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31 警戒




 庭園の案内が一通り終わった後、邸宅に案内された。

 長旅によって疲れているだろうという先方の配慮によって、今日は客室でゆっくり休み、会談は明日の昼に行われることになった。


「晩餐の用意が出来ました。食堂でエダグス様がお待ちですので、お急ぎで食堂の方まで来て頂けるようお願い申し上げます」


 部屋に入ってきたメイドはそう告げた。

 それを聞いたエルキナは、待ってましたと言わんばかりに立ち上がる。


 それにしても、晩餐か。

 俺が危険だと判断した、あの男が用意した食べ物。

 杞憂に終わればいいが……。


 そう思いながらも、一応はエルキナに伝えておく。


「エルキナ」


「はい、なんでしょう?」


「念のため言っておくが、新しい皿には手を付けるな。あと、グラスは何か理由をつけて新しいものを用意してもらえ」


「……? はい。わかりました」


 彼女の顔には疑問符が浮かんでいたが、本当に大丈夫だろうか。

 暗殺の恐れがあると、ちゃんと理解しているのだろうか?


 それとも。

 エダグスを危険視しているのは俺だけなのかもしれない。

 エルキナは小さいときからエダグスと知り合いのようだし、それなりにエダグスのことは分かっていることだろう。

 それを、先程エダグスと初対面を果たした俺がどうこう言うのは間違いなのかもしれない。


 本当に、無用な警戒で終わればよいのだが。

 俺の嫌な予感は、今まで十中八九で的中してきた。

 それだけに、不安感が拭えないでいる。


 場合によっては、エダグスは敵に回るかもしれない。

 だからティリナには、姿を現さないように言っておこう。


 こちらには俺以上に戦える人は居ない、そうやってエダグスに誤認させる。

 そうすることで、もし彼が敵に回った時に、彼の裏をかいて行動できるようになるのだ。

 言うなれば、ティリナは切り札である。

 そして切り札は、然るべきタイミングで出すべきだ。

 むやみに相手に見せてしまうのは、「どうぞ対策してください」と言っているようなものだろう。

 だから、ティリナのことは隠しておく。


 セバヌスには隠していたティリナを見破られたのだが、彼曰く、自分以外で精霊がいることを見分けられる人間はいないとのことだった。

 ティリナに聞いても、見破られた時は独特な感覚があるので、見破られたかどうかは分かると言っていた。

 一応は見破られることも考えておいた方が良さそうだが、その確率は限りなく小さいと言ってよい。


 とにかく、エダグスからティリナを隠す。

 そうすることで、俺たちの生存率が格段に上がるのだ。


 あとでエルキナにも、そのことを伝えておくことにしよう。




 ☆ ★




 結果的に、晩餐では何も起こらなかった。

 エダグスが終始嫌らしい目をしていたのは確かだが、話の内容は至って普通であった。

 長旅を労い、出された料理について説明し、近況について自慢げに語る。

 あとは、黙々と料理を食べるだけだった。


 俺が危惧していたような、食べ物に毒を混ぜられるといったことも無かった。

 エダグスの目線は異性を凝視するものであれども、隙を伺うような目線ではなかった。

 刺客が隠されていたような雰囲気も、全く感じられなかった。


 そして、何事もなくエルキナの部屋に戻ってきたのだが。


「あの、シグトさん? なんで私の部屋にいるんですか?」


「俺はお前の護衛だ。だから、寝込みを襲われないように護衛の務めを果たす必要があるんじゃないか?」


「でも、シグトさんにも部屋は与えられてましたよね……?」


 確かにそうだ。

 俺は、俺のための部屋を一部屋割り当てられた。

 だから、本当はそちらで休むべきなのだろうが。


 だが、念には念を入れたほうがよい。

 命というものは、一度なくなったら二度と帰ってこないのだから。


 少しでも怪しいと感じれば、とことん疑ってかかるのが貧民街での生き残るコツだった。

 それができない奴は、いつか必ず致命的なミスをする。

 俺はそうして消えていった人間を何人も見てきた。


 貧民街と、貴族の屋敷。

 両者は対極に位置していると思えるが、しかしそこに共通点も存在している。

 それは、人を蹴落として自分が生き残ろうとする意思だ。


 だからこそ、俺は警戒をする。

 感覚的なものではあるが、確かにエダグスは危険だと、そう思ったから。


「ああ、確かに部屋は与えられていた。でも、もしお前が襲われたら誰がお前を助けるんだ?」


「それは……。でも、普通は護衛の男の人を部屋に入れないんじゃないですか?」


「その代わりに、戦闘のできるメイドを配置しているなら構わないんだが、今回は戦える人間を城に多く残してきただろう?」


「確かに、そうですが……。でも、私としては、男の人が見てる中で寝るのはちょっと、落ち着かないというか……。普段よりも少ないですけれどメイドさんもいますし、何かあったらシグトさんを呼びに行くってことじゃダメですか……?」


 エルキナが、就寝中に俺を間近に置きたくないという気持ちも理解できなくはない。

 その気になれば俺がエルキナの寝込み襲うことだってできるし、エルキナはそれを止める術を持たない。

 おそらく彼女は、俺がエルキナを性的に襲うかもしれない、と言って怖がっているのだろう。


 まったく、状況を分かっていない。

 生きるか死ぬかがかかっているのに、そんな性的なことなど気にしている場合ではないだろう。

 もちろん俺は彼女を襲おうとする気持ちなど一切持ち合わせていないが、そういう気持ちを抜きにしても、ここは一人でも多くの護衛をつけるべきだろう。


 メイドに呼びに行かせる、と彼女は言うが、それでは根本的な解決にはなっていないだろう。

 なぜなら――


「メイドが呼びに行くまでの時間、お前は暗殺者から生き残れるのか? 戦闘力を持たないメイドが全員皆殺しにされない保証はあるのか?」


 少しきつい言い方になってしまったが、仕方がない。

 彼女の身の安全を確かにするのが俺の仕事だ。

 特に、ここはエダグス陣営の勝手知ったるマイホームだ。

 逃げ道の塞ぎ方や、暗殺者の差し向け方も熟知していることだろう。


 だからこそ、俺は警戒するのだ。


「……わ、わかりました。でも、これだけは約束してください。……ええと、その……


…………私の寝顔は、絶対に見ないでください!」


 エルキナは勢いよく頭を下げる。

 薄桃色の髪が、ふわりと風に揺れた。


 それにしても、思ったよりもエルキナが純粋な性格で拍子抜けしてしまった。

 変なところを触るなとか、寝込みを襲うなとか、そういうことを言われると思っていたのだが、まさか、寝顔を見られたくない、というのが真っ先に思い浮かぶとは。

 確かに、エルキナらしいと言えばそうなのかもしれないが。


「ああ、わかった。だが、緊急の時にその約束を守れないかもしれないということは理解してほしい」


「……は、はい。なるべく、見ないようにお願いします……」


 薄桃色の髪をくるくると指で回しながら、視線を明後日の方向に向けて言う。

 若干顔を赤らめており、危機感は全く感じられないが、まあいい。

 そのために、俺がいると言ってもおかしくないのだ。

 彼女が変なことをしないのであれば、俺は何も言うまい。


 しばらくして、エルキナは「おやすみなさい」と言って眠りについた。

 約束通り、俺はエルキナの寝顔は見ないようにして、彼女に背を向ける。


 しばらくして、エルキナの寝息が聞こえてきた。

 むにゃむにゃ、と不明瞭な寝言が耳に入ってくる。

 どうやら、ぐっすりと眠りについているようだ。


 もう、夜も遅い。

 俺は、明日は交渉役として会談に参加することとなっている。

 寝不足で頭が働かない、ということにもなっても困るので、そろそろ俺も眠ることにしよう。

 とはいえ、どこか危険な雰囲気もする。

 暗殺者のように後ろ暗いものを持っている者は、決まって夜に動くものだ。

 だから、周囲の様子が分かる程度に、浅い眠りについた。

 否、目を瞑って、眠っているふりをした。




 ……。





 …………。






 ――サッ。



 ――スススッ。





 そして、案の定。

 この部屋に、刺客が放たれた。





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