ての物体を照らしていた。


 光に照らされたティリナは、そのことに気を留めることなく、真っ直ぐに襲撃者の男を見据える。


「だからさ、キミにも、思う存分味わってもらおうと思うんだ。心臓を貫かれて死ぬって言うのは、どういうことか、ってね」


 彼女は、不気味に薄笑いを浮かべる。

 しかしその目の奥には、復讐の色は無く、追憶と後悔の色が滲んでいた。


 だが、追い詰められた男には、それを把握する術を持ち合わせていなかった。

 ただ、圧倒的な力と殺気に、息を呑んで後ろへ下がることしかできなかった。


 ティリナはそれを一瞥し、消える。

 否、無駄な予備動作は一切なしに、僅かに地面から浮いた身体を空中に滑らせるように移動させた。

 まるで、その場から消えたように見える、一瞬の移動だった。


「……ッ?!」


 次の瞬間、ティリナが襲撃者の男の前に現れる。

 蒼い長剣を構え、彼の心臓を目掛けて剣を突き出す。


 咄嗟に男は自身の鈍色の剣を合わせ、防御しようとする。

 しかし、片手で操った剣はそれほど速いわけではなく、力を込められたものでもない。


 キンッ――。


 剣と剣が衝突する、鋭い音。

 夜の静寂を穿つように、甲高く鳴り響く。

 そして、その音が空の彼方へと消え去り、代わりに響いた音は――


 カラン、コロン。


――芝生を跳び越した剣が、城の近くの石畳に転がる、硬質な音だった。


 それと、ほぼ同時に。

 蒼い長剣が、襲撃者の男の左胸に、刃先から吸い込まれた。


 男の胸を貫通したのを目視してから、ティリナは剣を引き抜く。

 不思議と剣に血は付着しておらず、サファイアの輝きによって辺り一面を照らしていた。


 襲撃者の男は倒れ、芝生を血で赤く染め、息を引き取った。

 それを確認してから、ティリナは踵を返し、シグトが倒れているところへと向かった。


「ご主人、今助けるからね」


 死んだはずのシグトに彼女はそうやって呼びかけた。

 そして、彼女はシグトに【根源分離の剣】を突き刺した。


 周囲が、爆発的な青い光に包まれた。

 目が眩むほどの光が、血塗られた芝生を青く染め上げた。


「ごめんなさい。しばらく、外に出てこれないかも」


 光の中で、ティリナの声だけが響く。

 夜の静寂の中で、聞き手のいない独り言が、ぽつりと漂い、消えた。


 しばらくして、光が収まる。

 先ほどまで青く輝いていた外の景色は、今では黒く染まっている。

 再び、夜の闇が城の庭園を支配していた。


 そして。

 芝生の上から、ティリナの姿が消えていた。



 その代わりに。




 胸の傷が塞がり、血色が戻ったシグトが、芝生の上で静かに眠っていた。







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