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32 刺客




 刺客の気配に、俺は目を開ける。

 すると、やはり、黒く目立たない格好をしている男が一人、俺の目に映った。


 常人であれば気配を消している刺客に気づくことはできないのだろうが、あいにく俺が生まれ育ったところではそんな奴ばかりだった。

 気配を消して金銭を奪おうとする輩など掃いて捨てるほどに存在したし、むしろそういった技術を縄張りのリーダーに教えてもらったことさえある。


 だからこそ俺は、刺客がエルキナに集中している隙に、魔法を発動させるための意識の集中を行う。

 そして、自分だけに聞こえるように、囁く。


火焔の演舞(ファイア・ノヴァ)


 俺が最も得意な、火の魔法を放つ。

 昔、これを部屋の照明代わりに使っていたおかげで、室内で火の魔法を使うのは慣れている。

 宙に浮く小さな火の玉を作り出し、その位置と形を完璧に制御して、的確に刺客の手元を焼く。

 いきなりの熱量に手を引っ込める様子を見て、すぐに魔法を霧散させる。


「……ッ?!」


 刺客の男が息を吞む音を発したのと同時に。

 カラン、と乾いた音がして、刺客の持っていたナイフが地面に落ちた。


 しかし、すぐに懐からもう一本のナイフを取り出し、今度はこちらに投げてきた。

 とはいえ、こちらもその行動は予測済みだ。

 準備していた魔法を、ちょうどのタイミングで放つ。


石壁の檻(ストーン・ウォール)


 俺の目の前に岩塊が現れ、変形して壁の形になり、ナイフを「キンッ」という音と共に弾く。

 同時に、石の壁の死角からナイフを持った男が迫り来るが、それを横っ飛びによって躱す。

 躱した方向には、先ほど刺客が落としたナイフが転がっている。

 ナイフの先端は、液体によって濡れている。

 おそらく、これは毒だろう。

 人殺しに従事するような奴は、ナイフに毒を塗って殺傷力を高めるとどこかで聞いたことがある。


 これは、暗殺対象を殺めるのに最適な武器。

 裏返せば、その武器を奪えば暗殺者を撃退する最適な武器ともなり得る。

 だから俺はそれを拾って、闇に溶けた黒ずくめの刺客と対峙する。


 暗がりの中。

 夜の闇に溶けるような黒い衣服の刺客。

 表情を見ることはできないが、その輪郭が動き出したのを見て俺はナイフを構える。

 そして、魔法を放つために意識を集中させる。


 今の位置取りでは、俺のちょうど後ろに就寝中のエルキナがいる。

 俺が刺客の男の攻撃を避ければ必然的にエルキナに当たることになる。

 よって、俺に避けるという選択肢はない。


 直後、俺に向かって一直線で刺客の男が迫る。

 強烈な突きの一撃。

 まともに食らえば命はないし、避ければそれはエルキナが食らう羽目になる。


 だから、俺は即座にナイフを構える。

 男の一撃を防ぐ意図はない。

 ナイフの扱いの素人が、ナイフ使いの達人に敵うはずがないのだ。


 よって俺は、男と刺し違える覚悟で、俺は迫り来る男に刃の先を向ける。

 相打ちを狙って――否、こちらだけが一方的に男に一撃を浴びせるために。


 そして、呟く。


石壁の檻(ストーン・ウォール)


 本来これは、石の壁を作るための魔法である。

 しかし、迫り来る一撃は、その石の壁をも砕き散らすだろう。

 そして、勢いそのままに俺を、エルキナを、刺客の持ったナイフが貫き通すだろう。


 俺に迫る、最後の一歩。

 そのタイミングを過たずに俺は生成した岩塊を、刺客の男の足元に置いた。


 一瞬、男の姿勢がブレる。

 しかし、すぐに体勢を立て直し、そのまま俺にナイフを突く。


 だが、それで十分だ。

 バランスを崩して勢いを失くした突き。

 狙いは僅かに俺の身体からずれている。


 何より、俺の目の前で一瞬の隙を見せてしまったこと。

 それが、致命的だった。


 俺は手に持った、毒の塗られたナイフを刺客に突き刺す。

 助走も無ければ、技術もない、そんな一撃。

 しかし、バランスを立て直すのに意識を持っていかれた男は対応できない。


 結果的に、俺の突き刺したナイフが刺客の胸に吸い込まれた。

 俺に向けられたナイフは、俺の腕に風圧を当てることにとどまった。


「ぐっ……」と苦悶の声を上げながら男は、俺の目前に崩れ落ちる。

 ドサリ、という音が夜の静寂の中で鮮明に響く。

 そして、色の失った夜闇の中で、白い絨毯が黒い血に染まっていった。


 そして、倒れたままの男は微動だにしない。

 ナイフに塗られていた毒は麻痺毒だったのだろうか。

 それとも、こちらの油断を誘っているのか。

 万が一に備えて、とどめの一撃を――そう考えて魔法を用意するよりも早く、男は力を失い、息絶えた。


「ちょっと、灯りが欲しいかな。火焔の演舞(ファイア・ノヴァ)


 虚空から炎を出現させ、それを照明代わりにして辺りを見渡す。

 目の前には、黒い格好をした暗殺者の死体。

 白い絨毯には、赤い血が広がっていた。

 そして、部屋に備え付けられた調度品のいくつか。

 エルキナ付きのメイドたちは、壁の端に集まっていた。


 隠れている人物の気配はない。

 戦闘力を持たないメイドが、目立たないようにこちらを窺っているだけだ。

 そして、辺りには安堵の空気が漂っている。

 メイドのうちの一人が、ほっと息を吐いた音が聞こえた。


 血の臭いの漂う中、エルキナの無事を確認しようと思い至る。

 彼女は寝顔を見られるのが嫌だと言っていたが、自身が殺されそうになった今に至ってまで、それに拘ることはないだろう。

 そう考えて、後ろを振り返る。


 寝台の上で上体を起こしているエルキナ。

 彼女と、目が合った。

 その目には、恐怖と安堵が浮かんでいた。


「……シグトさん、ごめんなさい。私、本当に命を狙われてるとは思えなくて……」


「そうだな。こんな怖いことをしたくないなら、常に戦える人間を傍に置いておくべきだ。わかったか?」


「はい……。本当に、怖かったです……」


 そんな彼女の言葉を聞いて、少しは警戒心を持ってくれるだろうと安心して、彼女に背を向ける。

 そして、暗殺者の身柄をどうしようかということに思い至る。

 ここに放置したままでは、寝ている間に腐乱臭が生じ始めるだろうし、血の臭いの中で眠るのがいやだと感じる者もいるだろう。


 いっそ、俺に割り当てられた部屋まで運ぶか。

 暗殺されかけたという証拠があればそれだけで交渉が有利に働くかもしれない。

 当然、エダグス側は暗殺者について真っ向から否定するだろうが、それでもエダグスがエルキナを守るつもりはないと言っていることには変わりない。


 目の前の死体に手を伸ばそうとしたところで、エルキナから声がかかった。


「あの……もう、誰も来ないですよね?」


「たぶんそうだが、物事に絶対はない。警戒するのに越したことはないと思うぞ」


「……」


 俺がそう返すと、彼女は俯いた。

 彼女は、同意が欲しくて、安全だと言われたくて、俺に問うたのだろう。

 しかし、現実は甘くないのだ。

 彼女の安全が関わることである以上、心を鬼にして言わざるを得なかった。

 だが、もう少し柔らかい口調で言ってもよかったのではないかと、僅かな後悔も残る。


 しかし、そんな俺の思考とは裏腹に。

 数瞬の後、彼女は勢いよく顔を上げて、俺を見つめてきた。

 不安を目に宿しながら、縋るような目つきで言葉を紡いだ。


「お願いなんですけど……その…………一緒に寝てくれたりとか、しませんか……?」


 そうして上目遣いをする様子は、数時間前の「寝顔を見られるのは嫌だ!」と言っていた人物と同一であるとは思えなかった。

 そのままじっと目を合わせていたが、恥ずかしくなったのか、彼女は視線を明後日の方向に向かせ、チラチラとこちらを窺ってくるようになった。

 そこまでされると、俺としても断り辛いのだが。


「繰り返すが、いつ何があってもおかしくない。だから、俺はそれに対応するために準備をしなければならない。……本当に申し訳ないのだが、その申し出は受け入れられない」


 一緒に寝て、ぎゅっと抱きしめられていたせいで行動できずに暗殺されるなど間抜けにもほどがあるだろう。

 そうならないためにも、俺は部屋の隅で、上体を起こしたまま、すぐに行動ができる状態で浅い眠りにつくほかない。


「……うう、そうですか……。…………じゃあ、せめて、私が寝るまで傍にいてくれませんか……?」


 懇願するような口調で彼女は言う。

 こころなしか、涙声が混ざっているようにも聞こえる。

 これ以上彼女の誘いを断り続けるのも悪いと思い、俺は軽く頷いて彼女の寝台の横に行き、そっと彼女の頭を撫でた。

 このくらいであれば、問題もないだろう。


「……ありがとうございます」


 どこか、安心したようなエルキナの声が聞こえて、俺は頷いた。

 しばらくして、エルキナの寝息が聞こえてくるようになり、無事に彼女が寝付けたことを確認する。

 俺は部屋に転がる死体を片付けてから、部屋の隅で浅い眠りについた。




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