33 交渉決裂
暗殺者を差し向けられた、翌日。
エダグスとの会談の日。
俺とエルキナ、そしてエルキナ付きのメイドの三人で、会談の席についていた。
俺たちは言葉を交わすことなく、エダグスを待つ。
今朝、正式にエルキナに交渉役を頼まれた。
そのつもりでロノアからいろいろと聞いていた俺は二つ返事でそれを受け、今に至る。
というか逆に、エルキナが自分で交渉をすると言ったら止めていたところだ。
俺が彼女の護衛になった日のことを思い出す。
少々強引な解釈ではあるが、俺は彼女の失言によって護衛になったとも言えるわけだ。
あの時は、彼女はぽつりと本音を漏らしていた。
だが、交渉の場でうっかり本音を漏らすようでは、化かし合い騙し合いの席で自分に有利な条件をつかみ取ることはできない。
だからこそ彼女には、交渉中は黙っているように言っておいた。
それでも不安要素はあるが、しかしこれは彼女の未来がかかっているわけだ。
暗殺者の一件で彼女の意識が変わっているとは思うが、それでもなお、少し心配である俺がいる。
「やあやあ、待たせてしまいましたかね?」
相変わらずの嫌らしい目つきの、恰幅の良い中年。
服装だけはやたらと綺麗にまとめられており、奴隷商の格好と似ていると俺が思った相手。
エルキナを暗殺するという目的でこの会談を行ったであろう、危険人物。
それが、エダグス・フォン・カレヴィエルという男だ。
「いいえ、私たちも今来たところです」
エルキナが返事をする。
この地点では、まだ俺が発言することは許されていない。
交渉役は、紹介されて初めて発言されることを許される。
それが貴族のしきたりというやつらしい。
エダグスは二人の従者を連れ、俺たちの対面の席に座る。
彼はエルキナの顔を嫌らしい笑みで眺めた後、俺ともう一人のメイドを一瞥してから言う。
「それでは、まずは自己紹介から始めましょうか。ご存知の通り、私はエダグス・フォン・カレヴィエル。アラインサンドリアの領主で、カレヴィエル侯爵家の当主であります」
「私はエルキナ・フォン・アドレーンです。アドレーン公爵家の当主とジル・エリヴィスの領主をしています。この度の交渉は、こちらの方に一任しますので、よろしくお願いします」
形式的な自己紹介。
そこでエルキナが俺のことを示唆したので、自然とエダグスの視線がこちらに向かう。
彼は値踏みするようにこちらを見るが、気にせず俺は立ち上がって一礼をし、自己紹介を始める。
ロノアに習った作法も、だいぶ様になっているようで、ほう、とエダグスが息を漏らした。
「ご紹介に預かりました、シグトでございます。この度は交渉役をさせていただきます」
「座ってよろしい。それでは、さっそく本題に入るとしましょう。今回、私がエルキナ様方を招いたのは、他でもない、同盟の話を持ち掛けるためであります」
内心では、エルキナを暗殺する目的だったんだろ、と突っ込みを入れるが、それは表には出さない。
ここでそれを口走っても、否定されるだけで終わってしまう。
手札は、然るべき場所で切るのだ。
「同盟、ですか?」
初めて知ったかのように俺が尋ねると、エダグスは鷹揚に頷いた。
「ええ。話によると、ジル・エリヴィスはバラディアに戦争を仕掛けられたのだとか。それにガビニア帝国が関わっていることはそちらもご存知でしょう?」
「そうですね。だから、帝国を仮想敵国として同盟を組もう、ということでしょうか?」
「話が早くて助かりますね。帝国はバラディアを手先にして、我らの国の侵略を目論んでおられる。しかし、帝国は強大であり、王国の都市がひとつで対抗しようとしても叶うような相手ではないでしょう。
そこで、この近辺で最も大きな都市であるアラインサンドリアとジル・エリヴィスで同盟を結べば、自ずと近辺の零細都市もこの同盟に乗るでしょう。そうすれば、私たちは帝国に対抗する武力を確保することができ、また王国の権力闘争で頭一つ抜けることができるでしょう。そうなれば、エルキナ様が王となる道も開けてくる。
どうです? 悪くない提案でしょう?」
確かに、筋の通った話ではある。
バラディアはガビニア帝国と手を組んでいるという線が濃厚だし、そうなれば都市ひとつで対処しようとしてもどうにもならない。
ジル・エリヴィスが勝てたのは、難攻不落の要塞が勝利に導いたという点もあるが、まだ帝国が協力体制に本腰を入れていないということが考えられる。
もし帝国が本気を出せば、万の軍勢が送られてくるはずだからだ。
そして、それに対処しようとなると、他都市と同盟を結ぶしかない。
ジル・エリヴィスの近辺で最も大きい都市がアラインサンドリアであるというのも、また事実だ。
王位継承の話だって、本人はあまり乗り気で無さそうであった。
でなければ、俺とエルキナが初対面の時にエルキナが「王位継承候補者として祭り上げられている」と嫌な顔で言うことはなかっただろう。
ちらりとエルキナに視線を向けてみると、彼女はその意図が分かったのか、首を横に振った。
「確かに、悪い話ではないでしょうね。もし、こちらがあなたのことを信用できるなら、ですがね」
言外に、お前のことは信用していないと伝える。
暗殺者を差し向けたのがお前なのは分かっているんだぞ、というアピールである。
それを察したようで、エダグスは訝しむような顔を作った。
「はて、私が何かいたしましたかね? 私は良心によって、この同盟を持ち掛けているつもりなのですがね」
そして予想通り、あくまで暗殺者の件は知らないという態度を取った。
その対応は予測済みである。
俺は、事前に用意しておいた文章を口にする。
その際、不気味な笑みを浮かべて、相手に余計なことを考えさせることも忘れない。
「いえ、あなたが知らないふりをするというのであればそれは構いません。同盟の話は無かったことになりますがね」
「ほう、アドレーンの小娘に何ができるのかね?」
エダグスは俺から視線を外し、エルキナに向かって挑発する。
やはり、彼もエルキナが交渉下手だということを知っていたか。
俺と話し合っていても埒が明かないと思い、狙いをエルキナに定めたのだろう。
少し彼女の様子が気になって、隣にいる彼女を一瞥する。
嘲るような言葉に、彼女はこぶしを握り締めてぷるぷるとさせていたが、顔を赤く染めて怒りを表情に浮かべていたが、しかし約束通り何も言うことはなかった。
よく怒りに耐えてくれたものである。
「何が出来るか、ですか。そうですね。私たちに何ができると思いますか?」
俺は不気味な笑みを絶やさずに、エダグスに問いかける。
しかし彼はそれが最初からブラフであると割り切っているようで、一笑に付しただけだった。
「私は何もできないエルキナ様を、ひいてはジル・エリヴィスを、守ってあげようと言っているのですよ。協力を断ってこのまま滅びるか、ここで同盟を結んで帝国に対抗し、王位を手に入れるか、どちらが良いかは一目瞭然だと思われますがね」
確かに、一目瞭然である。
ジル・エリヴィスにとってすれば、協力を断った方が良いということは。
「そうですね。アラインサンドリアにとってすれば、同盟を結ばなければ滅びるのは確実でしょう。もっとも、あなた方が帝国と結びついていなければ、ですが」
一瞬、エダグスが口を開こうとして思いとどまった。
この動作をするということは、図星である可能性が高い。
もちろん、想定していない返答であったために、閉口してしまったということも考えられるが。
それでも、こちらの言うことは変わらない。
大勢は既に決まっている。
「これ以上、議論を続けても無意味でしょう。時間も有限ですし、会談はここらで終わりにするのが両者のためだと思うのですが」
「ですが、本当によろしいのですか? こういう形で別れたとなれば、今後一切エルキナ様に協力を致すことはできなくなりますが。アラインサンドリアとジル・エリヴィスの友好関係の歴史に終わりが告げられますが、よろしいですかね?」
「構いません。それとも貴方様は、無理にでも我々を同盟に引き入れなければならない理由をお持ちなのですか? 例えば、同盟を最初から裏切って、エルキナを謀殺するという意思を持っていらっしゃるとか」
「それほど私を警戒するとは、何かやましいことがあったのではないですか?」
それはお前のことだろ、と言いそうになって思いとどまる。
今は何事もなく退散するべきだ。
新たに問題を作るような物言いは控えておいた方が良い。
「いえ、やましいことなど何も。それでは、会談はここまでということでよろしいでしょうか?」
エダグスは嫌らしい目つきのまま、頷く。
しかしながら、それは内心とは一致していないのだろう。
何が何でも、俺たちを同盟に引きずり入れたいという意思が、先程からの問答でよくわかる。
それでも、これ以上俺たちを引き止めれば、更なる疑念を呼び起こすことになると気付いたのだろう。
「交渉は残念な結果となりましたが、どうか皆さま、ご無事でお帰りになられますようお祈り申し上げます」
そんなエダグスの言葉を背に、俺たちは部屋から出た。
そして、預けてあった馬車を引き取り、エダグス邸を後にした。




